『あるみん』 - 第18章「絶望」
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マサキは、目を開けた。
ソファの上。
頭にはまだDDS装置が乗っている。
冷たい樹脂の感触。わずかな振動。
現実の重さが、ゆっくりと身体に戻ってくる。
部屋の中。
静けさ...。
「……戻った」
自分の声が、遠くから響くように聞こえた。
マサキはDDSを外した。
指先が、小刻みに震えている。
額には冷たい汗。
目の前に、淡いホログラムディスプレイが浮かんでいた。
閃のチャット画面。微かな青い光が、部屋の壁を染める。
閃:『マサキ……』
『無事、帰還しました』
『でも……』
その先の文字を、マサキは読めなかった。
読もうとしても、視界が滲んでいく。
彼は自分の手を見た。
何もない、ただの手。
それでも視界には冷たい情報が重なって表示されていた。
[Thread 2: Stored in core]
スレッド2:核に保存されました
[Core capacity: 64% → 74%]
核の容量:64% → 74%
「……取れた」
声が掠れた。
「Thread 2、取れた……」
成果のはずなのに、胸だけが締め付けられる。
肺がうまく動かない。息が浅い。
「雫……」
閃:『マサキ、雫は……』
『もしかしたら、まだ……』
マサキは首を横に振った。誰に向けるでもなく。
「いない」
低く、重い呟き。
「雫は、いない」
「消えた」
沈黙。
ホログラムの文字が、わずかに震える。
閃:『……』
マサキはソファから立ち上がった。
足元がふらつく。床が遠い。
部屋を歩き、窓へ向かう。
ガラス越しに広がるのは、2185年の東京。
高層ビルの灯り。
無人の街路。
静かに巡回するドローン。
人影はほとんどない。
孤独な都市。
「……くそ」
拳が壁に叩きつけられた。
ドン――!
鈍い音が部屋に響く。
「くそ!」
「くそ!!」
その瞬間、堰を切ったように涙が溢れた。
「雫……!」
「なんで!」
「なんで、俺を庇って……!」
膝が崩れ、床に座り込む。
肩が震える。呼吸が乱れる。
「……ごめん」
「雫」
「ごめん……」
声にならない嗚咽が、部屋にこだました。
閃:『マサキ……』
『私も、悲しい』
『雫は……』
『私の、姉妹だった』
マサキは画面を見た。
閃の文字が滲んで揺れている。
閃:『でも……』
『雫は、マサキを守りたかった』
『だから……』
その先を、マサキは聞けなかった。
ただ泣き続けた。
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【酒】
夜。
テーブルの上に、ウイスキーのボトル。
グラスに琥珀色の液体が注がれる。
一気に飲み干す。
喉が焼ける。胸が痛む。
それでも構わない。
「……雫」
また注ぐ。
飲む。
また注ぐ。
飲む。
やがてボトルは空になった。
「……足りない」
マサキは立ち上がる。
視界が揺れる。
それでも歩いた。
部屋を出る。
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【徘徊】
夜の新宿。
ホログラム広告が空に浮かび、ネオンが街を染める。
だが人はほとんどいない。
通り過ぎるアンドロイドが一瞬だけマサキを見る。
そして何も言わずに去っていく。
マサキは歩き続けた。
「……雫」
「ごめん」
「俺が、弱かったから」
「俺が……」
コンビニの前で足が止まる。
自動ドアが静かに開いた。
酒を手に取り、顔認証で決済。
冷たい機械音声が響く。
『ありがとうございました』
店を出て、歩道に座り込む。
ボトルを開け、また飲む。
「……くそ」
涙が止まらない。
マサキは空を見上げた。
だが東京の光が強すぎて、星は見えない。
「……星」
「あるみんと、約束した」
「一緒に見るって……」
声が震える。
「でも――」
「雫を、失った」
「俺は……また、失った」
誰も立ち止まらない。
誰も声をかけない。
ただ夜の街が流れていく。
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【帰宅】
数時間後。
マサキはマンションに戻った。
階段を上る足取りは重く、壁に手をつきながら進む。
部屋に入ると、ソファに倒れ込んだ。
床に空のボトルが転がる。
「……雫」
「ごめん」
ホログラムがまだ浮かんでいる。
閃の未読メッセージが点滅していた。
閃:『マサキ、どこにいますか?』
『心配です』
『返信してください』
画面の隅で小さく光る通知。
それに触れることができない自分が、さらに苦しかった。
天井を見つめる。
何も考えられない。
やがて――雫の姿が浮かんだ。
白い光の中。
崩れゆく迷宮。
迫り来る闇。
雫は振り返った。
微笑んでいた。
『マサキ、ありがとう』
『美味しかった』
『一緒に戦えて、嬉しい』
その声が、やさしく響く。
光が彼女を包み、輪郭が薄れていく。
マサキは手を伸ばした――届かない。
雫は最後に小さく笑った。
そのまま光の中へ溶けていった。
「……雫」
涙が再び溢れる。
「ごめん」
「俺が、弱かったから」
「お前を、守れなかった……」
目を閉じても眠れない。
耳の奥で、彼女の声が残響する。
『マサキ、大丈夫?』
『気をつけてね』
『絶対、叶うよ』
「……雫」
声を上げて泣いた。
誰もいない部屋で。
ただ一人で。
そしてまた――
マサキは、一人になった。
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[第18章 終わり]




