第11話 聖女の代金
鍵を返すと、ハーデンは、それを机の引き出しへ入れようとした。
フィエナが手を出した。
男の手には触れず、鍵の下へ、空の紙を置いた。
「受け取ったと、書いてください」
エイルは隣で見ていた。
少女の声は、少し震えていた。
それでも、紙を引かなかった。
十月十二日の午後、セイルの支院には、三人より先に宿駅からの照会が届いていた。
ハーデンは椅子へ座ったまま、フィエナへ戻れと言った。
ゴルヴァンが戸の所に立つと、男は廊下の職員へ声をかけた。
エイルは先に、宿駅で受け取った申立ての控えを出した。
「ここで説明を聞くと、行先を届けています。本人を連れて来たのも、そのためです」
「なら、任せて帰れ」
「それは、本人に聞いてください」
ハーデンはフィエナを見た。
フィエナは、鍵の受取を待っていた。
男は短く何かを書き、紙を渡した。
フィエナはそれを二つに折ってしまった。
薬屋からの請求控えを見せると、ハーデンの指が止まった。
「帳簿の話は、会計係に聞け」
「会計の記録を、見せてください」
「外の者には見せられない」
エイルが、元の荷の控えを重ねる。
同じ番号の薬を、院が使い、患者が払い、さらに引継先にも請求していた。
ハーデンは二枚を重ね直した。
「誤りがあれば、後で直す」
「後で、どこが直ったか、分かる形で」
エイルは言った。
ハーデンが顔を上げた。
そこには、戸口で押し退けた相手をもう一度押せばいい、という顔があった。
今は、机と、申立ての控えが間にある。
支院の会計庫は、廊下の奥にあった。
鉄の帯を巻いた戸だった。鍵穴は低い所に一つ。
閉じる仕組みも、蝶番の位置も見えた。
夜に戻れば、枠へ手が届く。
エイルは、その考えを追いかけた。
必要な帳簿の場所を知らない。開けた先で人が来れば、ゴルヴァンへ剣を使わせることになる。
拾った紙を、相手は盗んだ偽物と言うだろう。
そんな話をしている間に、フィエナは別の紙でまた運ばれる。
戸を開けるだけでは、足りなかった。
「代書人の所へ、行きましょう」
エイルはフィエナへ言った。
ハーデンの手が、机の上で止まった。
本堂前の机には、前と同じ代書人がいた。
荷の受取を記した紙を出すと、男はエイルの顔を思い出した。
「あの時の」
「控えがほしいのは、私です」
フィエナが言った。
自分の名のある行を指す。
「私が運ばれるための紙を、どこまで見せてもらえますか」
代書人は、背後の本堂へ目をやった。
ゴルヴァンは少し離れ、行き来する人の邪魔をしない場所に立っていた。
脅して机を開けさせる形には、出来なかった。
エイルは、宿駅役所の照会番号を見せた。
「見せられないなら、その返事も、一緒に出します」
代書人は紙を読み、ため息をついた。
「名のある本人へ渡す分だけだ。会計庫の中身まで、私が持っているわけじゃない」
引き出しから、薄い束が出てきた。
治癒奉仕の移任。
エイルは最初の表題を読んだ。
次の紙には、移送先が支払う受入金があった。
大部分を支院が受け取り、残りを孤児院の運営費へ振り分ける。
フィエナの名の隣に記された額は、少女が宿駅で受け取った銅貨を、何年積んでも届きそうになかった。
さらに、別の受領予定票があった。
今度の表題は、治癒奉仕料。
「同じ人の分を、二度?」
エイルが聞くと、代書人は首を振った。
「別の費目だ」
「何が違うんですか」
フィエナが聞いた。
男は、最初の紙の小さい字を示した。
離職した場合の違約金。連れ戻す権利。
次の紙の方には、施療に伴う用具や薬の供給とある。
薬代は、薬屋へも患者へも請求していた。
エイルは、宿駅で届いた控えを並べた。
受取番号も、期間も、重なっていた。
移送先から受け取る金と、同じ薬代を重ねて取る金。別の問題だった。
「私の手当ての代金なら、どうして、やめたら連れ戻していいんですか」
フィエナが言った。
代書人は、今度は本堂を見なかった。
自分の机へ視線を落とした。
「これは、私が決めた条文じゃない」
「誰が決めたかも、残してください」
エイルは、束の下端を見た。
起案の欄と、確認の欄。左端に二重の小さい枠がある。
どこかで見た形だと思ったが、代書人が紙を持ち上げ、写しを作る準備に入った。
エイルは、今読んだ額を忘れないよう、別紙へ書いた。
ハーデンが来たのは、写しの墨が乾く前だった。
通りを歩く人の前では、声を荒らげなかった。
「費用の重複なら、訂正して返す」
男はフィエナへ言った。
「お前の取り分も、移った先で調整する予定だった。先走られては、こちらも困る」
「私の取り分?」
「落ち着いて話すために、院へ」
「そのお金は、どこから来ますか」
少女が聞いた。
ハーデンは、ほんの一拍だけ黙った。
「受入先からだ」
「私が行く代わりに払うお金から、私にも渡すんですか」
エイルはフィエナを見た。
その条件なら、旅に出る資金が出来る。
紙の上では、本人へ報酬を渡したことにもなる。
言う前に、少女が首を振った。
「受け取ったら、私も、この紙でよかったと言ったことになりますか」
返事がなかった。
「だったら、受け取りません」
エイルは、彼女が自分の条件を拒んだように感じた。
金を受け取り、自由になり、こちらへ来る。
悪くない順番のはずだった。
フィエナは、代書人へ写しの受領を頼んでいた。
エイルは口を閉じ、墨が乾くのを待った。
街の申立て窓口は、本堂の前から、坂を一つ上った所だった。
ゴルヴァンが先に、支院の職員とは別の窓口だと確かめていた。
三人は十八日まで、何度もそこへ通った。
フィエナの話と、薬屋の請求と、移送の紙を、同じ一枚の主張に潰さずに提出する。
会計庫の帳簿は見られなかった。だが、改めて提出を求める記録を、窓口が起こしてくれた。
帳簿を書き換えるなら、いつ、誰が直したかも出せという照会だった。
受け付ける時、係は、原本と写しを別の包みへ分けた。
フィエナの控えには、代書人の印が少し欠けていた。同じ欠けが、提出する方にもあるかを確かめる。
ゴルヴァンが、その手元を覗いた。
「印なんて、押せば同じだと思ってた」
「同じ物を見たと分かる形に、しておくんです」
係は答えた。
エイルは、欠けた円の位置を覚えた。後から違う紙を見せられても、今日の物と比べられる。
「すぐ全部、決まるわけではありません」
係は言った。
「本人の申立てがあったことと、移送を争っていることは記録します。院が引き取った扱いにはしません」
エイルは、受領番号のある札を持ち帰った。
勝った、と呼ぶには薄い物だった。
それでも、院の戸だけがフィエナの行先を決める状態ではなくなった。
東行きの便を決める前に、エイルはフィエナへ聞いた。
「ここで、返事を待ちますか」
町の薬屋は、働くなら短い期間は置けると言ってくれていた。
選べる道が、本当に一つ増えていた。
フィエナは、窓口へ新しい宛先を届けられるか聞いた。
「俺は東へ行きます。研究区で、仕事を頼みたい人がいる」
「その途中にも、治療を頼む人はいますか」
「いると思います。でも、仕事の契約は別です」
「そうしてください」
フィエナが答えた。
「まず、東まで。そこで続けるかは、その時に話したいです」
エイルは頷いた。
欲しかった返事より、短かった。
だが、今は隣に来ると言っていた。
翌十九日の朝、薬屋へ鍵の返却票と申立ての番号を預けた。
患者の家へは、手当てを引き継いだ人から連絡が行っていた。
ゴルヴァンが荷を上げ、フィエナが自分の薬袋を抱える。
エイルの手元には、同じ番号を持つ写しが二通あった。
一通をフィエナへ渡した。
もう一通を、自分の袋へ入れた。
来た時には、少女を連れ出す道だけを探していた。
出る時には、自分が持っていなくても消えない紙が、後ろへ残っていた。




