高校教師は確信し、悪役を放棄した令嬢はシンパを増やす
二ノ宮新は、困惑した。
来客の呼び出しを受けて玄関にきてみれば、高校時代の友人が、どえらいイケメンを連れて手を振っていた。
友人は、人気声優の来宮瑛美。連れは超絶人気声優の黒原龍生。
ちなみにここは、学校である。聖なる学びの場である。
(どうリアクションしたらいーんだ? これ?)
シンプルなワンピースの瑛美も、セーターにジーンズの龍生も、特に着飾ってないのに、やたらキラキラしている。
一方、二ノ宮は部活に向かう途中だったので、土の色が染みこんだ野球着である。
「キノ……だよな。久しぶり。なんで、職場に来るかな」
「メール送ったじゃん。アドレス消されてなくてびっくり」
「そういう話じゃねーよ」
ぼやいたら、瑛美は悪戯が成功した子どもみたいに笑った。空白の10年間がなかったかのような、慣れ親しんだ笑顔で。
しかし、二ノ宮はもう高校生ではない。この高校の教員である。礼儀正しく帽子を外し、瑛美の連れに挨拶した。
「初めてまして。来宮瑛美の同窓生で、二ノ宮新です」
「はじめまして。私がフレデリックだ」
線は細いのに、やたら力強い、傑物を思わせる握手をされた。
当然だが、二ノ宮は面食らった。
自己紹介が違和感なくおかしくて、理解が追いつかない。
二ノ宮は人の良さげな丸い目をパチパチさせて、龍生に憑いたフレデリックと、瑛美を交互に見た。
「ええと。ありあがマリアベルに生まれ変わって、フレデリック王子と相思相愛とかいう妄想、彼氏も共犯なのか? リアルに声優を使うとか、凝ってるなあ」
「彼氏じゃないし!」
「じゃ、婚約者? そのリング、一見そーは見えないけどペアリングってヤツじゃん?」
「ニノがそーゆーとこに目がいくようになるとは……純粋な甲子園球児だったのに」
「いつの話だ。今は監督だわ」
えらく楽しそうなやりとりを見ていた龍生は、こんなことをつぶやいていた。
「これ、いいなあ。このカップルとお揃いにしたら、マリアベルが喜びそうだし。形状を記憶するか」
二ノ宮は、眉を寄せて首を傾げた。
たしかに、幼いマリアベルと出会った記憶は、ある。だが、あれは夢だ。
恋人だったありあを失った悲しみが、彼女が異世界に転生した幻覚を見せた。大好きだったゲームの登場人物になって、健康な体で、ピアノを弾けて。二ノ宮を忘れないでいてくれるという妄想、いわば現実逃避だ。
けれど、来宮瑛美と黒原龍生はその妄想を知っていて、現実だと言う。
10年ぶりと初対面につるまれて、全面的に信用しろなんて、無茶である。無理である。けど、なんでお前らがそれ知ってるの? って事態だ。当然だが、二ノ宮はこの夢というか妄想を、誰にも話していない。
一方で、龍生に憑いてるフレデリックは、二ノ宮の心境を忖度しなかった。
黒原龍生は王子キャラが得意な声優だが、中の人はガチの王子様である。傅かれることに慣れすぎて、根がマイペースなのだ。
「マリアベルは……ありあは、この学校に通っていたのか。実物を見ると感慨深いな。やはり、想像とはちがうな」
やたら発言が自由だし、そこはかとなく偉そうだ。
「えーっと……あなたは、声優の黒原龍生さん、ですよね?」
「うーん。まあ、それでも構わんが。来宮瑛美とは、結婚しないよ。絶対に」
「こっちからお断りだわ」
指輪をからかったときには軽く赤面していた瑛美が、心底イヤそうに眉をひそめた。
二ノ宮は、辺りを見渡した。
放課後の来客用玄関は人通りが少ないけれど、学校という建物は、声がよく響くのである。ましてこの声優コンビは。
「ここで話す内容じゃないな。練習が終わったら、時間を作るよ。19時半に駐車場で待ち合わせよう」
二ノ宮が提案すると、龍生に憑いてるフレデリックがワクワクの笑顔でくいついてきた。
「待ってる間、君が教えている野球を観たい。マリアベルはルールは知ってるけど、自分ではできないらしいし」
「はあ」
「出自を問わず楽しめそうだから、国技にしたいんだ」
スポーツ事業を推進するお偉いさんみたいな龍生を、瑛美は横睨みで切り捨てた。
「男ってバカなの? 野球に関わるとバカになるの? リュウもたいがい野球の話になると止まらないし。あんたたちのDNAには、野球と焼肉が刻み込まれてんの???」
「あり得なくは、ないか」
「…………そーかもしれない」
思わず頷く男ふたり。
リトルリーグ時代からピッチャーだった二ノ宮新は、大学3年の秋にケガでマウンドを去った。プロを断念して教職に就いた今も、野球愛は健在である。
距離を置いた時期もあったが、夢は継ぐもの。
母校の監督に就任して以来、生徒たちを甲子園に導く夢を抱いている。
そんな二ノ宮だから、「たしかに、この龍生は『龍生王子』ではない」と理解した。
だって、黒原龍生は、自他ともに認める野球ファンだ。
海外進出した時期にメジャーリーグを観戦して以来、すっかりはまったらしい。ニワカと謙遜しながらも、なかなか幅広い情報網を持っているから、つい夜更かしして彼のラジオ番組を聞いてしまう。
10回に1回くらい野球談議で番宣を忘れ、直後のTwitterでリスナーたちがバズるまでが、お約束だ。
だから、今のは、確かに黒原龍生の声だけど、黒原龍生の発言ではない。
その後、本当に見学に来て、めちゃくちゃ熱心に練習を見つめていた彼の姿に確信した。
あれは、初めて野球を観て、興味を惹かれた少年の姿だ。
身に覚えがある、と。
背後から夜があけて朝になった。
戦火を避けて無人となったホワイト准男爵領は、霜がおりて静まりかえっている。
マリアベルは結局、アンデッドワイバーンの揺れと防護マスクですっかり気分が悪くなり、意識が朦朧として、次に気がついたら夜が明けていた。
「おはようございます。じきに、転生の泉に到達します」
スゥは、防護マスクをつけていない。
アンデッドは瘴気を発するタイミングがあり、呼吸法さえ身につければマスクはいらないと言った。
命綱なんか鞍しかない飛行も、全く苦にならないみたいだ。
スコーネ城を出たときは、空の星くらいしか見えなかったから高さを意識しなかったが、明るくなった今、マリアベルは無言で戦慄している。
朝日をあびてキラキラ輝く針葉樹の森は、道を歩けば美しかろう。だが、上から見るとコワイしかない。
忘れていたけど、ありあは極端に高い場所がニガテだった。修学旅行で登ったスカイツリーの展望台で、腰をぬかした人だった。
「真下ではなく、前方に視線を」
マリアベルの様子に気がついたスゥが、彼女の背にかぶさりながらはるか前方の山を指した。
「あちらが、レイアリス上王の居住地付近の丘陵です」
スゥの示した山地は、瘴気砲をあびてどす黒い山肌に変色していた。草はなく、霜で覆われ、巨大な瘡蓋みたいだ。
「レイアリス上王は、あそこで殺害されて、捨て置かれましたのね」
スゥに支えられながら、マリアベルが戦慄く。
「はい。神堂穂成の操るアンデッドドラゴンが、上王陛下の住処を吹き飛ばしたと聞いております。が、転生の泉は無事です。1週間前に確認しました」
「……そう。あなた、大恩ある上王様を助けては下さらなかったのね」
今更、恨み言を言っても、時は戻らない。
失われた命は還らない。
だけど、言わずにはいられなかった。
「……言い訳にしかなりませんが。あの日はアンデッドドラゴンが王都に瘴気砲を放つと聞いており、別の計画を仕込んでおりました」
「そういえば、王弟殿下宛にリヴァイアサンを王都に常駐させるよう、密書をしたためた者がいたとか。リヴァイアサンに、瘴気砲を浄化させる為に」
スゥは応えなかったが、この沈黙は肯定だろう。
この人の行動は、矛盾だらけだ。
オケアノスを神聖視し、神堂穂成を蛇蝎の如く憎みながら、人を裏切ること、利用することを全く厭わない。
本来のオケアノスが平和を好む人格者なら、スゥの言動は間違いなく彼の望みを裏切っているだろうに。
「この先の、瘴気砲を免れた高原に降ります。近くに洞窟がありますゆえ。ここらの洞窟は、全て転生の泉につながっております」
「詳しいのね」
「多少地形が変わりましたが、問題ありません。亡命中の殿下と、毎日探検して参りましたから」
国を追われた10歳の少年にとって、緑豊かな峡湾や、高原の花畑、不思議な転生の泉、泉につながる洞窟は、どんな場所だったのだろうか。
案外、楽しかったのではないだろうか。
男の子は、探検と秘密基地と焼肉が好物だ、と、マリアベル は思い込んでいる。好物じゃない子もいるだろうけど、基準が見た目に反してやんちゃだった義弟なので。
「スゥは、この地での生活を楽しみまして?」
「オケアノス殿下は、国にいるときより生き生きされてました。野山を駆けては、ドラゴンの飛翔やシーサーペントの群れを飽きることなく眺められ……」
「オケアノス殿下ではなく、スゥ。あなたのことを聞いてますのよ?」
マリアベルの素っ気ない問いかけに、スゥは口を閉ざした。
しばし、変わり果てた丘陵をみつめ、やがて、ため息をつくように応えた。
「己を楽しませる概念は、持ち合わせておりませんが。そうですね。主君の命が狙われぬ日々に、安寧を覚えていたのは確かです。岩屋の庵で、殿下が竜琴を、上王と大上王がピアノを嗜まれる夕べは、なんとも雅なひとときでありました」
「そう……」
マリアベルも、それきり口を閉ざした。
死の生物は、瘴気砲を浴びた丘陵を迂回し、霜と枯草の高原に降りたった。
スゥは用意周到な従者だった。
鍾乳洞の洞窟に入る前に、持ってきた布袋から革靴を出してマリアベルに履かせた。足のサイズが微調整できて、裏に滑らない加工が施してある。
「今一度、御御足を失礼します」
スゥが調整すると、最初からマリアベルの為に作られたみたいに、ぴったり足にフィットした。
以前来たときには、始終フレデリックに抱かれていたから、湿った鍾乳洞に足を取られる心配はなかった。
成人女性を腕に抱き上げた状態で、何時間も息ひとつ切らさないとか。なんなら復路は走っていたとか。思えば、貴公子にあるまじき身体能力だ。
「足元、滑りやすくなっております。御手を」
「ありがとう」
マリアベルが鷹揚に頷くと、スゥは恭しくその手を取った。
それは、サンドライト男性のエスコートとは違う、優美で流れるような先導だった。もう片方の手に無骨なカンテラを持ちながらも、帝国の大宮殿で貴人を案内するかのような所作だ。
スゥは、戦場やダンジョンの斥候として名高いが、近衛にも女官にも侍女にも、戦士にも暗殺者にもなれる逸材なのだろう。ステラの最強版というか。
「貴女、私の侍女に少々似ておりますことよ。私が誘拐される直前に、行方不明になりましたの」
スゥは、敵ではないと思っている。
だけど、完全に信用したわけではない。
どんな理由があっても、スゥが直接、ステラを害したのだ。結果、マリアベルは誘拐された。マリアベルひとりならともかく、エイミを巻き込み、マリアベルやエイミの護衛たちを傷つけた。
生きているかもわからない。生きていてほしい。どちらにしろ、傷は浅くあるまい。だから、あえて貴族らしくいやらしい物言いをした。
スゥは悪びれず「あの者が真の忠臣ならば、生きておりましょう」と応えた。氷のように冷たい声で。
「あの者には、貴女の誘拐計画を告げました。最短で報告していたら、今頃、ファルカノス元帥率いる海軍とフレデリック殿下がスコーネ城を制圧している読みでしたが。少々荷が過ぎたようで」
マリアベルの頭に瞬間的に血がのぼったが、スゥの手を振り払うことは留まった。
おそらくは、ステラならできると見込んでいたのだろう。勝手に見込まれて、勝手に失望されるとか。はなはだ迷惑な話だ。
「息災でなければ、その状況を作り上げた者たちの罪を問うわ」
「いかようにも。戦犯に手心をくわえてはなりませんよ。かの優しきサーガフォルス陛下が王ですから」
「杞憂ですわ。人類全てに無限の慈悲を有する御方ですもの。無限の慈悲。つまり、無慈悲ですわね」
未来の王太子妃による、まさかの国王茶化しに、思わず目を丸くするスゥ。
「私ならば、そうですわね。目をつぶって歯を食いしばって、あなたが傷つけた配下たちに一発ずつぶん殴らせていただければ、水に流して差し上げますわ?」
マリアベルは花のような笑顔を浮かべた。
無慈悲なのは、どっちだ?
フルメイクだと犯罪を企んでるみたいな悪役顔だけど、ほとんど取れた今の状態は、大きなつり目が愛くるしい童顔の女の子である。
可愛い顔をして、言うことは言う。
これが神堂の言っていた「悪役令嬢」というものだろうか。
スゥは、小さくため息をついた。
一発ずつでも、結構な人数だ。それなりに精鋭もいたし。打たれ強い性質だが、何度か意識は飛ぶだろう。
それでも「オケアノス殿下を救出した暁には、甘んじて受けるのも悪くない」と、思った。
ワイバーンライダーがホームランを阻止するとか、ランナーがそれをバットで撃ち落とすとか、野球じゃない野球が逆輸入されそうな予感。




