戦う辺境伯夫妻と、残念な剣姫と、一人勝ちの竜騎士
「辺境伯は夏に立ち上がったばかりだ。邸宅の周辺は、掘建小屋の集落に過ぎぬ。夜の間に侵入し、郊外にでも死屍飛竜を捨てて脱出せよ」
それが、死屍飛竜を駆る騎手たちが受けた命令だ。騎手ではあるが、騎士ではない。
帝国でもサンドライトでも、ワイバーンに認められたら騎士爵を賜るが、死屍飛竜は、騎兵扱いである。
死屍飛竜騎士団を名乗りながら、正規の騎士はひとりもいない。
そんな彼らは砂漠を迂回して、海から湿原に入るルートで、サンドライト侵入を果たした。
だが、入国直後に一頭のワイバーンに発見されてしまう。
ワイバーンは基本的に日が沈むと就寝するが、その個体は抱卵期で昼夜覚醒していたのだ。
若い母親の咆哮に、同じ群れの飛竜たちが目を覚ました。そして、仲間の遺体を死屍に改造された様を目の当たりにした。ワイバーンたちが怒り狂ったのは、言うまでもない。騎手たちに体当たりしては、引きちぎるように噛み殺してゆく。
唯一生き延びた兵士は、命からがら辺境伯邸にたどりつき、見張りの投槍で墜落したのだった。
「敵襲だ!」
「物見櫓から、2時の方向に墜落したぞ! 捉えろ!!」
「西からワイバーンが約15体! 敵を追ってきた模様!」
敵襲の警鐘が、兵士たちの怒声が、夜の静寂を破る。武装待機していた民兵たちも、各々の居室から飛び出した。
パトレシアも、人間用のベッドの下から隊服と鎧を取り出し、人目もはばからず着替え始めた。
「マリアベル様。お手数ですが、脇下の紐を締めて結んでくださる?」
しかし、赤子を抱く未来の王太子妃は、表情を無にして首をふった。
「なりませんわ。レガシィ辺境伯」
爵名で呼ばれたパトレシアは、マリアベルの御前に騎士の礼を捧げた。
「産休中ですが、これでもサンドライト辺境軍副将軍ですの。これより、迎撃の指揮をとります。ウェンディは、マリアベル様と我が子を、そして貴女の卵を守りなさい」
「キュッ!」
もう間違えないもん! と、胸を張るウェンディ。
その時、衝撃音と共に天窓が塞がり、月明かりが消えた。
見上げたマリアベルが、喉の奥で悲鳴をあげる。
狭い窓に、怒りくるったワイバーンが首をつっこんできたのだ。前足が窓に引っかかって、後にも引けないようだ。
ミシミシと壁が鳴り、窓に挟まったワイバーンが吠える。
パトレシアは、それを思い切り槍でぶん殴った。最大10メートルまで伸縮自在の、刃先のえぐい辺境槍で。
「正気に、戻りなさいませ!」
「ギャアア!!」
マリアベルとウェンディはそっと目を逸らしてからお互いに見つめあった。赤子も「あー」とか言っている。
『他の群れの子は、パティがめちゃ強いって、知らないからなー』というウェンディのつぶやきを、マリアベルはしかと聞いた気がした。以心伝心ってヤツだろうか。
「まだ、外に何頭かいるわね」
気絶したワイバーンの周辺の壁が、まだガンガン鳴っている。
「キュッキュッ!」
「ウェンディ、手出しは禁物です。マリアベル様、はやく鎧の紐を結んで!」
「いいえ。子を産んだばかりの貴女は、この地を治める唯一絶対の、高貴なる御身です。出撃を禁じます」
マリアベルの声は冷淡で、いっそ血が通っていないみたいだ。
この地において、辺境伯の命より優先されるものはないという、貴族の驕りを感じさせるほどに。
だが、パトレシアは知っている。
それが、マリアベルがかぶる王太子妃の仮面だと。
マリアベルは確かに頭脳明晰で、見目も所作も完璧だ。でも、本質的には温厚で、音楽や読書を愛する令嬢だ。
温和な少女が王太子妃に請われたら、冷徹で完璧な淑女の仮面を被るしかない。
マリアベルは愚痴も弱音も吐かなかったが、何度も涙を流してきたはずだ。
だけど、今のパトレシアに、その見えない涙のフォローはできない。今の自分は国境を守る辺境伯であり、もはや彼女を支える側妃候補ではないのだから。
「王太子殿下の婚約者とはいえ、公爵家の御令嬢に過ぎないマリアベル様に、辺境伯への命令権など、ございませんわ。よろしくてよ。このまま行きます。武具を正しく装着しなければ、負傷率も致死率も上がりますが」
「……」
この言い方は、我ながら狡いなあと、パトレシアは苦笑した。
こう言えばマリアベルが断れないと、知っていて煽っているのだから。
案の定、ほっそりとした指が二本の紐を摘んできた。
いつも美しく整えられ、場にあわせたネイルを施された爪が、割れてボロボロになっている。
彼女が眠っている間にある程度は整えさせたが、髪も肌もひどく傷ついている。彼女もまた、戦ってきたのだろう。本来なら、数多の護衛に守られるべき令嬢なのに。
丁寧な結び目を確認したパトレシアは、赤子ごとマリアベルを抱きしめた。
「マリアベル様。貴女の人生には、今後、残酷な決断を迫られる場面が訪れるでしょう。何度も、何度も。でも、恐れないで。忘れないで。どんな決断を下そうと、私が貴女を守ります。臣下として国母を、友として貴女を、この命ある限り、必ず」
「パトレシア様……!」
「といっても、今回は時間稼ぎをするだけですわ? ご安心を。すぐに援軍が来ます」
学友の誰よりも大人びていたパトレシアが、18歳らしく笑顔でウインクをして、別の扉から出ていった。
死屍飛竜を追ってきたワイバーンたちは、パトレシアと兵士たちに遠慮なくぶん殴られて気絶した。
墜落した帝国兵は、骨折していたが命に別状はなく、「サンドライトよ、滅亡せよ!」と叫んで舌を噛もうとした。
ので、衛兵たちに羽交い締めにされ、夜勤の侍女ルチアに医療用の猿轡をかまされた。麻酔なしで骨継ぎの治療を施すルチア。騎士は、白目を剥いて激しく呻いた。
金髪で瞳が淡いブルーで長身長躯。旧北王国連合、現ルス州人の特徴が色濃い男だ。サンドライトの辺境人同様、赤毛や茶髪で発達した筋肉が特徴的なシギ人とは違う。なにより、死屍飛竜に騎乗できても、ワイバーンを乗りこなせるとは言い難い飛行術だった。
追ってきたワイバーンたちも、人間との交流にも戦闘にも慣れていなかった。魔獣との戦いに慣れた、半農半兵の辺境民の敵ではない。
だが、もう1刻ほどで夜が明ける。
沢地で眠るワイバーンたちが、一斉に目を覚ます夜明けがくる。
墜落した死屍飛竜の亡骸を見つけた瞬間、愛くるしいつぶらな瞳は、激しい憤怒に染まるだろう。
パトレシアは角笛を鳴らし、辺境の民たちに非常事態を知らせた。
といっても、主戦力である飛竜騎士団は、北の国境で帝国軍と睨み合っている。辺境伯邸の兵士はほぼ民兵で、戦力が充実しているとはいえない。
ワイバーンが人間を敵とみなし、襲撃してくるならば、迎撃するしかない。
同族意識が強い種族である。一頭でも殺されたら、更に怒りを増して凶暴化するだろう。
手加減できるだけの体力が、持つだろうか。安産だったとはいえ、悪露もまだ止まっていないこの身で。
「パトレシア様」
衛兵たちが、パトレシアの逡巡を止めた。
一様に膝をつき、覚悟を決めたまたざしで「辺境の戦女神」と呼ばれる飛竜騎士を見上げている。
パトレシアは小さく息を吐くと、落ち着いた声で口上を述べた。
「夜が明ければ、怒りで我を失ったワイバーンたちが、大挙して襲撃してくるでしょう。殺さず、昏倒させてください。ワイバーンは、我らの友です。友の屍を、誇りを汚し、兵器として扱う卑劣な帝国軍を、我らは絶対に許しません」
「了解!」
衛兵たちが、凛々しく敬礼する。
「伯爵邸の兵士は約80名。いかにして戦いましょう?」
「辺境槍が使える者はテラスに。障害物があった方が有利に戦えるはずです。非戦闘員は、地下の食糧庫に避難させなさい」
「了解」
「さ、パトレシア様。貴女も地下に」
学園時代の先輩が、護衛をかって出た。
辺境伯爵家の家臣には、学園時代のユーコウやパトレシアの同級生や先輩、後輩たちが少なからずいる。
皆、王都育ちの貴族らしさが消えて、すっかり辺境に馴染んでいる。
この人の妻は王都からの押しかけ女房で、来月、ふたりめの子どもが生まれる。
守りたい命が、ここにもある。
パトレシアは、凛として首を振った。
「国防の最先端を担う辺境伯に、酒樽の影に隠れろとおっしゃるの?」
「ですが……!」
「大丈夫。この体だもの。決して無理はしないわ」
部下に安心感を与えるのも、将の役目だ。
大輪の花の様に華麗に笑むパトレシアは、しかし、この時には死を覚悟していた。
この命をかけねば、我が子を、ウェンディを、未来の王太子妃を、そして領地の民を守れないだろう、と。
いや、命をかけたところで……と、諦観して閉じた瞼の裏に、王太子の姿が浮かんだ。ムカつくほど美形で、虫も殺せないような見た目のくせに暗殺術に長けていて、無茶振りが酷くて、そのくせ人たらしで。臣下と民を守る為なら割と何でも仕出かす、王太子の横顔が。
(殿下がいらしたのだから。犬死なんてあり得ないわ。決して)
誇り高き女辺境伯は笑みを浮かべ、手にしていた辺境槍を最大まで伸ばした。
戦場を抜けたユーコウ・レガシィ率いる飛竜騎士団朱色部隊は現在、岩砂漠に向かって騎馬で南下している。
根雪の残る夜の湿原を駆ける騎馬隊に、夢から覚めた野生動物たちが慌てて道を開けた。
彼らは、ドラゴンライダーのヨアン・カーマインが先行した岩砂漠を目指している。ワイバーンを挑発する、死屍騎士団を殲滅させる為に。
ワイバーンは仲間意識の強い種族である。
多種族にも友好的だが、短気だ。敵と認定すると、瞬時に牙を剥く獰猛さを併せ持っている。
だから、湿原の飛竜騎士たちは、人間同士の戦闘にワイバーンを使役しない。
サンドライトの辺境民も、帝国のシギ州人も、軍馬で戦ってきた。サンドライト独立以来400余年、ずっと。
両者とも総じて背が高く、発達した筋力に恵まれている。赤毛や茶髪で体毛が濃く、肌は小麦色だ。類似した民族的容貌と、湿原のワイバーンを友とする文化を持つ、仲の悪い隣人。
人間同士の確執は深いが、ワイバーンという種族への敬意は共通していたはずだ。
なのになぜ、彼らはワイバーンの屍に仮初の命を与え、兵器として扱いはじめたのだろう。
だが、仲間を不死生物にされたワイバーンたちの憤怒は、辺境人の比ではなかった。
仲間をアンデッドにした人間も、武器にした人間も、それを止めようとする人間も、ワイバーンには区別がつかない。人間はもはや、背を貸す仲間ではない。皆殺しにすべき報復対象なのだ。
怒りに支配されたワイバーンたちは、空から朱色部隊を発見すると、急降下して猛攻をしかけてきた。
「隊長、ワイバーンがきます!!」
「殺すな! ここで食い止めろ!!」
「了解」
「馬を逃せ! 信号弾、点火! 視界を確保せよ!」
「了解」
ユーコウの怒声に、騎士たちが応える。
騎士たちは地上に降り、ワイバーンの威嚇音に怯える馬たちを逃した。
自分たちと親しい個体なら、2、3発ぶん殴れば正気に戻るだろうが。部隊を取り囲んでいる群れは野生種だ。信頼関係も何もない。
殺す気で牙を剥いてくるワイバーンたち。
辺境槍で迎え撃ち、三半規管に衝撃を与えて気絶させる朱色部隊。
理性を失っているだけに攻撃が単純だし、ワイバーンの天敵である大蛇獣バジリスクや、「追放竜」と呼ばれる気のふれた翼竜デュポンを、日常的に退治している精鋭たちである。当然、ワイバーンの戦い方も熟知している。
しかし、いかんせん数が多すぎた。
初めは20頭くらいだったのに、時間の経過と共に頭数を増やしている。気絶させてもさせても、次から次へと波のように押し寄せてくる。
「まだ夜だし、死屍騎士団は国境を超えてないはずなのに、なんで……」
副隊長の嘆きに、ユーコウは「知らん!」と槍を捨てた。そして、腰から半月刀の、背から長剣の鞘を抜く。
「隊長! 何してるんすか?!」
「ワイバーンが相手なら、こっちの方がいい! オレが空中で気絶させるから、各自、落下竜に備えろ!」
表皮の硬い大蛇獣や翼竜には剣が通じないから、扱いづらい辺境槍を覚えただけ。ユーコウはもともと二刀流の剣士である。剣が通じる相手なら、あえて得意といえない槍をぶん回す必要はない。
ユーコウはら低空飛行で突っ込んできたワイバーンの頭部に飛び乗ると、飛び石を跳ねるみたいにワイバーンからワイバーンに飛び移った。
「あわわわわ!」
「た、隊長が、人間やめた……!」
あっけに取られる朱色部隊の面々。
ユーコウは剣の柄で三半規管のあたりをぶん殴り、ブレスを避けて同士討ちをさせてと、半数近いワイバーンをひとりで引きつけた。
と、そこにもうひとり空から美少女が降ってきた。サンドライト人の感覚では痴女認定の、ビキニアーマーの少女が。
「え? 帝国人?!」
少女は怒り狂ってメチャクチャに飛んでいるワイバーンの頭に着地すると、左目の上あたりに鉄拳を沈め、別の個体に飛び移った。
「そこのイケメン! 三半規管はダメ! 聴力を失って戻らなくなる可能性があるわ! 左目の11時の辺りに鈍器を当てなさい!」
「へ?」
いきなり怒鳴られて、一瞬だけ気が逸れるユーコウ。そこに真紅の飛竜が巨大な口を開けて突っ込んできた。
「あぶねっ!」
反射的にブレスに備えるユーコウ。だが、ブレスはユーコウの脇をそれて美少女を襲い、彼女は辺境槍の一振りでそれを飛散させた。
気がつけばユーコウは、辺境で鍛えた自分よりもさらに逞しい腕に抱えられ、鈍色のドラゴンに騎乗していた。
「よ。ユーコウ、飛んでるワイバーンに乗り渡るなんて、身軽だね」
「ヨアン!」
相変わらず飄々とした男である。
基本的に誰に対してもフレンドリーだが、連れてきた少女にはやけに辛辣だった。
「おい、クソガキ! 辺境伯の婿が死んだらどーすんだ! もっと頭使ってアドバイスしろ!」
「あたしより弱い既婚者なんか、キョーミないわ! あんたこそ、ブレスをあたしに誘導すんな! お肌が傷むじゃない!」
怒鳴るヨアンに、ベーっと舌を出す美少女。
隊員たちの度肝を抜いたユーコウが、逆に呆気にとられている。
「えーっと、あれ誰? どーいう状況っすか?」
「とりあえず、岩砂漠を経由中の死屍ナイツは、オレとグレイローズで殲滅した。あのガキはそこにいた夏侯蘭てぇ帝国貴族だ。戦犯だから、捕虜にした」
「戦犯?」
地上を見下ろせば、ランがプンスカしながらワイバーンを昏倒させ、朱色部隊に檄をとばしている。
「槍の持ち方がなっちゃいないから、一撃で落とせないのよ! 構えはもうちょい右! あんたは左! てめーの骨格と相談して構えなさいよね!」
「殴るなら5秒で気絶させなさい! 痛みで暴れたら、翼に傷がつくでしょ?! 飛べなくなったら、追放竜に食われるわよ!」
「左目を狙いなさい! 眼球なら潰したって再生するんだから、遠慮いらないわよ!!!」
見た目は小柄な痴女……もとい美少女なのに、ものすごい精鋭感だ。
剣術大会では常勝無敗だったユーコウでも、歯が立たないだろう。
だが、そんな強者が、敵である辺境軍を指導するって、いったい。
「……自分、今、戦犯って概念が崩壊してるんすけど。あれ、何者っすか?」
「武具の扱いと指南に長けたガキンチョ? さっき、辺境槍を貸したら5分でモノにしてたわ」
ちなみに、ユーコウは数週間かかっている。それでも最速の部類だが、本日記録は大幅に塗り替えられた模様。
「聞いたことねえ? 剣姫ランって。軍馬を乗りこなせる程度だった兵士どもに、死屍飛竜の騎乗を指導して、数週間で遠征を可能にした軍事指南だよ」
「うわあ。ヨアンらしい獲物すぎて、引くっすわ……」
その時、グレイローズには当たらない力加減で、ふたりの顔面の間にでっかい岩がすっ飛んできた。
辺境槍を手に、もう片方の手を腰にあてたランが、地上でキーキーしている。
「そこの男子たち! しゃべってないで仕事しなさいよね!!!」
初等学校の学舎から脱走してオケアノスとダンジョンライフを送っていたランは、17歳。
本来ならば、帝国貴族学院の高等部で男子をしばいているお年頃である。目に余る暴力行為で、退学が内定していたが。




