第19話
ユースティアたちがザザの仮設集落に帰還して五日目の朝。
現地民たちが不安と微かな期待に満ちた視線を向ける先で、完全武装したアルメニア軍が静かに出立の時を待っていた。
──ザワ……!
兵士たちの前に白銀の鎧を身に纏ったユースティアが姿を見せ、緊張が一気に高まる。
ユースティアはグルリと兵士たちを見回すと、その勇姿に満足げに頷き口を開いた。
「聞け、我がアルメニアの精兵たちよ! これより我らはトゥール領制圧作戦を実行する!」
決して大きな声ではない。しかし不思議なほどに良く響く声だった。
「敵は先の戦いで我らを翻弄したドルネシアの騎兵隊! 奴らは自分たちの優位を確信し、虎視眈々と我らを待ち構えていることだろう!」
そこで彼女は言葉を区切り、ニヤリと笑う。
「──私の思惑通りにな」
その一言で、ドルネシア騎兵の脅威を思い出していた兵士たちの不安と恐怖がスッと晴れた。
「『ドルネシアの騎兵は大陸一、正面から戦えば負けることはない』──それが奴らの油断だ」
ユースティアはそこで好戦的に笑い、宣言する。
「故に我らはその裏をかき、ドルネシア軍を正面から粉砕する」
それは通常なら誰が聞いても正気を失ったとしか思えない作戦。しかし、ユースティアの部下たちは誰一人として彼女の言葉を疑わなかった。
「この戦いは決戦などではない! ドルネシア全土を征服するためのただの通過点だ!! 故に我がアルメニアの精兵たちよ! 貴様らの力をドルネシアの猪共に存分に見せつけてやれっ!!」
『オオオオオォォォォォッ!!!』
「では、後のことは頼んだぞ、アル」
本隊が整然と陣を組み進軍を開始する一方、ユースティアはアルベルトに残留部隊の指揮を託す。
今回の作戦では遠征してきたアルメニア軍一五〇〇の内、三分の一にあたる五〇〇の歩兵をこの場に残し、民間人の防衛とドルネシア軍によるルマーン領への攻撃を牽制させる。残留部隊の数がやや多いようにも感じるが、今回は兵力よりも機動力が作戦の胆。足の遅い者たちはひとまとめにこの場に残され、ユースティアたちの帰還を待つこととなる。
「はっ! 姫様もご武運を!!」
重要な戦いに着いて行けないことへの悔しさはある。だがそれを理由に我儘を言うのはユースティアと戦友たちに対する侮辱だ。
アルベルトたち残留部隊は胸を張り、出陣するユースティアたちを見送った。
「…………」
ただ一つだけ、アルベルトの胸を過ぎる不安。
その日、ジンの姿はどこにも見当たらなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「何? マケドニア軍が現れた?」
部下の報告に含まれた微妙なニュアンスを聞きとがめ、司令官エクトール・ド・トゥール伯爵は片眉を吊り上げ聞き返す。
司令部に飛び込んできたその兵士は、トゥール伯の反応に気づくことなく報告を続けた。
「はっ! 現在マケドニア軍はルマーン領の山岳から我が領に侵入し、こちらに向かって進軍中です。各砦への連絡は並行して──」
「待て。それはいいが、マケドニア軍の動向については先日も監視を密にするよう通知していた筈だ。ルマーン領からの侵攻は事前に想定されたルート。何故領内に入るまで気づけなかった?」
その兵士はそこでようやく主の機嫌が芳しくないことに気づき慌てた様子を見せる。
「それは、その……山沿いにも偵察兵は配置していたのですが、連絡がなく……」
しどろもどろに弁解にもならない言葉を口にする部下に、トゥール伯は呆れて叱責する気にもなれなかった。それに今は原因追求より優先すべきことがある。
「……まぁいい。それで、敵の陣容と位置は?」
「は、はいっ! 物見の報告では敵の数は約一〇〇〇。現在は北の二番砦と三番砦の警戒ラインの北側をこちらに向かって移動しているようです!」
「たった一〇〇〇? 間違いないのか?」
トゥール伯はその報告に何かの間違いではないかと聞き返す。
「はっ? その、複数の兵士が確認していますので、間違いない、筈です」
「…………」
「……あの、閣下?」
司令部にいた他の部下が、突然口を閉ざし考え込むトゥール伯におずおずと話しかけた。
しかしトゥール伯はその声を無視して、独り言のように呟く。
「……事前に野戦でこちらの戦力を削った後ならまだしも、万全の状態で待ち構える我ら相手にたった一〇〇〇というのはあまりに少なすぎる。──別の部隊が迫っているということはないかな?」
「まさか、陽動……!?」
一般的に攻城戦において、有効な攻撃を行うためには攻撃側は防衛側の三倍以上の兵力が必要とされている。トゥール領の領都は平城で防衛側の利が大きいわけではないが、それでも本気で落とすつもりなら倍は兵力が欲しいところだ。
防衛側の兵力は領都に配備された兵こそ一〇〇〇程度だが、これを取り囲む砦の兵力を合算すればその数は四〇〇〇近くまで膨れ上がる。僅か一〇〇〇の兵力では砦一つを落とせるかも怪しい。陽動の可能性を疑うのは自然な発想だった。
「国境付近の部隊からそういった報告は入っておりません。改めて確認は行いますが、つい四半刻ほど前に定時連絡があったばかりですので、少なくとも大規模な部隊が近づいている可能性は低いと思われます」
「……そうか」
トゥール伯はハキハキとした通信担当仕官の回答に満足しつつも、しかしならば敵の狙いは何だと首を傾げた。
──たった一〇〇〇では砦にとりつくだけで精一杯だろう。北の二つの砦には敵襲を警戒して生え抜きの兵をそれぞれ五〇〇配備している。力攻めで落とすことはまず不可能。仮に何か切り札のようなものがあって短時間で砦を落とすことができたとしても、すぐに領都や他の砦から駆け付けた部隊に囲まれて終わりだ。どう考えても合理的ではない。
敵将が碌な実戦経験もない貴族の子弟であれば戦力差を見誤り無謀な行動にでる可能性もないではない。だが先日干戈を交えた敵将は決して数の計算もできない無能ではなかったし、この無謀な侵攻とイメージが合致しない。
──大規模な別働隊は存在しない。では小規模なものならどうだ? 予めこの領都近辺にごく少数の精鋭を伏せておき、本隊が出陣したタイミングを狙って留守を突く、あるいは本隊を率いる将を暗殺する、というのはどうだろうか?
少人数による奇襲の可能性を考えるが、しかしすぐにかぶりを横に振り自ら否定する。
──いや現実的ではないな。こちらが本隊を動かさない可能性もあるし、あまりに希望的観測に頼り過ぎている。それに万一奇襲が上手くいって一時的に領都を占拠できたとしても、周辺には我が軍がほとんど無傷で残っているのだ。奪った拠点を保持できる筈がない。
マケドニア軍の狙いが分からず、トゥール伯は改めて報告を持ってきた部下に確認をとる。
「……その発見した部隊がマケドニア軍というのは間違いないのかい?」
「はっ。物見の報告では、その部隊は例のアルメニア伯爵の家紋である黒獅子の旗を掲げていたそうなので、まず間違いないかと」
獅子の紋章はマケドニアでは皇族だけが使うことを許されている。その旗を掲げているということは、その部隊は件の侵略皇女が率いている可能性が高い。
──敢えて旗を掲げているということはやはり囮なのか? だが囮となり上手く我らを引き付けたとしても、それに続く手が奴らになければ意味がない──いや、まてよ? そう言えば奴らの得意戦法は偽装退却からの誘い込みだったな……
トゥール伯はふと、先の戦いでも見たマケドニア──いや、アルメニア軍の得意戦法を思い出す。
──だがあれは本来、敵を自陣に引き込んでこそ活きる戦法だ。敵地──しかも碌に伏兵を隠す場所もない平原で有効とは思えない。それに仮に、敵が何か秘密兵器のようなものを隠し持っていて我らを罠に嵌めることができたとしても、この状況で砦を一つ二つ落とすことにどれほどの意味がある? こちらが纏まっているならまだしも、分散し、バラバラに、ぶつか、る……?
「──しまった!!」
『!?』
突然顔色を変えて叫んだトゥール伯に周囲の者たちがギョッとする。
しかしトゥール伯はそんな周囲の反応を気にする余裕もなく、焦った様子で指示を下した。
「今すぐ各砦の責任者に連絡だ! 敵を発見しても砦から打って出ることなく持ち場を死守するよう厳命せよ!!」
「は……?」
部下たちはその指示の意味が分からず目を瞬かせる。
「しかし、それでは一方的に敵に攻められることになるのでは……?」
「いいから命令だ!!」
『…………』
一々説明している時間の余裕などないというのに、部下たちの反応の鈍さに頭を掻きむしりそうになる。だが司令部の人間でこの反応なら、通信を受けただけの砦の責任者がスムーズに指示を理解してくれる可能性は低い。
──せめて誰か責任ある立場の者を現地に向かわせねば──?
「──待て。ゾンバルトはどうした?」
自分に次ぐ地位を持つ、あの猪気質の副司令官の姿が見当たらない。普段はいても五月蠅いだけなので気にしていなかったが──
部下の一人がおずおずと口を開く。
「あの、ゾンバルト副司令官でしたら、敵が来そうな気がすると言って三番砦に……」
「っ!?」




