背負い続けて。
『ん。出来たぞ』
床に座り、机に両手を付く私の目の前に、乱雑に盛られたそれが置かれた。
何かの野菜を切って炒めただけの、料理と呼ぶにはあまりに拙い代物。
ジャガイモらしき物体が、他の野菜の間からゴロンっと顔を覗かせているが、見るからに火は通っていない。……硬そうである。
私はそれを無言で見つめ、無言でフォークを手に取った。
それから、無表情に、無感情に、それを口へと運んだ。
『……おいしい?』
それを作った人物である幼い少年が、緊張した面持ちで私の顔を覗き込む。
ゴリゴリ。しゃくしゃく。もちゃっもちゃっ。
火の通りが食材によってバラバラなそれは、口の中で様々な食感を生み出していた。
味付けは、塩と醤油と砂糖。
恐らく、その辺にあった調味料を考えなしに使ったものと思われる。
砂糖を入れたのは、幼い私への配慮故か。
私はチラリと少年の顔を一瞥すると、――こくり。
無表情な頷きにも拘わらず、私の反応に少年の顔は綻び出す。
『っ!!……ふふん!そうだろう?だって、俺が作ったんだからな!!』
腕を組み、偉そうな態度で笑みを零す少年。
その指に貼られた何枚もの絆創膏が、彼の奮闘を物語っていた。
私はそれを無言で流し見ながら、次の一口を求めてフォークをぶっ刺す。
けれど、刺した先はほとんど生のジャガイモで。
その硬さ故に刺し損ねたジャガイモが、勢いをつけてフォークから逃げていった。
皿から滑り落ち、机上に落ちる。
『あーもう、何やってんだよ。……ったく、しょうがないなぁ』
少年は私からフォークを奪うと、机上のジャガイモにそっと刺し入れる。
それから、『ほら』と私の口元へとそれを運んだ。拷問だろうか。
無言で口を開け、それを食べる私。
ボリボリと、ジャガイモが口内で音を鳴らす。
『野菜、いっぱい食べろよ』
こくり。
『ちょっとフォーク貸せ。俺も一口、……うん。まぁ、美味しい美味しい。お母さん程じゃないけど、初めてにしては上手いよな?』
……こくり。
『お父さんも、これなら食べてくれるかな』
……。
…………こくり。
『……よし!お母さんが戻ってくるまで、これからはお兄ちゃんが頑張ってやるからな!!』
こくり。
――その後、兄は父にフルボッコにされた。
そしてそれは、兄が家事を失敗する度に、幾度となく繰り返される。
不器用な兄に代わり、早々に私が何とかしなきゃなと、当時3才の私は思考するのであった。
********
「……」
真夜中、ふと目が覚めて周囲を見回す。
両隣にはエルとポア、そして少し離れたところで、寝相で移動したものと思われるジークが転がっていた。
頭の方では、シロが未だ眠りに就いている。
(……ということは、まだ交代の時間じゃないのか)
どうやら、本当に短時間の眠りで目が覚めてしまったらしい。
今頃は、クロが外で見張りをしている事だろう。
就寝時の見張りはクロとシロの交代制だが、その殆どが後半のシロが担っている。
前半のクロの見張り時間は、大体深夜ぐらいまで。
その後の、みんなが起き出す時間まではずっとシロの持ち時間だ。
まぁ、昼間の仕事量的に妥当な割り振りだろう。
因みにエルは、昼間に一番頑張てもらってる事と、一応身体が弱いという設定である為、夜中はしっかり休んでもらっている。
私はのそのそと毛布から出て立ち上がると、竜車の幕を潜って静かに抜け出した。
「――今夜は、満月だね」
開けた場所だからというのもあるが、外へと出ると、月の光がやけに明るかった。
青白くも美しい月光が、周囲の草木を照らし出し、静かで幻想的な風景を作り出していた。
「お嬢……!?」
私の突然の登場に、クロが驚きに瞳を染めた。
サングラスを外して月明かりに照らされたクロの素顔は、息を呑むほどに美しい。
文句なしに美少女である。男だが。
「ふふ。何だか、目が覚めてしまってね。……懐かしい夢を見た」
「夢?」
小首を傾げるクロ。
私は困った様に笑いながら、「昔のね」とだけ答えた。
「火でも熾せばいいのに」
月明かりの下で腰を下ろすクロの隣に座り込み、空を見上げる。
高級宿も良いけれど、この満点の星空が毎晩見られるのなら、野宿も悪くないと思えてくる。
「それだと、火の番までしなくちゃいけなくなる。……それは、眩しいから嫌だ」
「ふふ。そうだったね」
苦々しい顔で眉間を揉み込むクロを横目に、私は苦笑した。
まぁ、この時期は夜でもそれ程冷えないし、クロは夜目も利くから火は必要ないか。
「寝る前に、ホットミルクでも飲むかい?もうすぐ交代だろう?」
「え?……あ、うん!ありがとう、お嬢」
影から魔道具“コンロ”を取り出して、魔力を流しながらレバーを回す。
それにより、魔道具に刻まれた炎の術式が反応し、セットされた魔石を燃料に着火する。
仄暗さの中に、オレンジ色の明かりが小さく広がった。
「――それで?君は一体、何を悩んでいるのかな」
次いで取り出した小鍋でミルクを温めること少し。
やや煮立ち始め、ミルクの表面に浮き出た泡雪を見つめながら、クロに問いかけた。
「え……?」
間抜けな声を零すクロ。
私は横目で彼の顔を流し見ながら、レバーを回して火を止めた。
驚きに染まったクロの顔が、暖かな明かりの消失と共に、再び闇に飲まれていった。
「その顔は、図星って事で良かったのかな?」
「……ど、どうして」
2人分のカップにミルクを注ぎ、ハニートレントの樹液を垂らす。
青白い月明かりにミルクの白が反射して、僅かな光を帯びていた。
「はい、どうぞ」
「ありがとう……」
岩の上に2人腰かけ、ミルクを啜る。
ほぅ……。落ち着く。
満月を見上げながら、熱の籠った吐息を吐きだした。
それから視線を真正面へと下げて、私は微笑を浮かべながら目の前に広がる景色を視界に捉える。
「ふふ。……“どうして”だって?」
周囲を見回す事、数秒。
一旦間を置いた後、私は静かにクロへと向き直った。
「――この状況が、全てを物語っていると思わない?何か深い考え事をしていないと、こうはならないよね?……まぁ、考え事をしていてもこうはならないとは思うけど、そこは君に免じて、1000歩程譲っておいてあげるよ」
一面の雑木林をバックに、私は半目になって微笑んだ。
――あれから何時間も雑木林を彷徨って、結局抜け出せずに今に至る。
せめて道らしき経路を走っていたなら、それを辿って戻れば済む話だったのだが……、何故かクロは、雑草生い茂る獣道を突き進んでいたのだ。
その為、戻る方角どころか、どっちに進めばいいのかさえも分からない。
……でもまぁ正直、私が蝙蝠を飛ばして抜け道を探すか、或いは転移かすれば簡単に脱出は出来るのだが、手を貸すつもりは全く無い。
だって、そっちの方が面白いじゃない?
特に急ぐ必要もないし、ここは是非とも、トラブルに見舞われて四苦八苦する皆の様子を眺めながら、のんびり気ままな旅を楽しんで行きたい。
「……」
「ふふ。別に言いたくなければそれでもいいよ。こんな幼児に話したとところで、気休めにもならないだろうしね」
「そんな、事はないけど……」
カップの中の白い水面を見つめるクロ。
思えばここに来るまでの道中でも、クロが進行経路から大きく逸れる事が度々あった。
クロのお馬鹿さ故かと思ってあまり気にしてなかったが、よくよく考えると異常だ。
そして今回は、今までのそれよりも更に度を越えている。
だって道じゃないもの。道なき道を進んでいたもの。
どんな馬鹿でも普通気付く。
「……」
「……」
2人黙って、ミルクを啜る。
私は月を見つめながら。
クロはカップを見つめながら。
ミルクのまろやかさと蜜の甘さが口内で温かく溶け合って、心がほっと解れていった。
「……お嬢」
「んー?」
呼称を呼ばれ、月を見つめたまま穏やかに返事をする。
それから数秒の間が開いて、クロはやや躊躇いがちに口を開いた。
「俺、……初めて、人を殺した」
「……うん」
――ああ、なるほど。
スファニドの路地裏で起こった、あの一件の事か。
私は、くすりと笑いを零した後、クロを流し見た。
クロは両手でカップを持ちながら俯いて、震える声で話を続ける。
「あ、温かかった……。い、いつも、……つつ、冷たいの、喰ってたから」
「そう」
「ま、魔物も、殺した時温かいけど、な、何か、違う。……人間のは、何か、違った」
「ふふ。……そっか」
「目、目が。目が、合った。殺す時、お、俺を、俺をずっと見てた。死ぬ瞬間まで、ずっと」
「うん」
「お、俺、……死は、美しいって思ってた。お嬢を見ていて、そう思うようになった。……で、でもあれは、美しいって思わなかった。醜いとも、思わなかった、けど……。こ、怖かった。あと何か、悲しかった。それからは、唯々、力が抜けた」
クロの瞳から涙が一滴零れ落ちて、月明かりに輝く。
「……何でだろうって、ずっと、ずっと考えてたんだ。死が美しく見えたのは、やっぱりお嬢が特別だからで。み、醜い俺は、どうしたって、醜い死を貪る事しか出来ないんだって……。こ、これでも、頑張ろうって思ったんだ。お嬢を頼らない様にって。自分で、人間を殺すなり、死体を見つけるなりして、自分の事ぐらい自分で、出来るようになろうって、……頑張ったんだ。……でも、っ、気持ち悪かった……!殺すのも、喰うのも……!!さっきまで生きてて、俺が、殺したんだって思うと、……気持ち悪かった!!吐き気がした!!でも、それを美味いって思って、胃がそれを欲してて、吐き気がするのに喜んで受け入れてる自分の身体が、一番気持ち悪かった……!!俺の身体なのに、手が、口が、止まらなくって、気付けば腕一本、喰い終わってて、……こんな、こんなの俺、違うのに!!」
目元に溜まっていた涙までもが決壊し、止めどない感情の雨が、紡がれた言葉と共に流れていく。
後はもう、クロの嗚咽が聞こえるのみ。
全く君は――、
「――馬鹿だなぁ」
「……っ」
ぼそりと呟かれたその言葉に、クロの肩がびくりと揺れた。
私は冷めた瞳で月を見つめ直すと、淡々とした口調で語り始める。
「まず第一に、君の言ってる事は意味不明だ。死が美しいって?甚だ理解しかねるね。死とは死だ。死以外の何ものでもない。死を美化してしまう感性に関しては分からなくもないが、所詮は傲慢。生きてる側の勝手な解釈に過ぎない。死んだ側からすれば、死は唯の死でしかない。生前の記憶や、後悔や、懺悔や、苦痛や恐怖。あるいは、安息。それらがせめぎ合い、記憶と感情の渦に飲まれる中で、とある沸点の後に意識が途切れて自分が消える。唯、ね、……それだけだよ。美しさだとか、悍ましさだとか、そういう意味付けは全て、生きてる側の都合だよ。別にそれを行うのは勝手だけど、……死んだ側からすれば堪ったものではないだろうね。想像してごらんよ。『君の死は最高に美しかったよ!』とか言われて、死んだ君は嬉しいかい?」
「……」
「クロ。君はね、喰種である以上は人間を食べなければいけない。それには、殺しも避けては通れないだろう。そしてその事は、喰種である君が一番よく分かっている筈だ。……でも君は、優しいからね。喰種だからと割り切れずにいる」
「そ、んな、事は……」
口籠るクロ。
私は溜息交じりに視線を月から外すと、「でもね」と、若干の間を置いた後、言葉を続けた。
「はっきり言って――」
僅かに目を伏せた後、クロへと顔を向ける。
優しく、穏やかな微笑みを浮かべながら。
けれど、そんな表情とは対照的に、口から紡がれるのは厳しい現実。
「――君のは優しさではなく、……唯の甘えだ」
「っ!?」
クロは目を見開いて、私の顔を凝視する。
私は変わらず、笑んだまま。
「君は唯、喰種としての性を、受け入れられないだけ。それはね、クロ。喰種の癖に人間でもあろうとするからだよ。だから、罪悪感を感じる。同族を喰ってる感覚に襲われて、気持ち悪くなる。それでも、喰わなければ君は生きていけないからね。だから君は、死を美化する事で、死は美しいものだと思う事で、罪悪感から逃れようとした。でも、それは叶わなかった。どれだけ思考を歪めようと頑張っても、自分を騙すことが出来なかった。何故ならクロ。君は、優しいから。君は、……狂ってなどいないから」
「……っ、お、れは、…………」
口を噤み、俯くクロを見遣る。
私は笑んだままに岩の上に立ち上がると、クロを悠然と見下ろした。
それから、静かに、穏やかに、囁く様な声色で、言葉を続けた。
「――君は唯、狂気に逃げたかっただけ。狂気の中で、美しい死の幻想に浸りたかっただけ。そうやって君は、罪悪感を感じない狂った自分になりたかった。狂気に狂喜して、現実から逃れたかった。そんな君にとって、私という存在は正に理想だったろう。何の罪悪感もなく魔物を切り刻み、君が人を殺したことに関しても、何ら心が動かない。私は正しく狂っている。……どうだった?私の傍は、さぞ居心地が良かったろう?自分も狂っていると、錯覚する事さえ出来たんじゃないかな?君はよく、自分の事を醜いと言って、私の事を美しいと言うよね。そして、私のような美しい存在になりたいと言う。……でも実際、その言葉には語弊があるよね。正しくは、君は“美しい”存在ではなく、ただ醜さを感じなくなっただけの、感情の麻痺した、壊れた、“狂った”存在になりたかった。……私の様な、ね」
「ち、ちが……」
「違わないだろう?君は、私を慕いながらも見下していた筈だ。そして、安堵していた。喰種の自分以上に凶悪で、狂った存在である私に。だからこそ君は、私を慕う。狂った私は、君程度の狂気も醜悪さも、何とも思わないからね。……ああ、でも、それに対して後ろめたく思う必要は全くないよ?だってそれは、“普通”の事だから。自分の醜さを受け入れてくれる存在を、人は慕わずにはいられない」
クロの頭に手を置いて、優しく撫でる。
慈しむように。宥める様に。
そうしていると、クロが僅かに顔を上げる動作を見せた。
涙でぐしゃぐしゃになった顔が、私へと向けられる。
「お、れは、……もう、要らない……?美しくない俺は、狂っていない俺は、……もう、お嬢といられない……?」
「何故そう思うの?」
「本当は、分かってた……。俺は、甘えてるだけだって。お嬢といれば、狂った自分になれた気がした。罪悪感が、薄れていく気がした。……お嬢と、一緒の存在になりたかった。そうすれば俺は、喰種になりきれる気がした。自分の力で、生きていける様な、強い存在になれる気がした……。でもそれは、“気がする”だけで、俺はいつまで経っても、……弱いままだった。俺は、お嬢と一緒じゃ、なかった……。だから、こんな俺が、これからもお嬢と一緒にいてもいいのかって……」
「そう。……私が同族じゃないと分かって、……それで?……君は一体、どうしたい?」
「……っ、俺はっ、それでもお嬢と一緒にいたい……!!醜くても、普通でも……!!美しくて、狂ったお嬢と、これからも……っ!!」
滂沱の涙を流しながら、嗚咽交じりにクロは叫ぶ。
私は苦笑しながらスーちゃんでクロの顔を拭うと、吐息を零した。
「それなら、勝手にすればいい。元より、勝手についてきたのは君だ。君が、自分の意思で私の許を去るその日まで、私は君を追い出したりなどしないよ。だから、こんな私で良ければ、好きなだけ利用して、好きなだけ傍にいればいい」
「……っ!!ひっく、……お、お嬢~」
「よしよし」
ガシリとしがみ付いてきたので、私もその頭を抱えてやった。
本当、情けない14歳だ。
どいつもこいつもロリコンばっかだな、全く。
「――クロ。改めて、初めての人殺しおめでとう。君は喰種だから、何も間違っちゃいない。けれど、罪悪感を感じる事もまた間違いじゃない。だから、精々忘れるな。現実というものは、逃げれば逃げる程、それだけ利子が重いものとなって返って来る。生きてる以上、決して逃げられはしない。だったらせめて、背負い続けるといい。潰れるまで、背負い続けるといい。潰れたところでどうせ死ぬだけなのだから、恐い事なんてないだろう?死ぬ事よりも恐ろしい事なんて、もっとたくさんあるのだから。それを思えば死ぬ程度、大したことじゃない。だから、生きたいなら、……自分を背負っていけ。地に足付けて、自分を背負い続けていけ」
だって君は、私とは違うから。
生に絶望し、死を渇望する私には、それはもう出来ない事だから。
だから――、
「――ごめんね。君の重荷を、私は一緒に背負う事は出来ないけれど。でも、だからせめて、君が生きやすいように、私を大いに利用して、どうか死ぬまで生きてくれ――」
私にはそれぐらいしか出来ないけれど、それぐらいならいくらでもなってやろう。
君の拠り所ぐらい、安いものだ。
「……お嬢は、やっぱり優しいな」
「ふふ。私がかい?今の言葉に、そんな要素なんてあったかな」
エルといい、この子といい、可笑しな事を言うものだ。
クロは私から離れて微笑むと、「ありがとう」と礼を零す。
どういたしまして?
「俺、頑張るから。逃げないから。自分を背負って、強くなるから。そうやって、生きて生きて、お嬢の傍にずっといるから。優しいお嬢を支えられるように、守れるように、俺、もっともっと頑張るから」
「……そう。……頑張ってね?」
「おう!」
クロは満面の笑みを浮かべると、力強く返事をした。
――もう、本当に本当に、好きにすればいいと思う。
それが君の生き方だと言うのなら、私は黙って守られていてやるよ。君か私が死ぬ、その日まで。
私は小首を傾げながら微笑み返すと、岩に座り直して、生温くなってしまった甘いミルクを飲み干した。
「――あ、それでお嬢」
「んあ?」
ミルクを胃に流し終えたと同時に、クロが再び口を開く。
何だろうと、口まわりに出来た牛乳髭を手で拭いながら、クロを流し見る。
クロはにっこりと笑んだまま、堂々とした口調で用件を告げた。
「もう10日過ぎる頃だし、そろそろトーマスのとこに連れて行って欲しい」
「……ふふ。……了解した」
私は一瞬驚きに目を見開くも、直ぐに微笑み直して、静かにこくりと頷いた。
次回は昔話です。




