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第3話 復讐の名簿

 ザディク・アスター、と書いた。

 次に、ゴルヴァン・ロウ。

 フィエナ・セーン。

 最後の名を書こうとして、筆が止まった。

 ヴェラは、ノートでよかっただろうか。

 名を呼べば振り向いた。敵へ向き直る時も、食事の続きを渡す時も、姓を使う必要がなかった。

 十年一緒にいた相手の、正式な姓に迷っていた。

 エイルは、字を一つずつ確かめながら書いた。


 火事から二日たっていた。

 院の物置が、仮の寝室になっていた。昼は荷を出すため、エイルは木箱を裏庭へ運ばされていた。

 軽い箱を一つ動かしただけで、息が切れた。

 煙を吸った胸は、まだ痛んだ。

 箱の上へ紙を広げる。

 四人の名の下には、出会った場所を書いた。

 ゴルヴァンとは、王都の練兵場だった。

 その頃には、妹は、遠い施療院へ移っていた。

 ミュレ、と、別の欄へ書き添えた。

 病気だった。薬が足りず、闘技場で金を稼いでいた時期があった。

 ゴルヴァンがそう話したのは、いつだったろう。

 雪の砦へ向かう途中か。もっと前の、川を越えた夜か。

 場所を思い出せなかった。

 エイルは、その三行を枠で囲んだ。

 自分で見たことと、本人から聞いたことを、同じままにしておくのが嫌だった。


 紙の端には、もっと短い言葉があった。

 殺す。

 目が、何度もそこへ戻った。

 今ならゴルヴァンはまだ、国の英雄ではない。

 フィエナの拘束も、あれほど強くないはずだ。ヴェラの扉だって、十年先の完成した術ではない。

 先に見つけ、背中から刃を入れれば。

 想像した瞬間、椅子へ縛られた腹が縮んだ。

 手が震え、筆から墨が落ちた。

 エイルは、濡れた点を見た。

 剣を持っていない。

 毒の作り方も知らない。

 敵の血を止める術は使ったことがない。傷口へ触れもしないで、体の中を切るようなことは出来ない。

 自分を殺した人間を、弱くなった自分がどう殺すのか。

 そこを飛ばして、紙に書いていた。

 エイルはその言葉に線を引いた。

 やめた、とは書かなかった。


「戸を見てくれ」


 バスロが裏庭へ顔を出した。

 エイルは紙を折り、服の内側へ入れた。

 運ばれてきたのは、炊事場の戸だった。下の端が熱で反り、閉じると敷居に当たる。


「削れば、閉まります」


「削りすぎると、鼠が入る」


 バスロが指で隙間を示した。


「今ある麦を、こいつらにまで食わせる余裕はない」


 エイルは戸を横へ寝かせた。

 枠を取り替える必要はない。反った所を少しだけ落とし、閉めた後の隙間へ細い板を付け足せばいい。

 その板が乾くまで動かないよう、木の継ぎ目へ糸を渡した。

 一度に全部は保てない。

 端の一か所ずつだった。

 エイルが息を整える間、バスロが釘を打った。


「一人じゃ、遅いな」


 思わず言うと、バスロが鼻で笑った。


「二人いるだろうが」


 昼前に、戸は戻った。

 バスロは院の勘定を預かるネスラへ話し、エイルの手に小銭を置いた。


「仕事の分だ。全部、院に寄越すなよ」


 銀貨ではなかった。

 銅貨が数枚。

 それでも、今の自分が自分で稼いだ金だった。

 エイルは受け取った。


「南へ行く便を、知っていますか」


 バスロの顔から、笑いが消えた。


「急に、何だ」


「仕事を、探したい」


「ここにもある」


 エイルは修繕を待つ戸を見た。

 ここに残れば、食べられるだろう。

 魔王を倒す隊と会わずに済むかもしれない。胸へ刃が入る未来から、遠ざかることもできる。

 その代わり、あの四人は、何も知らずに英雄になるのだろうか。

 自分の名のない祝勝堂で。


「探している人がいるんです」


「家族か」


「いえ」


 エイルは、少し笑った。


「一緒に、仕事をする人です」


 南のラグナへ向かう隊商は、翌朝だった。

 宿駅までの道を、バスロが教えた。

 エイルはその足で商人を訪ね、荷車の隅へ乗せてもらえないか聞いた。

 運賃を聞き、手の中の銅貨を数えた。

 片道にも足りなかった。


「荷運びは」


 商人はエイルの腕を見た。


「その手じゃ、麦袋は担げんだろ」


「戸と、荷箱の枠を見られます」


「大工か」


「結界師です」


 言ってから、今の自分が名乗れる職だったか、迷った。

 院では、器用な雑用係としか呼ばれなかった。

 商人は眉を上げた。


「そんなら、箱を閉じたまま、中身を出せるか」


「出来ません」


「じゃあ、何が出来る」


 エイルは、荷車の後ろの戸を指した。


「壊れた留め金を替える間、ここを保てます。一度に長くは、無理ですが」


 商人はしばらく見てから、車の上へ呼んだ。


 試されたのは、空の木箱だった。

 蓋の蝶番が半分外れている。

 バスロとしたのと同じように、継ぎ目を見せてもらう。次に指を置き、蓋が今の位置から動かない条件で糸を張る。

 商人が釘を抜き、留め直した。

 途中で糸が緩み、エイルは支える手を替えた。

 最後は魔法ではなく、自分の指で蓋を持った。


「ずいぶん、小さい結界師だな」


「大きいのが必要なら、他を頼んでください」


 商人が笑った。


「逃げ出さずに、出来んことを言うのはいい。宿駅で直す箱がある。出発まで働け。それで乗る分にしよう」


 エイルは頷いた。

 別に、借りを作らずに生きられると思っていたわけではない。

 ただ、自分の方が、条件を決める側になりたかった。


 出発前夜、紙をもう一度開いた。

 殺す、の下へ、新しい三行を書いた。

 先に見つける。

 先に助ける。

 離れられなくする。

 ゴルヴァンには、薬と借金がある。

 フィエナは、昔の話をほとんどしなかった。修道領で治療をしていたことだけは知っている。まず、そこを探す。

 ヴェラには家族がいたはずだ。手紙を燃やしていた夜、何を読んだか聞けずに終わった。

 分からない所は、次に聞く事柄として書いた。

 彼らが自分を必要とする前に、自分が彼らの必要を知る。

 あの地下では、一人ずつ、止めてもらおうとした。

 今度は、止まらざるを得ない理由を、こちらが持つ。

 エイルは四人の名を、指でなぞった。

 事情を知りたい。

 なぜ、と聞いた時、目を逸らすだけでは済まない場所へ、引きずり出したい。

 そのためなら、彼らを助けられると思った。


 ザディクの名だけ、空欄が多かった。

 今、どこにいるのか。

 自分を殺した時、石を二つ持っていたのはなぜか。

 最後に、何を言おうとしたのか。

 エイルは上着から、ひびのある石を出した。

 火災の夜に拾って以来、光らなかった。痕の熱も戻らない。

 握っただけで、知りたい答えが出る物ではなかった。

 布で包み、名簿とは別の内ポケットへ入れた。

 失くしたくなかった。

 信じているからではない。

 あの夜と今の自分を繋ぐ、手で触れる物は、それだけだった。


 朝、ネスラが包みをくれた。

 硬いパンと、替えの布だった。


「身体が戻るまでは、無茶をしないこと」


 戻る、という言葉に、エイルは顔を上げた。

 ネスラは、煙を吸った胸のことを言っていた。

 当たり前だった。


「便りを書きます」


「ちゃんと、自分のいる所をね」


 エイルは頷いた。

 名前も、場所も、勝手に消されたくなかった。


 荷車は、朝の鐘が鳴る前に出た。

 南街道には、まだ結界灯が残っていた。柱から柱へ、薄い光が繋がっている。

 その内側を、麦を積んだ車が進む。

 外の林では、獣とも鳥ともつかない声がした。

 商人が、次の灯までに留め具を見ろと呼んだ。

 エイルは返事をし、膝をついて箱へ手を伸ばした。

 袖の内側で、紙が肌を擦った。

 まず、ゴルヴァン。

 まだ自分を知らない、あの剣士を。

 助けに行くのだと思うと、ようやく、息がしやすくなった。


 七日目の宿駅で、商人が南の町の試合札を買った。

 明日着けば、まだ間に合うらしい。

 エイルは、刷られた名を端から読んだ。

 ゴルヴァンの名は、大きな字の選手の下にあった。勝った回数も、負けた回数も、小さい数字で並んでいる。

 まだ、勝ち続けている剣士ではなかった。


「知り合いでもいたか」


 商人に聞かれ、エイルは札を返した。


「いえ。強そうだと思って」


「なら、見るだけにしろ。賭ける金が出来たからって、働いた分を全部置いてくるなよ」


 エイルは、自分の薄い財布を触った。

 賭けの勝ち方より先に、剣士を雇う金がないと気づいた。

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