第12話 魔法使いの研究室
図の真ん中へ、赤い線を引かれた。
ヴェラは、エイルの返事を待たず、次の線を引いた。
「ここで圧が戻る。こっちの戸を開けたら、向こうを通した物が逆流する」
「戸の順序を変えれば」
「変える人は、どこに立つの?」
エイルは紙を見た。
十年後の彼女が描いた図には、その人の位置まで入っていた。
思い出せなかったのは、そこだった。
東へ旅して、二十四日目。
十一月十二日、三人はトルンの旧魔法研究区へ着いた。
途中、王都の南側を回った。フィエナの申立ての宛先を宿駅ごとに届け、ゴルヴァンは妹の返事を、組合の取次で受け取った。
薬は続いている。それだけを読んで、彼は手紙を畳んだ。
エイルも、自分の名を知る人を探していなかった。
ここには、まだ自分を知らないヴェラがいる。
それを頼りに、門へ向かった。
研究区の塀は、途中から高さが変わっていた。
古い石塀の上へ、あとで柵を継ぎ足したらしい。
表門の受付には、結界具の修繕を請ける職人の列があった。
エイルは組合の紹介状を出し、境界の試作図を見てもらいたいと言った。
ゴルヴァンとフィエナは、門の外で待つ。
中へ通れたのは、エイル一人だった。
受付の男が、腰の物を預かろうとする。
剣は持っていない。小刀と筆入れを渡し、石を包んだ内ポケットへ手を触れられる前に、紙の方を差し出した。
「図はこちらです」
男はそちらを読み、案内係を呼んだ。
外来室は、本棟の一階にあった。
高い窓から囲い庭が見える。その向こうに、低い別棟がある。
壁際には小さい炉と、鉄の筒。
卓の向こうで、ヴェラが袖をまくっていた。
十九歳の手には、もう細かい火傷があった。
頭を上げ、エイルを見る。
「紹介された修繕の人?」
「エイル・クロウです。境界編みを使います」
「ヴェラ・ノート。見せて」
短い名乗りだった。
前の人生と同じ声を期待していたのに、思っていたより若く、尖っていた。
エイルは図を広げた。
見せたのは、二つの通路の開閉を合わせる仕組みだった。
一方で煙を集め、もう一方から外へ出す。人を通す扉と、汚れた空気を出す扉を、同じ条件で繋がない。
ヴェラが昔、焼けた部屋から子供を出す時に使った。
エイルは、その枠を支えた。
自分も出来た仕事だから、描けると思った。
ヴェラは、固定する柱と、切り替える手の位置を問うた。
エイルは最初の問いには答えた。
二つ目で、線が繋がらなかった。
「自分で試した?」
「一つずつなら」
「同時には?」
彼女は、エイルの指を見た。
何を出来るか、そこから測っているようだった。
鉄の筒を、卓の上へ持ってきた。
両端に、掌ほどの蓋がある。
「片方に糸を張って。私が煙を入れる」
エイルは円い縁へ触れた。
筒が冷たかった。
片側を塞ぎ、煙だけが、もう片側へ抜けるようにする。図の通りなら、出来る。
ヴェラが細い管から灰色を流した。
最初は、上手くいった。
反対の蓋を彼女が開いた時、煙が逆へ押された。
エイルの指へ、熱が当たる。
糸を張り直そうとして、力が途切れた。
煙が顔へ来た。
咳き込む前に、ヴェラが管の栓を閉じた。
窓を開け、筒を炉の横へ戻す。
「知っている図と、使える図は違う」
そう言って、赤い線を引いた。
エイルは、袖で目を拭いた。
腹が立った。
失敗したことより、彼女の方が先に止める準備をしていたことへ。
自分が何を試す人間か、短い会話だけで見られていた。
「直せば、使えます」
「直してから持ってきて」
ヴェラは紙を押し返した。
エイルは図を受け取り、折らずに持った。
「手伝えることは」
「今日の外来は、ここまで」
戸が叩かれた。
ヴェラは返事をする前に、卓の上の物を寄せた。
さっきまで、散らばったままで平気だったのに。
入ってきた男は、白い作業着ではなかった。
腰の鍵を鳴らし、戸口に立つ。
「別棟の分。今日は、ここで預かる」
「自分で運ぶ」
「試験の結果が、まだだろう」
男は、ヴェラの横に置かれた包みを指した。
食事だった。
丸いパンの端から、紙が少し覗いている。
ヴェラはその紙を抜いた。
「食事まで、試験待ちにするの?」
「置いていけと言っているだけだ」
男は紙を受け取り、開いて読んだ。
エイルは、窓へ目をやった。
別棟の南側に戸があり、その上に小さい窓がある。
そこへ誰かが近づいたように、影が動いた。
顔は見えない。
鍵を持つ男が、ヴェラの書いた紙を畳んだ。
「これは、あとで渡す」
「それは、薬を飲んだか聞いただけ」
「そう書いてあるな」
ヴェラは、口を閉じた。
エイルは紙へ視線を戻した。
見えた名は、一つだった。
ルカ。
受付へ戻ると、ゴルヴァンが門の内側へ顔を出した。
「目、赤いぞ」
「煙が入りました」
「仕事の方は」
エイルは、赤い線だらけの図を見せた。
ゴルヴァンは吹き出しかけ、エイルの顔を見てやめた。
「今日は駄目か」
「もう一度来ます」
フィエナが、冷やすための布を出した。
エイルは受け取り、すぐ門を振り返った。
ヴェラが、まだ窓際にいた。
こちらを見ているのか、塀の向こうを見ているのか、分からなかった。
次に外来が開いたのは、四日後だった。
その間、エイルは紹介された箱の修繕をした。ヴェラの書き込みを消さず、図を描き直した。
固定する人の立つ場所を、二つ足す。
一人で動かす案をやめるだけで、赤い線の半分は避けられた。
それを持って行くと、ヴェラは、まず指の位置を見た。
「二人目は、用意できるの」
「護衛が一人います。術は使えないけれど、支えることは出来る」
「なら、その人にも見せて」
前とは、少し違う返事だった。
エイルは一度、図を門の外へ持ち出した。
ゴルヴァンは、二つの印の間を指でなぞった。
「俺がここへ立ったら、お前は、こっちから出るんだな」
「切り替えるまで、そこを持ってもらう」
「どれくらい」
エイルは答えようとして、試した時の長さしか知らないと気づいた。
「次は、数えます」
「最初から、そうしてくれ。限界が来たら手を放すぞ」
ゴルヴァンは、紙に自分の立つ所を大きく書き足した。
その丸い印は、ヴェラの細い線と、まるで合わなかった。
エイルは消さずに持ち戻った。
廊下では、食事の台を押す職員が、別棟へ向かっていた。南の戸の手前で止まり、中から受け取る者が出るまで、待っている。
外から鍵を開ける人と、食事を渡す人は別だった。
エイルは、図から顔を上げたまま、その二人を見送った。
面会の札が運ばれてきた。
今度の男は、戸口から告げた。
「今日の結果が通れば、別棟へ十五分」
ヴェラの指が、紙の端を押さえた。
「どの結果」
「ここの切替が出来ると言ったのは、お前だ」
「安全に止められるまで、出来たとは言わない」
「なら、面会も待つ」
男が札を持ち戻ろうとした。
エイルは、ヴェラを見た。
彼女は追いかけず、机へ視線を落とした。
手だけが、強く紙を押さえていた。
「ルカは、あなたの家族ですか」
男が去ってから、エイルは聞いた。
ヴェラが顔を上げた。
「その名を、どこで」
「前に、手紙が見えました」
今度は本当のことを言えた。
彼女は、窓の外を見た。
「弟。十二歳」
「病気で、ここに?」
「私が仕事を終えるまで、預かるんだそうよ」
預かる、という言葉は、窓の向こうで鍵を鳴らした。
エイルは、折り直した図を卓へ置いた。
弱みを見つけたと思った。
同時に、前の人生のヴェラが燃やした手紙を思い出した。
あの夜、弟のことを聞いていたら、彼女は話しただろうか。
「出す方法を、考えられます」
エイルが言うと、ヴェラの目が冷えた。
「先に弟を見つけて、今度はあなたの言うことを聞けと言うなら、帰って」
図の端を、彼女の指が押し戻した。




