第15話 なぜそこを知っている
ルカの靴の中には、小さい木の実が入っていた。
フィエナがそれを出すと、少年は慌てて手を伸ばした。
「捨てないで」
「捨てません。足に当たって、痛くなったんですね」
少年が頷いた。
逃げる間、左の踵をつけられなかった理由の一つだった。
木の実は、半分だけ綺麗に磨かれていた。
翌十一月二十六日、五人はトルンの東へ外れた荷主の空き家にいた。
昨夜、運河を渡り、荷主に事情を話してから来た。研究区から弟を出すとは知らせていなかったため、荷主はひどく怒った。
「俺の荷車まで、共犯の道具にされる」
ゴルヴァンが、運搬の報酬をまだ受け取らないと言った。
それで済む話ではなかった。
朝、荷主自身が街の相談窓口へ行き、立会いの職員を呼んだ。
エイルは戸の前で、その人を待った。
ルカを再び渡すつもりはなかったが、刀を持たない職員を魔法で閉め出すわけにもいかなかった。
ヴェラが、脅しの証書を出した。
職員は、原本かと聞いた。
「写し。原本は、研究区」
「同じ内容を、ルカ君は聞いた?」
少年は首を振った。
職員は、知らなかったと書いた。
知っていたことにしてくれた方が、話は早かったかもしれない。
だが、子供の前で、そういう助け方はしなかった。
ルカは、閉じた部屋で暮らしていたこと、手紙を自分で出せなかったことを話した。
夜、咳をすると隣の番に叱られたことも。
ヴェラは、その間、黙っていた。
足裏は赤く腫れていたが、大きく切れてはいなかった。
フィエナは洗い、薬を塗り、包む前に少年へ見せた。
咳も、すぐ治るとは言わなかった。
「眠る所を暖かくして、続くなら、胸を診られる先生へ」
ヴェラは頷いた。
ルカが、掌の木の実を転がす。
「姉さんにも、見せてなかった」
「何?」
「中で、拾った。床の隙間にあって。磨いたら、笛になるかと思って」
ヴェラは受け取り、穴のない丸い面を見た。
「穴が要るね」
「開ける物、なかった」
彼女は、すぐ作るとは言わなかった。
弟へ返してから、職員へ行先の話をした。
母方の親類が、東の小さな町にいた。
ヴェラは、昔の住所を書けた。家が今もあるかは分からなかった。
職員は町の窓口へ先便を出し、受け入れる人の確認を取ると言った。
連れていけば、向こうにも暮らしがある。
今日のうちに送れば安全、という答えにはならなかった。
エイルは、自分たちが泊まる費用を数えた。
足りない分を貸すと言えば、また借りが作れる。
「今夜までは、こちらで持てます」
そう言うと、ヴェラは自分の袋を開けた。
「明日からは、弟の分も私が払う。研究の賃金は、全部を押さえられていたわけじゃない」
銀貨を何枚か出した。
助けてやる場面を、また一つ先に片づけられた。
二十八日、親類から短い返事が来た。
今も住んでいる。二人で来てほしい。寝る場所を用意する。
窓口を通した馬便で、本人が受け入れたことを確かめていた。
ヴェラは、ルカと二人で出ると言った。
途中までは職員の同行する荷便に乗る。
「あなたたちは、仕事を続けて」
エイルが返事をする前に、ゴルヴァンが聞いた。
「戻るのか」
「まだ決めてない。まず、向こうの家を見る」
「そうか。なら、その靴、替えた方がいいな」
ゴルヴァンは少年の靴を指した。
エイルは、それより先の返事を待っていた自分に気づいた。
荷便が出る前、ヴェラがエイルを外へ呼んだ。
板の重ねてある壁際だった。
「通用戸の水抜き」
最初に言ったのは、それだった。
「あの奥を、どうして知ってた?」
エイルは、指の包帯を見た。
灰の下へ手を突っ込んだ所が、まだ滲んでいる。
「戸を修繕したことがあるんです」
「うちの通用戸を?」
「似た、構造の」
「あれ、前の炉を撤去した時に、留め金を動かしてる。今の柄は、外から見えない」
ヴェラの声は、責めてはいなかった。
だから、余計に逃げ道がなかった。
エイルは、燃えた研究区の壁を思い出した。
隣でヴェラが、ここを押すと教えていた。
あれを言えばいい。
だが、言った先には、なぜその未来で一緒にいたかという問いがある。
最後に、誰が戸を閉ざしたかも。
「以前、ここで働いた人に聞きました」
言葉が出た。
ヴェラは、少し待った。
「誰」
「名は、出せません」
エイルは顔を上げた。
そう言っておけば、相手の安全のためだという形になる。
ヴェラがそれを受け取るのを待った。
彼女は、待たなかった。
「その人が、ほかに何を教えたのか、確認したい。弟の部屋を、最初から知っていたかも」
「知りませんでした」
「それを、どう確かめる?」
ルカが、戸の中から呼んだ。
荷便へ乗る時刻だった。
ヴェラは、そちらへ一度返事をしてから、エイルへ戻った。
「助けたことに、礼は言う。あそこに手を入れたのも、あなた」
包帯の指を見た。
「でも、それで、ほかの話まで正しくなるわけじゃない」
エイルの顔が熱くなった。
「俺が、弟さんを売ると?」
「何を知っているか分からない人に、次の行先を決めさせたくない。それだけ」
ヴェラは、紙を一枚出した。
こちらがした仕事と、こちらが言ったことが、短く並んでいた。
通用戸の柄。元職員から聞いたと本人は述べる。氏名不明。確認できず。
エイルは、その行を見た。
「嘘だと、書くんですか」
「確認できないと書く」
彼女が出発してから、空き家は静かになった。
ゴルヴァンは荷主の所へ働きに行き、フィエナは近所の診療を手伝った。
相談窓口からは、研究区で誰に何をしたかも、書いて出すように言われた。
ゴルヴァンは、鍵の男の腕を捻り、倒したことを言った。相手に怪我がなかったかは、自分には分からないとも。
エイルは、戸を開けて逃げた所を書いた。
弟を助けたのだから他は聞くな、という紙には出来なかった。
職員は証書の写しと一緒に送り、あとの照会に答えるための宛先を取った。
誰のしたことも、その日のうちに全部許されたわけではなかった。
エイルは残った木枠を直した。
指を怪我しているので、普段より時間がかかった。
糸を張ると、巻いた布が縁に挟まった。傷を庇ったままでは、力を渡す位置がずれる。
エイルは作業を止め、職人に持ち方を替えてもらった。
「今日は、片側ずつにしてください」
言うと、職人は釘箱を寄せ直した。
小さく直せる仕事まで、十年先の身体を当てにすることは出来なかった。
図を広げると、ヴェラの赤い線と、ゴルヴァンの丸が同じ紙に残っている。
自分だけが、何も知らない少年のふりをしながら、十年先の出来事を握っている。
それで相手を測り、相手には測るなと思っていた。
紙を折り、仕事を続けた。
十二月三日、ヴェラが戻った。
弟は、親類の家へ残った。
職員の受渡し控えと、親類の署名した手紙を持っていた。行先を広く知らせないよう、窓口へは保護の記録として預けたという。
「庭があるの。木の実を拾えるって、喜んでた」
フィエナへ、そう話した。
エイルは、その顔を初めて見たと思った。
五日の朝、四人で、次の仕事を読んだ。
トルン南の運河倉庫で、防護戸の入替えを手伝う。エイルの紹介された仕事で、ヴェラにも術の確認を頼める。
「弟の暮らしを支える仕事は要る。あなたの戸の術も、研究したい。だから、ここでの仕事が終わるまで、共同でやる」
ヴェラは言った。
「全部の話を、今、信じるとは約束しない。作業に関わることは、ほかの三人が同じ図を見られるようにして」
エイルは頷いた。
「その記録も、残しますか」
「残す。私が間違えたら、その行も直せるように」
エイルは、彼女の紙を受け取った。
弟を助けて、ようやく手に入れたのが、疑う権利のある仕事仲間だった。
まだ、この形を、欲しかったものだとは思えなかった。




