第18話 調査官との契約
「この一枚は、どこへ行きましたか」
オルセナは、こちらへ顔を向けずに聞いた。
机の上には、受け取った紙の数を記した一覧があった。
四枚と書いた行の下に、三つの番号しかない。
エイルは、欠けた所へ指を置いた。
「それを、調べてほしいんです」
「では、渡した時に何が入っていたか、順に聞きます」
女は筆を持ち、初めてエイルを見た。
王都へ着いたのは、一月十日だった。
肩の傷の経過を見て、年末にトルンを出た。運河の番所へ届けた襲撃の話と、包んだ外套の切れ端を、荷とは別に持っていた。
布は、番所で見た時の印をつけてもらった。
研究区の照会も、セイルの移送の申立ても、土地をまたぐため、王都南部の文書出張所へ回されていた。
ヴェラが、ここへ直接行こうと言った。
「知らない所で話が増えるなら、同じ机で見た方がいい」
エイルは、その提案を受けた。
王都へ戻る理由を自分で作らずに済んだことに、少し安堵していた。
祝勝堂の尖塔が、遠くに見えた。
屋根は、記憶の物より色が薄かった。
十年先の地下室は、まだ同じ使い方をされていないかもしれない。
だが、エイルは通りを一つ変えた。
ゴルヴァンに理由を聞かれ、混んでいるからと答えた。
大通りの方が、明らかに人が少なかった。
ゴルヴァンは、何も言わずついてきた。
オルセナ・フェンは、文書調査官と名乗った。
二十四歳だと後から聞いたが、最初はもっと上だと思った。
机の上の束を、一つずつ別の場所へ置く手に、迷いがなかった。
土地ごとの記録を取り寄せ、違いを調べるのが彼女の仕事だった。誰かを捕らえたり、移送の争いに判決を出したりする役ではない。
エイルが襲撃者の外套を出すと、彼女は布より先に包みを見た。
「どこで、誰が包みましたか」
「現場で、ヴェラが」
「ここが、その時の結び目?」
ヴェラが頷き、番所の確認印を指した。
オルセナは布を広げる前に、その印を書き取った。
その後で、縫い取りを見た。
「官給品らしい、という所までは調べられると思います。着ていた人の名は、これだけでは分かりません」
次が、欠けた紙だった。
東の窓口で、ヴェラが提出した証書の写し。その添付書類が王都で三枚しか受け付けられていない。
送った側の受領控えには四枚。
うち一枚は、弟を帰すと約束した条件を記した物だった。
逃げた時には保証しない。その前に、研究が終われば家族を返すと書いてあった。
片方だけ読めば、研究区が善意で保護していたように見える。
ヴェラが、持参した控えを出した。
「手元に、もう一組残してあります」
「見せてください」
オルセナは二つの番号を照らし、欠けた頁の題を記した。
すぐに、隠蔽だとは言わなかった。
「落としたなら、探す照会を出す。外したなら、誰が外したかを聞く。最初の問いは、同じです」
セイルから届いた紙にも、違いがあった。
フィエナが出した申立てについて、本人が説明を受け、異議を取り下げたと記されていた。
日付は、十月十八日。
エイルは、そこを見た。
その日、手元へ持ち帰ったのは、争っていることを記録した受領札だった。
フィエナは、自分の札を置いた。
「取り下げていません」
オルセナが、紙の下端を見た。
フィエナの署名はない。
代わりに、担当者の確認と、上位機関への報告印があった。
少女が机へ乗り出した。
「私が、もういいと言ったことに、なってるんですか」
「そう読める紙になっています。だから、元の記録と照らします」
オルセナは椅子を引かず、少女が見られる位置へ束を動かした。
エイルは、その下にある書式を見た。
左端に、二重の枠。
起案、確認、証人。
自分の名を書く欄が、その下にある。
机から、地下室の匂いがした。
あるはずがなかった。
乾いた紙と墨の匂いだけの、明るい部屋だった。
それでも、ゴルヴァンとザディクの署名を見た位置まで、目が勝手に動いた。
「この紙、どこが作っているんですか」
エイルは聞いた。
オルセナが書式の端を指す。
「大祭司府の確認様式です。使っている部署はいくつもある。同じ紙だからといって、全部が同じ人の命令で動いたとは限りません」
「サーヴェンの」
名を出すと、オルセナが顔を上げた。
「その人が、ここを変えた証拠が?」
エイルは答えられなかった。
前の人生で、大祭司は、胸の熱を診る医師を紹介した。
地下の祭壇と、この紙の枠が、頭の中で繋がった。
だが、見たのは枠だけだった。
「同じ、書式を見ました」
「どこで」
ヴェラが、隣からエイルを見た。
また、出所を聞かれていた。
「前に、仕事をした所で」
オルセナは、その返事をそのまま書いた。
「今、確かめられますか」
「……難しい」
「では、その分は未確認にします」
筆が、短い線を引いた。
一月の残りは、働きながら返事を待った。
エイルは運搬箱の仕事を受け、ゴルヴァンは短い護送をした。フィエナは出張所の紹介した施療所で手を貸し、ヴェラは試験具の修繕で金を得た。
四人がいつも同じ仕事をするわけではなくなった。
オルセナから呼ばれると、出先から戻って同じ紙を見る。
一通の返事が届く度、知らなかった相手の名が増えた。
何もかも、目の前の四人だけで起きたことではなかった。
外套の照会には、兵の物資を扱う所から返事があった。
同じ織りの布は、複数の部隊へ配られている。古くなった分は、民間へ払い下げてもいた。
「なら、兵だったとも、言い切れないか」
ゴルヴァンが呟いた。
「でも、この布を着ていた人がいたことは、消えません」
オルセナは答えた。
剣の動きを聞かれ、ゴルヴァンは、相手が自分の踏み込みを知っているようだったと言った。
エイルも顔を上げた。
「なのに、途中で足が合わなかった。昔、俺に似た奴とやったことがあるのかもな」
ゴルヴァンは、推測だと付け足した。
エイルは、その言葉を覚えた。
布は出張所の保管庫へ預ける。渡した物の形を図に起こし、印と一緒に受領を取った。
顔の代わりに残った切れ端を、ただの見覚えだけで、誰かの名へ変えることは出来なかった。
二月、セイルの代書人から、作成時の控えが届いた。
取り下げの文はなかった。
その後に移った保管先のどこかで、同じ番号の下に足されている。
オルセナは、届いた日付と、受け取った人を一列にした。
「書き換えられた部分は、ここです」
初めて、そう言った。
エイルは、大祭司府の印を見た。
「これだけやっても、上の人間は知らないで通せるんですか」
「知らないと決まったわけでもない。でも、知っていたと決めるための物は、まだありません」
「嫌いな相手を疑うな、と?」
「あなたが嫌いな人の署名でも、それだけでは犯行の証明にならない、という話です」
オルセナは、改竄された一行へ戻った。
「ここを、誰が足したか。まず、その問いを止めさせないようにします」
三月二日、エイルは調査への協力書へ署名した。
持っている控えと、知っている事実を渡す。原本は勝手に持ち去らず、必要な写しを双方が保つ。
オルセナは、別都市の文書窓口にも認証した写しを送ると言った。
一か所の棚から消えただけで、話を終わらせないためだった。
「調べれば、全部話せると思ってもらっては困ります」
彼女は言った。
「他人の情報もある。逆に、こちらがあなたへ、もっと聞くこともあります」
エイルは頷いた。
自分だけが、聞く側ではいられない。
それでも、同じ書式を使って、自分の名を消した所へ近づける。
そう思うと、筆を持つ指が落ち着いた。
署名を終えると、フィエナが、自分の取り下げではなかった紙を袋へ戻した。
「まだ、嫌だったと言ってて、いいんですね」
「もちろんです」
オルセナが答えた。
エイルは、少女より先に、その言葉を受け取った。
事情の分からないまま、済んだことへ押し込められた声が、自分の中にもあった。
今度は、押し込められた場所まで、こちらから行く。
ゴルヴァンが戸を開け、ヴェラが最後の控えを受け取った。
四人で外へ出た。
祝勝堂の尖塔は、同じ所にあった。
エイルは今日は道を変えず、下の通りを歩いた。




