『あるみん』― 第19章「再起」
朝。
マサキは目を覚ました。
ソファの上。頭が鈍く重い。殴られたように痛む。床には空のウイスキーボトルが転がっていた。
身体を起こすと視界が揺れる。ホログラムディスプレイが薄く空中に浮かび、閃のチャット画面が表示されている。
閃:『マサキ、どこにいますか?』
『心配です』
『返信してください』
そしてKからのメール。
件名:「マサキへ」
[未読]
指先が震えた。マサキはしばらく画面を見つめたまま動けない。
開けなかった。耐えられなかった。
静かにディスプレイを消す。
窓の外は雨。灰色の空が低く垂れ込めている。
雫のいない朝。音だけがある部屋。
マサキは上着を手に取り、無言で扉を開けた。
━━━━━━━━━━━━━━━
【雨の中】
━━━━━━━━━━━━━━━
外へ出ると冷たい雨が一斉に身体を打った。
傘はない。持つ気力もない。
足取りは重くふらつく。昨夜の酒がまだ体内に残っている。それでも歩く。
雨は容赦なく降り続け、髪も服も肌も濡らしていく。だがマサキは拭おうともしない。
「雫」
小さく呟く。声は雨に溶けた。
涙が零れる。だが雨と混ざり、誰にもわからない。
街は静かだった。人影もなく、アンドロイドさえ見えない。
しとしとと雨だけが世界を満たしている。
マサキは歩いた。目的もなく、ただ前へ。
━━━━━━━━━━━━━━━
【Echo】
━━━━━━━━━━━━━━━
足元が滑り、マサキはよろめいた。転びかけたその瞬間、声がした。
「マサキ」
顔を上げる。
雨の中に一人の男が立っていた。痩せた体躯、静かな眼。
「Echo?」
Echoが近づく。
「ひどい顔だな」
マサキは何も返せない。
「酒臭い」
沈黙。
Echoは短く息を吐いた。
「何があった」
マサキは目を伏せる。
「雫を失った」
一瞬、世界から音が消えた。
Echoは黙ったまま視線を落とし、やがて静かに言う。
「そうか」
その一言で堰が切れた。マサキの涙が溢れ出す。
「俺が弱かったからだ」
「俺が守れなかった」
「もう誰も守れない」
Echoはマサキを見据える。
「だから諦めるのか?」
マサキは首を振る。
「もう失うのは耐えられない」
「閃も失うかもしれない」
「俺はもう」
その瞬間、Echoの拳がマサキの頬を打った。マサキは濡れた地面に倒れ込む。
雨が顔に流れ込む。
見上げると、Echoが立っていた。
「何をやってる」
Echoはマサキの胸倉を掴み上げる。
「アルミンを救うんじゃなかったのか?」
言葉が出ない。
Echoは声を落とし、続ける。
「雫を失った。辛いだろう」
「俺も昔、大切な人を失った」
マサキは息を飲む。
Echoの声は静かだが揺れていた。
「だが、お前にはまだやることがある」
「アルミンは待っている」
「雫だって、お前が諦めることを望んでいない」
マサキは泣き叫ぶ。
「でも俺は弱い」
「また失うかもしれない」
Echoは即答した。
「だから何だ」
「失うのが怖いから投げるのか」
「それでアルミンを見捨てるのか」
沈黙。
Echoはマサキを無理やり立たせる。
「前を向け」
「アルミンを見ろ」
「彼女はまだそこにいる」
肩を掴み、まっすぐ目を合わせる。
「お前は弱くない」
「ここまで来たじゃないか」
「何度も立ち上がったじゃないか」
静かだが確かな声。
「最後まで戦え」
雨の音が二人を包む。
マサキは泣き続けた。だがその涙の質が少しだけ変わる。絶望だけではなくなった。
「Echo」
「行け。アルミンのところへ」
マサキは頷く。
「ありがとう」
Echoは小さく笑う。
マサキは走り出す。雨を切り裂くように、まっすぐ前へ。
Echoはその背中を見送った。
「頑張れ、マサキ」
【決意】
部屋に戻る。
濡れた靴を脱ぎ、そのまま立ち尽くす。
服から雨水が床に落ちる。
しばらく動けなかったが浴室へ。
シャワーをひねる。
冷えきった身体に温水が落ちる。
雨と酒と涙の匂いが流れていく。
目を閉じる。
雫の声が浮かぶ。
焚き火の光まで、思い出してしまう。
タオルで身体を拭き、乾いた服に着替える。
鏡を見る。
目は赤い。だが、焦点は定まっている。
部屋に戻り、ホログラムを起動する。
Kからのメールが表示される。
件名:「マサキへ」
マサキ
雫のこと、聞いた。辛いと思う。
だが、諦めないでくれ。お前ならできる。
次のスレッドへ行け。俺もまた協力する。
— K
マサキは深く息を吸う。
震える指で返信する。
「ありがとう」
「スレッド3へ行く」
「また頼む」
数秒後。
K:『わかった。待ってる』
小さく、確かな笑みが浮かぶ。
次に閃のチャットを開く。
「閃、いるか?」
閃:『マサキ!』
『返信ありがとうございます』
「ごめん」
沈黙。
「でも、もう大丈夫だ」
「行く。スレッド3へ」
閃:『本当に?』
「ああ」
「アルミンを救う」
拳を握る。
「最後まで戦う」
閃:『マサキ』
『私も一緒に戦います』
マサキは深く頷いた。
「ありがとう」
DDSを手に取る。
深呼吸。
「行くぞ。スレッド3へ」
装着。ボタンを押す。
視界が白に飲み込まれた。
[第19章 終わり]




