第10話 西の修道領
手配の紙には、フィエナの髪の色が書いてあった。
淡い栗色。十五歳。治癒術を使う。
顔の絵はない。それでも、エイルには、そこに立っている少女を指で示されたように見えた。
十月三日の朝、川下の宿駅へ入る門で、ゴルヴァンが先にそれを見つけた。
「読むな。止まると、向こうも見る」
荷を持ち直しながら言った。
エイルは歩いた。フィエナも、その横を歩いた。
紙の下端に、セイルの支院印があった。
無断で預かりの少女を連れ出した二名。金銭を得るため治癒術を使わせるおそれあり。
エイルの名も、その下にあった。
宿駅の役所は、橋のたもとにあった。
逃げるだけでは窓口へ話す約束が果たせない。エイルはフィエナに紙を見せてから、昼前に自分で出向いた。
ゴルヴァンは外で荷を持ち、入口が見える所に立った。
「連れ出されたんじゃ、ありません」
フィエナが言った。
窓口の男は、彼女から荷の控えへ視線を移した。
「院へ照会する。返事があるまでは、ここにいることを知らせなければならない」
「連れ戻すんですか」
「今、私がそう決めたわけではない」
男は、机の向こうの待合席を示した。
エイルは戸枠を見た。ここで逃げれば、書かれたことの続きを自分で作ることになる。
「本人が嫌だと言っても、その場で渡すんですか」
「院の使いに、ここから勝手に引いていかせることはしない。だから、話を残すんだ」
男は言った。
守るという約束は、そこまでだった。
手配の紙そのものを取り消す権限は、ここの小さな机にはなかった。
エイルは、役所の印と、支院の印の形が違うことを見た。
ここは、院の命令をそのまま実行する窓口ではない。本人の話を別に残し、引き渡してよいかを確かめる場所だった。
「照会の内容を、こちらにも残してください」
「それなら、話したことを紙にして出して」
フィエナは自分で筆を持った。
エイルが代わりに書けば早かった。だが、最初の一字を書くまで、口を出さなかった。
午後、窓口で、小さな宿を教えられた。
役所とは別の仕事で、裏庭に薬草を干す棚がある。女主人はハンナと名乗った。
「泊めるけど、裏から逃げたことにしないでよ。役所に聞かれたら、聞かれた通りに言うからね」
エイルは頷いた。
木戸の外には、荷車道があった。その先は川沿いを西へ戻り、セイルへ続く。
正面は宿駅の大通り。橋を渡れば、東の街道へ出る。
隠れ住める場所ではない。
返事を待ちながら食べるには、働く必要があった。
ゴルヴァンは護送に一日だけ付いた。
翌朝には戻る約束で、荷主に行先を確かめ、エイルへ伝えてから出た。
エイルは宿の荷箱の留め具を直した。組合を通す仕事は、完了票の戻る日まで金にならない。宿の仕事は、その日の食事になった。
フィエナは、棚の布を畳んでいた。
そこへ、荷台から降りた男が、裂けた掌を押さえて来た。
「ここの薬をくれって、向こうで」
ハンナが洗い場へ通す。
フィエナは布を置き、男の腕を見た。
「洗う水を、もう一杯ください」
エイルが動くより先に言った。
男は手を引きかけたが、ハンナが頷いたのを見て、腰を下ろした。
傷の中に、木の欠片があった。
フィエナは手を洗い、男へ見えるよう道具を置いた。魔法をかける前に、そこを取らなければならないらしい。
「閉じるだけなら、すぐ出来るんじゃないのか」
男が言う。
「中に残したままだと、後で痛みます。先に見ます」
少女は、針の先を灯りにかざした。
エイルは男の肩越しに、その指を見た。
自分にかけた術の手順を、よく見たことがなかった。傷が塞がり、動けるようになる。それを受け取り、次へ行っていた。
今は、男が息を詰める度、彼女の手も止まった。
欠片が布へ落ちた。
「ここから、温かくなります」
フィエナが告げた。
光は掌の傷へ集まった。男の肘や手首は、自由に動いていた。
「誰に払えばいい?」
終わってから、男が財布を出した。
フィエナは、すぐにハンナを見た。
院で診ていた時は、自分で受け取らなかったのだろう。
「薬と布は私の店。その手当ては、この子に聞いて」
ハンナが言った。
「院へ、納める分は」
フィエナが言いかけ、止めた。
男の財布を見たまま、困っていた。
エイルが金額を決めることは出来た。旅費から薬を買い、その分を差し引けば、綺麗に収まる。
そうすれば、仕事の窓口も自分になる。
「相場を、ハンナさんに聞いては」
エイルは、そちらだけを言った。
フィエナは頷き、少し相談してから銅貨を受け取った。
受け取る指より、渡す男の方が落ち着いていた。
三日後には、裏庭へ四人が待っていた。
荷を運んで肩を痛めた女。足の皮を剥いた子供。昔の怪我の痛みを相談する老人。
すぐ治せる人と、ここでは分からない人を、フィエナは分けた。
魔法の光を見せれば、皆が安心するわけではなかった。
「お金を払えば、明日も診てもらえるんだね」
老人に聞かれ、フィエナは答えに詰まった。
エイルは、正面の通りを見た。
待つ人の一人が、門の紙を見に行った。
戻ってきて、少女の髪を見た。
声はかけなかったが、椅子へ座り直す時、隣の人へ何かを言った。
エイルは、ハンナの所へ行った。
「治療を、減らせませんか」
「私に言って、あの子を止めさせるの?」
エイルは口を閉じた。
「人が増えています」
「増えてるね。診ない方がいい人まで来てる。そこは話そう。隠すために患者を追い払う相談なら、別だよ」
夜、ゴルヴァンが薬代の送付票を折っていた。
「手配の紙、消えねえな」
「院の返事が、まだです」
「来てから考えるより、来る前に考えとけよ」
エイルは、役所の照会控えを広げた。
自分たちがここにいることは、もう知られている。
窓口へ出向いたのは間違いだったか。
そう思うと、フィエナが隣へ来た。
「私の書いた分、院にも届くんですよね」
「照会と一緒に」
「だったら、よかったです。いない所で、嫌だと言ったことまでなくなるのは、嫌なので」
エイルは紙を見た。
不揃いな文字で、本人の名前が書かれていた。
これを出さずに連れ回していたら、どうなったか。
考えきる前に、ゴルヴァンが椀を置いた。
「それはいい。で、来られた時に、どっちへ出る」
十月十一日、荷の便で封書が届いた。
セイルの薬屋からだった。
先日預かった老人の包帯代を、孤児院から請求されたという。患者の家でも同じ代を払った。二度取るつもりかと、元の領収を添えてあった。
送り先は、三人の宿泊を照会した宿駅役所だった。
そこから、エイルたちへ回された。
包帯を使ったのは自分だと、フィエナが言った。
「でも、この日、院でお金を受け取ったとは聞いていません」
エイルは、荷の控えと請求の右肩を照らした。
同じ番号があった。
その夕方、院の使いが宿駅へ着いた。
ハンナが窓から見つけた。役所へ入った男は、二人の付き添いを連れていた。
裏庭には、まだ、最後の患者がいた。
鍛冶屋で指を挟んだ女だった。
「先に出るぞ」
ゴルヴァンが荷を持った。
エイルは、フィエナを見た。
「あと、どれくらい」
「布を留めるまで。歩いても、ほどけないようにします」
女が、自分の手を引こうとした。
「もういいよ。あんたら」
「動かすと、痛いです」
フィエナの声は小さかったが、はっきりしていた。
エイルは荷を下ろした。
戸の外へ出て、こちらへ来る人がいないか見る。
指の包帯が終わると、女は正面から帰った。
道を聞かれても知らないと言え、とは頼まなかった。
三人は裏木戸へ回った。
エイルはハンナへ、セイルの会計書類を扱う支院へ向かうと告げた。役所にも、同じ行先を書いた紙を渡してもらう。
「逃げた先が、戻る方か」
ゴルヴァンが言った。
「紙の元は、あそこです」
エイルは、二重に請求された包帯の控えを胸へ入れた。
最初に少女を連れ出した時より、荷物は少し増えた。
今度はそれを持って、相手の机へ行くつもりだった。




