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第6話 剣士の借り

 ゴルヴァンは、剣を机の上へ置いた。

 エイルの手が止まった。

 鞘に収まっていた。それでも、机の端から刃一本分の距離を、目で測っていた。


「金の代わりにはならねえが」


 ゴルヴァンは柄から手を離した。


「逃げないって分には、足りるか」


 エイルは、息を吐いた。

 抜くために、置いたのではなかった。


 九月十六日の朝、二人は薬屋の奥にいた。

 店主が、ミュレの了承を取って、今後の調合予定を見せてくれた。

 治療を続ける薬代と、闘技場に残る債務は、別々だった。


「あそこは、殴られたから辞めるって場所じゃない」


 ゴルヴァンが、薬の控えを指で押さえた。


「こっちまで止められたら、出られん」


「薬屋は、闘技場の持ち物ではありません」


 店主が言った。


「ただし、ただで作り続けられるわけでもない。そこを一緒にするな」


 ミュレが頷いた。


「兄さんから受け取るだけじゃなく、私にも残りを教えてください」


 店主は、薬を渡した日と次の日を、小さい紙へ書き写した。

 エイルは、そのやり取りを見ていた。

 ゴルヴァンさえ押さえれば、薬の話も自分の方へ寄せられると思っていた。

 妹は、兄を通さずに話していた。


 組合の試験は、昼に始まった。

 ゴルヴァンを護衛の候補として連れていくと、窓口の女が奥へ呼んだ。

 試験用の部屋に、戸が三枚あった。

 隣り合った枠で、どれも下の蝶番が外してある。


「一つずつでいい。職人が金具を替える間、動かさないで」


「長くは保てません」


「聞いた。それを、実際に見せて」


 エイルは、左端の枠へ指を置いた。

 戸の重さは、上の蝶番と、下の支え木が受けている。自分が全部を持ち上げるわけではない。

 揺れた時に留め具が外れないよう、通る力の幅を狭める。

 職人が古い金具を抜いた。

 一度で終わらなかった。

 エイルは三つ数え、支え木へ荷重を戻した。


「次、行けます」


 待ってもらってから、もう一度張った。

 金具が戻る。

 窓口の女が、紙へ線を引いた。


「ずっと張れるふりをしないなら、この仕事はできる」


 二枚目では、ゴルヴァンに支え木を押さえてもらった。

 腰に剣はない。

 代わりに、鞘ごと壁際へ立てかけてある。

 肩へ手を伸ばされ、エイルは身を避けた。


「汗。目に入るぞ」


 ゴルヴァンは、布を差し出していた。

 エイルはそれを受け取った。


「自分で拭けます」


「そうかよ」


 ゴルヴァンは手を戻し、木の楔を押し込んだ。

 昨日、戸の下で、同じ肩が重さを受けていた。

 こちらへ礼を言う声も、覚えている。

 エイルは、その両方を、これから使うのだった。


 試験を終えると、具体的な仕事を示された。

 王都へ納める運搬箱と、街道倉庫の防護戸。組合が取引先へ紹介し、担当した分だけ報酬を払う。

 最初の八枚分の銀貨を、前払いに出来ると言われた。


「保証人もないから、それ以上は出せない」


 エイルは頷いた。

 ゴルヴァンの解放に足りる額ではなかった。

 そのことも、隠さずに出した。


 債権を持つ男は、翌日の代書屋へ来た。

 一昨日、地下でゴルヴァンを殴っていた二人とは違う。上着に砂も埃も付いていなかった。


「二十四だ」


 男が原簿を開いた。

 銀貨二十四枚。

 ゴルヴァンが、利息の付く日を指摘した。

 代書人が二枚の控えを照らし、今日までの額を確かめる。

 エイルは、組合の預託票を置いた。


「八枚を先に払います。残り十六を、護衛の賃金から返す形に変えたい」


「同じことだろう。剣士がどこへ逃げるか分からん」


 男が票を押し返しかけた。


「残りは、俺が引き受けます」


 エイルは、もう一枚の紙を出した。

 組合の仕事契約だった。

 報酬が入るたび、定めた額を組合が先に返す。その分を含めて、ゴルヴァンの護衛賃金を六か月分前払いしたものとする。

 エイルが仕事をやめても、支払義務は残る。

 代書人が、そこを指した。


「自分が背負う分は、読んだね」


「読みました」


 エイルは答えた。

 助けるために危険を引き受ける姿を、ゴルヴァンが見ている。

 その視線があるから、頷けた。


「六か月も、何をする」


 ゴルヴァンが聞いた。


「俺の護衛。それと、仕事先までの同行です。西へ行きたい」


「南の仕事は」


「ここで残る分を済ませてから出ます。街道の仕事も、受けられると確認しました」


 組合の女が同席し、紹介の範囲を読んだ。

 すべての土地で仕事を保証する紙ではない。

 ゴルヴァンは聞いてから、代書人へ言った。


「こいつが死んだら」


 エイルの肩が、硬くなった。


「債務の扱いを、そこも書いてくれ。誰に言われても、延々と護衛を続ける契約はしない」


「死亡か、仕事が続けられない重傷なら終了。残額の扱いは、この条項にする」


 代書人が説明した。

 エイルは、紙の文字を追った。

 六か月の賃金は、銀貨三十枚だった。

 うち二十四枚が、今回の債務の清算へ回る。残る六枚は、月に一枚ずつ受け取る。

 食事と道中の宿は、エイルが別に用意する。

 ゴルヴァンは、闘技場への借金を賃金で返す。その金を先に払い、残りの支払いを背負うのがエイルだった。

 薬代まで、その一枚で全部済むわけではなかった。途中で追加の仕事を受ける時は、護衛を空けてよい日を前もって決める。

 ゴルヴァンは、そこを読んでから、一度だけ首を傾けた。


「全部、お前の仕事になるつもりはない。俺が別に受けた分まで、預けろとは言うなよ」


「その条件でいいです」


 エイルは答え、代書人が一行を足すのを見た。

 ゴルヴァンは、逃げる方法を聞いている。

 まだ、そう思っていた。

 自分を処分する時の条件を調べているようにも聞こえた。

 紙の上の話だと、何度も、自分へ言った。


「助けられた分は」


 ゴルヴァンが、エイルを見た。


「一昨日のことまで、この中に入ってんのか」


 代書人が、筆を止めた。


「書いてない分は、請求しません」


 エイルは答えた。

 良心的なことを言えたと思った。

 同時に、書いていないから、相手の中で大きくなるのだとも思った。

 ゴルヴァンは、しばらくエイルを見た。

 やがて、署名した。

 紙の下端に、ゴルヴァン・ロウの名が残った。

 あの地下で見た名と、字の形が違った。

 少し若い、力の入った字だった。


 債権者が去ってから、ゴルヴァンは新しい紙を何度も見た。

 闘技場の居住義務が消え、予定した試合へ出る必要もなくなった。


「こんな紙で、出られるんだな」


「借金の分を、これから俺の護衛をして返す。それだけです」


 エイルは言った。

 ゴルヴァンが顔を上げる。


「俺へも、そう言えるならいい」


 口元が、少し緩んだ。

 信用されかけている。

 エイルは、そのことを確かめた。

 今度は、こちらが必要な側だった。


 薬屋へ戻ると、ミュレが待っていた。

 仕事へ行く兄と、今の下宿に残る自分の連絡を、先に決めたがった。

 医師の往診は続く。送金は週ごと。手紙は薬屋へまとめ、受け取ったと返事を出す。

 エイルが薬代を直接払う案を出すと、ミュレは少し考えた。


「兄さんと、私にも控えをください」


「もちろん」


「知らないうちに、誰かに借りていたことにしたくないので」


 エイルは、手に持っていた紙を下げた。

 ゴルヴァンが隣で頷いた。


「頼む。そいつの分は、そいつにも言ってくれ」


 十八日の仕事が済むと、西行きの荷車の席を取った。

 ゴルヴァンが手続きをし、エイルは宿の部屋へ戻った。

 名簿の、ゴルヴァンの欄を開く。

 妹の薬屋。下宿。返済。六か月。

 確かめた情報が、行を埋めていた。

 指で紙を押さえると、初めて、この町へ来た甲斐があったと思えた。

 次は、フィエナ。

 西の修道領へ向かう。


 下の通りで、杖の音がした。

 エイルは窓へ行った。

 テムロではなかった。

 白髪の客が、宿の入口を探していた。

 エイルは窓から離れた。

 施療所へ見舞いに行くつもりだった。明日の出発前なら、まだ間に合う。

 だが、先に、紹介状を取りに行かなければならない。

 荷車へ積む分もある。

 訪ねたら、何を聞かれるだろう。

 いつから、あそこにいたのか。

 エイルは名簿を折った。

 便りなら、後からでも出せる。

 そう決めて、机の上を片づけた。

 ゴルヴァンの契約書は、濡れない袋へ入れた。

 テムロの名は、どの紙にも書かなかった。

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