第3話
『貴様らルマーンの民は我らの指揮の下、ドルネシアとの戦いに加わってもらう』
集落へと駆け付けたジンが見たのは、武装した兵士たちに取り囲まれ拘束された村人たちと、その中心で高らかに宣言する貴族の女だった。
──ふざけたことを。
瞬時に、あれは敵だと理解する。
侵略者。村人が人質にとられている。争った様子はない。警戒は緩く、こちらには気づいていない。
息を殺して端的に状況を整理。敵のトップはあの貴族だ。
──まず、あれを殺す。
ジンは即決して弓を引く。狙うは女の心臓。彼の腕であれば頭部を射抜くことは容易いが、頭はちょっとした角度のズレで矢が頭蓋骨を滑って逸れてしまうことがある。女の鎧は山中での動きやすさを重視した革鎧だ。この距離、ジンの弓力であれば心臓狙いの方がより確実。
──ギリギリギリ……ッ
獲物の動きや思考、空気の流れ、気温、湿度、あらゆる要素をその内に捉え、ジンは引き絞った弓から必中の一矢を放った。
──ヒュン!
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
──ドサッ!
「ひ、姫様ぁぁぁぁっ!!?」
完全な意識の外──何処からともなく飛来した矢がユースティアの胸に突き刺さり、彼女の身体が糸の切れた人形のように地面に崩れ落ちる。
そのどこか現実離れした光景を前に、アルベルトはただ顔を絶望に歪め叫ぶことしかできなかった。
どこからこの矢が飛んで来たのか。矢を放ったのは何者なのか。そんなことを考える余裕もなく、彼は仰向けに倒れたユースティアに泣きそうな顔で駆け寄る──
「ッ!?」
彼を制止するように倒れたユースティアの左手が動いた。
「──警戒ッ!!」
『!』
号令。ユースティアは生きていた。矢は鎧の胸甲を正確に貫いていたが、よくよく見れば刺さり方が浅い。どんな偶然か奇跡かは分からないが、ユースティアは健在だった。
「近くにいる者は私と共に姫様を守れっ!! 他の者は周囲を警戒、射手を探せっ!!」
『はっ!!』
我に返ったアルベルトの指示で兵士たちが一斉に動き出す。
アルベルトと数名の兵士とがユースティアを囲んで盾になり、その他の兵士たちは周辺を警戒し射手の姿を探した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「……チッ」
貴族の女を仕留めそこない、ジンは木の影に身を顰め場所を移動しながら舌打ちした。
──下に帷子を仕込んでいても撃ち抜ける程度の力は込めた筈なのに、どういうことだ?
しかし疑問は一瞬。思考を切り替える。
──まぁいい。死んでいないならいないで、やりようはある。
ああして必死に女を守っているということは、つまりそれだけあの貴族の女は敵にとって価値があるということだ。
自分を探す無数の目を掻い潜り、ジンはその身を挺して貴族の女を庇う兵士をあざ笑うかのように、再び弓を引き絞った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「姫様、お怪我はっ!?」
「っ、大事ない……!」
胸に響く鈍い痛みを堪え、ユースティアはアルベルトの呼びかけに叫び返した。
嘘ではない。胸に刺さった矢は奇跡的な幸運で自分の肉にまでは届いていなかった。ただ矢自体の威力は相当なもので、胸を殴られた衝撃でユースティアは暫く動けそうにない。
ああいや、動けないのは肉体的な痛みだけが理由ではなかった。
──間違いなく死んでいた。
ユースティアは荒い息を吐いて空を仰ぎ、その事実を噛みしめる。
──当たったのは偶然ではない、必殺の意をもって放たれた一矢。幸運が味方してくれなければ間違いなく私は死んでいた。
鎧と皮膚の間でゴロリと割れた何かが転がる。確認せずとも分かった。母の遺髪を収めたペンダントが矢からユースティアを護ってくれたのだ。
「…………っ」
身体の奥からぶるりと震えが湧き上がる。ユースティアはこれまで何度も危険な戦場に身を投じてきた。死を間近に感じたことなど両手でも数えきれない。だから理解できた。この震えは恐怖によるものではない。これは──
──ヒュゥ!
「ぐうっ!?」
──ガァンッ!!
ユースティアの盾になっていた兵士の一人が、死角から飛来した矢に兜の上から頭を殴られ、衝撃でその場に膝をつく。
「クソッ、一体どこから──!?」
アルベルトたちは倒れた兵士の穴を埋めつつ射手を探そうと矢の飛んで来た方へと視線を向ける──
──ヒュン!
『!?』
先ほどとは異なる角度から放たれた矢が、今度は兵士たちの肉壁をすり抜けユースティアの首の直ぐ横の地面に刺さる。ちょうど矢が彼女の首のすぐ上を斜めに通過するような角度だ。
「姫さ──」
──ヒュン!
ユースティアに覆いかぶさろうとするアルベルトの眼前をすり抜けて、また別の角度から放たれた矢が地面に刺さる。その矢はユースティアの首の上で先ほどの矢とシャフト部分が交差し、ユースティアの首が動かないよう地面に縫いつけていた。
『!』
動けない。ユースティアはもとより、アルベルトも他の兵士たちも金縛りにあったように動けなくなっていた。
言葉はなくとも分かる──これは警告だ。
敵の正体は分からない。どこに所属しているのか、単独なのか複数なのかさえ分かっていない。
だがこの敵はユースティアの命に手をかけ、何時でも殺せると彼らを脅し、人質にとっている。アルベルトたちはそれを理解してしまい動けない。
いったい何の冗談だろう? 兵を率いて碌な武装もしていない村を占領し、今後の軍事行動のための侵攻ルートを確保するだけの簡単な任務。いつものようにユースティアの暴走はあったものの、村人たちは無抵抗で何事もなく片付く筈だった。
それが何故、自分たちは主君を見知らぬ何者かに人質に取られ、窮地に陥っているのか?
ああ、もしこの射手が気まぐれに矢を放てば今度こそユースティアの命は──
「──止めろ、ジンっ!!」
誰かが叫んだ。恐怖と怒りの混じった声で。
「余計な真似をするでないっ!! 儂らを殺す気かっ!?」
叫んだのはこの村の村長と思しき年嵩の男だ。ユースティアもアルベルトも配下の兵士たちも、そんな男のことは完全に意識の外に追いやっていた。
だがこの凡庸な男の保身に満ちた行動が結果的に彼女たちの命を救う。
「出て来い、ジン!!」
指揮官──しかも貴族の命を狙ったのだ。姿を見せれば殺されるのは分かっている。出て来いと言われて大人しく従う阿呆などいる筈がない。そうアルベルトたちは思った、が──
──ガサッ
予想していたのとは全く逆の方向から、音を立てて猟師風の若い男が姿を見せる。手には大ぶりな弓を持ってはいるが、まさかあの平凡そうな少年が先ほどの矢を放った下手人だとでもいうのだろうか?
アルベルトたちの困惑を余所に、村長は目を血走らせて少年を怒鳴りつける。
「とっととこっちに来んか!!」
「……………」
少年はその言葉に一瞬顔を顰めはしたものの、しかし逆らうことなく無言でこちらに近づいてきた。
『…………』
村長の言葉が彼の勘違いでなければ、その少年は自分たちを手玉にとりユースティアの命を狙った射手だ。本当ならすぐに取り押さえなくてはならない。だがアルベルトたちは事態の推移について行けず呆然とそれを見つめることしかできなかった。
──ゴキンッ!!
「この恩知らずがっ!!」
村長は少年が手の届く場所まで来るなり、手に持った杖で思い切り少年の頭を殴りつけた。
──ゴンッ!! ガンッ!! ドゴッ!!
「村において、やった、恩を、忘れおって……ッ! 狩りしか、脳のない、余所者が……っ!! 余計な、真似をして、儂らが死んだら、どうするつもりだっ!!」
「……っ!」
アルベルトたちが呆気にとられる中、村長は『自分たちはこの男とは無関係だ』とアピールするように容赦なく何度も杖で少年を打ち据えた。他の村人たちも村長の凶行を止める様子はなく、ほとんどの者は忌々し気に少年を睨みつけている。
容赦のない暴力はますますエスカレートしていき──
「──やめよっ!!」
それを制止したのはいつの間にか矢の拘束を自力で解いていたユースティアだった。
「ひぃっ!?」
ユースティアの鋭い眼光に射すくめられ、村長は暴行の手を止めてその場にひれ伏し弁解する。
「お、お赦し下さい、貴族様っ! このガキは儂らとは無関係なのです!! 儂らはマケドニアの皆様方に従います!! 逆らいません!! ですのでどうかご慈悲をっ! ご慈悲を……っ!!」
村長が必死に何か自己弁護の言葉を連ねていたが、ユースティアはそんなものは全く聞いていなかった。
「…………」
彼女はただジッと自分を殺す筈だった少年を見つめる。
たった今、無抵抗のまま村長の暴行を受け、傷だらけで地面にうつ伏せになっているどこにでもいそうな少年の姿を。
「っ」
ピクリと少年の身体が動き、視線だけがユースティアに向く。
「…………」
「…………」
無言のまま二人の視線が絡み合う。
その時自分の胸に湧き上がる感情の正体を、ユースティアはまだ理解できていなかった。




