5話 (柳、桐子)
ーーいと/柳ーー
秋の日が沈む。寺の中庭に拵えた舞台、両脇にある篝火が灯された。それまで騒がしかった民衆は静まり、薪が立てる乾いた音すら聞こえてくる。
「ピュイー」
笛の音が甲高く響くと舞台奥の御簾が開き、烏帽子を被る男装の姫様が姿を現す。
「そうきたか!」
馴染みの爺さんが声を上げる。姫様は扇子を顔の前に開いたまま、滑るように舞台に躍り出た。
(またぞろ、型破りなる仕業を)
誰かが唾を飲み、深く息を吐いた。扇子を下げる。
「、、、」
「き、狐じゃ、狐目じゃ」
いくつかの笑い声が上がるが続かない。腕をゆるりと開き、客を見渡すように顔を左右に振る。
「ポン、ポン、ポン」
小鼓の音が緩い拍子で鳴り始め、それに合わせるように舞う。腕から大きく垂れた袖が蝶の羽のように見せる。姫様が微笑むと張り詰めた気が和らぎ、溜息があちこちで漏れた。次第に拍子が早くなり、客の体が揺れ、手拍子が起こる。
「髭じゃ!髭が生えた!」
前に座る童が何かに気付いた。目を凝らすと後ろを振り返る度、頬に黒い線が二本、三本と増えていく。笑い声が大きくなる中、舞は続く。
「疲れ果てしや?」
息を切らしたかのように動きが鈍くなった。舞台奥から顔を隠した者が現れ、布に包まれた何かを抱えて姫様の背後に回る。
「尾っぽじゃ!尾っぽまで生えおった!」
皆が笑い声を上げ、それに応えるようにまた踊り始める。先程と違い飛び跳ねるように舞台を行ったり来たりしている。尻尾に気付いた。慌ててそれを掴み、袖で顔を隠しながら舞台を降りる。なお一層の大きな笑いと拍手が起きた。
「化かされたのぅ」
ーー?/桐子ーー
屋敷の部屋に戻ると白粉を落とし、いとに体を拭かせる。
「なんじゃ? 不機嫌じゃのぅ」
「忌まわしきことを思い出でたればこそ」
「じゃが良かりしや?」
「かような舞は、初めて目にいたしました」
(素直に’良かりし’と申せば良きものを)
「いざ夕餉にいたさん。京に立ち帰らば、また湿りたる物しか食むことは叶うまじ」
「粗餐にて面目のう存じます」
「そなたの咎にはあらずぞ。ただ、物が悪しきにこそ」
聞こえぬかのごとく、いとが部屋を出ていく。
いとがお櫃を抱えた女将と共に戻ってきた。後ろには二人の下女が、魚や貝が溢れそうなほど盛られた膳を持っている。
「此度の舞もまことに素晴らしう候し」
上機嫌な女将が湯気の上がる白米を椀によそう。目の前に置かれた膳からは磯の香り、焼き魚と醤、味噌の香ばしい匂いが立ち上る。
「左様であろう? いとのおかげじゃ」
「柳様が御案じになられたることで?」
「秋の鯛は久しうのぅ」
淡い赤色の大ぶりな刺身に醤を付け、一口に頬張る。
「脂がのってて旨い! やはり北の物は、伊勢とは少し異なるわ」
味噌汁を少し飲み、米を搔き込む。
「先つ頃、姫様に悪戯をされたり。午睡しておる間に頬へ筋を書き付けられ、そのまま町へ出でたり」
「まぁ、おいたわしや」
「皆、’かはゆし’と申しておったぞ」
「痴れ者と嗤うておるのです」
「お二方は、仲睦まじうおはしますな」
「旨き物なくば、疾くに辞しております」
「愛いやつじゃ」
いとを眺めつつ女将と笑う。
昨夜と見劣りしない朝食を食べ終え、旅の支度を済まして屋敷を出ようとすると、女将が待っていた。
「また来年もよしなにお頼み申します」
「うむ、はや春の待たれるるかな」
「こちら、御供の方の分も候えば、持ちてくだされ」
おむすびの詰められた平包みを貰い、屋敷を後にする。護衛の伊助と落ち合い、猿楽の者どもからなる列の後をついて行く。
南東から声がする。
(イザナ?)
(いかにしたるぞ? 海の際におりたれば、聞こえざりし)
(北の迷い子が襲われたるぞ)
(果てたりや?)
(存命ぞ。然れど、里を追われたる様子なり)
(あやつら、使いを放ちてあるか?)
(坊主に雨を知らせておる様子成り)
(坊主か、皮肉なものよのぅ。幾つになりたる? 旅に耐えうるべきか?)
(未だ童にてあろう)
(暫し待たん。坊主を遣わせておけ)
「、、さま? 姫様?」
「なんじゃ?」
「一息入れさせ給え。何か案じ事でもおはしますか?」
「ふむ、今少し手を求むべきなりしかな」
「舞の事におはしますか?」
「直に相まみえん」
女将から貰ったおむすびは護衛や列の者どもに分けると瞬く間に無くなった。




