Record1:記録開始
薄風がここを去ってから3日が経った。部屋は恐ろしいくらいに静かで、だけどのどかで。私はすっかりこの生活に浸かってしまった。綿が所々出ている椅子に仙骨座りでボケーっと遠くを見る。もうあんな所に行くなんて考えもできない。薄風大丈夫かなぁ…なんて思いながら、帰ってくるよね?なんて考えてみたり。命の危険とは無縁すぎるこの時間が今はとても心地いい。
「…お腹空いた。」
唐突な空腹に襲われる。重い腰を上げ、キッチンに向かう。私が住んでいるこの部屋はどこにでもある2DKでそこそこの広さ。選んだ理由はどこにも寄生跡がないし、変死体も無い。そのうえ小部屋が二つもあり、それぞれの生活スペースがある点から、これ以上の場所はないと思ったからだ。個人スペースは二人で部屋を決めていて、私の部屋にはお気に入りのレコードと銃、本棚くらいしか置いていない。キッチンにはありったけの水と食料、それと石置き場。服は3着しかなく、手洗いで使い回し。体はお湯を染み込ませたタオルで拭いているし、トイレは出したのを外に埋め立てるのだが…今は袋にまとめて窓から投げ捨てている。
キッチンに向かい、缶詰を手に取る。ここ最近は鯖の缶詰がお気に入りだ。といっても種類もそう多くはないし、昔と違って食は生きる為に行う行為だ。楽しむために食べる行為はこの環境で生きていれば必然的に消えていくだろう。
ふと外を見る。いつもと変わらない、灰色に染まった空と奇声を上げながら一定のエリアを飛び回るC型。あいつは…まだそんなに石を食ってないな…腹が光ってないのが証拠だ。それなら、ここ一帯の脅威になることはないだろう。少しの安堵と、平和な環境を選んだ癖に日頃の習慣が抜けていない事に呆れを感じる。一種の職業病的なものを感じながらフォークで二つに割った鯖を口に入れた。
5日目。やることがない。当初から分かっていた事だ。だがそれを気持ちいいとも感じている。でも暇なんだよなぁ~
と、言うことでたまたま見つかったノートとシャープペンシルで文字を書いてみる事にした。「書く」行為をした事が久しく無かったから、ペンを紙にこすりつけて動かすたびに腕がプルプルしている。まるで産まれたてのAttackerみたいだ。最初はまともに漢数字すら書けなかった。あの頃みたいに字が上手く書けるまでに3日を要した。
8日目。字を書くのが楽しい。それなりに字の書き方を取り戻した私は今、過去の探索で持ち帰ったお気に入りの本達の文章を書き写している。あんな戦場で鉄の塊を持ち歩いて、引鉄を引くだけの行為よりよっぽど指が楽しそうだ。最初は右手で書いていたが、今は左手の方が書きやすい。でも書く内に手の横が芯で黒く色づいてく。いちいち貴重な水を使うわけにもいかないのでそのままにしている。これを見るたびに字を書いているんだっていう、勲章みたいな役割をしてくれて、ちょっと消すのがもったいなかったり。
10日目………消費が早すぎる。もっと一日一日丁寧に、質を増やして書かないと。このままじゃいくら紙があっても足りなさそうだ。今日から気を付けよう、うん。
当然の事だが、日記だけじゃ一日は埋まらない。今は探索で持って帰って来ていた未読の本を読んでいる。中身まで見て吟味する時間なんて探索中にはないので、ほとんどが表紙に一目惚れでの入手だ。その中で今日は面白い内容の本を見つけた。「初耳では少し恥ずかしい用語集」という辞書みたいな本だ。この中に出てくる用語がどれもワクワクして仕方ないのだ。
アリアドネの糸にテセウスの船、プロメテウスの火などなど…多種多様な用語がある中で、私は英雄や神にちなんだエピソードが特にお気に入りだ。その内容は失敗から思考実験まで本当に多種多様。見るたびに考えた事も無かった新しい疑問が生まれてくる。この感覚が最高に心地いい。こうしているだけで1年が過ぎていきそうな程に。確かこの感覚も…あった、タキサイキア現象と言うらしい。感情が時間の知覚に影響を与える現象だそうだ。私は、今までなんとなくで感じていた気持ちにも現象や効果などの名称がある事に、そしてその気持ちが深掘りされていくのに興奮を隠せない。
私が用語を一つ読んで、それについて実体験と結び付けたり例を考えたりしてみる。これを繰り返すだけでいつの間にか夜になってしまっていた。でもここには私の時間の邪魔をしてくる奴はいない。好きなだけ読んで、考えて、寝て、起きて、また本の虫になる。とっくに次の日になっている事にさえ気づかずに。
今は、現実に何もリソースを割かなくていいこの時間が幸せだ。こんな日がずっと続けばいいのに。
もうちょっと更新ペースを上げれそう
次回の深水パートは一日に絞って書くつもりです。ダイジェストみたいになってしまうのが怖かったので
”””用語の深堀りとは”””




