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辺境伯の夫君と、銀色の友人たち






ワイバーンの群れが、雨のように伯爵邸に降下する。

ブレスを吐き、屋根や壁に体を打ちつけ、咆哮を上げながら。

黒い石造り建物が揺れ、壁はミシミシと鳴り、地震のような衝撃が何度も繰り返された。

マリアベルは、赤子を胸に床に伏している。母がいない不安か恐怖心か、狂った様に泣く赤子をなだめながら。


「ふぎゃあ! ふぎゃあ!! ふぎゃあ!!!」


割れた天窓からアンデッドワイバーンの鱗が、天井から木屑が落ちてきた。

それらがマリアベルの背中に刺さる前に、真紅のしっぽがくるんと巻き付いてきた。


「?」


ウェンディだ。ウェンディが、温めている卵の隣にマリアベルを招き寄せてくれた。

60センチほどの大きさの卵は暖かく、殻に触れた赤子が泣き止んだ。


「ウェンディ……! 大切なお子様なのに……私が触れても良いのですか?」


「キュッ!」


「……ありがとうございます」


「キュッキュッ」


「でも、痛いでしょう?」


「キュッ!」


全然ヨユーと言わんばかりに首を振ったウェンディだが、今度は破片ではなく梁が落ちてきた。

マリアベルはとっさに赤子と卵を下にして四つん這いになった。

ウェンディも身を丸くして、卵と、パトレシアの子どもとその友だちを守った。頭が割れそうな衝撃音が、何度も何度も響きわたる。

こんな状況なのに、赤子は意外にも泣き止んだままだ。

いつ果てるか予想もつかない空襲は、やがて何の前触れもなく停止した。


「きゅ?」


瓦礫の下から、ゆっくりと顔を上げるウェンディ。

マリアベルも、ウェンディの後ろ足の隙間から産屋全体を見渡した。

天井が崩れたはずなのに、空が見えない。

っていうか、空が銀だ。自然発光する鉱物か? 呼吸しているみたいに動いているが……。


「……あれ、何かしら?」


「きゅ! きゅ!」


静かだ。先刻までの衝撃音が凄すぎただけに、静かすぎて耳が痛いくらいだ。

理由はわからないが、ワイバーンの進撃が止まった。

マリアベルとウェンディは、見つめ合って同時に首を傾げた。







ドラゴンの咆哮が、大地に轟く。

地割れが発生し、怒り狂っていたワイバーンがキョトンとするほどの、とんでもない音圧だ。魔獣の断末魔に慣れた辺境軍でさえ、耳を塞いで地面をのたうち回るほどの。


ワイバーン族は上位種のドラゴン族を尊敬しているが、激怒中に諭されたって、聞けない。

よってグレイローズは咆哮で気を逸らしてから、『ここにいるのは、悪い人間たちじゃないのよ。私の親友と、そのお友達なのよ』と説得しはじめた。

人類の鼓膜のダメージについては、あんま知ったことではない。

親友のヨアンが大丈夫なら、それでいいのである。


ドラゴンの親友は人間離れした身体能力を持つが、断じて竜族に危害を加えない。グレイローズの説得に納得したワイバーンたちは『ドラゴン様のお話はわかったー。じゃあ、寝るー』と、遠くの湿原に帰っていった。


『うちらの群れは納得したけど、他の群れのみんなは激オコ過ぎて、脳共鳴できなかったー。ごめんねー』と、不吉な言葉を残して。


この事態を招いた戦犯なら現場にいるが、ヨアンとシンクロしているグレイローズは「良い子じゃないけど、こんな子どもに責任を押し付けるのも、ねえ」と、なんとなくランを匿っていた。

近所の悪ガキを守る、長屋のおかみさんみたいなノリで。


そんなこんなで数時間に及ぶ防戦よりむしろ、耳をつんざくドラゴンの咆哮によって、辺境の騎士たちは疲労困憊に陥った。

座り込み、もしくは寝っ転がって、頭痛と吐き気に耐えるしかない。こんな酷い耳鳴り、人生お初である。ガチで最後にしたい。


死闘どころか準備運動ですらなかったランとヨアンは、場違いにピンピンしている。

気絶したワイバーンたちを持ち上げては運んで並べてるし。それをグレイローズが、『可愛いワイバーンちゃんたちがあああ!』と、ものすごい涙目で舐めて治療してまわっているし。


一方、人外でも並の騎士でもないユーコウは、普通に休憩をとっていた。

耳鳴りは大丈夫だが、最強のドラゴンライダーと剣姫を手伝おうとは思わない。4頭建ての馬車と同等の重量を誇るワイバーンを持ち上げるとか、小走りで運ぶとか、無理である。


ヨアン曰く、ワイバーンは表皮がしなやかで筋肉や関節が柔らかいので、気を失っているか本人の許可を得れば、ダンゴムシみたいに丸くして運べるのだそうだ。

剣姫に至っては、「めんどくさいから」と、2体同時に丸めて搬送している。


そんな光景を眺めているうちに、東の空の底がぼんやり白くなってきた。あと半刻もしないうちに陽が昇るだろう。

ワイバーン族は、夜明けと共につぶらな瞳をパチリと開き、元気に活動をはじめる。つまりーー


「数多の群れで脳共鳴がはじまる……な」


ユーコウは淡い空色の瞳で、東の空を睨んだ。

万が一に備え、領民たちは辺境候の砦や辺境伯の邸宅に避難させるか、隣領のマンティカン公爵領に疎開させている。

グレイローズの説得を聞き入れてくれればいいが、皆が皆聞くかはわからない。先ほどの群れは、同じ群れに死屍にされた仲間がいなかったから、聞く耳があったようだし。

全てが終わった時、この地に復興できる体力は残されているだろうか。疎開者たちに帰る場所はあるのだろうか。


「くそ、詰んでるし……!」


いまいち勝機が見いだせないユーコウの背中を、ヨアンがつついてきた。


「ユーコウ、客みたいだよ?」


「客?」


ヨアンが指を立てる上空を見上げると、銀の翼竜デュポンが夜明け前の湿原を旋回していた。銀色の鱗が自然発光してキラキラ輝いている。幼体ではないが、まだ子どもだ。人間年齢に換算すると10歳くらいだろうか。

フワリと地面に着地すると、ワイバーンの成体とほとんど変わらない大きさだった。

グレイローズが『あら、また可愛い子がキタ』とほのぼのした。全長10メートルのドラゴンからすれば、3メートル前後なんて可憐な妖精枠だ。成体ワイバーンも、若年のデュポンも、『何も何も、小さきものは、みなうつくし』なのである。


デュポンは他種族に無関心だが、ある群れの若い世代だけ、例外的ににユーコウや辺境伯邸周辺のワイバーンたちと親しい。ワイバーン用の水浴びプールをしばしば訪れては、ワイバーンたちと戯れている。


「お前、よくプールに来る子、だよな?」


ユーコウが首を傾げると、デュポンはコクコクと頷いて、「ギャ、ギャ」と鳴いた。


「ワイバーンに襲われた辺境伯邸周辺を、デュポンたちが守ってるってさ。乗れって言ってるけど、どーする?」


辺境伯爵邸を守る兵士は約80人。

精鋭たちは戦場に集結しているから、ほとんどが民兵だ。それも、少年や老人が多い。

もちろん、産褥期のパトレシアを守る熟練兵も配置しているが、数は多くない。

空襲されるとしたら、サンドライト陸軍の本拠地であり、辺境候邸を擁する候都だろうと、そちらに人員を割いたからだ。

新興の辺境伯爵領は、まだ道もろくに整備できていない。領都もなく、住人たちは伯爵邸周辺で小さな小屋を増築しながら生活している。


「海に迂回するルートから狙われたってことか。それを、デュポンたちが止めてくれてる???」


コクコク頷くデュポン。


「辺境伯邸は、大丈夫そうだな。やばいのは本陣か。どーする? 部隊長」


ヨアンに返事をする前に、ユーコウはデュポンに飛び乗っていた。


「オレは、一旦辺境伯邸の様子を見てきます。ヨアンは、こいつらと本陣に向かっていただけますか?」


「あいよ」


「各自、離した馬を回収して本陣に戻れ。今より、副隊長に全権を預ける」と、副隊長に丸投げして南東の空に旅立って行った。


「隊長って……ヨアンほど人外じゃないけど、たまに人間やめるよな」


「単騎で追放竜倒すし。親デュポンに頼んでプール増築させてたし。ワイバーンの言葉がわかるっぽい時あるし」


「竜族にまでコミュ強って、いったい」


呆気にとられたのは、朱色部隊の面々はもちろん、ランもである。


「デュポンて、他種族なんか知ったこっちゃないのに。人間助けるか? 乗せるか? つーか、ヨアンが通訳しなくても意思の疎通できてなかった??? あの男、何者よ?」


ランがジト目で睨む。ヨアンは「帝国貴族に、サンドライトの機密は教えねー」とニヤつき、丸くしたワイバーンを投げられた。

難なくキャッチするヨアン。

グレイローズは、『ワイバーンちゃんに狼藉を働くな! この小娘が!』と、尻尾の先でランの太腿をバシッとした。


「ちょっと! 痛いじゃないのよ!!!」


夜明け前の湿原に響く大絶叫。

辺境軍のマッチョな面々は、泥と汗にまみれ、疲れた顔を見合わせた。


「ドラゴンに尻尾バンされて無傷って、すげーな」


「見た目は可愛いのに、残念な痴女っすよね……」


コソコソ。


「つうか、なんで剣姫が単独行動してんの?」


「オケアノスに振られたんじゃね?」


ヒソヒソ。


「あのクソ皇太子、我らがレティシア王女を誘拐して第一側妃にしやがっただろ? 剣姫、愛人枠だもんな。立場ないよなー」


「王女に負けたかー。ビッチは本命戦じゃ可憐に勝てないってかー」


ザワザワ。


「歌の聖女エイミも欲してたよな。宣戦布告で堂々と」


「エイミ嬢って、ものすっごい可愛いらしいよ! パトレシア様も、あれほどの美少女は、見たことないって言ってたし」


「オレ、妹の合唱祭で見ました! バリ歌うまくて、マジ絶世の美女っす!」


ワイワイ。


「嫁の方が可愛いよって言ったら、『そのお世辞だけは、いたたまれないからヤメテ』って泣かれました!」


「なるほどー。王女と聖女には及ばず。3番手以下に成り下ったかー」


ガヤガヤ。


「シッ! 本当のこと言うなよ! かわいそうだろ?!」


大湿原を駆る飛竜騎士の面々は、声がでかい。最初は内緒話でも、最終的には宴会レベルの喧騒となる。


「あんたたち、内緒話する気あんの?! 全部聞こえてるわよ!」


睨むラン。腹を抱えて爆笑するヨアン。


童顔のランは、まるい頬をさらに膨らませた。

顔でエイミに勝てるとは思わないが、レティシア王女よりは自分の方が可愛い。断然可愛い。寵愛だって負けてない。オケアノスも「なんか手応えが微妙でつまんねぇんだよな」ってボヤいていたし。


そんなこんなで、根雪の残る大湿原の片隅で、この一角だけ、不謹慎なほどほのぼのとした空気が流れていた。







若い翼竜の背から見たこの日の夜明けを、初代辺境伯の良夫は忘れないだろう。

何年経っても、何十年経っても。

生まれたばかりだった長男は、すでに家督を息子に譲っている。孫もいる年齢なのに「父上、まだ逝かないでください」と咽ぶ姿を、空咳をしながら笑い飛ばすだろう。

老いても更に愛しい妻の涙を、枯れ木の様な指を伸ばして拭うだろう。

子どもたち、孫たち、ひ孫たちに囲まれて、今際の時を迎える朝に、この光景を思い出すだろう。

湿原の友が、か弱かった最愛の存在が、レガシィ辺境伯爵邸と領民を守ってくれた日の朝を。



24歳のユーコウは、若い翼竜の背で息を呑んだ。

ヨアンが言った通りだ。明るみはじめた空の下、真紅のワイバーンたちが伯爵邸を囲み、総攻撃を仕掛けていた。

緋色部隊が対峙した数とは、比較にならない。

だが、その攻撃は全くの無効状態だ。

邸宅全域を守るように、銀色の翼竜たちが隙間なくはりついているから。百頭近いデュポンたちが、その背に、翼に、ワイバーンからの攻撃を受けているから。

住み慣れた火山石の邸宅は、銀色に輝く城塞と化していた。翼竜の意匠を凝らした、美しく堅固な城塞。

ダイヤモンドをはるかに凌ぐ硬度の鱗を持つ彼らにとって、ワイバーンのブレスや体当たりなど涼風の様なものだろう。

怒りも痛みもなく、天災から卵を守っているような風情で、辺境伯邸を守ってくれている。


「……!」


絶句するユーコウに、案内役のデュポンが「偉いでしょ?」と胸を張った。

巨大な翼を広げ邸宅を守護しているのは、幼竜たち以上に他種族に関心がないはずの成竜たちだ。

幼竜たちから、「友達の家とプールを守って」とでもせがまれたのだろうか。


「どうして……?」


ユーコウを乗せた翼竜の真上を、もう一体が寄り添うように垂直飛行しにきた。人間の存在に気がつき、襲いかかってきたワイバーンたちの盾となり、ユーコウの身を守ってくれた。

呆気に取られたままのユーコウを乗せて、若いデュポンは要塞の内部に彼を誘った。



折重なるデュポンの群に守られた内部は、音もなく静まり返っていた。 

静かだ。静かすぎる。生きた人間の気配がない。

非戦闘員は地下の食糧庫に避難しているだろうが、衛兵たちは?

それを統べるパトレシアは? 

抱卵期で動けないウェンディは?


デュポンから降りたユーコウは、まず屋上のテラスに向かった。

ワイバーンと戦うとしたら、テラスを選ぶだろう。

案の定、近づくにつれ静寂に慣れた耳が、人々の騒めきを拾い始めた。


「地下水を汲み上げて、湯を沸かせ!」


「輸血された人は、半刻は動かないでください!」


屋上テラスは、夜戦病院と化していた。

うめき声をあげる兵士たちの合間を、地下庫に避難しているはずの非戦闘員たちが治療してまわっている。


現場の指揮をとるのは、次男の不祥事で爵位を親戚に譲り、長男夫妻と共に辺境に放逐されたヤコブ・フルート元伯爵だ。

王都で有名な名医であり、医療福祉の先端を担うフルート伯爵家の元当主だった彼は今、家令長として辺境伯に雇われている。


「ヤコブ卿! ここは危険です!」


ユーコウが駆けつけると、丸い眼鏡の縁をグイッと上げて「おや、夫君(ふくん)様。ご帰還ですか」と、目を丸くした。


「何度も申し上げておりますが、私は伯爵ではございません。先生とお呼び下さい」


「家令長、侍医じゃないっすよね? ……て、恒例の漫才はいいから! なんで非戦闘員なのに、避難してないんすか!!」


「患者が居れば駆けつける。それが医師の責務ですぞ?」


医者として契約したわけじゃないんだが。

パトレシア女辺境伯は侍医として雇いたがったが、フルート伯爵レベルの侍医は相当な高給取りである。予算の少ない辺境貴族にはとてもじゃないが、雇えない。

そこを「不正はないが、計算ミスが多すぎますな」と、自ら家令長を引き受けてくれたのだ。


私財までは没収されなかった夫妻と息子夫婦は、私費で居室を診療所に改装し、格安で医療を施してくれている。実質は侍医というより、辺境唯一の医療機関である。

追放前は伯爵家当主と大学病院長を兼任していた元伯爵は、家令長の職務も軽々とこなしてくれている。王都のエリート、すごすぎである。


「父上、テントを持ってきました! 直ぐに手術できます!」


趣味で集めているらしい医療用の簡易テント運び込み、さくさく組み立てるは、長男のシモン。王都の大学病院で、医局長と教授を兼任していた。国際医療学会の若き重鎮でもある。

シモンの妻のルチアは王都貴族の出産時死亡率を大幅に引き下げた、敏腕産婦人科医だし。

……この人たちを追放して、王都の医療業界は大丈夫なんだろうかと、たまに心配になるユーコウ。



「内臓の損傷が酷い者から私にまわしなさい。緩和ケアに移行する選別は、君に任せる」


「はい!」


医は仁術であり、彼らはプロフェッショナルである。

本来なら助からないであろう命を救ってきた彼らに、与える褒章を持たない現状が、ただただ歯痒い。


「あ。そうそう。 指揮をとられたパトレシア様も怪我をされましたが、命に別状ありません。全治3ヶ月ですな。靭帯を痛めておられるのに、働こうとなさるから。睡眠薬を少々」


初老の家令は、パチンとウインクをして医療用テントに入っていった。


「夫君様、パトレシア様はウェンディの産屋にお連れしましたわ。赤様には傷ひとつありません。あと、やんごとなくなくないお客様がいらしてます」


血糊でエプロンを汚したルチアが、案内をかって出た。後半だけ、声をグッと落として。


「やんごとない客?」


「移動しがてら、ご説明します。パトレシア様の怪我の症状も」


「いや。パティと息子には誰かしら、看護人がいるっすよね? 命に別状がないなら、まずは重傷者の介抱を手伝うっすよ」


妻の容体と息子の無事は気になるが、今、最優先にすべきはそこじゃない。

ところが、石畳に寝かされた兵士たちがブーイングを始めた。

あらぬ方向に手足が折れていたり、石畳に血が染みていたり、あからさまに重傷なのに。


「僕たちは、大丈夫です……から、パトレシア様の、お側に行くですーっ!」


「出産直後の御体で……先陣を切って、戦われたんですぜ?!」


「パトレシア様が、いなけりゃ、ワシら老いぼれとガキどもは、今頃、生きちゃーいませんて」


見渡せば、若年兵や老兵ら民兵は重傷だが命に別状はなく、医療用テントに運ばれる重体患者はパトレシアの身辺を守る精鋭ばかり。

もともと、邸宅を囲んでいた数のワイバーンと戦うには、無理がある人数だった。

でも、戦った。

強い者が、弱い者たちの盾となって戦った。

戦わない選択肢なんて、絶対に選ばないのだ。辺境の戦士たちは。


だから、戦闘の音が鳴り止んだ瞬間、非戦闘員たちは屋上テラスに向かったのだろう。

各自、必要と思われる物資を抱えて。

コック長と料理番たちは大量の湯を沸かし、炊き出しを作っている。小さな子どもたちでさえ、一心不乱にシーツを切って包帯を量産している。


王都育ちのユーコウには、想像もつかなかっほど質素な暮らしを余儀なくされる辺境。

主食は水で溶いた雑穀粥だし、子供の頃に空腹を紛らわせるために舐めた砂糖は、ここでは貴重な贅沢品だった。

王都では注射や投薬で治る病気が、不治の病と呼ばれる辺境。家令一家が来るまでは、気休めの民間治療しかなかった最果ての国境地帯。


だが、他の地域にはたびたび見られる弱者への搾取を、富の独占を、この地の貴族や強者たちは、決してしない。

少ない恵みを分け与え、自らを鍛え、弱い者たちを守ろうとする。

弱い者たちは、懸命に彼らを支えようとする。


それが、実りが少なく、魔獣たちが徘徊する大地に生きる人々の、処世術なのだろう。


「隊長、はやく行ってください!」


「人間、家族が1番大事です!」


「パトレシア様は、目を覚まされたら、絶対にまた無理されます!」


「もはや、夫君様にしか止められないんですからね?! 物理的に!!」


ユーコウは、「それも、伯爵家の危機だな」と笑い、ウェンディの産屋に向かった。

体力があって能力も高いとはいえ、無茶ばかりするパトレシア。

彼女にとってこの世界は、愛すべき、守るべきものたちで構築されているのだろう。

『辺境の戦女神』に相応しい、強くて優しい賢女。

そんな我が伴侶を、労わるべきか、叱るべきか。


「両方だな」とひとり合点する、竜族に愛されし婿殿であった。












欄外人物紹介

ヤコブ・フルート元伯爵

陰謀さん、(潰してやるから)いらっしゃい編の章ヒロイン、シンシアの父。

サンドライト随一の名医だが、社交嫌いで重傷者を優先する治療方針から、社交界での評判は芳しくなかった。

次男のペテロ枢機卿が冤罪なのに爵位剥奪と王都追放に甘んじたのも、辺境の方が急患が多そうだったから。

地位の奪還や名誉の回復より、目の前の患者が大事。


テレサ・フルート元伯爵夫人

医療一筋の夫を支えて30年。本人も福祉大好き介護オタク。

全くの善意で「教会関係者に、多大なるご迷惑をおかけしたので」と介護師団の派遣を取りやめ、現場の機能を停止させた。なお、まるっと無自覚。


シモン

各国の医療機関と提携し、数々の功績を上げた、メディカルコミュニティの重鎮。大学病院の医局長と教授を兼任している。

家族の中ではコミュ力が高いが、社交界では嫌味に気がつかない。「シモン教授がいないんじゃ、意味ありませんから」と医療先進国から交換留学を断られ、医療アカデミーが大混乱に陥っている。



おまけ

シンシア

医療先進国の東国に亡命&留学中。

ディーンの親戚の館に身を寄せ、大学受験資格を得る為に「学び舎」と呼ばれる高等学校に通っている。制服が袴。「メガネの異人さん、ちょー可愛い」と大人気で、ディーンをヤキモキさせている。


ディーン

オケアノス(神堂)に切られた腕を治療中。

シンシアの送迎の合間に通っているリハビリ施設で、激モテ。シンシアをヤキモキさせている。




デュポンとユーコウの友情は、「側妃になれなかった令嬢は、紅蓮の騎士さまと辺境を護ります!」

https://ncode.syosetu.com/n1094gu/

に書きました。


よろしければ、ぜひに。


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