偽りの純潔 上
さて、今夜も九字姉妹の物語を話そうじゃないか。
とある夜、大学の寮で一年生の日下部 亮子が着替えをしていた。
着替え終わった亮子は、それをルームメイトに見せる。
「どうかな?」
「ダサい」
ルームメイトはバッサリと断言した。
確かに これから彼氏とデートするには、芋臭い服だった。
ルームメイトはしばらく考えてから、
「ちょっと待って」
そして箪笥から、自分が持っていた大胆な服を用意する。
それを見ると亮子は、
「えっと、大胆すぎないかしら」
「彼と最後まで行くんでしょ。
これくらいじゃなきゃ」
ルームメイトが自信たっぷりに薦めると、亮子は少し迷ったが、意を決して頷く。
「わかった」
そして手早く着替えると、改めてルームメイトに自分の姿を見せる。
「どう?」
「ばっちり。
それで彼もメロメロよ」
ルームメイトは請け負う。
「よし、行ってくる!」
軽く気合いを入れる亮子に、ルームメイトは応援する。
「決めてきなよ」
そして日下部 亮子は彼氏と二人で街をデートし、その日を楽しんだ。
その夜、彼と二人で夜景を楽しみながらドライブした。
やがて鬱蒼と生い茂った林に囲まれた、人気のない駐車場に停まる。
「少し休憩しよう」
彼氏は怪しい笑みで、亮子に顔を少しずつ近づけ、キスに誘う。
亮子は抵抗しなかった。
誘われるままに、彼と口づけをした。
ファーストキスだった。
彼はそのまま服に手を掛け、ボタンを外そうとする。
「……待って」
亮子はその手を優しく制する。
「いいだろ。
もう付き合って一年になるんだから」
亮子は少し不安そうな表情で、しかし嫌がるふうでもなく言う。
「あのね、私 初めてなの。
だから、こんな落ち着かないところじゃなくて、もっと雰囲気のあるホテルで……ね」
「そ、そうだね」
彼女は拒否しているわけではない。
亮子もその気だと知った彼は喜ぶ。
「じゃあ、その、ホテルへ行こうか。
とても良い雰囲気のホテルへね」
彼は純粋に喜び、車のエンジンを掛ける。
亮子はやんわりと、
「安全運転でね。
事故を起こしたりしたら、大変だもの」
「ああ、安全運転で」
彼は内心、やったぜと快哉を上げていた。
キィイイイィィ……
その時、車体から金属の何かで 引っ掻く音が響いた。
「きゃあっ!」
「な、なんだ?」
亮子は短い悲鳴を上げ、彼氏も動揺する。
さらにタイヤがパンクする。
それも連続して。
全てのタイヤがパンクして、静寂が訪れる。
しかし二人には分かった。
「外に誰かいる。
誰だよ、こんなことするやつ」
亮子は携帯電話をバックから取り出す。
「警察よ。
警察を呼ばなきゃ」
だが携帯は圏外になっていた。
「いや、どうしてこんな時に……」
タイヤは全てパンクし、自動車を走らせて逃げることも出来ない。
正体の分からない何かが車の周りをうろついているのは確かだ。
このままでは危ない。
「よし、こうなったら」
彼氏は、座席の下からジャッキを取り出す。
「これで」
亮子は不安そうに彼氏に聞く。
「なにをするつもりなの?」
「大丈夫。
君は必ず僕が守る」
彼氏はジャッキを手に車の外へ出る。
そして大声で叫ぶ。
「かかってこい!
僕が相手だ!」
その時、車の前方から左手が鉤爪の義手の男が現れた。
長いコートを着た大柄な男。
しかし夜の闇で顔は分からない。
彼氏は叫ぶ。
「お前の仕業か!」
彼氏はジャッキを構えて果敢に挑む。
鉤爪の男に立ち向かい、鉤爪の男も彼氏に襲いかかった。
短い乱闘。
しかし、彼氏が苦痛の悲鳴を上げた。
「うぁああっ!」
地面に倒れた彼氏は、そのまま鉤爪の大男に引きずられ、林の茂みへ連れ去られた。
「いやぁ……そ、そんな……」
亮子は無力にも泣きじゃくるだけで、何も出来ない。
そして しばらくして、車の周囲で再び鉤爪でひっかく音が響き始める。
「いやぁあああああ!」
亮子は悲鳴を上げて、車から飛び出し、全力で走り出した。
「誰かー!
誰か助けて!」
助けを求めながら駐車場の入り口まで走ると、そこで何かに躓き、転倒した。
「ひい……ひぃ……」
無様な声を上げながら、躓いた物を見ると、それは彼氏がズタズタに引き裂かれた、無惨な死体だった。
日下部 亮子は為す術もなく悲鳴を上げることしか出来なかったのさ。
二日後……
九字姉妹は、喫茶店で資料を調査していた。
父 晃樹の行方を捜すために警察に連絡し、身元不明の遺体などを調べたが、父に該当する物はなかった。
それは喜ぶべきことであり、父は死んだわけではないと言うことだ。
しかし、父の行方が依然として知れないことにはかわりはない。
交通事故、交通違反の記録もなし。
父 晃樹の手がかりはなかった。
「駄目ね」
蜜華は諦める。
「父さんが本気で姿を隠したんじゃ、そう簡単には見つからない」
優璃が新聞記事を見て、
「父さんの手がかりって訳じゃないけど、気になる記事を見つけたわ」
優璃は蜜華に新聞記事を見せる。
二日前、二人の大学生が襲われ、男性が殺害された事件。
女性は無事だが、強いショックを受けた。
その女性の証言では、犯人は左手に鉤爪の義手をしていた。
検視の結果でも、凶器は それで間違いないとのこと。
しかし、犯行は夜に行われ、顔は不明。
「凶器に鉤爪の義手を使用、ね。
普通の人間はそんな物、凶器に使わないわよね」
「怪しいと思わない。
闇に巣くうモノの存在の可能性が高いと思うの」
「そうね。
父さんの手がかりもないことだし、調べてみましょう」
高速を三時間ほど走って、事件の起きた街へ到着した九字姉妹は、その地区の警察署へ向かい、圧力を掛けて必要な情報を入手した。
被害者の葬儀が今日、行われているとのこと。
二人は その葬儀に出席することにした。
被害者はキリスト教徒で、キリスト教の形式で葬儀が行われていた。
中に入ると、ドアが予想より大きな音を立て、出席者が振り向いて、二人に視線を向ける。
二人は気まずくなり、軽く頭を下げて、着席した。
神父は再び出席者の注目が自分に集まると、話しを再開した。
「若者の命が失われました。
その未来が潰えたことに深い悲しみを覚えます。
そして 私は父として、彼に感謝を捧げます。
彼は その身を犠牲にして、私の娘を守ってくれた。
彼の魂に神の救いを。
アーメン」
葬儀が終わると、九字姉妹は日下部 亮子に話しかけた。
二人は記者だと名乗る。
優璃が話をする。
「それで、あなたは犯人を目撃したそうだけど」
「警察に話したことが全てです。
でも、役には立っていないみたい。
私、怖くて ちゃんと見ることが出来なかったから。
警察の捜査は全然 進展していないそう。
ただ左手が鉤爪の義手だったとしか。
でも、今は それも自信がない」
優璃が亮子の手を優しく握る。
「大切な人を失って辛いのは分かる。
でも、あなたは生きている。
生き残った人間は、亡くなった人の分まで幸せに生きる義務があるわ」
亮子は優璃の瞳を見ると、力なく微笑んだ。
「あなたも、大切な人を亡くしたのね」
葬儀は終わった。
二人は図書館で過去の資料と、警察で入手した資料を調べる。
「とりあえず分かったのは、二十年前と、四十年前にも、殺人事件が起きているわね」
優璃がめぼしい資料を整理する。
「二つの事件とも、風俗に勤めている人が被害に遭っている。
遺体は鉤爪のようなものでズタズタに引き裂かれていたそうよ。
目撃者はいないけれど、場所は今回の事件と同じ場所よ」
蜜華が仮説を立てる。
「考えられる可能性は、悪霊の仕業。
ということは、事件現場の近くに悪霊の遺体があるかもしれない。
手っ取り早く解決できるかもしれないわね」
その夜、二人は事件現場にやってきた。
とりあえず、塩の弾丸と血液手榴弾で、悪霊の遺体の場所を特定することにしたのだ。
優璃が猟銃を構えながら、
「これで素直に出てきてくれたら、事件は解決できるんだけど」
「油断しないで」
蜜華が注意する。
二人は駐車場をしばらく歩いて、しかし悪霊が出現することもなければ、兆候も現れない。
「外れかしら?」
優璃が猟銃を下ろすと、不意に林の茂みからガサガサと草木がこすれる音が聞こえた。
二人に緊張が走る。
猟銃を改めて構え、林の茂みに向ける。
すると……
「うわぁ!
なんで銃なんて持ってるんだ!?」
二人の大学生らしき男が現れた。
九字姉妹は銃を下ろす。
「あなたたち、誰よ?」
蜜華が誰何すると、
「お、俺たちは、ただ肝試しに来ただけで……」
「そうだよ、俺たちは人間だ。
熊じゃないぞ」
「っていうか、なんで町中で狩猟なんかやってるんだ?」
人がいたのでは、悪霊と戦えないね。
「ここは危険よ。
早く帰りなさい」
蜜華が促すと、二人の大学生は怯えながら、去って行った。
その姿が消えてから、九字姉妹は改めて駐車場や その付近を捜索したが、結局 悪霊が現れることはなかった。
次の日、二人は再び図書館にやってきた。
「あの駐車場は悪霊とは関係ないわね。
外れだわ」
ぼやく蜜華に、優璃が促す。
「とにかく、資料を調べるわよ。
鉤爪に関係する犯罪とか事件とか、そういうもの」
「でも、こんなに資料があるのよ。
果たして見つけることが出来るのかしら?」
二人は一日中 調べたが、結局 手がかりは得られなかった。
その夜、日下部 亮子は大学の寮に帰宅した。
事件のことで心配した父が、亮子を家に泊めようとしたが、亮子は断った。
父はこれを機に、大学寮から家に戻すことを考えている。
しかし亮子は父から独立したいと考えており、聖職者である父を疎ましく思っていたのだ。
そして部屋に入ると、電気は点いておらず、ルームメイトが静かに寝ていた。
亮子は気を使って、ルームメイトを起こさないように、灯りを点けずに、軽くシャワーを浴びて、ベッドに入り、少しずつ安らかな眠りへと。
朝、亮子は目を覚ました。
気持ちの良い朝だ。
事件から充分な睡眠が取れていなかったが、今日はゆっくりと眠ることが出来た。
彼氏のことを思い出すと まだ胸が痛むが、しかし きっと時間が解決してくれる。
そう思える清々しい朝だった。
そしてベッドから出て、ルームメイトを見る。
ルームメイトはまだ眠っていた。
起こしてあげないと。
そう思い、ルームメイトのベッドを見ると、様子がおかしいことに気付いた。
彼女の姿勢が昨日の夜と全く変わっていないのだ。
そして ベッドから赤い液体がポタリ、ポタリと滴を垂らしていた。
……まさか……
彼女の布団を上げると、そこには、喉を掻き切られた無残な遺体があった。
「……あぁ……ああぁぁぁ……」
悲鳴を上げることも出来ずに、呆然とする亮子。
そして、その時になって初めて気付いた。
壁に鉤爪で書かれたメッセージに。
灯りを点けなくて良かったな。
友人は昨夜の内に既に殺されており、そして犯人は室内にいたのだ。




