第21話 言えなかった値段
ゴルヴァンは、封を切った側を、エイルへ向けて置いた。
隠して持ち帰った袋から出てきたのは、同じ印のある封筒だった。
エイルは、まだ椅子へ座っていなかった。
「座れよ。逃げる話なら、こんな所でしない」
ゴルヴァンは宿の中庭を見回した。
洗濯物の向こうで、フィエナが水を汲んでいる。ヴェラは工房へ出ていて、今はいなかった。
「ここでいいか。聞かれて困るなら、部屋へ行く」
「ここで、いいです」
エイルは答えた。
三月八日の朝だった。
ゴルヴァンは、まず日付を書いた。
三月五日。施療所の応接室。
会った相手は、大祭司府の助成係を名乗るラディムという男。
薬の優先供給と、将来の登用の話をされた。
「そこまでは、お前も見ただろ」
エイルは頷いた。
聞いた所と、見た所の違いを言わなかった。
「昨日、一度、こっちから返事を送ろうとした。やめた」
ゴルヴァンが言った。
「その前に、見せる」
紙を開くと、候補者の名と、対象者の名が並んでいた。
ゴルヴァン・ロウ。
エイル・クロウ。
行動の報告。研究施設で見聞きしたこと。境界術を使った場所と、その状態。
エイルは、写した行を目で追った。
一昨日、自分が選んで残したのと、同じ文だった。
「定期的に、知らせろと言われた」
ゴルヴァンが、報告の欄を指した。
「お前には、助成の細かい条件まで言わなくていいって」
「それで、何と答えたんですか」
「考える。お前に言った通りだ」
エイルは下端を見た。
承諾の欄は、空白だった。
「こういう仕事は、よくある。荷主が護衛の働きぶりを聞く。人を雇う前に、信用できるか調べる」
ゴルヴァンは言った。
「そういうのと、同じかと思った」
「同じだと?」
「思った。でも、お前の行く所を、お前に言わずに教えろってのは、違う気もした」
彼は、膝へ手を置いた。
剣は、部屋に置いてきていた。
エイルは、そこへ目が行く自分を止められなかった。
「薬は、要るんだ」
ゴルヴァンが言った。
「ミュレが治るなら、受けたくなる。俺が金だけ稼いでも、薬がこっちへ回らなければ、どうにもならん」
エイルは、言い返す言葉を用意していた。
妹のためなら、他人を何にしてもいいのか。
そう問えば、地下室のゴルヴァンへ届く気がした。
目の前の男は、まだ、それをしていなかった。
相談の紙を、自分から出している。
「だから、俺を選んだ?」
エイルの声が、少し掠れた。
「助けた時から、そういう使い方が出来る相手だと?」
ゴルヴァンが眉を寄せた。
「何の話だ」
「……今回、協力すれば、次は、もっと頼まれるかもしれない」
言い直した。
ゴルヴァンは、そこには頷いた。
「そうだな」
「あの男に、殺せと言われたら?」
聞いてしまった。
水桶を置く音が、中庭の向こうでした。
ゴルヴァンは、エイルを見たまま動かなかった。
「今、そう言われたって話は、してない」
「もしもの話です」
「その時も、俺が勝手に決めていい話じゃない。それを、お前は聞きたいのか」
エイルは答えられなかった。
ゴルヴァンが、紙を自分の方へ少し戻した。
「妹のことを出されたら、一人では、断れるか分からない。だから、先に出した」
声を大きくしなかった。
「絶対に揺れないって言ってほしいなら、無理だ。今も、助成は欲しい」
フィエナが、空いた桶を持って近づいた。
「聞こえました。少し、ここにいていいですか」
ゴルヴァンはエイルを見てから、頷いた。
少女は、書かれた薬の欄を読んだ。
「ミュレさんは、どこまで知っていますか」
「同じ紙を、昨夜見せた」
「何と」
「自分の薬のために、黙って人を調べることはしないでほしいって」
ゴルヴァンは、苦い顔をした。
「治療は、受けたいとも言った。俺も、それはやめたくない」
フィエナは少し考えた。
「薬の助けと、誰かに黙って働くことを、別に相談できる所は」
エイルが、そこで顔を上げた。
「オルセナさんに、聞けます」
言ってから、物置の箱を思い出した。
あの写しを出せば、一昨日から知っていたと分かる。
自分も、ゴルヴァンに言わずに調べていたことになる。
もう、そうなっている。
エイルは、椅子から立った。
「出張所へ、行ってきます。今日、話せるか」
ゴルヴァンが、紙を差し出した。
「持ってくか」
「本人がいた方が、いいでしょう」
「そうだな」
彼は紙を戻した。
預けてもいいと思っていたのか。
エイルは、その手の動きを見た。
自分の箱には、同じ紙を、触らせないためにしまってある。
オルセナは、午後に宿へ来た。
ゴルヴァンの名で相談を申し込み、本人から直接話すと伝えたら、短い時間を取ってくれた。
ヴェラも仕事から戻り、聞く許可をゴルヴァンへ取った。
中庭の卓へ、五人が集まった。
洗濯物は、もう取り込まれていた。
オルセナはゴルヴァンの話を聞き、空白の承諾欄を確かめた。
「今は、同意していない。その状態を、まず残しましょう」
エイルは、紙から顔を上げなかった。
「すでに、相手へ渡した物は?」
オルセナが聞いた。
「仕事をしている証明に、護衛の契約を見せた。原本は渡してない。薬の紹介状は、医師から見せた分だけ」
ゴルヴァンは答えた。
エイルは、そこで顔を上げた。
「俺の名と、契約の額も、見せたんですか」
「ああ。そこは、先に聞くべきだった」
ゴルヴァンは否定しなかった。
オルセナは、監視を受けたかという問いと、何を見せたかという問いを、別の行に書いた。
「次に出す物は、名前のある本人とも確認してから。相手から取った控えに、どこまで写されたかも聞きます」
エイルは頷いた。
何もしていなかったのではない。
だが、その一つを、殺すことまで受け入れたという話へ伸ばすことも出来なかった。
ゴルヴァンは、見せた日と、返してもらった時刻を思い出し、書き足していた。
自分に都合の悪い所も、同じ卓へ出していた。
「報告を引き受けるとしても、対象になる人へ何を知らせるか。援助を受ける条件は、どこまでか。次はその場で、別々に聞きます」
オルセナは言った。
「次も、会うんですか」
エイルが聞いた。
「断るにしても、何を断ったかを、はっきりさせたいです。薬の別の申請先も、医師へ照会できます」
ゴルヴァンが、そこでようやく息を吐いた。
「席へ、あなたも来られますか」
「相手が拒むなら、その返事も残します」
オルセナが答えた。
ヴェラは、紙の枝の印を見た。
「同じ印の書類を扱う所が、私たちの申立ても見ている。だからと言って、全部が同じ人の指示とは限らないけど」
エイルが以前、聞きたくなかった言葉だった。
「誰が、何を渡したかは、残した方がいい」
ヴェラが続けた。
ゴルヴァンは頷いた。
誰も、自分を騙した人間へ罪を認めさせる場に、なっていなかった。
オルセナが帰り、フィエナとヴェラが夕食の相談に立つと、ゴルヴァンが椅子を戻した。
「昨日、聞かれた時に、出せばよかったな」
エイルは顔を上げた。
「どうして、出さなかったんですか」
「受けたくなる自分を、先に見られたくなかった」
ゴルヴァンは答えた。
「あと、ちゃんと断るって決めてからなら、格好がつくと思った」
そう言って、肩をすくめた。
エイルは、笑えなかった。
格好がつく前に、出したのだ。
それが、昨日用意したどの続きとも違っていた。
部屋へ戻ってから、エイルは物置の鍵を出した。
箱を開け、隠した写しを読んだ。
ゴルヴァンの名も、薬の条件も、何一つ変わっていない。
空白の欄も、初めからそこにあった。
エイルは、その欄を筆で埋めなかった。
名簿の端へ、日付を書いた。
三月八日。ゴルヴァン、自分から申告。
契約を見せた件は、次の面会で確かめる。そうも書き足した。
それだけを残し、箱の蓋を閉じた。




