第7話
倉庫の外へと出たユースティアの目に飛び込んできたのは、日はとうに沈んでいるのに昼間のように明るく照らされた山の景色だった。
「何があった!?」
「っ! や、山の麓で火の手が上がり、この村へと迫っています! えと、い、今はアルベルト隊長の指示で、に、逃げる準備を──」
見張りの兵士たちも混乱して浮足立っていた。ユースティアは話を途中で打ち切ると、近くの崖に移動して状況を目視で確認する。
「これは……!」
そこには彼女の想像を上回る惨状が広がっていた。山裾の斜面がかなり広範囲に渡って激しく燃えおり、延焼範囲はこの集落のある山の上に向かって今も凄まじい速度で拡大している。
見た目にはまだ距離があるように見えるが、あの勢いでは火の手がここに到達するまで二〇分──いや、その半分もかからないかもしれない。
「何故ここまで気づけなかった……?」
「姫様ぁぁぁぁッ!!!」
愕然と炎を見下ろすユースティアを見つけてアルベルトが駆け寄ってきた。恐らく山火事が判明してからずっと彼女を探し回っていたのだろう、息を切らして顔には玉のような汗が浮かんでいる。
「姫、さま……っ! ご無事で──っ」
「落ち付け。まず呼吸を整えろ」
アルベルトは泣きそうな表情でユースティアの下に辿り着くと、彼女に促されて数秒息を整える。そして混乱する脳を軍人としてのものに切り替え、すぐ状況を報告した。
「……山裾から火の手が上がりました。原因は不明。ほどなくこの集落は炎に焼かれることになるでしょう。今、各兵長と村人に命じて避難準備をさせています。姫様も急ぎご準備を」
「うむ」
頷いて、しかしユースティアは自身が仮の宿舎として徴発し荷物を置いていた村長宅ではなく、先ほどまでいた倉庫へと駆けだした。
「──って、姫様っ!?」
倉庫へと戻ると、ジンは縛られた状態のまま慌てた様子もなく床に転がっていた。彼女は腰に下げていた長剣を抜くと、ジンに向けてそれを振り下ろす。
──ザンッ!!
「立て。逃げるぞ」
ユースティアの刃はジンの身体を傷つけることなく、その身体を縛るロープの身を的確に切り裂いていた。拘束を解かれたジンは礼も言わず立ち上がり、縛られて痺れた身体の具合を確かめるように軽く手足を振る。
「なっ! 貴様──ッ!?」
そこに少し遅れてアルベルトが到着。拘束を解かれ自由になったジンの姿を見て目を見開き、慌ててユースティアとの間に割って入った。
「よい。私が解放した」
「そんな、姫様っ!? このような危険な男を──ッ!?」
「ここでこ奴が暴れれば村人にも被害が出る。それを是とする男であれば私は既に死んでいるだろう」
「っ!」
アルベルトが悔しそうに歯がみするのを気にも留めず、ジンは二人の横をすり抜けて建物を出た。
「あっ!? おい、待てっ!! 勝手な行動をとるなっ!!」
ジンは歩きながら辺りの様子を確認する。駆け回る兵士や村人たちは彼の姿を見ると一瞬顔をギョッとさせるも、状況がひっ迫していたため誰も制止しようととはしなかった。
火の手が確認できるポイントまで到達すると、立ち止まってジッと火災の様子を観察する。
少し遅れてユースティアとアルベルトが追いついてきた。ユースティアがジンの行動を止めようとしないので、仕方なくアルベルトは彼に対する優先順位を一旦引き下げユースティアに詳しい状況の説明を行う。
「……詳しくは確認中ですが、火の手は東西にかなりの範囲で広がっており、どこまで移動すれば逃げられるか定かではありません。しかし上に逃げるのは火の勢いが速く、追いつかれる可能性が高いかと」
「そうだな。今はまだ良いが、風向きが変われば炎に焼かれる前に煙を吸って動けなくなる可能もある。となると上にも横にも逃げられん。火を消すことは論外だ。──さて、どうする?」
落ち着いた声音でユースティアはアルベルトに問いかける。
アルベルトは決して才気に溢れる性質ではないが、それでも二十代前半でアルメニア軍の部隊長に上り詰めた男だ。この状況でただ悲観的な報告だけを上げて終わることはしない。
「村人に確認したところ、村の直ぐ西側に沢があり、それに沿って麓まで比較的開けた道が通じているとのことです。砂利が多く燃える物が少ないそうなので、煙さえ気をつければここが一番マシなルートかと」
「軍が移動できるような道なのか?」
「今、人をやって確認させていますが、村人の話を聞く限りでは問題なさそうです。最悪は沢を流されてでも移動すればなんとかなるでしょう」
焼け死ぬよりはマシです、と語るアルベルトにユースティアは頷きを返す。
そしてより具体的な避難指示について踏み込もうとした時。麓を見つめていたジンがポツリと口を挟んだ。
「その道を使うのはやめた方がいい」
「貴様、何を──!?」
アルベルトは不快そうにいきり立つが、ユースティアはそれを制してその発言の意図を問う。
「何故そう思う?」
「火の回りが速すぎる」
そう言ってジンはグルリと火の手が広がる山裾に視線を巡らせた。
ユースティアは数秒思考し、すぐに彼の言わんとすることに気づく。
「……ドルネシア軍の仕業か?」
「な!?」
驚愕するアルベルトを無視してジンは頷き、その根拠を付け加える。
「昼間ならともかく、この時間に山火事が起きれば誰かが気づく。恐らく火の手が上がってからここまで三〇分もかかっていない筈だ。今は乾季でもないし、風もそれほど強くない。短時間でここまで火の手が広がるのは不自然だ」
「──つまりこの火災は人為的なもので、誰かが複数箇所同時に火をつけた可能性が高い、ということだな?」
ユースティアの言葉をジンは無言で肯定する。
「そんな……っ!?」
アルベルトはジンの言葉を否定したかったが、その推測は筋が通っており、事前に忠告されたドルネシア軍の行動予測とも合致する。そしてそれが意味することは単なる出火原因の特定ではない。
「その沢沿いの道、ドルネシア軍が待ち構えていると思うか?」
「さあな。だが地元の人間しか知らん特別な道というわけでもない。知って待ち構えていたとしても俺は驚かん」
「……仮に知らなかったとしても、戦果を確認すべく麓に軍が控えている可能性はあるか。そうなれば命からがら逃げ出し、疲弊した我が軍など一溜りもあるまい」
「…………」
ユースティアとジンのやり取りにアルベルトの顔が蒼褪める。
彼らの言うことが正しければ自分たちは今死地に立たされている。そしてアルベルトは彼らの推測に穴を見出すことが出来なかった。
だがそこで思考停止し、足を止めるわけにはいかない。
「……姫様。まず私が兵を率いて先行します。ドルネシア軍がいなければそれでよし。もし本当に待ち構えているようなら、姫様は村人に紛れて──」
お逃げください──そう続けようとしたアルベルトを、ユースティアは片手をあげて制した。
そしてジッと麓を見つめたままのジンに視線を向けて口を開く。
「手を貸せ。貴様にはこの窮地を切り抜ける案があるのではないか?」
「!?」
アルベルトは目を丸くし、ユースティアとジンと交互に見つめる。
「……馬鹿馬鹿しい。仮にそんな方法があったとしても、俺がお前に手を貸す理由はない」
「そうか? だがこのままでは村人たちも死ぬことになるぞ」
ジンの言葉を遮りユースティアは敢えて言い切った。
「……ドルネシアの敵はあんたらだ。村の人たちを攻撃する理由は──」
「──ない、かもしれんが、わざわざ区別して攻撃を控える理由もないな。村人が我らに与したと判断するかもしれんし、村人に紛れて逃げようとすることを警戒している可能性もあるだろう」
「……そんな理由で人を殺す筈が──」
「おいおい。自分も騙せないような詰まらない嘘を吐くなよ」
ユースティアはそう言って、必死に否定しようとするジンを嗤った。
「そもそも貴様が私に警告したのは何故だ? 貴様もドルネシア軍が村人を攻撃する可能性を危惧したのだろう?」
「…………」
ジンはその指摘に奥歯を噛みしめる。
「貴様の危惧は正しい。断言してやろう。ドルネシアの連中は貴様らを殺すことなど屁とも思っちゃいないし、貴様らのことを人間とすら見ていない。精々が畑を荒らす害獣を駆除する程度のものだろうさ。目を合わせれば多少情が湧くことはあるかもしれんが、殺し自体を躊躇うことはあるまい」
「そんなことは──!」
それでもジンはユースティアに反論しようとしたが、続く言葉でついに口を閉ざす。
「でなければ、貴様らが住んでいることを知っていて山に火を放ったりするものか」
「────っ」
気づいていた。目を逸らしていただけで、言われるまでもなく理解していた。
誰も彼も、自分たちを人間扱いしていない。だから平気で、踏みにじるのだと。
「…………」
ジンは黙り込む。アルベルトも自分の主が蛮族を言葉で追い詰めている状況に困惑して視線を彷徨わせ、しばしその場に気まずい沈黙が流れた。
その沈黙を破り、再びユースティアが口を開く。
「もう一度言う。私に手を貸せ、蛮族。さすれば私は貴様らを“人”として扱ってやろう」
「…………クソが」




