第8話
「あっちぃなぁ……」
「……無駄口を叩くな。副指令に聞こえたらどやされるぞ」
燃え盛る山を麓側から見上げドルネシア軍の兵士が汗を拭って愚痴を漏らす。
同僚がそれを注意するが兵士はそれを鼻で嗤った。
「ハッ。デカい焚火が五月蠅くて聞こえやしねぇよ。あの野郎、俺らに火の番させて自分は涼しい場所で呑気に見物しやがって。文句があるならここまで来てみろってんだ」
「……お前、聞こえてたら本当にタダじゃ済まんぞ」
「その時は熱さで狂ったフリして誤魔化すさ」
兵士は肩を竦めて同僚から燃える山へと視線を戻す。
上官からは逃げてくる者がいないか見張っていろとは言われたが、彼はこの炎の中を突っ切ってくる者など本当にいるのか懐疑的だった。理屈ではこのルートが一番生存率が高いとは言え、普通の人間はまず炎から逃げるよう山の上へと逃げるだろう。
──ガサガサッ!
「!」
茂みの一角が音を立てて揺れ、兵士たちは即座に弓を構える。そして茂みからソレが飛び出してくると同時に矢を放っていた。
──ヒュン、ヒュン!!
『ピィィィ──ギッ!?』
矢に射抜かれ、ドサリと音を立ててその生き物は地面に倒れた。
「……何だ鹿か。紛らわしい」
飛び出してきたモノの正体は炎に巻かれて逃げてきた鹿だった。
「ビビらせやがって。敵かと思ったじゃねぇか」
「気を抜いてるからだ阿呆」
「うっせ。この状況で四六時中気ぃ張ってる方が危ねぇっての」
兵士たちは軽口を叩き再び警戒に戻る。
そんなドルネシア軍の様子を気配を消して見つめる影が一つ──ジンだ。
──あいつら、人か獣か確認する前に撃ちやがった。結局あの女が正しかったってことか……
一人火事を掻い潜って山を下りドルネシア軍を発見したジンは、ドルネシア軍が標的を区別するつもりがないことを理解して怒りに顔を歪めた。
ジンたちルマーンの民はマケドニアに侵略を受けた被害者だ。村人たちはやむを得ずマケドニアに協力することを決めたが、それだって決して望んでのことではない。だがドルネシア軍は標的がルマーンの民でないことを確認しようともせず矢を放った。
結局、彼らにとってルマーンの民の生き死になどどうでもよいのだ。
せいぜい邪魔だからマケドニア軍と一緒に排除しておこうとか、その程度のもの。
──連中にとっちゃ俺たちは獣と同じ、か……
言い得て妙だと思った。
ジンは狩人だ。獲物を狩る際に一々同情や罪悪感など抱いていられない。
生きていくためだとか、命を頂くことへの感謝なんて戯言は殺される側には関係ない。ただ自分たちの都合で、勝手な理屈と正義を掲げて命を奪うのだ。
ドルネシア軍のやっていることもそれと同じだと思えば、それ以上腹も立たなかった。奴らはただ、自分たちを人ではない、殺してもよい存在にカテゴライズしているだけ。
「……よく分かった。お前らが俺たちを人間と認めないなら、畜生の流儀で相手をしてやるよ」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
──特に何か仕掛けてくる気配もなければ火勢が衰えた様子もない。奴らが山頂方面に逃げていれば既に煙に巻かれているだろう。
ドルネシア軍別働隊の指揮官ワーレンは落胆と感嘆ともつかない複雑な感情を抱きながら燃え盛る山を眺めていた。
ワーレンたちがこの地にやってきたのは上官であるトゥール伯の指示によるものだ。
平地での幾度かの軍事的衝突を経て、両軍の戦いは膠着状態に陥っていた。戦う前は「マケドニアの弱兵など何するものぞ」と馬鹿にしていたが、実際のところ敵の練度は自分たちドルネシアの騎兵隊には及ばぬにせよ、中々のものだった。特に騎兵の機動力と銃士の火力とを組み合わせた竜騎兵にはワーレンも手を焼かされ、『侵略皇女』の異名も伊達ではないと気を引き締めていた。
しかし騎兵同士、平地でのぶつかり合いではドルネシア側に明らかに分がある。マケドニア軍も粘ってはいたが、このまま行けば問題なく撃退できるだろうとワーレンが考えていた折、トゥール伯は彼にこう告げた。
『敵の動きが想定より鈍い。敵は別働隊を動かし、ルマーン側から攻めてくる可能性がある』
それを聞いた時、ワーレンは半信半疑──いや、ハッキリと懐疑的だった。
確かに山を利用すればこちらの機動力を削ぐことは出来るかもしれないが、敵の強みである竜騎兵の機動力も死ぬことになる。平地での戦いで手を尽くした後ならともかく、このタイミングで政治的なリスクを負ってまでルマーンに侵攻するだろうか、と。
『敵は決して金にあかせて騎馬と銃を揃えただけの凡将ではないよ。軍の動き一つ一つに明確な意図が感じられる。そんな相手が結果の見えた凡戦を繰り返すとすれば、そこには必ず裏がある。緩急をつけてこちらの油断を誘っているか、あるいは本隊を囮に別働隊を動かしているかだ』
トゥール伯は会ったこともない敵将を高く評価し、その推測にかなりの自信を持っているように見えた。
『考えすぎかもしれないが、敵を低く見積もって失敗するよりはいい。ワーレン、卿は別働隊を率いてルマーン側の警戒に当たってくれ』
上官にそうとまで言われればワーレンも拒むことは出来ない。
『万一、敵が先にルマーンに侵入した形跡があった場合、ルマーンがマケドニアと手を組んだ可能性がある。その時は無理に戦おうとせず山ごと燃やして帰っておいで』
『……よろしいので?』
『問題ないさ。あまり平和が続くと勘違いする輩が出てくるかもしれないからね。蛮族共に立場を思い出させるいい機会だ』
『…………』
そして実際に事態はトゥール伯の予想した通りに進み、ワーレンは山に火をつけた。
──恐ろしい方だ。
敵でなくて良かったと心から安堵する。敵将が決して凡庸とは思わない。だがトゥール伯の前ではどんな策略も意味があるとは思えなかった。
事実、マケドニア軍の命運はこの炎に包まれもはや──
──ヒュン!
「…………?」
──ドサッ
ワーレンの腰が砕け地面に尻もちをつく。完全な意識の外から飛んできたためだろうか。ワーレンは倒れて、実際にそれが自分の右太腿を貫いている光景を見るまで、自分が矢で射抜かれたことに気づけなかった。
「──ぐ、ぐぅぅぅぅっ!!?」
「ワーレン閣下!?」
悲鳴に一瞬遅れて、周囲の兵たちもワーレンが攻撃されたことに気づく。
慌てて駆け寄ってくる部下たちを左手を挙げて制し、ワーレンは鋭く叫んだ。
「私のことはいい!! それより敵だ!! 警戒──いや、発見次第各兵長の判断で応戦せよ!!」
『!』
部下たちの意識が切り替わったのが表情で分かった。
彼らは口々に「敵襲!」と叫んで事態に気づいていない者たちに警戒を促していく。
──これでいい……っ!
ワーレンは一先ず最悪の事態は避けられたことに安堵し、太腿から矢を抜き布できつく縛って血を止める。
──敵の狙いは恐らく指揮官である私を狙撃で仕留め、兵たちを混乱させることだろう。だが最低限の指示は出した。この後私が狙撃手に殺されたとしても混乱は最小限に抑えられる。周囲はこの山火事だ。敵の数は決して多くあるまい。各自が落ち着いて対処すれば私が指揮を執れずとも退けることは難しくない。
ワーレンはそう判断し、実際に部下たちは彼の意図を正確に汲み取って秩序を維持したまま周囲を警戒し、迎撃態勢を取る。しかし──
「ぐぁっ!?」
「隊長!?」
敵を発見することは出来ず、断続的に飛んでくる矢によって兵士たちは次々と倒れていく。一体どこから──?
「落ち着けっ! 背中合わせになって互いを──ぐぅっ!?」
「先輩!? ちくしょう、どこにいやがるっ! 出て来い、卑怯者!!」
兵士たちは必死に狙撃手を探しているが、燃え盛る木々の音と熱風とが余計に気配を分かりづらくしていて、どこから矢が飛んできているのかさえ判然としない。兵士たちは急所を護り即死を避けるだけで精一杯だった。
──待て。急所だと……?
そこでワーレンははたとある事実に気づく。先ほどから一方的に狙撃されているのに、味方にはまだ一人の死者も出ていない。敵の矢は一射も外れることなく命中している。にも関わらず全員が──
──まさか、ワザとなのか? 敵はワザと私たちを殺さず足を奪っている……?
戦場では狙撃手がわざと敵を殺さず、動けなくして他の敵を誘き寄せる罠に利用することがままある。
──だが、既にこちらの位置が敵に割れているこの状況で、敢えてそんなことをする理由があるか? 狙われているのはいずれも指揮官級の者たちだが、動けずとも指示は出せている。行動に支障は──っ!?
「──マズい!! 全員逃げろっ!!」
「え?」
ワーレンが敵の狙いに気づき、叫んだ時には既に手遅れだった。
眼前で燃え盛る巨大な炎と狙撃手の存在に気をとられ、気づくのが遅れた。
「火事だ!! 火に囲まれているぞ!!」
『!?』
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
『ギャァ──ッ』
『──ぁぁ……っ!』
まだ火の手が回っていない高所に陣取り、ジンは四方を炎に取り囲まれたドルネシア軍が焼け死に、あるいはガスで窒息死していく様をジッと観察していた。
斜面下側の火勢はまだそれほど強くなく、ある程度の火傷を覚悟で突っ切ればあるいは生き残ることが出来たかもしれない。だが実際にそうしようとする者はおらず、彼らはただただ炎に囲まれ立ち往生していた。これは決してドルネシア軍の判断が鈍いといった話ではない。
ここでジンがドルネシア軍に対して行ったことを簡単に解説しよう。
と言っても、彼がしたことは言葉にすればたった二つ。ドルネシア軍の中でも地位の高そうな兵士から順に狙撃で足を射抜いて機動力を奪い、そして彼らが陣取る台地の周辺の木々に火をつけて回った、これだけだ。
ドルネシア軍は目の前の大きな山火事と姿の見えない狙撃手に意識を奪われ、足元に迫る火の手に気づくのが遅れた。
それでもまだ彼らが万全の状態であればまだ火の手から脱出することは可能だったかもしれない。だがそこで足を引っ張ったのが、ジンに足を射抜かれた兵士たちだ。
鎧をまとった兵士はとても重く、足を射抜かれた彼らを運ぶのはとても骨が折れる。しかし一方で、彼らは無事な者たちにとっては上官だ。それを見捨てて一目散に逃げだすという判断は決して簡単ではないし、逆に自分を見捨てろと即座に指示できる者も少ない。
これが仮に負傷した上官を見捨てれば確実に自分は助かることが明白な状況ならまだしも、そうでなければその判断は難しい。ことが山火事となれば猶更。兵士たちの多くは山火事に関する知識などなく、火の勢いが弱いうちは『まだ大丈夫だろう』と油断をし、勢いが増せば『もう手遅れでは?』と弱気になって正確な判断が下せなかった。
そしてこの一連の作戦の真に恐ろしいところは、ジンがそうした彼らの心理を完全に読み切り、コントロールしたことにある。
彼の最大の武器は一〇〇メートル以上離れた的を正確に射抜く弓の腕でも、山育ちの身体能力でもない。獲物の能力、状態、心理といったあらゆるものを見抜く観察力と洞察力──即ち情報力にあった。
そもそも不規則に動く獲物に矢を当てるにはただ的当てが上手いだけでは足りない。動く敵に命中させるには、敵の動きを予測し、あるいはコントロールする能力こそが最も重要になってくる。
また気配を絶つ技術もただ音を立てず動けばよいというものではない。先に敵を発見し、敵の意識の流れを読み切り、その意識の外に己を置くことこそが基本にして極意。
ジンという少年はそれを実現するための情報力が生まれつき頭抜けていた。そしてその情報力を人とは隔絶した五感を持ち、多種多様な思考や行動パターンを持つ獣相手に磨き上げてきた。
そんな彼にとって、軍という組織に画一化された人間の動きを読み、コントロールすることなど、子兎の首を折るより容易いことだった。




