1-2:三秒の調律
午前零時。港区、超高層マンションの最上階。
『聖アルカディア財団』常務理事、久我山は、グラスの中で氷を転がしていた。
笑うとき、左の口角だけが吊り上がる。その歪な表情ひとつで、数千人の老人の寿命が削られた。
「所詮、人間など消耗品だ」
その独白を、背後から別の声が遮った。
「その言葉、あなたの心拍を早めるには十分ですね」
振り返った久我山の口を、東雲の左手が音もなく塞いだ。指先が、喉元にある『人迎』を正確に捉える。
「……あ、が……」
久我山の瞳が、恐怖に激しく揺れる。額から噴き出した汗が、東雲の手のひらに吸い付いた。死を前にした肉の熱。東雲はそれを無表情に受け止める。
三寸の長鍼が、久我山の喉元に宛がわれた。
「一秒」
鍼が皮膚を貫く。
皮膚はあらかじめ定められていたかのように、吸い付くように彼を迎え入れた。
東雲の指先が、鍼を通じて『迷走神経』を弾く。
「二秒」
脳は錯誤した。
生き延びるために、心臓を止めた。
久我山の瞳が、名付けようのない領域に触れ、そのまま砕けた。
「三秒」
最後の、ひどく頼りない拍動。
久我山の瞳から光が消え、全身の筋緊張が解けた。
東雲は崩れ落ちる巨体を静かに支え、ソファへと横たえる。鍼を引き抜き、アルコール綿で一拭きした。赤という色は一滴も存在しない。
久我山の首筋に残った、わずかな温もり。
東雲はその指先に残った温度を、拭おうとはしなかった。
ただ、夜の闇を見つめていた。




