置いていかないで。
※鬱展開、残酷描写ありです。苦手な方ご注意を。
暗闇の中、瞼を開ける。
真っ暗なのに、自分の身体は何故かはっきり見えていて……、
「あれ。もしかして、ここ境界?」
見覚えある景色に、周囲を見回す。
という事は、私はまた死んだのか?
不死というのは、間違いだったのだろうか……。
そんな考えが過りつつも、何か違うなと首を傾げる。
境界によく似てはいるけれど、……こんな場所だったかな?
何もない無の空間でありながら、境界は目に見えない“何か”で溢れていた。
それが何であったのか、今なら分かる。……あれはマナ。
マナというエネルギーが、闇の中に満ちていた。
無でありながら有でもあるような、そんな空間。
狭間の世界なだけあって、どっちつかずで、どっちでもある。何とも境界らしい、曖昧な造りである。
「んー。境界じゃないなら、ここは一体……。夢かな?」
うん、そうかもしれない。
結構眠たかったし。
あのまま意識を失って、寝ちゃったのかも。或いは――。
そんな事を考えていると、目の前にぼんやりと人影が映り出す。
……女神だろうか?
徐々にはっきりと形を成していくそれに、目を凝らした。
「……ああ、なるほど」
『……』
現れた人物に、私は苦笑して肩を竦めた。
「やぁ。初めまして――という表現はおかしいかな?夢とはいえ、何だか奇妙な感覚だ。……嘗ての自分と対面するというのは」
くすくすと笑いを零しながら、目の前の彼女をまじまじと見つめる。
黒髪ショートカットに、空虚な黒目。
嘗ての見慣れた制服に身を包んだ彼女もまた、キョトンとした無表情で私を見つめていた。
――黒沼優美。
死んでしまった、前世の私。
『どうして私は、笑っているの?』
黒沼優美が、口を開く。
普通、自身の声というものは、本人と周囲とで聞こえ方が異なるものだけれど、その声は不思議と、私のよく知る黒沼優美の声で。
それが返って、これは夢なのだという事を強調させた。
「ふふ。……可笑しく思ってしまってね」
『可笑しいの?……そうか。……そっちは、楽しい?』
「ああ、楽しいよ。愉快で愉快で、笑ってしまう」
『……よく、笑う様になったね。私は』
「そうだね。といっても、狂気の捌け口として、感情が溢れやすくなっているだけなんだけど」
小さく微笑む私とは対照的に、感情が希薄で、無表情のままである黒沼優美。
今の私は、笑みを浮かべる事が多くなったとはいえ、この状態が果たして良い事なのかどうかは疑問である。
なぜなら、この内側を蠢く愉快な感情は、狂気からくるものだ。
だからこそ毎日が、意味もなく楽しさに満ちている。
狂気的な程に、全てが楽しくて仕方がない。
時折、無意味に1人、笑みを浮かべている事だってあるぐらいだ。
周囲から見れば、唯のヤバイ奴である。
『……迷ってる?』
笑いを零し続ける私を見て、黒沼優美が小首を傾げながら疑問符を口にする。
私は笑いを止めて目を瞬くと、彼女と同じく小首を傾げた。
「何が?」
『……死ぬ事。そして、消える事』
「ふふ。まさか。……どうしてそう思うの?」
『だって私は、楽しいんでしょう?エレオノーラとしての今を、私は気に入っている。だから、とても幸せだ』
「……そうだね。恵まれた家庭に生まれて、黒沼優美の時には知り得なかった愛情を、たくさんもらった。家族って、こんなにも温かいものなんだって、愛おしいものなんだって、思ってしまったよ。……そして同時に、怖いとも思った。幸せが大きい分、その後に訪れる不幸は、それだけ辛いものとなっていく。幸せを失う事が恐ろしい。傷付く事が恐ろしい。けれど何より、幸せだとか不幸だとか、希望だとか絶望だとか、そんな移ろい易いものに振り回されて、笑ったり悲しんだりして生きていく事が、私は堪らなくしんどいよ。幸せに心からの笑いを浮かべている間にも、私の心が磨り減り続けていくのを感じる。……しんどいよ。狂気に感情が溢れてくる。楽しさに感情が溢れてくる。私はそれが、しんどくて堪らない。だから、早く眠りたい。もう、何も感じたくない。死にたくて、消えたい。……だからどうか、心配しないでくれ。どれだけの幸せを感じようとも、この想いだけは決して消えないから。……君を一人になんて、しないから」
いつの間にか私と同い年ぐらいの姿に変わっていた彼女の傍へと歩み寄り、その肩をそっと抱きしめた。
彼女の背中に流れる髪の感触を感じながら、そういえばこの頃はまだ長かったなと、ぼんやりと思った。
『辛いよ』
「……うん」
『悲しいよ。苦しいよ。怖いよ』
「そうだね……」
『痛い。痛いよ。体も心も。毎日、全部が、……痛いよ』
「……」
『お母さんは、どうして出て行ってしまったの?』
「……耐えられなかったんだよ」
『そうだ。だから、恨んじゃいけない。お母さんだって辛かったから。……ああ、でも、……行かないで欲しかったなぁ。連れて行って、欲しかったなぁ。……でも、駄目だ。私の想いで、お母さんを縛っては。だからこんな事、思っちゃいけない』
「……」
『お兄ちゃんは、どうして出て行ってしまったの?』
「……別に、殴るだけの兄だったのだから、いいじゃないか。負担が減って、逆に良かっただろう?」
『そうだ。だから、恨んではいない。恨んじゃいけない。……ああ、でも、……行かないで欲しかったなぁ。助けて、欲しかったなぁ……。出て行った後も、心のどこかで期待していた。もしかしたら、迎えに来てくれるんじゃないかって。どこか遠くの場所で、ボロくて狭い部屋を借りながら、真面目に仕事をしている兄の姿を想像した。殴るだけの兄だったけど、最後にはきっと、迎えに来てくれるんじゃないかって。助け出してくれるんじゃないかって。小公女セーラみたいな。白馬の王子様みたいな。正義のヒーローみたいな。殴るだけの兄だったけど、同じ環境で一緒に育ったんだ。もしかしたら、もしかしたら。少しぐらい、情が湧いて――……』
淡々と語る彼女の背に、力を込める。
黒沼優美は、話の途中で言葉を区切ると、肩の力を抜いた。
『……結局、来なかったけれど。兄も、母も。……でもまぁ、“別に、期待なんてしていなかったけどね”』
「……」
それは、繰り返し繰り返し、自分に言い聞かせていた言葉。
『――置いていかないで』
「うん……。私だけは、私を置いていかないよ」
『――忘れないで、私を』
「うん。絶対に、忘れない」
『――私を、愛して』
「愛しているよ」
『――独りは、恐い』
「私がいるよ。最期まで、ずっと一緒だ」
『――幸せに、なりたかった……』
「幸せに出来なくて、ごめんね……」
『――死にたく、なかった……』
「守れなくて、ごめんね……」
『――もう、消えてしまいたかった……』
「でも、それは叶わなかった。それさえも、叶えられなかった。ごめんね……」
背中を擦る。
相変わらず、黒沼優美の声色は一定で、感情が窺い知れない。
けれどその心情は、痛い程に知っていた。
黒沼優美は、私の肩に顔を埋めて手に力を込めると、最後にもう一度だけ、同じ願いを口にする。
『置いていかないで……』
感情のない声色で、懇願する様に、縋りつく様に、そう言った。
「……置いていかないよ。絶対に」
小さな手で、彼女の小さな背中を何度も何度も摩りながら、私は悲しみのままに眉を顰めた。
哀れだなぁ……。私も、君も……。
耳元で、『ありがとう』と呟かれた彼女の言葉は、消え入りそうな程に震えていた。
*******
「お、お嬢……?」
突然の破裂音と共に、椅子から地面へと崩れ落ちていくレオの身体。
文字通り、身体だけである。
首から上は何もなく、赤い噴水がどくどくと飛沫を上げながら溢れ出すのみ。
小さな肉片と体液とが、細かな斑点を描いて周囲を彩り、それを満点の星空と月光とが明るく照らし出していた。
「――き、……きゃぁああああああああああ!!!レオ!!レオレオレオッ!!レオぉぉおおお!!!いや、そんな、レオ!!いやぁぁああああああ!!!」
呆けたクロードの声に続き、状況を理解したエルが悲鳴を上げる。
急ぎレオの身体を抱き起しながら、エルは半狂乱になって叫び続けた。
「喚くな、エルフ。坊っちゃんが起きてしまうだろうが」
「……あ、」
フリードは不快だと言わんばかりの表情で、泣き叫ぶエルへと手の平を突き出す。
その動作に、何か嫌な感覚を無意識に感じ取ったクロードが、反射的にエルの前へと飛び出した。
未だ事の状況に理解が追い付いていないクロードだったが、それが返って幸いしたと言えるだろう。頭の中が混乱の渦に飲まれながらも、何とか身体だけは動かすことが出来たのだから。
とはいえ、エルの前に飛び出した事で自身が被った被害を考えると、クロードにとっては不運以外の何ものでもないのかもしれないが。
――フリードの手の平が、ゆっくりと握られていく。
その様は、まるでスローモーションのようにクロードには感じられた。
「がっ、……あ゛、あ゛あ!!!?」
クロードの脇腹が、吹き飛んだ。
何が起きたのか分からないまま、クロードは痛みに悶絶し、呻き声を上げた。
一瞬、横腹が何かに強く握られて圧縮していく様な感覚に襲われたかと思えば、次の瞬間には肉が皮を突き破り、勢いよく弾け飛んでいた。
血液と共に零れ出す、自身のよく知るそれ。
地面に崩れ落ちる様に膝を付き、開いた横腹を咄嗟に押さえた。
既に零れてしまった臓物の重さに引きずられるように、抑え込む指の隙間から、腸がズルズルと垂れていく。
痛い痛い痛い痛い痛い。
想像を絶する痛みに声すらも上げられず、クロードは朦朧とする意識でフリードを見た。
「お、お前、……どう、して、お嬢を……」
「どうして?……はぁ、愚かな。今朝方に出会ったばかりだというのに、まさかもう情でも湧いたのか?坊っちゃんがいる手前、大人しくしていただけだというのに、……頭湧いてんじゃねぇのか貴様。このフリード、仲間になった覚えはありませんが。薄ら寒い質問をしてんじゃねーぞ、雑魚が」
ゴミでも見る様な視線を向けてくるその冷めた瞳に、クロードは漸く、彼が敵であることを理解する。
背後からは、レオを想って叫ばれる悲鳴染みた声。
恐らく、クロードがこんな状態になっている事を、エルは気付いていないだろう。
クロードは荒い呼吸を繰り返しながら、今度はそっと後ろを見た。
――痛みの所為か、耳が遠い。
地面を濡らすが血液が、異様な程に温かく感じる。
身体が震えて止まらないのは、何故だろう――。
「エ、ル……」
「いやぁぁあああああ!!レオ!!私を置いて、逝かないで……!!うわぁぁああああん!!」
哀れな程に自分を見失うエルの姿。
その後ろでは、レオの返り血で濡れたポアが、目を見開かせて固まっていた。
周囲がこうも取り乱していると、逆に冷静になるものだなと、ぼんやりとクロードは思う。
痛くて痛くて仕方が無かった筈なのに、微睡みと共に何故だか感覚が薄れてきて、己の最期を悟った。
クロードは痛む身体を捻って向きを変えると、震える手でエルの髪へと手を伸ばし、倒れ込む様にしてそれを引っ張る。
衝撃で、顔がクロードへと引き寄せられるエル。
眼前に映る赤い瞳の美しさに、エルは一瞬声を止めた。
「――落ち、着いて。エル。……お嬢は、……大、丈夫。……ほら」
「え……?」
クロードが、エルの膝に抱えられたレオの方へと指を差す。
釣られてエルは、濡れた瞳で自身の膝上へと視線を落とした。
「お嬢の、顔、……あるだろ?……はぁ、……生きて、るよ……、お嬢は……」
「顔?顔……。レオの?……レオの、顔。生き、てる?」
先程までなかった筈のレオの顔を呆然と見つめ、ペタペタと確かめる様にして何度も触る。
それから唇を噛み締めて再び涙を溢れさせると、震える身体でレオの頭を抱きしめた。
「馬鹿な……!!確実に潰した筈!!」
見開かれた目で、いつの間にか再生していたレオの顔を凝視しながら、フリードが叫んだ。
周囲に飛び散る頭部らしき部位の数々が、自身の言葉が間違っていない事を物語っている。
「どんな仕組みかは知らないが、次は身体ごと吹き飛ばす……!!」
再び向けられた手の平。
フリードは、レオを抱きしめるエルごと照準に合わせると、一瞬にして魔力を練った。
しかし、横から突如として現れたシロによって、その行動はキャンセルされる。
「――ガウッッ!!!」
「チッ。獣風情が」
フリードは小さく舌を打つと、立てた二本指を流れるような動作で横に一線。まるで羽虫でも払うかのように、余裕の態度で防壁を張ってシロの攻撃を防いだ。
それから淡々とした表情で、今度はシロへと手を翳す。
対して、照準を合わせられない様にと、左右に素早く動く事で回避を図るシロ。
しかし――。
「あまり動くな。――苦しむだけだぞ?」
「ガ!?……グ、ガ、……ア゛ァァアアアア!!!」
脚が縺れ、体勢が崩れる。
そしてそのまま、走っていた勢いに乗って地面を転がった。
シロは激痛に大量の涎を零しながら、自身の身体へと視線を向ける。
……右肩から腹にかけてが抉れたように消滅していた。
「ん?獣にしては変な声だな。まるで人間のような……。ああ、なるほど。貴様は獣人だったか。……まぁ、殺すだけなのでどっちでもいいですがね」
興味なしとでも言う様に、モノクルを軽く押し上げて吐息を吐く。
それから、「ガキを殺し終えたら、楽にしてやるよ」と、嘲笑を込めた言葉を吐き捨てて、再度レオへと手を向けた。
「――許さないわ」
「……何だ、エルフ。貴様も相当死にたいのだな」
再び向き直った方角には、レオを庇う様に立ち塞がるエルの姿が。
その俯かれた表情はどこか虚ろで、不覚にもフリードは、背筋に僅かばかりの寒気を感じてしまった。
エルは、致命傷を負い、既に呼吸が浅くなっているクロードとシロへと視線を向けて、悲しそうに眉を顰めた。
「クロ、シロ……。庇ってくれたのね。……ありがとう。私の所為で、ごめんね。……私が傷付けば、いいのにね。私が死ねば、いいのにね。いつもいつも、みんな私の所為で死んでいく……」
「……ぁ、」
「喋らなくてもいいわ。……大丈夫。あとは、私が何とかするから……」
淀んだ瞳で、にっこり笑うエルの笑顔は、どこか恐怖を感じさせるものだった。
それから力ない足取りで、フリードの方へとゆらゆら歩く。
まるで幽鬼のような、生気のない顔だった。
「そんなに死にたいのなら、まずは貴様から殺してやろう」
フリードは怪訝そうな顔でエルを正面に捉えると、右腕を突き出し、手の平を向ける。
何故だか、エルの纏う空気が、フリードの心をざわつかせた。
「――死ね。……っ、は?」
手の平を握ろうとした刹那、フリードは首を傾げて瞬いた。
状況が、よく分からない。
何だ。何が起こったのか。
自身の腕から溢れ出る、この血飛沫は、何だ。
フリードは眉を顰めながら、血が噴き出すその場所へと手を当てる。
そして、驚愕に目を剥いた。
「う、でが……っ!!?私奴の、腕がっ!!」
フリードの右腕、肘より先が……消えていた。
脂汗の滲む顔で、フリードは事の元凶であろう人物を視界に捉える。
金糸の髪と紫の瞳を持つエルフ。
月の光に照らされたそれは、何とも神秘的で、妖しくも美しい。
明るく、そして仄暗く。
そんな両極端な輝きを放ちながら、エルは妖艶に、小さな笑みを浮かべていた。
次回、エルの本気モード発動。
エルVSフリード。




