第24話
──これは勝てんな。
ジンはドルネシア軍の指揮官と思しき騎士の攻撃を鉈で逸らしながら、淡々とその事実を受け入れた。
驚きはない。自分は多少人よりそちらの才能に恵まれてはいたが所詮猟師。正式に対人戦の訓練を受けたことすらない素人だ。今まで自分より強い人間に会ったことが無かっただけで、自分が世界最強だなんて己惚れてはいなかった。
「はぁっ!!」
馬上からジンの心臓目掛けて突きが繰り出される。ジンはその攻撃の気配を先読みし、タイミングを合わせ鉈で横から薙ぎ払おうとした、が──
「!?」
突きの途中で不自然に気配が変化。タイミングをずらし首を刈るように軌道を変えた斬撃を、ジンは無理やり身体を仰け反らせ、肉を抉られながら直撃だけは回避する。
──ザシュ!
「っ!」
『ワォン!!』
「──来るな!!」
相棒を救うべく敵に飛び掛かろうとしたブランカをジンが鋭く制止。
『!?』
警告に一瞬遅れてブランカは敵の槍が自分を狙っていたことに気づき、大きく後ろに飛び退いた。
ブランカはとても強く賢い。並の兵士相手なら例え敵が一〇人がかりでもまず後れを取ることはあるまい。だが今目の前にいるこの騎士は別格だった。
騎士は馬上からジンとブランカ、二方向に睨みを利かせ間合いに入れば瞬時に切り捨てる構え。もしジンが再びブランカに跨り逃げようとしても、やはりその隙に切り伏せられてしまうだろう。
──どのみち障害物のない平地じゃいくらブランカでもこいつ相手に追いかけっこは分が悪いか。
「ブランカ」
『!』
ジンは短く呼びかけ、こちらに近づいてくる数騎の騎馬に視線をやる。ドルネシア軍本隊は北に移動を始めていたが、一部は援護のためにこちらに向かってきていた。
『グルゥ……』
ブランカは一瞬躊躇う素振りを見せるも、直ぐジンの指示に従ってこの場を離れていく。金髪の騎士はそれを見送ると馬から降り、ジンに話しかけてきた。
「いいのかい? 足止めに向かわせるより死角から私を狙わせていた方が、まだ君に勝ち目があっただろう」
敵に対するものとは思えない穏やかな声。そこにはジンに対する好意と殺意とが混在していた。
「……生憎、うちの子はあんたみたいにスカした男が嫌いでね。行儀よく牽制だけしてろって言っても聞きゃしないさ」
「なるほど」
会話しながら、ジンと騎士とは視線や殺気、ほんの僅かな筋肉の動きを使って互いに無数のフェイントを交わし合う。
「…………」
しかしその不可視の攻防においてさえ騎士は容易くジンを上回った。それは蓄積された対人戦の定石の差だ。ジンが気配や動きから一手一手敵の動きを読むのに対し、目の前の騎士は自分の動きにジンがどう反応するかを予め理解し、数手先を読んで駆け引きを押し付けてくる。
読み合い、駆け引きではどう足掻いても勝ち目がないようだ。さて、どうしたものか──
「そのいで立ちにあのオオカミ。君はひょっとしてルマーンの山の民かな?」
「…………」
戦いとは無関係な質問にジンは無言で目を細める。警戒を強めるジンに騎士は苦笑を漏らした。
「──いや、すまない。名乗りもせずこんなことを聞くのは不作法だったね。私の名はエクトール・ド・トゥール。このトゥール領の領主で伯爵位を授かっている者だ──それで少年。君の名を教えてくれるかな?」
その言葉の意図は分からなかったが、しかしその騎士──トゥール伯は穏やかな表情でジンの返答を待っている。
「…………ジン」
「ではジン。改めて聞くが、君はルマーンかあるいはマケドニア軍、一体どこに所属しているのかな?」
「……答える必要を感じない。一体何のつもりだ?」
突き放すようにジンは応じる。だがトゥール伯は気を悪くした様子もなく続けた。
「君を私の旗下に加えたいのさ」
「──は?」
戦いの最中にそんなことを言われてジンは呆気にとられる。トゥール伯は肩を竦めた。
「もうこの戦いは結果が見えている。君では私には絶対に勝てない──実力差を理解できないほど君は未熟ではないだろう?」
「────」
言葉に詰まるジンにトゥール伯は続けた。
「君の才能は素晴らしい。だが残念なことにまだ原石の状態だ。その輝きを知らぬまま刈り取らねばならぬことが私は残念でならない。だからジン、私の下に来たまえ。私なら君の才能を開花させることができる」
「…………」
トゥール伯に視線と声に熱がこもる。
「当然、見返りは用意しよう。金でも地位でも働きにはしっかりと報いる。もし君がマケドニアに故郷を占領され人質をとられていると言うなら安心したまえ。私がマケドニア軍を打ち破り、君の故郷を取り戻してあげようじゃないか。無論、その後の故郷の扱いは君の意向を尊重する。ルマーンに返却してもいいし、保護区としても構わない。望むなら復興の援助もしよう」
ジンに口を挟む隙も与えず、トゥール伯は捲し立てた。
「君が支配や侵略を望むような人間ではないことは見ればわかる。少なくとも、侵略国家であるマケドニアに君が積極的に与する理由はどこにもない筈だ」
「────」
その言葉に、ジンはふとユースティアの婚約者ノイと以前交わした会話を思い出していた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ティアに何を言われようと、無理に協力する必要はないからね」
トゥール領へ出立する前日、ジンが滞在する小屋を訪れたノイはおもむろにそう告げた。
「……そこは自分の婚約者を守ってくれって言うところじゃないのか?」
「誰かが守らなきゃいけないほどティアは弱くないよ」
ノイはキッパリと言い切る。ジンもそのことに関して異論はない。今回の件だって損害の多寡を無視すれば、自分が手を貸そうが貸すまいがユースティアはトゥール領の制圧を成し遂げるだろうと思っていた。
「意外だな。あんたは俺をあいつに仕えさせたいんだと思ってた」
「ひょっとして初めて会った日のことを言ってる? あの時はまさかティアが君に一人でドルネシア軍を足止めしろなんて無茶振りをするとは想像もしてなかったからね」
ノイは苦笑して続けた。
「君だってもう分かってるんだろう? ティアは傍若無人ではあるけど、一度自分の懐に入れた相手をむごく扱うようなことはしない。仮に君がティアの頼みを突っぱねて逃げ出しても、今更君の故郷の扱いが悪くなるようなことはないよ。君が無理をする必要はない」
そうかもしれない。対ドルネシア戦略が遅れればその分ルマーンの復興に影響が出ると脅されはしたが、復興に手を抜くとは一度も言わなかった。
そもそもルマーンを焼いたのはドルネシア、その原因を作ったのはユースティアたちマケドニアだ。被害者であるジンがそこに責任を負わなくてはならない道理はない。
無理に協力しなくてもいい、というノイの忠告はその通りではあった。
「……あれを信用できるかどうかは置いとくとしても、それをあんたに言われるのは妙な気分だな」
「うん? どういう意味かな?」
「無理してるのは俺じゃなくてあんたの方だろって話さ。あいつの婚約者って立場は毒饅頭だ。実際、あんたがこの屋敷で暮らしてるのは、他の貴族共から身を守る為なんだろう?」
「…………」
ここ暫くアルメニアの屋敷で過ごして分かった。ノイはとても危うい立場にある。
元々ノイがユースティアの婚約者にあてがわれたのは、当時ユースティアに皇位継承の目がなく、彼女と縁を結ぶメリットがほとんど無いと思われていたからだ。だがユースティアは周囲の予想を裏切り、次期皇帝の有力候補となった。今では彼女と縁を結びたがる貴族はとても多く、そうした貴族たちにとってノイは邪魔者でしかない。
それでもノイがユースティアの婚約者を続けているのは、ユースティア自身が野心的な貴族の介入を嫌いノイとの婚約継続を望んだから──そしてそれをノイが受け入れたからだ。
「あんたは皇帝の夫になって権力を握ろうなんてタイプじゃないし、命を狙われてまで婚約を続けるメリットがあるとは思えない。俺には無理をするなと言いながら、あんた自身は危険を承知であの女の防波堤になってるんだ。あんたこそ何か弱みでも握られてるんじゃないのか?」
案じるようなジンの言葉に、しかしノイは胸を張って誇らしげに答えた。
「そんなの決まってる──惚れた弱みってやつさ」
「────」
「ああいや勿論、恋愛的な意味じゃなく、ファンっていうか、推し的なアレでね?」
「……そこは嘘でも恋愛的な意味って言ってやれよ」
「無茶言うなよ。ティアが美人なことは否定しないけど、正直そういう対象として見るのは僕には荷が重い」
苦笑して頬を掻く。
「……これはここだけの話にして欲しいんだけど、彼女はとても意地っ張りで、嘘つきだ」
目を逸らし、独り言のようにノイは言った。
「ドルネシア攻略は表向きティアが陛下に願い出て許可を得たってことになってるけど、ユリウス陛下の下で覇権主義的政策を掲げる帝国はいずれドルネシアと衝突していた。彼女が手を挙げなくても戦争は必ず起きた──多分、君の故郷も巻き込んで、より苛烈な形でね」
……そうかもしれない。
「このアルメニアの都はつい三年前までは別の国の首都だった。その国の王様ってのがまた碌でもない奴だったみたいでさ。ティアがこの国を征服して王族を処刑した時は、町中の人が涙を流して彼女に感謝してたよ」
彼女がこの街の民に慕われていることはジンも理解していた。
「でもティアは、誰かのためとか、仕方ないとか、そんなことは絶対に口にしない。自分のために、自分が欲しいものの為に戦ってるんだって、そう言い切るんだ。その為に誰かを傷つけても決して悔やんだりしない。いつだって胸を張って楽しそうに笑うのさ──それが上に立つ者の作法だから、って」
ノイは愛おしさと悼ましさがないまぜになった微笑みを浮かべて言った。
「僕は──いや、僕らはきっとそんな彼女が大好きで、ほっとけないのさ」




