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赤い糸#2

1

 「私の人生は、全部親が決めてきたの」

「親が?」

頷いた橘さんは、空を見上げながらぽつり、ぽつりと自身の過去を吐露していく。

「私のお父さんはある大企業の社長なの。たぶん瀬野くんも聞いたことぐらいはあると思う」

「そんなに有名な企業なんですか?」

「うん、そうだね」

「なんていう企業名なんですか?」

「どうしても……知りたいの?」

橘さんは俺に視線を向ける。その顔はどこかバツが悪そうな表情だった。


「橘さんが言いたくないなら聞きませんけど」

本人が言いたくない事を無理に聞くのはあまり良くないと思っての発言だった。

「今まで誰にも言ってこなかったけど、やっぱり瀬野くんには知っていて欲しいから」

橘さんは教えてくれるようだ。

自分から誰かに教えるのは、俺が初めてのようだ。

先ほどまでの、バツが悪そうな表情はすでに消えていた。

「それじゃあ、お願いします。教えてください」


「四季様金庫」

「四季様金庫……ですか」

確かに有名な企業だ。いや、有名どころの話じゃない。

四季様金庫。

今現在の日本の銀行で5本の指に入るほどに巨大な企業だ。

そんな四季様金庫の社長の娘。


 橘凛は、大企業の社長の娘である。肩書きだけなら何も隠すことは無い。しかしそうではない。

俺はその理由がなんとなく分かる。

四季様金庫は誰もが知る大企業だ。

だが、四季様金庫には黒い噂がいくつもあるのだ。


 常日頃から裏金や賄賂が飛び交っている。

その賄賂で政治をコントロールしている。

どこかしらの宗教団体と繋がっている。

それらの裏情報を漏らした人間には容赦なく死を突きつけている。など。

なかなかにヤバい噂が広がっているのだ。


 そんな噂のある大企業の娘だと誰にも知られたくない。それが理由だろうな。

「幻滅……した?」

俺の考えていたことが分かったのか、橘さんは哀愁を帯びた表情を見せる。

「いいや、全くしていません」

「ほ、ほんと?」

「ほんとです。俺は橘さんの親のことなんてどうでもいいんです。ただ橘さん自身の事をもっと知りたいんです」

橘さんの肩を掴み、俺は思っている事を口にする。


「わ、わかったから」

少し恥ずかしくなったのか、橘さんは顔を赤くして頷く。

「きゅ、急にすみません」

橘さんの顔を見て俺も恥ずかしくなり手を離す。

「いいの、いいの。瀬野くんは悪くないよ。それに……」

今度は、橘さんから近づいてくる。

そして、


「私の事、もっと知りたいって言ってくれて嬉しかったよ」

俺の耳元でそう囁いた。

「っ!」

俺はあまりの出来事に、肩をびくりと震わせ唖然としてしまった。

「ふふ、可愛いんだから」

橘さんは手で口を隠し小さく笑った。


 その笑顔は、まるで母が実の子を愛でる様な愛おしさだった。

俺が今まで見てきた誰の笑顔よりも、温かく、優しく、そして綺麗だった。

「そ、それより、親が橘さんの人生を決めてきたっていうのは、本当なんですか?」

俺は無理やり話題を切り替える。


「うん、そうだよ」

橘さんは真面目な顔になり認める。

「例えばどんな事がですか?」

「そうだなー、例えば今はやってないけど習い事とかかな」

少し考え、口にする。

「習い事ですか、それは親に言われたものは受けなきゃいけないとかですか?」

「そうそう。これがなかなか大変でねー、いくつも受けなきゃいけなかったの。しかも行かなかったら1時間くらい怒られるし」

「そんなに習い事をしてたんですか?」

「してたよ、小さい頃からね。今パッと出てくるものだとピアノ、琴、バイオリン、書道、茶道、花道、塾とかかな」


 確かに大変そうものが多い。

おそらく毎日学校が終わったら習い事に行く。そんな生活だったのだろう。自分がしたくない習い事もしなきゃいけない。行かなかったら怒られる。

「それは辛かったですね」

「役に立ったものもあったけどね、塾とか」

確かに塾は役に立っているのだなと思う。

橘さんは中間試験や期末試験で常に学年1位だ。

それは橘さんがちゃんと家でも勉強を怠らなかった成果もあると思うが、塾に通っていた頃の習慣的なものもあるだろう。


「親が決めた事で言うとまだあるよ」

「教えてください」

俺が言うと橘さんは、暗くなり始めた空を見上げる。

「入学する学校も……だよ」

「学校まで……」

橘さんの口から出た言葉を聞き俺の声は徐々に小さくなる。

「小学校、中学校、高校。どれも親が決めて入学させたの」


橘さんの瞳がどこか遠くなる。

「仲の良かった友達も、私以外はみんな一緒の中学校、高校に行った。私だけが一人になった」

「……」

「それだけじゃない、部活も決められたところにしか入らせてもらえなかった」

「……」

「これからもずっと同じ。親が望む大学に行って親が望む就職先に就く」

橘さんの声は徐々に弱くなっていく。

「親の敷いたレールを歩き続ける、…そんなのってもう……私の人生じゃない」

「……だから自殺しようとしたんですね」

「うん」

横に座ってる橘さんの横顔を見ると一筋の雫が垂れていた。

その雫は沈みかけの夕日に照らされ、その存在感を増していた。






2

 俺は何も言えなかった。

ただ静かに聞いていることしか出来なかった。

何を言えばいいのか分からなかった。

仲の良かった友達と無理やり離れ離れにさせらる。

他の友達はきっと今まで通り仲良くしているだろう。

橘さんがいなくても。

しかしそれを責めることは出来ない。

彼女たちは橘さんの事情を知らないから。


親の敷いたレールで歩き続けなければいけない。

これからもずっと、これまでがそうであったように。

だから終わらそうとした。


俺は橘さんに何が出来る。

俺は……。


「あ、な、なんかごめんね。湿っぽくなっちゃったね」

気丈に笑っているが涙が頬を伝っている。

きっと橘さんは、自分が泣いていると気づいていない。

「こっちこそ嫌な記憶を思い出させてすいません。それから…」

手を伸ばし橘さんの頬に添わすように触れる。

橘さんの長く綺麗な髪が甲を優しく撫でる。

手のひらに温もりを感じる。

「え、ちょ、ちょっと」

橘さんの困惑の声が耳に届く。

俺はその声を気にせず続ける。

「もう大丈夫だよ、そんなに強がらなくても。泣いてるのを自分で気づかないくらいに弱っているんだから」

言いながら俺は橘さんの涙を拭う。

「あ、私……泣いて…」

俺に言われてようやく気づいたようだ。

「そっか……、私、今弱ってるんだね」

「俺で良かったら橘さんの弱いところ全部見せていいから」

「ほんとに……いいの?」

「いいよ」

「それなら、その…、一つお願いしてもいいかな?」

「いいよ、なんでも言って」

橘さんはどこか恥ずかしそうな顔をした。

「じゃ…じゃあ、さ」


俺は敬語も忘れ、橘さんを元気づけられるならどんな事でもすると誓った。






3

 「私、この学校に来て良かった。瀬野くんとこうやって出会えて。今までの人生で一番幸せ」

「俺も今日、橘さんと話せて幸せだよ」

橘さんの頭を撫でながら口にする。

黒紫の長い髪からふわりと良い香りが鼻腔をくすぐる。

「うふふ、嬉しい」

橘さんが上を向き上品に笑う。

「さっきも思ったけど橘さんの笑顔、可愛くて好きだよ」

俺は下を向きながら思ったことを伝える。

すると橘さんは身じろぎしながら顔を逸らしてしまう。

「もっと撫でてよ」

その声で撫でる手が止まっていることに気づく。

「いいけど、その代わり顔逸らさないでよ」

「うぅ〜、瀬野くんのイジワル」

そうと言いながらも橘さんは身体を上に向ける。

すると下を向いている俺と目が合う。

そう、俺は今橘さんを膝枕しながら頭を撫でている。

それが橘さんのお願いだった。


「俺、橘さんのこと勘違いしていたよ」

「勘違い?」

「普段、橘さんが誰かと話してるところ見たことなかったから、その……もっと怖い人かと思ってた」

橘さんとは1年生の頃から同じクラスだったが誰かと親しく話している姿を見たことがなかった。もちろん必要な情報共有などを話しているところは見たことがあるが。

「私は、その……誰かと仲良くなるのが怖かったから。だから一人でいたの」

「ご、ごめん」

俺は条件反射のように謝っていた。

「全然大丈夫だよ、それにあながち間違いじゃないからさ」

そう言って俺に笑顔を見せる。


「それより、いつの間にか瀬野くんタメ口になってるよ」

「あ…確かに。ご、ごめん。ひょっとして嫌だった?」

俺は心配になりそんなことを聞いてしまう。

「あ、い、いやって訳じゃないよ。寧ろタメ口の方が瀬野くんが近くに感じられるから大歓迎だよ」

「ほんと?」

「ほんとに、ほんとだよ」

その答えに俺は嬉しくなり橘さんの頭を撫でる手に力が入ってしまう。

「んっ…んっ、つ…強い…んっ…よ」

「ごめん、嬉しくてつい」

「い……いいよ。強いのも……その……気持ちよかったから」

顔を赤らめながら橘さんがその気持ちを口にする。


「もう今日は帰ろうか」

俺が言うと、橘さんは周りを見渡し、すでに陽が沈み、それに変わり月明かりになっていることに気づく。

「そ…そうだね、もう帰らなきゃね」

少し残念そうに呟きながら身体を起こして座り直す。


「そうだ!」

すると何を思ったのか橘さんは、そんな声を上げた。

そして上着のポケットから何かを取り出し俺に向ける。

「連絡先交換しよ」

俺に向けられたものは携帯だった。

「いいよ、交換しよう」

「やった♪」

橘さんは小さくガッツポーズをとった。

俺はズボンのポケットから携帯を取り出し橘さんと連絡先を交換した。

女子と連絡先を交換するのは初めてだ。

こんなにも嬉しいものなのか。






4

 「それから、後一つだけお願いしてもいいかな?」

「一つと言わずに好きなだけ聞くよ」

「うふふ」

橘さんは上品に笑うと俺の顔を覗き込んでくる。


「卒業式が終わったら私たち2人で心中しようよ」


 俺を覗く瞳は、どこか祈るような、何よりも大切なものを見つけたような雰囲気だった。


 心中。


その言葉で答えを得た。


俺は今までの自殺未遂は最後の勇気が出せなかったことが原因だ。


しかし今、俺の横に座ってる橘凛と一緒ならば。


やれる。


誰よりも綺麗な君と心中するまで。


それまでは君の隣で生きていたい。


「その約束、絶対に守るよ」

「ありがと、私も絶対守るからね」


そうして俺たちは帰路についた。


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