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戦国昆虫戦記【変態飛翔】~名は「まんぷく」知識の代償は「はらぺこ」~  作者: つんしー
第二章 割れる天下

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第十一話 山崎の戦い 泥まみれの先陣

天正十年(一五八二年)六月十三日、未明。


戦場は、東を流れる淀川と、西にそびえる天王山に挟まれた、極めて狭い隘路であった。

北側には明智・浅井連合軍が布陣し、山頂付近に満福の本陣、中腹に冴衣の鉄砲隊と六助の泥の筒部隊、そして麓の平地に磯野員昌の突撃隊と明智の主力が構えている。

対する南側には、羽柴秀吉の三万と織田信孝の一万四千が、数珠繋ぎとなって密集していた。


雨が上がり、山崎の湿地帯には薄気味悪い川霧が立ち込めていた。

天王山の山頂付近に本陣を敷く満福は、眼下に広がる黒い海のような軍勢を見下ろしていた。


(時任。羽柴の陣立てはどう見える?)

満福の問いに、脳内の時任が淡々と答える。


(……前線に兵を厚く配置しすぎているな。山崎のような狭い地で四万もの大軍を展開すれば、どうしても後方が詰まる。先頭の足が止まれば、後続は身動きが取れなくなる。そこでひとたび混乱が起きれば、軍全体が己の重みで潰し合うことになるぞ)


(なるほど。狭い道に大勢が押し寄せれば、互いが邪魔になるということか)


傍らの床幾に腰を下ろした軍師・灰庵が、楽しげに喉を鳴らし、霧の向こうの羽柴陣営を見据えている。

「大軍というものは、一度崩れれば己の数で自滅するもの。ここは一つ、羽柴の先鋒を叩き潰してやりましょうぞ。……誰ぞ、あの泥を駆け抜け、羽柴の先頭を食い破る者はおらぬか?」


灰庵の言葉に、一人の老将が進み出た。

「この磯野員昌にお任せあれ!!」


白髪の交じる頭を下げ、満福の前に平伏する。

「かつて佐和山で泥をすすったこの老体……。殿の御為、浅井の誇りのため、羽柴の先陣に浅井の恐ろしさを叩き込んでご覧に入れまする!」


満福は、磯野の覚悟を受け止めた。

「頼むぞ、磯野。生きて帰れとは言わん。羽柴の先鋒を蹴散らし、お前の背中を俺に見せろ!」


「ははっ!! この磯野、死出の旅路の先陣、飾って見せましょうぞ!」


開戦の法螺貝が響いた。

先手を取ったのは明智・浅井連合軍である。淀川寄りの左翼から明智軍が押し出し、中央からは磯野員昌率いる浅井の部隊が、泥を蹴り立てて羽柴の先鋒・高山右近や中川清秀の陣へと雪崩れ込んだ。


「退くな! 浅井の誇りを見せつけよ!!」

磯野の号令と共に、激しい激突音が戦場に響く。


兵数で勝る羽柴軍は、数で押し潰そうとした。だが、磯野の突撃は死を恐れぬ猛進であった。かつての十一段崩しのように一点に集中した突進は、泥に足を取られた羽柴の先鋒を次々と突き崩していく。


「止められぬ、陣が崩されるぞ!」

羽柴方の兵が声を上げる。磯野の働きにより、羽柴軍の出鼻は挫かれた。


しかし秀吉は、前線の混乱を後方の兵力で強引に埋めてくる。時間が経つにつれ、磯野の部隊は大軍に阻まれ、足が止まりつつあった。


(時任、磯野の勢いが落ちてきた。そろそろか?)


(ああ。敵が磯野を取り囲もうと密集した今が頃合いだ。佐助に合図を出せ)


満福は小さく息を吐き、傍らに控える黒装束の少年に目配せをした。

「佐助、やれ」

「御意」


佐助は音もなく立ち上がり、弓に竹筒を取り付けた特殊な矢を番えた。

佐助はそれを、羽柴軍が最も密集している前線の真ん中へ向けて放った。


矢は放物線を描き、羽柴軍の甲冑に当たって砕け散った。

中から飛び散ったのは、鼻を突くような、甘ったるくも刺激的な異臭。佐助が放ったのは、オオスズメバチの攻撃指令となる『狂い汁』であった。


「なんだ、今の水は!? 妙な匂いが……」

兵たちが顔を拭った、その直後だった。


ブゥゥゥン……という、地鳴りのような不気味な羽音が戦場を振動させ始めた。

それは一匹や二匹ではない。天王山の山中から、黒と黄色のまだら模様を持つ悪魔の群れが、

一直線に『狂い汁』の匂いを追って押し寄せてきたのだ。


(……また、あのおぞましい生き物か!)

満福は、遠目に見えるだけでも鳥肌が立つほどのオオスズメバチの群れに、激しい吐き気と胃液が込み上げてくるのを感じた。


(そうだ、匂いを浴びた兵士たちを、蜂どもは『敵』と認識して刺し続ける。昆虫の本能だ)


「うわあああっ!? なんだこの巨大な虫は!」

「痛い! 痛いィィッ! 助けてくれ!!」


羽柴の前線は、凄惨な有様と化した。

オオスズメバチの毒針は皮膚を貫き、強烈な毒を打ち込む。刺された者は火で炙られたような激痛にのたうち回り、混乱した兵たちは武器を放り捨てて味方を突き飛ばしながら逃げ惑う。密集していたことが仇となり、兵の崩れは後方へと広がっていく。


「カカカ……! これは傑作じゃ。羽柴の兵どもが、虫けらに踊らされておるわ!」

灰庵が腹を抱えて笑い転げる。


「くそっ、見るだけで肌が粟立つわ!」

満福は目を背けたくなるのを必死に堪えながら、一段下の中腹を見下ろした。


そこに築かれた簡易な防塁の陰から、冷たい瞳で眼下を狙う冴衣の姿があった。

彼女の首元には、先ほど光秀に見せた足利の家紋入りの「紗」が巻かれている。


「相変わらずとんでもない嫌がらせだね。……だけど、的が勝手に踊ってくれるなら、これほど楽なかりはないよ」


冴衣は、百丁の鉄砲隊を横一列に並ばせ、冷徹に手を振り下ろした。

「撃て!!」


轟音と共に、鉛玉の雨が、スズメバチの襲撃で統制を失った羽柴軍へ降り注ぐ。

逃げ惑う兵たちは、高所からの射撃の前に次々と泥に倒れ伏していった。


明智・浅井連合軍の高い士気、磯野の突撃、そして佐助と冴衣による罠。

これにより、山崎の戦いの序盤は、数で劣る連合軍が羽柴軍を押し込んでいた。


だが、満福の表情に油断はなかった。

(……まだだ。これだけ前線が崩れているというのに、後方に控える秀吉の本陣からは、退却の銅鑼が全く聞こえてこない)


(ああ。……秀吉という男は、この程度の損耗は安いと見ている。数の差を盾に、こちらの弾薬と体力が尽きるのをじっと待っているんだ)


雨上がりの淀んだ空気の中、四万という大軍の圧力が、ゆっくりと、しかし確実に彼らに向かおうとしていた。


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