第23話
──あれが化け物だということは、一目見た時から分かっていた。
「閣下! お下がりください!!」
弓を構えた少年から自分を庇うように参謀が前に出る。戸惑いながらも動きを止めない。改めて、凡庸だが良い騎士だと思った。
「貴様、何者──いや後だ! お前たち、奴を捕縛しろ! 抵抗するなら殺して構わん!」
参謀の指示で歩兵が四名、盾を構えて少年の捕縛に動く。不意の狙撃にこそ肝を冷やしたが、それが失敗した以上、既に少年は脅威ではない──
「ぐあっ!?」
──筈だった。
先頭を走っていた兵士が膝を射抜かれて地面を転がる。全員が少年の動きを注視していた筈なのに、いつ矢が放たれたのかさえ誰も認識できていなかった。
「ぎゃぁっ!?」
「がっ!!」
「ひぃ──ぐぅっ!!?」
少年を取り押さえようとした四人の兵士が彼に近づくこともできず地面を転がる。
全員生きていた。矢が刺さった場所はどれも致命傷ではない。だが膝や太腿を射抜かれて立ち上がれず、地面を転がり呻き声を上げていた。
一部の者はそれを見て直ぐに気づく。少年は兵士たちをわざと殺さなかったのだと。慈悲ではない。ただ足手まといを作り、自分たちの動きを止めるためにそうしている。
「……(ゴグリ)」
一瞬でその場の空気が少年に呑まれ、誰かが生唾を飲み込む音が聞こえた気がした。
この少年が何者かは分からない。だが彼が自分たちドルネシア軍の敵で、こちらを妨害しようとしていることだけは明らかだった。
──ヒュン!
「ぐぁっ!?」
今度は斜め後方から悲鳴が漏れる。そちらに視線を向けると自軍の兵士が左腕を射抜かれていた。その足元には取り落とした弓と矢。こちらも弓で狙い撃とうとしたところを逆に射抜かれたらしい。
──これだけの数の兵士の中から、攻撃の気配を察知して狙撃した、だと……?
戦場の空気が、たった一人の少年によって完全に支配されていた。
『…………』
完全な想定外。異常な状況。意味不明な存在。だがこのまま手をこまねいている訳にもいかない。こうなれば多少の被害覚悟で一斉に襲い掛かるか、あるいは無視するか──
「──ブランカ」
『ワォン』
そんなドルネシア軍の思考を読んだように、少年の背後から大型の白狼が現れる。そして少年はその白狼の背に跨ると呆気にとられるドルネシア軍を尻目に悠然とした足取りで移動。北へ向かうドルネシア軍の進行方向へと立ち塞がった。
『…………』
たったそれだけで少年を無視するという選択肢が潰された。
少年の狙撃能力に白狼の機動力。所詮一人と侮ることはできない。司令官である自分を含めいつ誰にその矢が飛んでくるか分からない状況で、まともな作戦行動などとれる筈がない。自分たちはマケドニア軍を追う前に、この少年を排除しなくてはならなくなった。
だが果たしてそれが可能だろうか?
少年の目的は明らかに足止めであり時間稼ぎ。こちらが追いかければ逆に逃げられてしまうのではないか?
容易にその光景が想像できてしまい、ドルネシア軍はこの少年にどう対処すればよいのか対応に窮していた。
「…………クハッ」
──だがその窮地に、男の中の獣が目を醒ます。
「あの少年の相手は私がする。卿らは先に行け」
そう告げて前に進み出たのは司令官エクトール・ド・トゥール伯爵その人だ。
「閣下! 一体何を──」
──キィン、ギンッ!!
悲鳴じみた参謀の言葉を遮るように連続して金属音が鳴り響いた。
鏃が砕かれ地面に落ちる二本の矢と槍を構えたトゥール伯の姿に、参謀は敵の矢を司令官が槍で叩き落したのだと遅れて理解する。
「もう一度言う。先に行ってマケドニア軍の足止めをしていろ。私はあの少年を始末してすぐに後を追う」
そう一方的に告げてトゥール伯は騎馬を駆り白狼へ跨る少年へと駆け出した。
「あっ──」
──カキィン! ギィン!!
参謀が呼び止める間もなくトゥール伯は少年との戦闘に突入──矢と槍とが火花を散らし、白馬と白狼に跨る二人の姿はあっという間に小さくなる。
──キィン! ガギッ! ガッ!!
「…………」
「あ、あの、参謀殿。我々はどうしたら……?」
戦いに割って入ることもできず呆然とそれを見送る参謀に、兵士の一人が指示を仰ぐ。
──どうしたらだと? そんなの……
あの少年は危険だ。いくら命令であってもトゥール伯を一人で戦わせていい筈がない。だが目の前で繰り広げられる戦いに自分たちが介入することができるのか?
そんな疑問が抱いてしまう程に、あの少年は勿論、それを圧倒するトゥール伯の強さは常軌を逸していた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ドルネシア王国伯爵エクトール・ド・トゥール、37歳。
第113期王立学園軍事課程を主席卒業。在学中に最難関とされる官吏登用試験に合格し、近衛軍勤務を経て、第一大隊司令部参謀、軍官僚とエリートコースを進み、王族関係者以外では当時最年少となる28歳で准将任官。
その端正な容姿もあり、口さがない者は彼が好色で知られる当時の王に媚びを売ってその地位を得たなどと噂したが、彼を知る者たちは皆畏怖を込めて「天才」と呼ぶ。
だがエクトールにとってそれらは周囲の期待を汲み取り応えるだけの退屈な仕事でしかなかった。
彼は生まれて一度も全力を出したことがない。それは自分が才をひけらかせば排斥の対象となり得ることを無意識に感じ取っていたからだ。
故に彼自身も理解していなかった。
彼の中で最も光り輝く才が、軍人でも政治家でもなく、一人の戦士としてのものであったことに。
──ギィンッ!!
ほとんど予備動作なく放たれる矢を、トゥール伯はその槍で弾き、少年との距離を詰める。
先ほどから避けようともせず曲芸じみた槍捌きで矢を防いでいたが、決して余裕ぶってそうしているわけではない。
──クハッ! 凄まじいな! 騎馬の着地の瞬間、無理に身体を捻れば落馬しかねない絶妙のタイミングとポイントを狙って矢を放ってくる!! しかもオオカミに跨り高速で移動しながらだ! 腕が良いなんてもんじゃない! 君には私の未来が見えているのか!?
卓越した技量と目を持つトゥール伯だからこそ、目の前の少年のそれがどれほどの絶技かを理解してしまう。
──しかも攻撃にはほとんど意思が乗っていない! 動きが読めない! 君は分かってるのか? そいつは何十年と研鑽を重ねた才人だけが辿り着く武術の奥義なんだぞ!?
胸中で叫びながら、分かっていないのだろうなと自答する。この少年からは武人としての匂いが全く感じとれない。弓の扱いも人ではなく獣の相手を前提としたもの。恐らく対人戦の訓練を受けたことすらなく、読みと反射神経、センスだけで自分と渡り合っている。
──君か! ワーレンたちを仕留めたのは君だったのか!!
話をせずとも分かる。あの状況で、慎重なワーレンを部隊ごと殲滅するなどこの少年以外にできる筈がない。
自らの策を覆し、腹心の命を奪った仇敵を前にトゥール伯は──
──素晴らしい!!!
心から歓喜し、その存在に感謝していた。
己の想像を超え、その限界を振り絞るに足る敵手──これこそが自分が求めていたものだと理解する。
「──カハッ!」
堪え切れず、笑い声が喉から漏れた。
──ギィンッ!!!
興奮が抑えきれない。脳が熱を帯び意識が加速する。視線の駆け引き、肩のフェイント、放たれる矢、少年の動き一つ一つにトゥール伯は自分の知らない可能性が引き出されていくのを感じていた。
だからこそ、残念でならない。
──ガキィン!!
少年を槍の間合いに収め、その心臓目掛けて突きを放つ。少年は咄嗟に鉈を抜いて突きを逸らしたが、衝撃を殺しきれずその身体は白狼の背を離れ地面を転がった。
「ぐぅ……っ!」
少年は転がりながらもすぐに体勢を立て直し、トゥール伯の追撃を牽制する。
素晴らしいセンス、戦闘勘だ。トゥール伯は自分と同等の才を持つ人間を生まれて初めて見た。
だが既にトゥール伯にはこの戦いの結末が見えていた。
単純な理屈だ。戦いの才はほぼ互角。しかし彼らは騎士と狩人。対人戦という領域において、両者の間には蓄積された技術と経験という如何ともしがたい壁が立ちはだかっていた。




