昔話⑥【破られた沈黙】
時が止まったかのような、毎日同じ日々を繰り返し、繰り返し。
彼らは、穏やかに、愉快に、退屈に、家族と共に過ごし続けていた。
そして今日も、変わらない朝を迎え、1日が始まる。――筈だった。
「……っ!!」
早朝。
空は僅かに白んではいるものの、日はまだ顔さえ覗かせていない程の早過ぎる時間帯。
アルファは異変に逸早く気付き、目を覚ました。
それから直ぐ。魔物対策として城周辺に飛ばしていた蝙蝠が、警戒反応を報せに転移してきた。
幼かった頃には見かけなかった魔物も、時が経った今ではすっかり平原を跋扈するようになった為、居城に近付く魔物を監視する必要があったのだ。
とはいえ、いつもならば城に近付く魔物は、蝙蝠たちが自動的に処理しておいてくれる為、この様な反応を見せる事は珍しい。
(魔物以外の、何かが来たという事か……)
判断を仰ぎに戻ってきたという事は、つまりはそういう事。
人間か、或いは魔族か。
部屋の中をキーキー喚きながら、忙しなく飛び交う蝙蝠を見つめ、アルファは思案気に顔を歪めた。
人間達が近付かぬよう、十数キロにも及ぶ広範囲に蝙蝠を飛ばしているため、白亜の城を一目見ようとやって来る物好きな野次馬に対し、時折蝙蝠が反応を見せる事がある。
大抵は遠目から城を見て、そのまま満足して引き返していく為、アルファもそのほとんどを放置しているのだが、極々稀に、数キロ範囲にまで近づいてくる馬鹿もいる。
その際のみ、蝙蝠が警戒反応を示し、アルファのもとへと戻って来るのだが――。
(……この反応は少々異様だな)
人間程度に、こうも煩く反応するなんて……。
そう怪訝に思いつつも、アルファは寝ぐせの残る髪を掻き上げて、大きく欠伸をする。
(……まぁ、いつものように、蝙蝠で少々驚かせてやれば退散するだろう)
――所詮は雑魚。
何を企もうと、人が出来る事など高が知れている。
アルファは床に脚を下ろすと、眠そうな瞼を擦りながら蝙蝠に向けて腕を突き出した。
その余裕な態度にあるものは、人間への絶対的な軽視。
蝙蝠は、主の動作に口を噤むと、その広げられた手の平の上に着地する。そしてそのまま、アルファの体内へと沈んでいった。
蝙蝠に込めていた魔力が自分の中に戻ってくるのを感じながら、アルファは先程の蝙蝠が見て来た記憶を覗き見る。
そして、――驚愕した。
「……なっ!?」
驚きに目を見開くアルファ。
数秒、思考が停止して、冷や汗が背筋を伝った。
(何だ、この技は……)
思わず、息を呑み込んだ。
脳裏を通して見たもの、それは……。
蝙蝠を次々と、光の球体に閉じ込めていく人間達の姿だった。
「――っ!!?」
不意に現実に引き戻され、蝙蝠が何匹か消滅したのを察した。
今見た記憶の、捕らえられていた蝙蝠たちであろう。
「どういう事だ……。まさか人間共、我等と事を交えるつもりではあるまいな」
蝙蝠を通して視覚をリンクしようと試みるも、侵入者に近付いた途端、突然現れた光の球体に閉じ込められてしまう。
球体の中は、闇を消し飛ばすほどの強い光に満ちていて、視界が眩しさに覆われる。
そして、少しの間の後に闇で出来た蝙蝠の体は崩れ始め、光の中へと消えていった。
先程、自分の身体に戻した蝙蝠の記憶により、侵入者の大方の人数と顔とは見れたが、現在進行形での状況が把握出来ない。
アルファは眉間の皺を濃くすると、大きく舌を鳴らした。
(得体が知れん。侵入者から距離を取らせるか。……遠目からの監視になるが、止むを得まい)
魔物相手と違い、人間相手には危害を加える様な命令は出していない。
その為、蝙蝠たちは監視のみに努めており、一切の攻撃を彼らに仕掛けていない筈。
そして、この蝙蝠たちは吸血鬼の支配下にあるものだと、既に全世界が知っている事――。
つまりは、そういう事だ。
長年の沈黙を破り、先に仕掛けてきたのは彼等……。
いっそ殺してしまおうかと、アルファは苦々し気に爪を噛んだ。
「こちらが大人しくしていれば……。つけ上がるなよ、人間風情が」
アルファは苛立たし気にベッドから立ち上がると、早足に扉へと向かう。
歩を進めながら、身体を闇で覆い、寝間着と私服とを転移で入れ替えての早着替え。
能力に頼ってのこういった怠惰は好むところではなかったが、今回ばかりは仕方ない。
瞳を細め、表情を険しくさせながら、アルファは廊下へと続く部屋の扉を開けた。
美しき白亜に輝く廊下に、硬質な靴音がカツカツと響き渡る。
侵入者の位置は、まだまだ遠い。
――大丈夫。時間なら、まだ余裕がある。
アルファはそう自分に言い聞かせると、大広間への扉を開いた。
一面真っ白な、美しき大広間。
中央を陣取るは、これまた真っ白で大きな長テーブル。
壁際には白く美しい石で作られた暖炉もあるが、今はそこに火の気はない。
テーブル上や広間の隅に活けられた可憐な花々たちが、この白き空間に唯一、彩りを与えていた。
白亜の城――大広間。
夕食の際、カイル以外の家族が一堂に会し、皆で食事を食べる場所。
しかし現在、そこに集うは4人のみ。
そして時刻は、朝日が漸く顔を見せ始めたばかりの、かなりの早朝。
「……まだか」
苛立たし気に脚と腕とを組みながら、アルファは苛立ちを零す。
「ふふふ。焦っても仕方ないわ、アルファお兄さま。それより、紅茶のお代わりはいかが?」
「……ありがとう」
穏やかな声色が、アルファの急いた心を緩ませると共に、広間を包んだ。
原初の吸血鬼が生んだ第三子――長女ディアナはふわりとした笑みを浮かべると、ポットを手に、腰まである長い髪をさらりと揺らして立ち上がる。
「もういいではありませんの。私達だけで先に話を進めてしまいましょう」
「……いや、そういう訳にはいかない。人間を知っているからこそ、奴には俺と一緒に来てもらいたい」
「まぁ!ということは、やはり人間が!敵襲ですの?敵襲ですのね!?お母様以外の事で緊急の事など、それ以外に考えられませんものね!」
「落ち着け」
喜々として目を輝かせるは、第四子――次女のルナ。
ルナはテーブルに手をついて前のめりになると、鼻息荒く声を上げた。
(はぁ……。心配だ)
アルファは新たに注がれた紅茶を口に含みながら、悩まし気に眉を顰めた。
今回アルファが呼んだのは、全員で4人。
次男カイル、長女ディアナ、次女のルナ、そして、三男のヘリオス。
自分含め、上から数えて5人までの兄弟を召集した。
そして、未だにこの場に訪れていない人物は、言わずもがな次男のカイル。
極度の人間恐怖症で引き籠りとはいえ、招集した兄弟の中で唯一人間を知っている彼には、是非とも協力してもらいたいところなのだが……。
緊急時には力を貸してくれるものと信じたいが、……多分に心配である。
そして、目の前でわくわくと胸躍らせている次女のルナ。
彼女は正しく唯我独尊。
幼少時、甘やかしすぎた。主にディアナが。
話を無視して、一人で先走らないかが非常に心配だ。
ルナの厄介なところは、お馬鹿に見えて頭は切れるというところ。
計算をした上で突っ走る為、彼女の暴走を止めるのは不可能といっていい。
最後に、ヘリオス。
こいつは、あれだ。ルナの下僕的立場だ。
初めての弟という事で、ルナが可愛がり倒した。それこそ、トラウマが植え付けられる程に。
今でも耳に残る、ヘリオスの絶叫の数々……。
「……しまった。アロンも呼ぶべきだったか」
ヘリオスの次に生まれた、4男のアロン。
泣き叫ぶ兄へリオスを哀れに思い、ルナに対抗するという強者。
彼がいれば、ヘリオスもあまり萎縮しないで済む。
といっても、アロンがルナに勝った事など一度もないが……。
対面するルナの隣で、悪姉の一挙手一投足にビクビクと肩を揺らすヘリオスを流し見ながら、己の失態に息を呑む。
しかし直ぐに気を取り直すと、「ま、大丈夫か」とクッキーを手に取り口へと放った。
ヘリオスが、恨みがましい視線を向けてくるが、アルファは気にしない。
「――ん?」
少しして、カイルを呼びに行かせていた筈の蝙蝠が、影から飛び出してくる。
しかしカイルは、未だ来ず。
パタパタと目の前へと飛んできた蝙蝠の足には、手紙らしきものが握られていた。
何だろうと首を傾げつつ、それを受け取り、中身を広げるアルファ。
書かれていた文面は、たった一言。
――人間恐い。
大きな舌打ちと共に、紙が握り潰される効果音が広間に響く。
……あいつに少しでも期待した俺が馬鹿だった。
アルファは顔に影を落としながら深い息を吐きだすと、手紙を闇の中へと消滅させる。
毛布に包まったまま、今もぬくぬくと過ごすカイルの姿が容易に想像できてしまう辺り、余計に腹立たしい。
「……まぁいい。何となく予想はしていたからな。それよりも今は時間が惜しい。一度しか言わないから、よく聞いておけ」
「了解ですわ!!」
無邪気な笑みを浮かべながら、ルナは楽しそうに敬礼。
隣でカップに口を付けていたヘリオスの肩が、大きく跳ねた。
と、そこで――、
「――ヘリオス兄さん!!」
「ぶふぉっ!?」
急に自身の影から現れた、四男アロン。
ヘリオスは口に含んだばかりの紅茶を盛大に噴き出すと、椅子ごと後ろへとひっくり返る。
「ああ……!!大丈夫かい、兄さん!!」
「ごほっ、げほ……っ!!……ア、アロン!?」
苦し気に涙を浮かべながら、ヘリオスはアロンを凝視した。
「……アロン。何故お前がここにいる。お前は呼んでいないだろうが」
「何やら胸騒ぎがしたもので。……反応したんだ。僕のヘリオスセンサーが」
アルファの問いに、そう大真面目に答えるアロン。
……キメ顔であった。
まぁ、カイルが来なくなったから数合わせには丁度いいかと、アルファは半目になって紅茶の水面をみつめる。
「まぁ!!大丈夫ですの、ヘリオス!?」
ルナは大変だとばかりに席を立つと、ヘリオスの傍へと駆け寄る。
それから床に膝を付いてヘリオスの頬を両手で包み込むと、心配そうな表情でその顔を覗き込んだ。
「ひぃぃぃいいいいっ!!?」
全身から鳥肌を立たせ、ヘリオスは声にならない悲鳴を上げた。
顔は一瞬で青白いものへと変わり、徐々に白目を剥き始めるその瞳には、もはや生気は無い。
「ちょっと!!その邪悪な手で、僕の兄さんに触らないでくれるかな?穢れるんだけど。僕の兄さんが穢れるんだけどっ!」
「まぁ大変!邪悪な魔の手がヘリオスを!?ああ……!何ということなの!!だからこんなに弱っていたのね……!!」
ルナは悲しみに顔を顰めると、ヘリオスの半身を抱き起し、顔に頬擦りをしながら抱きしめる。
とうとう泡を噴き出して、首を仰け反らせるヘリオス。
「もうやめて差し上げろ……」
流石に哀れに思い、制止の声を掛けるアルファだったが、ヒートアップする彼らの耳には届かない。
「貴様ぁぁぁあああ!!僕の兄さんだぞ!!」
「そうね。あなたのお兄様よね。……さぁ、アロン。あなたもこっちへ来て、どうぞヘリオスを労わってくださいまし……!!」
「どの口が言うんだ!!言われなくても兄さんを介抱するのは、この僕だっっ!!」
カッ!!と目を見開かせ、ルナを見るアロン。
それから、ヘリオスを取り戻すべく床に膝をついて手を伸ばすと、意識のない兄の身体を強引に引き寄せて、その腕で愛おし気に抱き留める。
が、しかし――。
「ああん♡つーかまーえた♡」
「……っ!!?」
ヘリオスを抱きしめるアロンごと、その細い腕で絡み取るルナ。
後ろからの熱い抱擁と共に、すりすりと頬を摺り寄せられ、アロンの脳裏に幼少時のトラウマが蘇った。
――それは、よく晴れた日の昼下がり。
『アロンアロン!!これ、見て下さいまし!』
『……ルナ姉さん』
森の中を駆けてくるルナの姿を、アロンは警戒気味に凝視する。
駆け寄って来たルナは、布の掛かったカゴを満面の笑みでアロンへと突き出した。
怪訝な表情で小首を傾げるアロン。
『……何が入ってるの?』
『これはですね……』
ルナは、ふっふっふ、と怪しく笑うと、『ジャーン☆』と勢いよく布を取る。
『わぁ……!!』
中に入っていたのは、零れんばかりに積まれた木苺の山。
忽ち警戒心は食欲によって塗りつぶされ、アロンの瞳は大いに輝いた。
『こんなにたくさん、どうしたの!?』
一体どこで採ったのだろうと、アロンの頬は興奮に染まる。
『ふふふ、秘密ですわ。よければこれ、差し上げます。ヘリオスと2人、仲良くお食べなさいな』
『え、いいの!?』
敵認定している相手とは言え、子供心に嬉しい誘惑。
まだたくさん採れますから、と微笑むルナの言葉を聞きながら、アロンは素直にそのカゴを受け取った。
『摘みたてが一番美味しいですのよ?1つ、食べてみてくださいな』
『うん!』
ルナの申し出に、アロンは大きく頷く。
真っ赤に熟れた木苺は見るからに美味しそうで、甘い香りが鼻をくすぐった。
アロンは頬を綻ばせながらその一つを手に取ると、あーん、と口まで運ぶ。
――と、その寸前で。
何やら木苺を摘まんだ指先がモゾモゾと、……動いた。木苺が。
『……え』
目を見開かせ、指で摘まんだそれを見る。
真っ赤な木苺の様な身体いっぱいに開かれた大きな目玉と、目が合った。
――ピ、……ピィィィイイヤァァァアアアアアアアア!!!!
赤い身体を震わして、目玉から大きな奇声が響き渡る。
かと思えば、それに共鳴して籠の中の木苺たちも目玉を剥いて奇声を発する。
――ピィィィイイヤァァァアアアアアアアアア!!!
――ピィィィィイイヤァァァアアアアアアアアアアアア!!!
『ぎゃぁぁぁああああああああああ!!』
木苺と共に、悲鳴を上げるアロン。
そして、――パァン!!
指に持った木苺……目玉が、盛大に赤を撒き散らしながら破裂。
からの、――パァン!!パン、パン、パァン!!パンパンパパパン!!パァンッ!!
……カゴの中の目玉たちも、案の定、全てが破裂した。
アロンは驚きのあまり悲鳴を上げる事さえ忘れ、唯々凍り付いたように固まった。
果物が腐ったような、甘ったるい体液を全身に浴びながら。
そして、呆然とするアロンに対し、事の元凶である彼女は微笑みながらこう言うのだ。
『ああん、もう!!可愛いですわねっ!!』
そう言って、アロンを心底愛おしそうに抱きしめて、頬擦りをした。
「ぎぃやぁぁぁあああああああああ!!!」
過去のトラウマと同じく、抱きしめて頬を摺り寄せてくるルナ。
アロンの絶叫が、広間に大きく木霊する。
「――もう何でもいいから。頼むから座ってくれ、お前等……」
3杯目の紅茶を啜りながら、アルファは疲れた顔つきで嘆願した。
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吸血鬼討伐隊『アルテミス』。
異世界人が名付け、異世界人のみで編成された対吸血鬼部隊である。
新月の銀弓を手にした、月と狩猟の女神の名。
なんでも、異世界の吸血鬼は銀の武器が弱点なのだとか。
故に、銀の矢を放つアルテミスの名を、彼らは選んだ。
そして願う。
新月の様に、欠けた月が再び満ちていく事を。この世に希望が満ちていく事を。
――さぁ、行こう。
この日、彼らは立ち上がる。
向かう先は、白亜の城。
化け物の住む、美しき城。
まるで時が止まったかのような、永き時を生き続けてきた化け物達。
安寧に満ちた、穏やかな時を生き続けてきた化け物達。
けれどそれは、少しずつ、少しずつ……。
向かう先は、破滅。
聞こえて来るは、崩れゆく平穏の音。
沈黙は破られて、止まった時は動き出す。
秒針が、ゆっくりと、しかし確実に、その時を刻んでいく。
化け物達は、まだ知らない。
幕は既に、とうの昔から上がり続けていたという事を。
悲劇への終幕まで、あと――。




