十一話 お出かけのお誘い
◇
深夜のエルライン公爵邸。
静まり返った廊下には光の魔法が淡く灯っていて。昼間とは違う、ひんやりとした静けさが漂っていた。
その静寂を破るように、靴音が響く。
私は壁にもたれていた背を離し、ゆっくりと目的の人物へ向き直った。
「お帰りなさいませ、旦那様」
「……ファルファナ?」
旦那様は一瞬だけ驚いたように目を見開いたが、すぐに、いつもの冷たい表情へと戻る。
「何の用だ?」
「旦那様をお待ちしておりました」
お仕事の忙しい旦那様の帰りを待っていたら、もうこんな時間になってしまっていた。
にこっと笑って言ってみるけど、彼の表情は微動だにしない。うん、これはもう、思いっきり警戒されてるよねぇ。
「こんな時間に待ち伏せとは……また夜這いでもしに来たのか?」
旦那様が一歩、こちらへ踏み出す。
そのまま壁際まで追い詰められ、気づけば逃げ場がなくなっていた。近い。こんな至近距離で旦那様の顔を見るのは初めてかもしれない。月明かりに照らされた銀色の髪も、冷たい印象なのに不思議と綺麗な赤い瞳も、思わず見惚れてしまうほど整っていて――って、そうじゃない。
ファルファナ、夜這いなんてしてたんだね。
「あの、旦那様。期待させてしまって申し訳ないのですが……その気は一切ありません」
「誰が期待していると言った……!?」
「今日は旦那様にお願いがあってきたんです」
逃げずにまっすぐ見上げる。すると、彼のほうが先に視線を逸らした。
「断る」
即答。うん、知ってた。予想はしていたけど、やっぱり取り付く島もない。
「そこをなんとかお願いできませんか?」
「どうせろくでもない我儘だろう。聞く価値がない」
お願いが我儘に変換してるあたり、過去のファルファナがどれだけ迷惑をかけていたのか想像できてしまう。
でも――だからといって引き下がるわけにはいかない。
「私の願いを叶えてくださったら、そのお礼に、旦那様のお願いを一つだけ叶えます!」
「……は?」
「だから、どうか聞いてください!」
旦那様が距離を取ろうとした瞬間、私はその袖を掴んだ。ぐいっと引き寄せる。今度は、私のほうから逃がさない番だった。
「願い、ね。……君に叶えられるものなど、最初から求めていないが」
必死さを感じ取ったのか、旦那様はぴたりと動きを止め、じっと私を見据える。
「いいだろう。聞くだけは聞いてやる」
「ありがとうございます、旦那様! やっぱり旦那様は優しいですね!」
両手を胸の前で組んで、ぱっと笑顔に花を咲かせる。旦那様の眉がちょっとひそんだ気がするけど、なんでだろ。
「それで? 君のお願いとやらは何だ。今度は何をねだりに来た? 宝石か、豪華なドレスか? ……それとも、どこか華やかな場所へ連れていけとでも?」
「はいっ、正解です! どうして分かったんですか、旦那様!」
形だけの夫婦なのに分かってくれるなんて。と感心していたら、旦那様は呆れたように深いため息を吐いた。
「やはり君は相変わらずだな」
「我儘ばかりで申し訳ありません。できれば……これを最後の我儘にしたいです!」
「曖昧にするな。最後にする、と言い切れ!」
ぴしゃりと言われてしまった。でも、そんなことは今はどうでもいい。
「で? どこへ行きたいんだ」
腕を組んだ旦那様に促されて、私はそっと息を吸い込んだ。
「《リッカ山》――ここから少し離れた場所にある、夜になると霧が深くなって魔物も出ると噂の……ちょっと物騒で、ある意味華やかな場所です!」
「……は?」




