第20話 同じ封蝋
蝋の欠けが、同じ所にあった。
エイルは、袋に入った封筒の裏を見ていた。
右下の細い傷。円の中の二本の枝。
昨日、施療所の廊下で見た物だった。
オルセナの机へ届いた照会の束に、その印があった。
三月六日、出張所の閲覧室にはエイル一人で来た。
フィエナは施療所、ヴェラは職人の作業場。ゴルヴァンには、宿で荷の点検を頼んでいた。
昨日、妹の所から戻った後も、ゴルヴァンは封筒を見せなかった。
考えると言っている。
だから、こちらも考えればいい。
エイルは、その理屈で、一人分の椅子へ座った。
閲覧できるのは、調査協力の契約で指定した範囲だけだった。
オルセナは別の照会へ出ていて、係が束を出してくれた。
改竄された移送報告の流れを追うため、大祭司府から届いた説明資料。
その中に、魔法を使う者の調査について、一般の様式と候補者の紹介控えが付いていた。
エイル・クロウ。
自分の名が、あった。
境界術の使用状況と、出入りする研究施設の確認。
協力者の候補欄に、ゴルヴァン・ロウと書かれている。
エイルは、紙を持つ手を止めた。
薬の優先供給、家族の治療援助。
別紙の紹介に基づく、将来の登用。
条件は、対象者の行動について定期的な報告をすること。
使者が何を言ったか、全部聞く必要はなかった。
ここに、書いてある。
エイルは、昨日の半開きの戸を思い出した。
ゴルヴァンが、何をしたらだと聞いた声。
これが、その返事だった。
下端の、本人が承諾したことを記す欄は空白だった。
エイルはそこを見た。
まだ、控えが戻っていないだけかもしれない。
契約を結ばず、口頭で受けることだって出来る。
空いている欄へ、まだ起きていない理由を、いくつも足した。
ゴルヴァンが今日も剣を持って宿へ戻る。
自分は何も知らない顔で、隣へ座る。
そういう場面を、先に潰したかった。
係が、筆と紙を置いた。
「写すなら、番号を省かないでください」
「原本は、ここに残るんですね」
「ええ。必要な部分を示せば、認証した写しも申請できます」
エイルは、自分の筆を取った。
「今日は、手で写します」
誰に何を見せるための紙なのかを、その場で聞かれたくなかった。
名と日付と、蝋の欠けまで描き取った。
正しく残せば、あとで相手に突きつけられる。
そう思うと、筆が速くなった。
宿へ戻ると、ゴルヴァンが木箱を閉めていた。
留め具を替えた箱だった。
「こいつ、明日の分だよな」
エイルは頷いた。
ゴルヴァンが、持つ位置を確かめる。
その手元へ、昨日の封筒はなかった。
「明日は、東の倉庫へ行きます」
エイルは言った。
「朝から、一緒に」
「午前は、妹の薬の説明を聞きに行く約束だ」
「先に、仕事が入っています」
入れたばかりだった。
荷主は、午後でもいいと言っていた。
ゴルヴァンは箱から手を離した。
「半日、替えられないか。俺が夕方の運びを持つ」
「また、あの使者と?」
ゴルヴァンの顔が止まった。
「ミュレと、医師だ」
短い返事だった。
エイルは、右手の中で袋の端を握った。
「なら、戻る時刻を教えてください」
「昼前。昨日の話とは、別だ」
ゴルヴァンは、そこまで言って口を閉じた。
隠す人間は、短くしか答えない。
エイルは、ゴルヴァンが閉じた口を見ていた。
翌朝、ゴルヴァンが出た後、エイルは宿の物置へ紙を隠した。
雨避けの布を積んだ箱の底。
復讐の名簿は、そこへ置かなかった。持ち歩く物と、見つかっても出所の分かる物を分ける。
その作業を終えると、廊下でフィエナに会った。
「肩、まだ痛みますか」
エイルは、そちらへ左手を上げかけた。
十二月の傷は、もう閉じていた。今痛むのは、昨日、箱を持ち上げた時に無理をした所だった。
「少し引き攣れるだけです」
「今度、荷を片側だけで持たないでください。ゴルヴァンさんに言われたんです。代わると言っても、渡さなかったって」
エイルは、階段の方を見た。
ゴルヴァンが、自分の傷を他人へ伝えていた。
それだけのことが、ひどく気に障った。
「自分のことは、分かります」
フィエナが、口を閉じた。
「すみません。あとで、診てもらえますか」
言い直すと、少女は頷いた。
前の人生の彼女へ怒るために、今の彼女の手を遠ざける。
そうすれば、こちらが何をしているかを聞かれずに済む。
エイルは、それ以上話さず部屋へ戻った。
窓から、ゴルヴァンの姿を探した。
もう、通りにいなかった。
エイルは上着を取り、施療所へ向かった。
職人へ金具を届ける道からは、通りを二本外れる。それでも、覗くだけなら間に合うと思った。
受付には、一昨日と違う人がいた。
ゴルヴァンの名を出すと、受付は患者の名を聞き直した。
「妹さんの付き添いですか」
「一緒に、仕事をしている者です。今、こちらへ来ていますか」
「来た人のことを、仕事の相手へは答えません。待ち合わせなら、外で」
言われて、エイルは長椅子を見た。
一昨日、ミュレを座らせた所だった。
自分なら、どの時間に誰が来たか、知ってよいと思っていた。
廊下の奥で、戸が開いた。
知らない老女が出てきた。後ろを、息子らしい男が歩いていた。
二人は薬の袋を確かめ、窓の下へ座った。
エイルは立ったまま待った。
ゴルヴァンを見つければ、約束した所にいたと分かる。
だが、その前後に何をしたかまでは、分からない。
見ていなかった部分を残すのが、嫌だった。
待つほど、その部分が大きくなる。
エイルは受付へ頭を下げ、外へ出た。
金具を届けると、職人は、もう別の仕事を始めていた。
「遅かったな。こっちは明日に回した」
エイルは謝った。
ゴルヴァンを見張るために入れた仕事の準備を、自分が遅らせていた。
取り繕う理由も見つからず、金具を一つずつ箱へ戻した。
帰りには、施療所へ寄らなかった。
昼前に戻ったゴルヴァンへ、エイルは行った場所を聞いた。
医師と話し、薬屋へ寄り、妹を下宿へ送ったという。
エイルは時刻を頭で並べた。
その間に、別の部屋へ行くことも出来る。
「何を疑ってる」
ゴルヴァンが言った。
エイルは、箱の留め具を押した。
「護衛の契約が、どこまでか。確認しているだけです」
期限までは、あと十日だった。
更新の相談をするより先に、相手が自分から離れる道を、全て塞ぎたくなっていた。
「俺がどこで薬を買ったかまで、お前の契約か?」
返事が出来なかった。
ゴルヴァンは、怒鳴らなかった。
箱を自分の方へ引き、重い側を持ち上げた。
「明日、話す。今は、その肩を、ちゃんと見てもらえ」
夕方、倉庫の仕事は終わった。
ゴルヴァンは逃げず、金具を拾い、約束した分まで運んだ。
それを見る度、エイルの中の疑いは、別の形になった。
今ここで働いても、あとで裏切ることは出来る。
前にも、そうだった。
何を見ても、その続きを置けてしまった。
フィエナに肩を診てもらっている間も、物置の箱を思い出した。
見つけた紙を出せば、話は変わる。
だが、先に出したら、相手は言い訳を作るかもしれない。
そう考え、明日まで隠すことにした。
夜、ゴルヴァンが、自分の剣の留め紐を替えていた。
古い紐は切れかけていた。荷を持つ時、鞘が揺れたのは、そのせいだったらしい。
エイルは、それまで、剣をいつでも抜けるようにしているのだと思っていた。
「それ、古い方は」
「捨てる。もう使えん」
ゴルヴァンが机の端へ置いた。
エイルは、自分の思い違いを言わなかった。
布も、紙も、見た物は全部、本当にそこにある。
それへ付け足した考えだけが、自分にしか見えなかった。
エイルは部屋へ戻り、物置の鍵を枕の下へ入れた。




