第10話
時は少しだけ遡る。
ユースティアたちが無事に山を下り、援軍と合流する直前。山裾から少し距離を置いて、まだ日が昇り切らない朝靄漂う平原にドルネシア軍が布陣していた。
そこに偵察に出ていた兵士が帰還し、司令部に報告を行う。
「山裾にマケドニア軍を発見。数はおよそ二〇〇前後。また山の民と思しき者たちがマケドニア軍と行動を共にしているようです」
報告を受けていた参謀のゾンバルトは厳しい表情で兵士に確認する。
「ワーレン殿の別働隊はどうした?」
「確認が取れておりません。手筈では夜が明け次第狼煙で作戦の成否についてあちらから連絡がある予定だったのですが……」
兵士の報告を受け司令部に重苦しい空気が流れる中、おっとりとした声音で結論が下される。
「……どうやら失敗したようだね」
「閣下! そのようなことを──」
「あまり大きな声を出すな、ゾンバルト。いくら卿が騒いだところで現実は変わらん」
そう微笑みながら部下を窘めたのは金髪碧眼の優男──この軍の司令官エクトール・ド・トゥール伯爵だ。
「……ワーレン殿は熟練の用兵家、連れていた兵も我が軍の精鋭です。マケドニアの弱兵ごときにそう易々と──」
「そうだね。ワーレンは堅実な男だ。不利と見れば即座に撤退を選び、こちらに伝令の一つも送っているだろう。それすらないということはつまり、そういうことだよ」
「…………」
トゥール伯の指摘にゾンバルトは反論の言葉を無くして押し黙る。
別働隊は失敗し、恐らく全滅した。そのことを認めた上でゾンバルトはトゥール伯に進言する。
「閣下。今すぐ軍を進め、マケドニア軍を討伐いたしましょう」
「…………」
「少なくとも奴らはワーレン殿と交戦し疲弊している筈です。兵の数も質も我らが圧倒的に有利。今なら確実に殲滅できます」
「…………」
「まだどこかに生存者がいて我らの助けを待っているやもしれません。それが叶わぬならば、せめてワーレン殿の仇討ちを」
「…………」
「閣下!」
ゾンバルトは部下たちの意思を代弁するように訴えるが、トゥール伯爵は暫し落ち着いた表情で考え込み、かぶりを横に振る。
「──いや、撤退だ」
「閣下! 何故です!?」
詰め寄るゾンバルトを窘めるでもなく、トゥール伯は困った風に眉根を寄せ、その疑問に答えた。
「ワーレンたちが失敗した理由が分からないからだよ。このまま戦いを挑めば、私たちもワーレンと同じ轍を踏むことになるかもしれない。わざわざ危ない橋を渡る必要はないさ」
「しかし、敵は──」
「疲弊している、私たちより数が少ないというのは卿の希望的観測だよ。私たちは今、彼らに関して正確な情報を持っているとはとても言えない状況だ。実は伏兵がいて誘われているのかもしれない。何か私たちが知らない秘密兵器でもあるのかもしれない。あるいはルマーンが本当にマケドニアと手を組み我らに牙を剥いたのかもしれない。少なくとも今目に見えている情報からはワーレンが伝令も出せず全滅した経緯が全く想像できない。この状況で情報もないまま敵に突っ込むのは自殺行為だよ。仮に上手く行っても、得られる成果は高々二〇〇ほどの首だけだ。とても割に合わない」
トゥール伯の判断は極めて合理的だった。
しかし武人肌のゾンバルトはその判断に反発する。
「……仰ることは理解できますが、しかしそれはあまりに消極的過ぎるのではありませんか? 全く危険のない必勝の戦場など現実には存在しないのです。情報がないと言うなら、ここで奴らを打ち破り何が起きたかを吐かせれば済む話でしょう」
ゾンバルトの発言は問題を極論化していて全く本質からかけ離れていたが、中央から派遣されてきた一部の兵士たちが彼に同調する気配を見て取りトゥール伯は胸中で嘆息する。
「それに仕切りなおして今より有利な状況で戦える保証はありますまい。であれば──」
「いや、保証ならあるよ」
「──……は? 今、何と?」
「今より有利な状況で戦える保証はあると言ったんだ、ゾンバルト」
想定外の答えに目を瞬かせる部下に微笑みかけ、トゥール伯は説明した。
「私たちはこの戦場を放棄し、いったん領都まで退く」
「は? 戦わずして退くというのですか!? そんなことをすれば──」
「まぁ最後まで聞け」
トゥール伯は微笑みを維持して辛抱強く語り掛け、ゾンバルトが話を聞く姿勢を取るまで待った。
「まずルマーンを占拠したことで、敵は山脈を通過し一気に我らの本拠を突くことが可能となった。もはやこの戦場を維持する戦略的意味は薄い」
「であれば猶のこと今敵を攻め山岳地帯を奪取すべきではありませんか?」
「そうしたいところだが、山に陣取られると我が軍の強みである騎兵の機動力が活かせぬし、高所をとられ敵の銃士隊に一方的に狙い打たれることになる」
そこまで説明されて、ゾンバルトもようやくトゥール伯の言わんとすることを理解した。
「……つまり不利な山岳地帯で戦うよりは、いっそ領都まで退いて小細工が出来ぬ平地での決戦に臨んだ方が良いとおっしゃりたいのですな?」
「そういうことだ」
「……敵が攻めてこず、占領地の拠点化を進めた場合はどうするのです?」
「その時は改めて軍を出せばよい。敵の兵站も無限ではないのだ。補給路に嫌がらせ程度の攻撃を続ければすぐに根を上げるだろうさ」
「…………」
「敵が今回ルマーン領を使ったのは、平地では私たち相手に勝ち目が薄いと判断したためだろう。ルマーンを巻き込むことは彼らにとっても相応のリスクを伴う行為だからね。つまり彼らは私たちと正面決戦をしたくないのさ。ワーレンを破った切り札のようなものがあったとしても、それは恐らく平地ではあまり役に立たないものなのではないかな」
トゥール伯の意見は推測混じりではあったが、マケドニア軍の状況をかなり正確に言い当てていた。
そして同時に、敵が正面決戦を恐れているという言葉には仲間の敗北で傷ついたドルネシア軍の自尊心を回復させる効果もあった。
「……敢えて敵の土俵で戦う必要はない、と」
「そういうことだ」
ゾンバルトを始めとした司令部がトゥール伯の意見に理解を示す──そのタイミングで、再び司令部に伝令が飛び込んできた。
「ご報告です! 東にマケドニア軍と思しき一団を発見しました!」
『!』
「……決まりだね。数の有利もこれで崩れた。下手に挟み撃ちにされても面白くない。すぐ撤収準備に移ってくれ」
トゥール伯は一方的に伝えて、部下たちの返事も待たず陣幕を後にする。
──全く、脳筋共と話すのは疲れるね。何も考えず指示に従ってくれれば楽なんだが、中々プライドだけは高くて面倒だ。こうなるとワーレンを失ったのは痛いな……
トゥール伯旗下の兵士は全員が彼に直接仕えているわけではなく、約半数は中央から派遣されてきた王国軍所属の者たちだ。彼らは各地の貴族の反乱を防ぐ役割も担っており、必ずしもトゥール伯に忠実というわけではない。亡くなったワーレンは王国軍所属でありながらトゥール伯の意を良く汲み、両者の間を取り持ってくれる使い勝手の良い人材だったのだが、残ったゾンバルトあたりではそうもいくまい。
部下たちとの意識の溝に溜め息を吐き、トゥール泊はマケドニア軍がいるという北の山に視線をやる。
──皮肉な話だ。部下よりも顔も知らない敵の方が私を理解してくれている気がするよ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
マケドニア軍とドルネシア軍の衝突に巻き込まれてから五日後。
ジンはユースティアたちと共にアルメニア伯爵領に入っていた。
──何で俺がこんなところに……
途方に暮れて空を見上げても、突き抜けるような蒼天は美しくはあったが何も答えてはくれない。
『クゥ~ン?』
慰めるように鼻を擦りつけこちらを見上げるブランカに苦笑し、大丈夫だよと無言で頭を撫でる。この相棒の存在だけが孤独な行軍におけるジンの心の支えだった。
ドルネシア軍に山ごと村を焼かれた村人たちを「見捨てない」「村を復興する」と宣言したユースティアだったが、それは言うほど簡単なことではなかった。
まず村人たちの食料と当面の住まいをどうするか。復興するといっても山は未だ鎮火せず火種が燻っているし、村人たちも禿山になった山中に住む場所だけ建てられても困るだろう。ドルネシアとの戦いに巻き込んでしまった以上、再び敵が攻めてきたらどうするかという問題もあった。一応、ドルネシア軍は一時撤退したのか姿が見えなくなっていたが、それがこちらを油断させるための擬態でないという保証はない。
この他にもルマーン本国との折衝、マケドニア本国への報告、延焼への対処など課題は山積している。
こうした状況に対しユースティアの決断と行動は極めて迅速だった。
まず彼女は部隊を二つに分けることを宣言する。現地に残る部隊と、マケドニア本国に戻る部隊だ。
現地に残るのは騎兵隊、銃士隊、工兵隊を中心とした全体の七割ほど。彼らはギデオンとアルベルトを指揮官とし、ドルネシア軍の監視とザザの民の保護、現地での鎮火活動と当面の生活インフラの確保に当たることが指示された。
ザザの民は当面テント暮らし。村長とも相談の上で一先ずマケドニア寄りの延焼を逃れた山裾に仮の集落をつくることで合意した。村長もかつてのように山で暮らすことは難しいだろうと理解しており、実際には仮の集落がそのまま新たな村となり、マケドニアの経済圏に組み込まれていくことを覚悟していた。
一方、ユースティアと残りの部隊はアルメニアに一時帰国することとなった。
これは物資の調達や内外の政治的問題を解決するための帰国であり、ジンだけでなくエルマとベアトリスがこれに同行する。
工兵隊の隊長であるエルマと銃士隊の隊長であるベアトリスが現地から抜けるのは痛いが、今回の帰国ではできるだけ早く手続きを済ませ再び現地に戻ることが求められていた。現地での作業と本国での手続き、その二つを天秤にかけた結果、今回ユースティアは後者を優先。兵站管理者であるエルマと補佐能力に長けたベアトリスを伴うことを決める。
問題はジン。ユースティアの鶴の一声で同行が決まった彼の立場は極めて微妙だった。
そもそも彼はルマーンの山の民であり、帰国に同行したところで何もやることがない。また先のドルネシア軍の撃退に多大な貢献はしたものの、そのせいで兵士たちからは得体の知れない化け物を見るような目を向けられており、同行している白狼ブランカの存在もそうした隔意に拍車をかけていた。
色々あったし村の人と一緒にいるのも気まずいなと、あまり深く考えず同行に応諾したが失敗だったかもしれない。ジンが半ば本気でこの場からバックレようかと考え始めていたタイミングで、道の先に巨大な外壁に囲まれた都市が見えてきた。
「あれが……」
「そうだ。あれが私が治めるアルメニア領の都だ」
ジンが生まれて初めて見る巨大な人工物に目を奪われていると、下馬したユースティアが話しかけてきた。
「無事についてよかった。いつ貴様が嫌気がさして逃げ出しやしないかと冷や冷やしたぞ」
揶揄うような言葉にジンが何か返すより早く、ユースティアが申し訳なさそうに続けた。
「道中居心地の悪い思いをさせてすまんな」
「…………別に」
「そうか。街に入ったら入ったで色々あるとは思うが、もう少し我慢してくれ。出来るだけ不自由のないよう手配はする」
「分かった」
「うん。ブランカも頼むぞ?」
『…………』
ユースティアの言葉にブランカは無言でフイと顔を背ける。その態度にユースティアは機嫌を悪くするどころか楽しそうに笑った。
そうこうしている内に一行は街の入口へとたどり着き、前方からユースティアを呼ぶ声がする。
「──と、呼ばれているから行く。悪いが街に入ってからはベアトリスの指示に従ってくれ」
「!」
ユースティアはすぐ傍でジンを警戒して睨みつけていたベアトリスに彼のことを押し付け、門へと駆けていった。
ベアトリスは心底嫌そうな顔でジンを睨みつけ、隔意と警戒を隠そうともしない態度で彼に告げる。
「私が怪しいと判断したら即座に撃ち殺します。くれぐれもおかしな真似はしないように」
「……気を付けるよ」
ジンがくどくどベアトリスに絡まれていると、外壁の門が開き、中から金髪の貴族らしき青年が現れユースティアを出迎える。その親し気な様子にジンが「おや」と首を傾げると、横からベアトリスが釘を刺した。
「姫様の婚約者のノイ様です。分かっているとは思いますが、姫様がお優しいからといって身の程知らずな勘違いはしないように」
「────」
酷い侮辱だ、自分はあんなヤバイ女は趣味じゃない──ジンの口からそんな抗議の言葉が出そうになるが、自分を睨みつけるベアトリスの本気の殺意を前に、諦めて同じ言葉を繰り返した。
「……気を付けるよ」




