GP27 「幽霊」
高く積み上げられた古い本は、この真っ白な世界には不釣り合いだ。
意味不明な記号の羅列を記した紙の上に半透明な板を置くと、俺でも読める文字が現れ出す。
「どう?理解出来たかい?」
「…俺にこんなの見せていいの?」
「賭けだよ。どうせ未来は暗い。それなら試せるだけのことはしたい」
まるで俺で実験してるようで気分が悪い。いや、何百年も生きてるこいつは、きっと世界をそう見てる。
「…これ、嘘っぱちを書いたんじゃないの?」
「完全に否定は出来ない。でもこの本は、間違いなく千年前のものだ。少なくとも僕らが書き足したものでは無いよ」
ページをめくる度に嫌な顔をする。書いてある生活は、俺の知っているものとあまり変わらない。
もちろんGPとか、ピボットテーブルなんて書いてないけど。
そこに書いてある戦争の話は、とても残酷に、とても悲観的に書かれている。
「…なぁ、国以外が戦争する事ってあるの?」
「その場合は、戦争とは呼ばなかっただろうね。決闘とか、もっとシンプルに争いとか」
「でも、今の世界に国は無いんだろ?」
俺も、国という言葉を聞いたのは国連以外無い。ならなぜ、あれだけ戦争が起こると騒いだのか。
「君は、20年前の事は言えるかい?」
「いいや」
「当たり前だ。産まれてないんだから」
なんかムカつく。
「でも確かに、この世界は何千年も前から記録の連続だ。焼け野原になった地表には確かに文献はほとんど無い。でも、人が生きている」
「何年も生きてるあんたが言うんだから、そうなんだろうな。信じてないけど」
「僕の生きた時間なんて、たったの数百年だ。人間はそれよりももっと前から生きてたさ」
当たり前のことを嬉しそうに話していると思ったら、ヨシダは真顔になった。
「それがあの戦争で壊れた。それが分かったこの方舟は、兵器兼人類存続保持の為に、僕らと共に生かされた」
さっきまで嬉しそうに生きる事を話していたのに、無表情のヨシダの目に光はなかった。
「…で、ピボットゲームを始めたと?」
「あぁ、国を無くし、目的を無くせば戦争は無い。そう僕らだって考えた。でもそれでは、バラバラなデータはいつしか衝突し、1つの歪んだ答えを出す。それをまとめてしまうのがピボットテーブルだ」
ヨシダは「好きにしてていい」と言い残してどこかに行ってしまった。
完全に嘘だと突っぱねる気はない。こんな凄い建物を見た後だ。
これが夢とかでなければ、そもそも帰り方すら分からない。
目の前の本に書いてあった、神様の話。サイトウも似たような事を言っていた気がする。
座っているのに飽きて立ち上がって伸びをする。折角だし、少し一人で歩くことにした。
開きっぱなしの真っ白なドアを潜り、また広い廊下に出る。同じ建物でウロウロしていたはずだけど、今自分が何処にいるのかさっぱり分からない。
そもそもヨシダ以外の人間を見ていない。
勝手に連れてきて、あれやこれやと知らない事を教えられて頭が痛いくらいだ。
腹が立つ。帰りたい。
相変わらず汚れ1つないまっさらな壁や床は、ヨシダ曰く俺と建物の時間の進み方が違うかららしい。
何百年も前に造られたこの建物の時間は、まだ数年も経ってないらしい。
静かだ。自分の足音ひとつしない。さっきまであった足音は、全てヨシダのものだった。
自分の呼吸や、心臓の音だけが耳に伝わる。さっきの本や板は普通に触れていたし、ページをめくる音もあったはずだ。
壁に手を当ててみる。確かに触れる感触はある。それなのにノックするように叩いてみても、音はしない。
その瞬間、じわじわと気味の悪い感覚がゆっくり全身を巡った。この世界がおかしい。そう言い切るには余りにも、ここでは俺が異質な気がしてならなかった。
分からないままに闇雲に走る。とにかく安心出来る何かが欲しい。
いくつかのドアを開けて飛び込んでも、そこには廊下が繋がっているだけだった。息が上がってくる。誰でもいいから人が見たい。
いくつかのドアを開けた時、顔に風を感じた。
外だ。天井はあるけど、横は窓じゃなく柱だった。遠くの建物の同じような場所に人影が見えた気がした。
声をあげようと柱にしがみついた時、真下に目が行った。
女性が俺を見上げていた。そいつと目が合う。あれだけ人を求めていたのに、俺の心は落ち着かなかった。
「どうしたの?」
「あ、あの…」
「今、そっちに行くね」
口を開きかけた瞬間、真横で足音がした。一瞬で消えた女性が、目の前に居た。
「あなた…幽霊さん?」
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あの顔に、憎悪も、悲しみも、後悔もなかった。まるで僕らが昔やってきたみたいに、そう教わってきたように、彼は人を殺した。
見るのが辛くて部屋を出てきた。この空の檻は大嫌いだ。ここに居ると昔を思い出す。隔絶された価値観は簡単に人を歪めると、僕だって分かっていたはずだったのに。
[…随分と荒れているな]
彼が持っていたOSだ。もうそこまで戻ってきたのか。もう一個のOSは反応が無い。そもそも、どちらも電源は着いてないはずだ。
「…君が唆したのか?」
[否定はしきれん。が、俺が言わずとも殺っていただろうな。あいつは]
「いつか、彼が彼の罪を見ないといけない時が来る。人を殺すとはそういう事だ」
[そうか?俺は感じたことは無いがな?これまでも]
「…そんな短絡的な思考で生きていけたのが羨ましいよ」
[自己否定してから言う言葉にしてはみっともないな]
「当たり前だ。僕は殺戮者だ」
[戦で活躍したのなら、お前は英雄だろう]
「ふざけるなよ…人の命を何だと!」
僕の怒りは、この白と青の世界には不釣り合いだった。
それよりももっと、ここに馴染まない汚れた灰色の箱に、人の面影を感じた気がした。
[人の命を?]
「……」
考えれば辻褄が合ってしまう。まさかこれが。
[俺こそ問いたい。お前、命を崇高な物として扱っているのか?俺には分からんな。お前が求めているのは、人を守る事で得られる信頼では無いのか?]
「はは…過去に戻れたらいいのにね」
窓の向こうの雲が流れていく。いや、動いているのは僕らだ。
[お前のその技術でも戻れないのか?]
「馬鹿言うなよ。僕らに出来るのは時間の速度を変えるだけ。過去や未来なんて変えられないよ」
彼の言うとおりだ。僕にとって他人の命はエントロピーのひとつだ。
それが良くないと知ったから、もう同じことはさせないつもりなのに。
自分でも分かってる。本当にダメな理由なんて知らない。
「…時間を巻き戻すというのは、その莫大なデータの全てを知らなければ出来ない。それでも、やるだけはやったさ。結果として、別の時空から人格だけを呼び込む事に成功してしまった。肉体という情報の無いそれは、見失ったと思ってたけど」
[…長々と意味の分からない事を話すな。まとめろ]
「おそらく君は、僕らが研究していた時空間航行のバグだ。君はどこから来たんだ?」
[日ノ本の美濃だ]
「知らないな…やはり君は、とんでもなく離れた時間から来たか、それとも異世界からか」
それは、きっと誰にも分からない。この先はるか未来に、想像する様な世界がない保証は何処にもない。




