2-2 : 合谷(ごうこく)
警察署の裏口。雨は上がっていたが、空気は腐った湿気を孕んでいた。
加賀美誠一は、そこで立ち止まっていた佐伯を見据えた。
「……加賀美さん。再捜査の件ですが」
震える手で差し出された、煤けたノート。かつて加賀美が「必ず見つける」と約束した重み。今の加賀美は、それを道端に落ちた吸い殻を見るような瞳で見つめた。
「佐伯さん。もう、やめてください。……娘さんは、もういない」
加賀美は彼女を追い越した。
背後でノートが地面に落ちる乾いた音がしたが、振り返らなかった。
――同刻。谷中、東雲鍼灸院。
診察室には、佐伯が横たわっていた。
東雲は無言で、彼女の細い右手を手に取った。
親指と人差し指の付け根。膨らんだ肉の頂に、東雲の指先が触れる。
「深く、吐いてください」
銀鍼が、肉を割る感触もなく沈んだ。
過呼吸が止まる。
指先の震えが、スイッチを切ったように消える。
佐伯は、泣くことさえ忘れた顔で天井を見つめた。
「……先生。不思議です。あんなに憎かったのに」
佐伯の声には、何の湿り気もなかった。
「娘が殺された時のこと、思い出せるんです。でも……映画のワンシーンみたいで。悲しくも、悔しくもないんです。あの人の顔を思い出そうとしても、霧がかかったみたいで」
東雲は鍼を引き抜き、アルコール綿で彼女の肌を拭った。
綿に付着した、微かな脂。
「……これで、眠れます」
佐伯は、穏やかすぎる顔で立ち上がった。
東雲は、彼女が去った後の診察室で、自分の指先を見つめた。
窓ガラスに、何も映していない自分の瞳が重なる。
遠くで、街の騒音が聞こえていた。




