マリウス・ドナート。
周囲の空気が凍り付いたように静まり返る中、ジークは1人胸を張って踏ん反り返る。
その様はまるで、大冒険の末に宝物でも見つけてきた冒険家の如く。
「……な、何を、言っているのかな?」
数秒経って漸く、マリウスが震える声ながら口を開いた。
「ああ?一度で聞き取れよ。全く、これだから低能な人間は……。まぁいい。もう一度だけ言ってやろう。――死体だ!!この地下に、人間の死体がゴロゴロのバラバラだ!!色んな術式で、通路やら扉やらが無駄に隠されていたり封じられていたりしていたが、俺様の前では全て無意味よ!!俺様、超・天才だからな!!あははははっ!!」
マリウスの口元が大きく引き攣り、僅かに痙攣を起こす。
それから流れるは、滂沱の汗。
……ジーク。君はもう、黙っていようか。
「ふふ。ジークったら、面白い夢を見たんだね?……すまない、マリウス。子供の妄言だ。間に受けないでくれ」
「……」
……うん。
一応誤魔化してみたけど、やっぱ無理っぽい。
マリウスの動揺がとどまるところを知らない。
貧乏揺すりと共に全身がガクガクと揺れに揺れている。
顔が笑顔なだけに不気味だ。
「……見てしまったのですね」
「ああ!大発見だろう!?」
もう黙ってろや、マジで。
「はぁ……。ならばもう、仕方ありませんね……」
ルイーゼは無表情のまま溜息を零した後、瞳を閉じる。
それから意を決した様に、再び静かに瞼を上げると――、
「……っ!?」
ぞわりと、悪寒。
かと思えば、次に襲ってくるのは痺れる様な緊張感。
部屋中に殺気が満ちていくのを肌で感じた。
そして、その渦の中心となっているルイーゼの瞳の奥で、静かな怒りが蠢いているのを見た。
「何度も、御忠告は申しました。帰るか死ぬか。しかし貴方方は、後者を選んだ。そして大変申し訳ないのですが、もう前者を選び直す事は叶いません」
「帰らなかっただけで、死ぬ方を選んだつもりは無いのだけどね?」
「戯れ言を。貴方方に与えたのは、この二択のみですが」
カツカツと靴音を響かせながら、無表情で、抑揚のない声色で、彼女は殺気を滲ませた言葉を紡ぐ。
ジークにより開け放たれたままだった扉が、後ろ手に閉められた。
少し錆び付いているのか、甲高い金属音が、小さく周囲に響く。
扉が完全に締まり切る音が、余韻として僅かな間を生んだ後、ルイーゼは一度伏せられた瞳を静かに上げた。
「……死ね。死ね死ね死ね。唯々、死ね。……非常に残念です。本当に」
平然とした無の表情で、呪詛の如き言葉を吐くルイーゼ。
いや。呪詛と言うより、宣言と言う方が正しいか。
これから殺すという意志が、「死ね」の言葉にありありと込められていた。
嫌悪でもなく、脅しでもなく、真に言葉通りの意味だけを含んだ「死ね」。
これ程の殺意を向けられた事など、前世含めて初めてだ。
……ああ。
ルイーゼは今、私達の生を否定している。私達の死を望んでいる。
私は今、彼女によって、生きる事を否定されている。死ぬ事を望まれている。
これが、誰かによって、本気で死を望まれるという感覚。
「死ねよ」と刃物を向けられて、本気で生を否定されるという感覚。
それは何とも、……自分の存在が消えていってしまうような、そんな感覚で……。
――ありがとう。
何故だか、そう思った。
そして、この殺意は、とてもとても心地がいい。
だって、余分な感情が一切ない。
殺す事だけを考えて、今、彼女は私達を見ている。
静かで、冷静で、無感情な殺意。
何て、澄んだ殺意だろうか。
愛憎だとか、焦燥感だとか、嗜虐心だとか、享楽だとか、懺悔だとか、悲哀だとか。
そんな下らないもの、どうか殺意に混ぜないで。
殺す相手に、そんなものを向けないでくれ。
感情を含めるという事は、殺す対象の存在を、生を、肯定しているという事。認めているという事。
……そんな野暮な事はやめてくれ。
感情を向けたまま、殺さないでくれ。
感情を向けられたまま、生を肯定されたまま、それでも殺されるだなんて、死んでいくだなんて、……気が狂いそうだ。気が、狂いそうだったよ。……いや。事実、気が狂った。
ああ、重たい重たい重たい。
そんな殺意、反吐が出る。
それに比べて、これはどうだろう。
何て、何て澄み切った、狂気的な程に澄み切った、美しい程に無の殺意。
歪み切った私には、こんな殺意は生み出せない。
転移魔法で召喚した巨大な斧を、無表情で軽々と片手に持ってこちらを見据えるルイーゼ。
そんな彼女を見つめながら、身体はぞくりと震え、見開いた瞳からは涙が滲んで零れ落ちた。
恐怖ではない。感動だ。
私が不死では無くて、転生なんてものも無かったならば、私は喜んで君に殺されていただろう。
だからこそ、それだけに――
「残念だ……」
涙を拭って、呟いた。
現実、私は不死で、転生もある。
ならば、死ねない。死なない。死ぬことが出来ない。
私の意思とは関係なく、私は死ねない。
そして、私の意思を以ってしても、私は死ぬわけにはいかないのだ。
だから、ルイーゼ。
申し訳ないけれど。とても残念ではあるけれど。
死ねない私は、私を殺そうとする君を、殺さなければならない。或いは、見殺しにしなければならない。
私が手を下さずとも、ジークならば余裕で君を殺すだろう。
その様を、私はこの場で見つめるだけ。
能力を使えば、君やジークを無力化し、容易く救う事だって出来るにも拘わらず。
ルイーゼが、斧を構える。
脚を開き、爪先に力を込め、ジーク目掛けて床を蹴る。
あと一瞬きの間に、彼女はジークの頭蓋骨へとその斧を振るうだろう。
そして、ジークに殺されるのだろう。
……さようなら。
「――ッ!!?」
「え……?」
斧が、宙を舞う。驚きに満ちた表情を浮かべる、ルイーゼの手を離れて。
予想外の展開に私の脳内処理は追い付かず、呆けた声が零れた。
「……やめなさい、ルイーゼ。彼らは僕の客人だ」
テーブル越しに、彼の声が聞こえた。
見ると、いつの間にか立ち上がっていたマリウスが、悲しそうに顔を顰めながらルイーゼを見つめていた。
宙を舞っていた斧が、大きな音を立てて床へと落ちる。
それと一緒に、先端が歪に潰れたテーブルナイフが、斧とは少し離れた場所で、小さく音を立てて落下した。
どうやら、ナイフで巨斧を弾き飛ばしたらしい。
……マジか。
「な、ぜ……、何故ですかっ!!?」
斧が弾き飛ばされた事で傾いた体勢を立て直し、ルイーゼが悲鳴染みた声を発する。
表情の変化に乏しかった彼女が見せた、激しい感情。
ルイーゼにも、これ程の感情があったのかと正直驚いた。
「“何故”ではない。主の僕が“やめろ”と言っている。君はそれに黙って従え。そして彼らは、僕の大事な客人だ。無礼は許さない」
鋭い視線をルイーゼへと向けるマリウス。
ルイーゼはわなわなと肩を震わせてその言葉を聞き終えると、奥歯を強く噛み締めて、マリウスを睨み付けた。
「……っ、客人、などと……!!私は、……認めない!!っ、貴方は!貴方様は!!御自分のお立場を分かっておられるのですか!?誰とも知れない旅人を、邸内に入れただけでなく、事もあろうに滞在を許可するなどと!!そして、その結果がこれです!貴方様の所為です!!私は、再三に渡り御進言致しましたよね!?この人物らは、危険だと!!底知れないと!!だから嫌だったのです!!こうなる予感が、したからっ!!!」
声に、言葉に、感情を乗せて、ルイーゼは叫ぶ。
息は乱れ、目尻には涙が溜まっていく。
マリウスはそんな彼女を見つめて、くしゃりと顔を歪ませると、苦し気に瞳を伏せた。
「すまないね、ルイーゼ……。これは、僕の所為だ。誰の所為でもない、僕だけの所為だ。……だから、彼らにだって何ら非はないんだよ、ルイーゼ。唯、見つけてしまっただけ。その事に対して、僕らに逆恨みする権利など有りはしない」
「それ、でも、……私は、私は嫌です。マリウス様……」
崩れ落ちる様に床に膝を落とし、涙をボロボロと零すルイーゼ。
マリウスは困った様な笑みを浮かべながらルイーゼへと近付くと、そっとその肩を抱き寄せた。
「……ありがとう。ごめんね、ルイーゼ。僕の為に怒ってくれて、泣いてくれて、……ありがとう」
「ひっく、……うぐ、うぅ~……。あ、貴方は、優し過ぎるのです……。嵐が近い中、道に迷った旅人が来たら、っく、貴方は絶対に、滞在を許可するでしょう。だから、……ひっく、……嫌だったのです。貴方が気付く前に、追い出したかった。ぐすっ……。だから、パンツまで隠して、時間稼ぎをしたというのに……。出てくるのが早すぎるんですよ……ぐすっ」
「その為だったの!?」
驚愕で目を瞠りつつ、しかしルイーゼを抱く手に力を込めて、マリウスは子供をあやすように彼女の頭を優しく撫でる。
「ごめんね」
「……今年中に毛根が全て死滅すればいいのに」
「今そこ毒吐くところかな!?」
「ふさふさだから!!僕、まだふさふさだから!!」と言うマリウスの叫びを聞きながら、私は白けた瞳で皿に添えられた豆をフォークでつつく。
それから、無気力に豆を口へと運んだ後、再び豆を弄りながらマリウス達へと声を掛けた。
「あのぉ。お楽しみのところ大変申し訳ないのだけれど、……説明して?」
切実に。
*******
「何だ、詰まらん。やらないのか」
不満気にぶつぶつ文句を言いながら、席に着くジーク。
マリウスはそんな彼の様子を苦笑いを浮かべて見届けると、咳払いをして場を仕切り直した。
「――さて。……まずはこの僕、マリウス・ドナートについてお話しさせて頂こう。どうぞ食事をしながら聞いてくれ」
外は、益々の暴風雨。
邸を打ち付ける雨風の音と、周囲を囲む木々の騒めき。それから、時折光っては唸る稲妻と落雷の轟きとが、邸内を揺らしては耳に届く。
食堂の扉の前には、話しが終わるまで退出は許さないといった風に、ルイーゼが鼻先と目を赤くした無表情顔で、凛として立っていた。
マリウスは一度彼女へと視線を送った後、申し訳なさそうな顔で私達へと向き直ると、静々と、けれど真剣な声色で話を始めた。
「このヒリュズバウムが医療大国だという事は、さっきも話したね。その事から推察される通り、この国には様々な医療技術を学び、それを職とする者が多い。つまりは、医師や薬剤師。他にも、医療食の研究をする者や、医療器具なんかを製作する者など、単に医療といっても、その領域は幅広い。……そしてこの僕もまた、その領域に身を置く者の1人……だった」
「あれ。過去形なの?」
私の疑問に、マリウスは自嘲気味に肩を竦める。
「追放されたのさ。これでも医師だったんだが、……解剖学に手を出していた事が、バレてしまった」
「……なるほど」
“解剖学”の言葉で、大方の事情を察した。
この世界では、怪我は魔法で、病気は医療でそれぞれ治す。
そしてこの医療だが、前世とは少々価値観が異なる。
治療の殆どが薬物療法頼りであり、補えない箇所は魔法技術でカバーするといったもの。
要は、手術というものがほぼ無い。
あるのは、義手なんかの接合手術や、止むを得ない緊急事態での、応急処置を目的とした簡易的なものぐらいだ。
兎にも角にも。
これだけの長い文明を刻んでおきながら、未だにその“解剖学”なんかの領域は、禁忌として扱われている。
……まぁ、そうなってしまうのも無理はない。
治癒魔法では補えない程の大怪我や、能力の低いヒーラーが用いるものとして、一応縫合なんかの、怪我の為の治療技術も存在はする。
しかし、高位のヒーラーであれば、そんな技術は全て不要だ。
千切れた手足も、手を翳して詠唱するだけで治せてしまう。
欠損した箇所も、再生魔法で少しずつ再生させる事だって可能だ。
それならば、必然的に人々の思考は“魔法”を極める方へと傾倒していく。
病の治療に於いても同じ事。
この世界の薬には、最早“魔法”と言っても過言ではないものがいくつかある。
一瞬で体力や魔力を回復させ、怪我の治療にもなるポーションなんかが、分かりやすくて良い例だろう。
伝説級の代物ではあるが、死んでさえいなければ、どんな病や怪我も瞬く間に治してしまう薬だって存在するぐらいだ。
ならば、この薬に出来るだけ近いものを作ろうとするのが人間というもの。
分かりやすい完成体があるのなら、それを目指すのが一番の近道だと人は考える。
つまり、魔法があるこの世界の医療には、解剖学はそれ程重要なものではない。
最低限の人間の身体構造を、知識として詰め込む程度。
切開で病を治すなど、以ての外だ。
それを進んで研究しようとする者など、マッドサイエンティストな研究者が主であろう。
そしてその“解剖学”に手を出した彼もまた、そういった烙印を押された者の1人という訳だ。
「医学界は追放されたけど、それなりに功績があったからね。裁かれる際、国外追放だけは免れて、名ばかりとは言え貴族の地位を与えられた。辺境伯として、この地に留まる事が許された。……と言えば聞こえはいいが、正しくは僕が国外に行く事を恐れたが故に、貴族の地位で縛り付け、この辺境の留め置きたかったというのが本音だろう」
「ん?何故そんな面倒な事を?」
「あはは。……自慢じゃないけど、僕ってそれなりに優秀でね。僕の知識が、他国に渡るのが嫌なのさ」
呆れたような顔で緩く首を振り、「くだらないだろう?」と溜息を吐く。
「でも、大賢者であるバルーナ・エスコフィエの名の下に、医療知識の独占って、確か禁じられていたよね?定期的に国の代表となる医師同士が集まって、学会で知識の共有なんかもしている筈だけど……」
「よく知っているね。もちろん、“医療に関する知識”の公開は、ヒリュズバウムも積極的に行っている」
「意味深な言い方だね」
眉尻を下げて困った様に笑うマリウスを一瞥し、昼食の肉にフォークを差し入れて口に運ぶ。
なんちゃって貴族だからか、食事はそれ程豪華でないのが残念だ。
まぁ、不味くはないけれど……。
歯応えのある硬めの肉をもっちゃもっちゃと噛み締めながら、言い淀みを見せるマリウスの次の言葉を待った。
肉を飲み込み終えると同時、彼は窓から荒れる天候を見つめながら、漸く語りを再開する。
――そして私は、その話の内容に、驚愕と困惑とで息を止める事となった。
「……傍から見れば、僕の研究はさぞ悍ましい事だろうね。死体を切り刻み、様々な部位を事細かに調べ上げるのだから。……僕は、人を切り過ぎた。そして、人体についてを知り過ぎた。……不思議だとは思わないかい?人間の身体構造は同じなのに、どうしてこうも能力に差があるのか。異世界では、魔法やスキルなんてものは無いと聞く。そもそも、使えないらしい。では何故、この世界に来た異世界人は、急に魔法が使える様になるのだろう?神の如き特殊スキルが、覚醒するのだろう?……そもそもスキルとは、魔法とは、……一体、何だろうか」




