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戦国昆虫戦記【変態飛翔】~名は「まんぷく」知識の代償は「はらぺこ」~  作者: つんしー
第二章 割れる天下

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第十九話 怨霊の田と、筒井の焦燥

天正十年六月二十六日。大和国・郡山城近辺。


安土での軍議から三日。松永道実と六助は、大和の街道を密かに移動しながら、満福から授かった「役目」の種を撒き続けていた。


夏の陽光に照らされた大和の田園風景。一見、穏やかなその景色の中に、道実は「死」の兆候を見ていた。


「……ひどい。これは、あまりにひどすぎる」

道実は街道の脇でうずくまり、突き刺すような胃の痛みに顔を歪めた。


三日前に放たれた最初の「泥の羽音」は、湿った南風に乗って瞬く間に広がり、一部の早稲の葉を不気味な黄色に変色させ始めている。まだ全滅には至っていない。だが、満福が時任から共有された知識によれば、これは目に見えない毒の連鎖であった。一反の田が死ねば、農民にとっては来年の種籾すら失う、底なしの絶望を意味する。


「この時期の稲は、虫たちにとっても一番のご馳走なんだなぁ!」

道実の傍らで、丸々と太った少年――六助が、きらきらとした目で竹筒の栓を抜いた。中から溢れ出したのは、長翅型保毒ウンカの群れである。


「六助、もうやめぬか。これでは筒井ばかりか、民まで飢え死にする」


「道実様、甘いですよ! おいら、満福様のためなら何でもするって決めたんだ。たとえこれが地獄だって、満福様が『やれ』って仰るなら、おいらは喜んで手を汚しますよ。それに見てくださいよ、この羽虫。大和の空を埋め尽くしていく……最高だなぁ!」


六助は、かつて死線を彷徨った自分を救ってくれた主への、狂信的な忠誠を隠さない。彼は村の子供たちを集めると、懐から取り出した野イチゴの干したものを分け与え、さらに自慢げに「大きな蜘蛛」を見せて回った。


「いいか、この蜘蛛は弾正様の使いだ。この虫たちが田んぼを食い尽くすのは、裏切り者の筒井を追い出すためなんだぞ」


子供たちの無垢な瞳に、恐怖と好奇心の混じった噂を植え付けていく。


「……ならば、私は私の役目を果たそう。この地獄を、父上の呪いに仕立て上げる」

道実は自嘲気味に呟いた。かつて父・弾正が大和を支配し、そして順慶に奪われた。今、自分は父が治めた国で、おぞましい惨劇を演出しようとしている。


---


大和の主・筒井順慶は、郡山城の奥深くで経文を唱えていた。


「……弾正か。弾正が、戻ってきたというのか」

順慶の指は震え、念珠がカチカチと音を立てる。慎重さを武器に立ち回ってきた彼にとって、この目に見えない「虫の害」と「怨霊の噂」の同時襲来は、石橋を叩き割るほどの恐怖であった。


「殿! 北の村々から農民が逃げ出しております! 稲が枯れるのは、殿が松永様を裏切り、その所領を掠め取った罰だと言い触らす者がおり……!」


「黙れ! 祈祷だ! 興福寺の僧を呼び集めよ! 呪いを鎮めるのだ!」


順慶は激しく動揺した。領内を覆い始めた不穏な熱気と、食糧の根幹たる田畑が「呪い」で枯れ果てようとしている今、外敵に目を向ける余裕など完全に奪われていた。道実の放った工作員たちは、この混乱に乗じて伊勢へ続く街道の橋を焼き、物資の集積所を強襲した。


---


そしてその余波は、東の伊勢国を直撃する。


父・信長の待つ岐阜へ合流すべく、伊勢を通過中の一万四千の織田信孝軍。彼らの巨大な胃袋を満たすはずだった大和からの補給は、完全に途絶えた。


「……糧食はどうした! 筒井の供出が遅すぎる!」


信孝は、飢え始めた兵たちの殺気に当てられ、焦燥の極みにいた。一万四千という軍勢は、もはや組織的な軍隊ではなく、領内を食い荒らす「飢えた狼」の群れに変貌しつつある。


信孝の兵たちは、伊勢の村々で略奪を強行した。民家から鍋を奪い、隠された米を求めて床下を暴く。それを止めようとした北畠信雄の代官が、飢えた兵に斬殺されるという事件まで発生した。


「これ以上の狼藉、断じて許さぬぞ信孝! 貴様の兵は味方ではなく、我が領土を食い荒らす害獣よ!」

居城を守る北畠信雄は、激怒して関所を封鎖。弟の軍への兵糧供出を徹底的に拒否した。


「我が領民を殺し、蓄えを奪う貴様の兵こそ、織田を滅ぼす害獣よ。即刻立ち去れ、さもなくば討つ!」


「兵糧も出さぬ兄上に、父上の救援を語る資格はない! 岐阜への道を阻むというのなら、兄上こそ逆賊ではないのか!」


信孝も叫び返す。近親ゆえの憎悪は、飢えによって限界まで研ぎ澄まされていた。岐阜で軍を整える父・信長が救援を待っているというのに、兄弟は互いに刃を向け合い、一触即発の睨み合いを続けている。


空を覆い始めた泥色の羽音。

それは、戦わずして大和を封じ、伊勢で兄弟をいがみ合わせ、岐阜への増援を内側から腐らせる、満福が放った静かなる死神の歌であった。


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