贄にされた皇子は、ジワジワと自我を取り戻す。
竜の死屍が、漆黒の空を駆る。
南西へ。南西へ。
上王レイアリスを殺害し、このドラゴンが瘴気砲を浴びせた、転生の泉をめざして。
ありあが、マリアベルが、何故、あんな因果な場所を逢瀬に指定したのか、神堂にはわからない。
だけど、行かねばならない。
奥ゆかしい彼女が、彼女から、はじめて自己主張したのだから。
「ありあ……オレのありあ。待ってろよ……」
神堂の脳裏に、ありあと出会ってからの1年間が巡る。
3月。運命の出会いを果たした。春の甲子園で、通路を挟んで隣で応援していた彼女と、目が合った。
視線の交わりで、結婚を約束した。
4月。16日から、ありあが1週間入院した。過労らしい。クラスが違うから情報が遅い。神堂は心を支えた。
5月。GW明けから、たびたび学校を休むようになった。病弱と知った。病弱はかわいい。守ってやりたくなる。
6月。ピアノ科の連中が、全員で遊びに行ってプリを撮りまくった。クラスが違う連中も、神堂をはじめ何人か。ふたりきりで撮りたいくせに、照れて無視するありあがかわいい。
直後にまた入院した。
7月。ありあが学校に来なくなった。野球部のエース二ノ宮新につきまとわれて、逃げているらしい。出会い系サイト多重登録の刑に処した。
8月。ありあがはまっている「エイミと白い花」をクリアした。スチルをコンプリして、同絵師の18禁ゲームのスチルとコラージュした。悪くない。
9月。「エイミと紅い華」完成。URLをありあに送る。アクセス解析は動かないけど、ありあがはまっている実感がすごかった。
10月。M音大の推薦が決まった。4月から、ありあと同じ大学に通う。
11月。ストーカーの二ノ宮を、ありあの病院でよく見かける。来宮瑛美に、ありあに付き纏うなと言われた。あのアイドルに片思いされていたとは、知らなかった。悪い気はしない。
12月。ありあの担任にありあの進路を聞いたら、個人情報だからと黙秘された。
1月。毎日、ありあの病院に通う。看護婦とよく目が合う。ありあと付き合ってから、モテ期を実感している。
2月。市役所に婚姻届をとりに行った。母親にバレて泣きながら怒鳴られた。ありあと付き合ってから、なぜかよく泣く。父親には海外に留学しろと殴られた。ウザい。
3月。ありあが死んだ。なんで? なんで? なんで? オレを残して、なんで? 神堂は混乱した。
ありあの遺骨を口に含んで、卒業した高校の窓から飛び降りた。ありあと同じ世界に行くために。
その日から神堂穂成は、不遇の皇太子オケアノスに生まれ変わった。
『……マリアベル嬢が何者であれ、そなたの恋は決して叶わぬよ』
どこからともなく、自分と同じ声の、全く違う男が語りかけてくる。
キミの死後、声はたびたび神堂に語りかけ、心をゆさぶってくる。不快だ。実に不愉快だ。
上空500メートルから明星を見上げて叫んだ。
「ウルセェ。マリアベルは、ありあは、前世からオレのもんだ。病気さえなければ、オレたちは学生結婚してたんだよ!」
『妄想だよ。それは。マリアベル嬢は、フレデリック殿下の婚約者であり、睦まじき恋人だ』
「ちげーよ! 婚約破棄や断罪が怖いから、従ってるフリをしているだけだ!」
『そなたに奪われた女たちのように、か?』
「黙れ! オレの女たちは、全員オレに惚れているんだよ!!」
その瞬間、男が嗤う気配がした。
言葉はなくとも、侮蔑は伝わる。
こんなことは、今までなかった。
遠い過去に、オケアノスの意志のようなものを、わずかに感じたことならある。殺しを厭い、交歓を厭い、軽い蕁麻疹が出た程度である。
こんなにはっきりとした言葉で、異を唱えてくるのは初めてだ。
「バグは、失せろ!」
強く念じると、不快な声は聞こえなくなった。だが、魂のどこかに存在を感じる。
幼く、無力さに打ち震えていた子どもではない。泰然とした、悠然とした、気高き皇子オケアノスの存在を。
「畜生、なんなんだよ。これは……!」
神堂はギリギリと歯軋りをした。
東の空が明るくなって、世界の輪郭がはっきりと見渡せるようになった。
この世界は、『エイミと紅い華』は、自分のものだ。
生まれ変わった自分とありあが支配する、愛の世界だ。
誰にも邪魔はさせない。邪魔する奴は、みんなバグなのだから。
スコーネ城に、旧北王国連合の貴族たちが、続々と集まってきた。
会議室の円卓に、『サンドライトに無条件降伏せよ。スコーネ城を明け渡せ』と書かれた矢文が、突き刺さっていたのだ。
サンドライトの間者が忍びこんでいるのか。
悪戯にしては、たちが悪い。
しかも、こんな時に限って、総大将の皇太子オケアノスの姿が見えないのだ。
もともとが、不在がちな支配者ではあるのだが。
アンデッド・ドラゴンでふらりと出かけては、ダンジョンに潜ったり、美女を拐ってきたり、後宮に篭って狂瀾に耽ったりと、放蕩の限りを尽くしている。
略奪は好きだが、統治に興味がないのだ。
辺境の為政者たちにとって、おだてていれば好き放題に領地を増やし、飽きた美女を下賜してくれるありがたい太子様ではある。
が、この有事にいないのは、問題である。
ルス州の小知事に名を変えた旧北王国連合の王たちは、スコーネ城二階の「円卓の会議室」に集い、矢文にくくられた羊皮紙を囲んでいる。
曰く、「今日にでも降伏しなければ、海軍がスコーネ城を制圧するだろう」と。
スコーネ城は後宮だが、地下と一階でアンデッドワイバーンを育成している。二階は円卓の会議室と貴賓室、執務室を開放している。護衛でない男性が立ち入りを許可されているのは、この二階までである。
だから、彼らはオケアノスの居場所どころか、キミの死すら知らない。
マリアベルとエイミが拐われてきたことも。知らない。
オケアノスが「妃にしてから」発表するつもりでいたので、知るは後宮の花ばかりである。
結果、ルス議会は「レティシア妃の返還要求」と、受け取った。
旧北王国連合の王女腹であり、大人しい性質のレティシアを、先に切り捨てたのはあちらである。
王女の意思で皇太子の第一側妃になったと告げてからは、何の音沙汰もなかったのに。
小知事たちの怒りは、いつしかレティシアの処遇に向けられた。
「お優しい妃は、祖国を責めることは言わぬが、側妃の地位には安堵されていらっしゃる」
「あやつらは不当にレティシア妃を幽閉したのだ。そのような地獄に返すわけにはいかん!」
「サンドライト併合の折には、王族は処刑。レティシア妃をサンドライト太守とする」
「賛成!」
「賛成!」
迎撃の準備が始まった。
だが、旧北王国連合の為政者たちは、ルスの小知事たちは、知らなかった。
思い至らなかった。
諜報員としてサンドライト王室に嫁いだエリシア側妃が、娘のレティシアを見捨てていることを。とうの昔にサンドライトに寝返っていたことを。
サンドライトの後宮から、嵐が去った。
今宵、王はミネルヴァ王妃と横臥されたはずが、なぜか夜更け過ぎにエリシア側妃の後宮に渡られたのだ。
お気に入りのソファでぐったりと目を瞑るエリシア。
侍女たちは、慣れた手つきで寝所を整えている。
「さっきまでの陛下、ご機嫌なんだか、ご機嫌斜めなんだか、わかんない感じだったわ……」
枯れた声でつぶやくと、祖国からついてきてくれた侍女……ではなく、ミネルヴァ王妃に冷たい飲み物を押し付けられた。
「フレデリックと試合をして、一本とられたのよ。嬉しくて、悔しかったんじゃなくて?」
「せ、正妃さま?!」
ガバリと起き上がる側妃。
ニコニコ笑顔の正妃。
「ごめんなさいね。エリシア。担当ではなかったのに、無理をさせて」
「いいえ。お気遣い……ありがたくない、デス」
身支度は整え終えている。このまま朝餉にも行けるが、徹夜明けのコンディションでこの寝所仇に会うのは、どうも心許ない。
エリシアは、第一側妃の自分が、最も地味で、色気も権勢もないことを理解している。
この美人に会うなら、せめてあと1時間かけてフルメイクしたい。同じ男を夫に持つ女の、せめてもの意地である。
「その様子だと、言えなかったのかしら。それとも、私に言わせるおつもりでしたのかしら。あの隠れヘタレめ」
「何のお話です?」
思わず襟を正すと、ミネルヴァは飲み物をぐいと押し付けてきた。うっかり、ごくんと飲み込む。乾いた喉にオレンジの甘味と酸味が、不覚においしく染みわたる。
「スコーネ城への侵攻よ。降伏しなければ、海軍が制圧するわ。少女時代のあなたが愛した城が、戦場になるの。残念だけど」
「……そう、ですか。遅すぎたくらいですね」
飲み終えたグラスを、優秀な侍女がつつがなく回収してゆく。
王女エリシアの輿入れは、サンドライトを内側から支配するための、政略結婚だった。側妃であり、祖国の諜報員を兼ねていたエリシアだが、サーガフォルス王には最初から泳がされていた。
側妃の子を傀儡の王とし、王太子を暗殺する計画を、息子を鍛えるダシにフル活用する父親っていったい。
レドリックの王太子教育に失敗し、フレデリックによる『暗殺やハニートラップ回避からの、ダブルスパイ育成状況』を知った時に、エリシア側妃は悟った。
「祖国の諜報部は、サンドライト王室に遊ばれている」と。
こんな連中の上に君臨するなんて、無理である。無茶である。諦めろ、祖国の皆様よ。
その後、それとなく「サンドライトは竜が猫をかぶってるみたいな国ですよー。仕掛けたら、倍返しされますよー」と祖国に警告したが、サーガフォルスに止められた。
笑顔の神からダブルスパイに任命されたら、人類に断る術はない。
それ以来、なにくれとなく、このミネルヴァ王妃が気を遣ってくれるようになった。
「1番若い側妃が心労で潰れたら、後宮の妃達が過労死する」という、寵を競う場としてはありえない理由で。
「現在、あの城はオケアノスの後宮に成り果てたわ。レティシアも囚われているはずよ。囚わせている、かしら? レティシアはともかく、マリアベル・シュナウザーが誘拐されては、ね」
「マリアベル嬢を誘拐?! あの彼氏と担任を敵に回すとか、馬鹿なの?! 滅ぶの?!」
「そのフレデリックが、救出に向かっているわ。未来の王太子妃の純潔に関わる事態よ。内密にね」
「あなたねえ。ダブルスパイにそれ、言います?」
あきれるエリシアに、ミネルヴァは大輪の花のような微笑みをかえした。実に根性の据わった正妃さまである。
絶対に、立場を代わりたくない。イエス側妃! ノー正妃!
「私たちはね、あなたが裏切り者でも、諜報員でも、ダブルスパイでも、トリプルスパイでも、全くかまわないの。側妃の役割を果たし、竜の掟を犯さない人だから。竜の掟を遵守することは、竜に守られ、愛されてきた我が王室の、絶対的な不文律よ。フレデリックとレドリックは理解してるけど……残念ね。レティシアは」
「…………あの愚娘、またやらかしましたのね」
「まだ、確定ではないからと、詳細を話してはいただけなかったのだけど。覚悟、決めなさいね」
「そう。……それも、遅すぎたくらいね」
ふたりの妃は、それきり沈黙した。
側妃の侍女たちだけが、なにも聞かなかったかのように、淡々と働き続けている……。
瘴気砲の衝撃を受けたからだろうか。
地底泉の水は、さらに深く、広く、地下に広がっていた。
マリアベルが以前訪れた時よりも、はるかに巨大になっている。もはや、地底湖である。
無数の光の球が、揺れながら宙に上り、または泉に還る様が、どこまでもまぶしくて、幻想的で。
座りの良い岩肌に身を隠しながら、発光する球体を飽きることなく眺めるマリアベル。
フレデリックも、いつかこの地底泉の守り人となるのだろうか。
王になる姿はたやすく想像できても、ピアノの調律をしながら泉を守る老後になると、いまいち想像がつかない。
(調律は、私がやりたいな。ご一緒させてくださるかしら)
しばらくして、地面に耳をつけていたスゥの気配が強張った。
「神堂穂成のようですね。王都を経由した幼竜も、そろそろこちらに到着されましょう。フレデリック殿下がいらっしゃるまで、時間を稼ぎましょう」
固く囁く声に、マリアベルも頷く。
やがて、マリアベルの耳にも洞窟を闊歩する足音が、剣を振り回す圧が、斬られて崩れる鍾乳洞の音が、響いてきた。
「ありあ、マリアベル……どこだ?! 迎えにきたぞ! 出てこいよ! 彼女だろ!!」
叫ぶ声に、思わず身震いするマリアベル。
音も立てず、細剣を抜くスゥ。
やたらあちこち斬りつけるために、天井が不安定になって氷柱のように鍾乳洞が落ちてくる。
スゥとマリアベルのすぐ横に、鋭い岩肌が突き刺さった。息を飲むマリアベルのをスゥは軽々と抱き上げた。
「移動します。できるだけ頭を下げて捕まってください」
あえて足場の悪い道を選ぶスゥ。こんな時でも、一切足音を立てない冷静さが、頼もしい。
神堂の動きが、ピタリと止まった。
「気配がなさすぎて不自然だな……スゥか? スゥといるのか?!」
剣を握り直した神堂が、顔の右半分だけニターッと笑った。
神堂は気がつかなかったが、左半分は安堵で微笑んでいた。
「いるんだろ!? 出てきやがれ、スゥ! あんなに可愛がってやったのに、裏切りやがったのか?! キミを殺したのもてめーか?!」
「通路の記憶を8割塞いだ! スゥ! 4のルートから逃げろ!」
同じ口が、違う声で喚く。
スゥとマリアベルは、顔を見合わせた。
「あのお言葉……まさか!」
いかなる時も冷静だったスゥが、あまりの驚愕に目を開いている。
声がした方向を、愕然と見つめたまま立ちつくすスゥ。
「殿下……。殿下を、お守りしなくては!」
走りかけたスゥの頬を、マリアベルはおもわず両手ではさむ。
グイと力を入れて、こちらに顔をむけさせた。
「うろたえては、なりませんわ」
マリアベルの菫色の瞳が、うろたえる女の瞳を真っ正面から捕らえる。
「真の忠臣ならば、今は何を為すべきか。主君の望みが、貴女にはわからなくて? あなた、私の忠臣を揶揄する資格、全くなくてよ?」
マリアベルは「お話にならないから、おろしてくださらない?」と、至極冷静に、高慢に告げた。
我にかえったスゥは、息を呑んでマリアベルを見つめ、しばらくして小さな吐息を吐きだした。
「……失礼致しました。4のルートに向かいます」
何かを吹っ切ったように、鮮やかに跳躍するスゥ。掴まるだけで必死のマリアベル。
煽っておいてなんだが、この人の身体能力ってつくづく心臓に悪い。
こうして、地底泉の戦いが、賓と咎の戦いが、幕を開けたのである。
欄外人物紹介
エリシア側妃
レティシア王女とレドリック王子の実母。
北王国連合の一国の王女で、14歳で諜報員としてサンドライトに輿入れした。
長年、祖国の傀儡で、フレデリックを排して息子を王にしようと目論んでいたが、レドリックの王太子教育失敗で目が覚めた。この王室、こええ! 人外魔境だ! みたいな。
本人は地味なつもりだが、20代前半にしか見えない清楚系スレンダー美人。見た目に反して雑な性格を、ミネルヴァ妃にやたら気に入られている。
そんな理由でサーガフォルスに嫉妬されるのだけは、なんか納得いかない。




