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戦国昆虫戦記【変態飛翔】~名は「まんぷく」知識の代償は「はらぺこ」~  作者: つんしー
第二章 割れる天下

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第十八話 廃墟・安土の軍議

天正十年(一五八二年)六月二十三日 近江国・安土。


かつて天下布武の象徴として天を突いていた安土の山頂は、いまや剥き出しの巨大な石垣と、瓦礫が重なり合う不気味な廃墟と化していた。


イエシロアリに芯まで食い荒らされた黄金の柱は塵灰となり、山肌を雪のように白く染めている。その崩落した天主の礎石の上に急造の幕が張られ、浅井家の軍議の場が設けられていた。


「……状況を報告せよ、佐助」

満福の声が、仮設の陣所に低く響いた。


黒装束の佐助が、影から滲み出るようにして満福の前に平伏した。


「御意。岐阜に逃れた織田信長ですが、主力である柴田勝家の軍勢を美濃へと収束させております。我が方の調べでは、五千の兵を岐阜の防衛に残し、残る一万五千の精鋭が近江侵攻の先鋒として安土を目指す構えにございます」


「やはり来たか」

満福は卓上の地図を睨んだ。


(信長にとって安土は己の神性を証明する祭壇だ。ここを浅井に占拠された事実は、奴の支配の根幹を揺るがしている。背後にどれほどの懸念があろうと、ここを奪還せねば奴の天下は終わる)

脳内で時任の乾いた声が響く。


続いて、傍らに控えていた石田佐吉が帳面を開き、生真面目で険しい表情のまま言葉を継いだ。


「……加えて、軍事物資の報告にございます。現在、甲賀にて『狂い汁』『泥の筒』、および『百足毒』の生産を急がせておりますが……未だ十分な量に至らず、在庫は極めて厳しい状況です。さらに、火薬についても同様。なけなしの量しか残っておりませぬ」


「迎え撃つはこちらの一万二千。だが、向こうは織田最強の柴田が一万五千だ。こちらの強力な手札が枯渇した状態でまともに野戦を挑めば、すり潰されるのはこちらの方ぞ」

磯野員昌が、白髪の混じる頭を掻き、無骨な拳を膝に当てて唸った。


そこへ、床几に腰掛けた灰庵が、耳障りな笑い声を上げた。

「カカカ! 案じ召されるな、磯野殿。柴田の進軍まで数日、新たな砦や防衛陣地を築くときなどありはせぬが……まともに武士の戦をしてやる必要などどこにもござらん」


灰庵は扇子を広げ、背後に広がる白粉しらこにまみれた瓦礫の山を指し示した。


「この崩落した安土城の『死骸』こそが、極上の罠にございます。不安定な足場、視界を奪う木屑の粉塵。この剥き出しの石垣や倒木をあえて入り組ませて迷宮に仕立て上げる。勝家軍がこの瓦礫の山に足を踏み入れた瞬間、彼らは城を攻めているのではなく、巨大な殺戮の檻の内側へ足を踏み入れていることに気づくはず」


灰庵が不敵に笑いながら瓦礫の利用法を説くと、満福はその濁った瞳をじっと見つめ返した。


「……灰庵。織田最強の猛将、柴田勝家を迎え撃つ『瓦礫の檻』の差配、貴様にすべて任せる。奴の首は要らぬ。安土の石垣を勝家軍の血で塗り潰し、二度と立ち上がれぬよう叩き潰せ」


「御意。この松永弾正……否、灰庵にお任せを。地獄よりさらに深い、至高の死に場所を用意して差し上げましょう」


満福は頷き、視線を道実と六助へ向けた。

「……道実、六助。貴様らには、南の大和、筒井順慶を抑えるための『役目』を授ける。一兵も動かさず、かの地を死の国に変え、筒井を城から一歩も出さぬようにせよ」


「死の国、ですか。……あぁ、また胃が……」

道実が神経質そうに胃を押さえて顔を歪める傍らで、六助が「任せてください! 仕込んでおいたアレを一番効く場所に撒いて見せますよ!」と不敵に笑って平伏した。


満福は少し表情を緩め、傍らに控えていた冴衣に視線を移した。


「……冴衣。お前たち鵜飼一族に、安土へ至る道筋で、柴田の出鼻を挫く役目を頼みたい。火薬は少ないが、やれるか」


「ん。任せて。ちょっとした『水遊び』ができないか、鵜飼の長老と相談しとくよ。なけなしの火薬も、一番いい使い方をしてあげるよ」


「ああ。頼んだぞ」


満福は頷き、最後に、隅で控えていた京極高次へ向き直った。


「小法師殿。折り入って頼みがある。貴殿には日本海を渡り、越後の上杉景勝の元へ走っていただきたい。名門京極の看板をもって、上杉を北から引きずり出す。これは貴殿にしかできぬ大役だ」


高次は一瞬、毒気を抜かれたように目を見開いた。いつも自分を子供扱いする母上、そして、得体の知れぬ力を持つ年下の従兄弟。その巨大な影で息を潜めてきた高次の背筋に、初めて「京極家嫡男」としての熱い火が灯る。


「……越後の上杉、ですな。あの方は義理を重んじる。名門の口上と、此度の利を説けば、必ずや北の門を開きましょう」

高次は居住まいを正し、満福の目を見据えて深く頭を下げた。


「この京極小法師高次、身に代えても上杉の兵を動かして参ります。満福殿は、どうか安土を守り抜いてくだされ」


頼もしい従兄の覚悟に満福が頷きかけた、その時である。


「あら、まんぷく。私の役目は何かしら?」


陣幕の隅から、優雅に扇子を広げる音が響いた高次の母であり、例の満福の叔母である。


「せっかくの大きな戦ですもの。再び、私が軍を指揮してあげるわよ?」


妖艶に微笑む叔母上に、満福は思わず胃のあたりを強く押さえた。先の山﨑の戦場を己の気分と美意識だけで掻き回した、この身内にして最大の『劇薬』を、緻密な計算が求められる瓦礫の防衛戦に投入するわけにはいかない。


「……叔母上。今回はどうか、大人しくしておいてくだされ」


「まあ。面白くないわね」

叔母上はパチンと扇子を閉じ、不満げにため息をついた。


その様子に、高次をはじめとする陣中の武将たちが一斉に安堵の冷や汗を拭う。


安土の廃墟に、熱を帯びた、それでいて凍りつくような殺意の風が吹き抜けた。



安土の廃墟に、熱を帯びた、それでいて凍りつくような殺意の風が吹き抜けた。


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