3話
ーー右平次ーー
夢を見た。3年前、奉行の見習いとしてこの村に来たばかりの頃、山での狩りに無理やり連れていかれ案の定迷った。右も左も分からず、上と下さえも分からなくなり空も暗くなった頃、声がした。翁の声。
「どうしたんじゃ?」
驚いて周りを見渡す。誰も居ない。いや、とてつもなく不気味な木が木々の向こうに見える。目を逸らし、背を向けた。
「道に迷い候。帰り道を御教えくだされ」
「あっちじゃ」
「こ、こっちでござるか?」
「違う」
「では、こっちでござるか?」
「もう少しじゃ」
「このあたりでござるか?」
「逆じゃ」
「こっちでござるな?」
「月を見るんじゃぞ。逃げられるなよ」
「忝い、この御恩いつか御返し致す」
急いでその場を後にし、暗い森の中を月を頼りに真っすぐ進み続けた。狐に化かされた?妖の世に迷い込んだ?などと考えながら草を掻き分け、斜面を登ったり下ったりするうちに村の入口の真横に出た。
もう忘れたと思っていたが、やはりいい夢ではなかった。全身にかいた汗が体を震わせる。体をさすりながら厠へ急ぐ。用を足し、村長の家に入る前にふと村の方を見る。
「起きたか?」
全身の毛が逆立つのを感じる。出してきたばかりなのにまた出そうになった。
「そっちに童二つを連れた母が行くぞ」
「い、いかがいたしましょう?」
「ほっほっほ」
声はそれきり聞こえなくなった。
(あのときの恩を返せということか)
村長達を起こさぬよう静かに上衣を羽織って村に向かう。
村人の家の前を通るときに耳を澄ます。
(この刻なら厠に起きる者もいるだろう)
田助の家から音がする。もう少し様子を聞くために壁に近寄る。営みの音ではないな。
「田助殿、右平次にござる」
入り口で呼びかけると一瞬あたりが静まり返る。中から足音が近づき一歩下がると筵戸が捲れた。
「な、なんでぇ。こんな刻に」
「今すぐ見回りに行かねばならんのです」
「夜更けじゃ、いかんのかい?」
「いかんのです。詳しくは道すがら話します故、もう一人起こして下され」
「ふぅ、刀と松明と、他にいるかい?」
「それで結構。それがしももう一人起こして山道の入り口にてお待ちします」
「山?っておい」
聞かれる前に次の家に向かう。
「ったく、なんだってんだちくしょう」
一人、山道の入り口で待つ。どこに背を向けても闇を背負うことになる。
(本当に皆来てくれるだろうか)
くるくる回りながら背後を気にしていると村から松明の明かりが二つ見えた。
「まさか、お三方とも来てくれるとは」
「てめぇが呼んだんだろ」
田助も不機嫌だが、他の二人はもっと不機嫌そうだ。
「では参りましょう」
気が変わらぬうちに歩き始める。ちゃんと予備の松明まで担いでくるのは流石だ。
「それで?なんで山道を見回るんだ?川下の村とは逆じゃねぇか」
「山から人が下りてきます」
「おいおい、こんな夜中に山に人がいるわけねぇだろ」
後の二人も、妖か?獣か?と怯えている。
「それに、何でそんなことが分かるんでぇ?」
「お告げにござる」
「てめぇ、この野郎」
田助が松明を振りかざす。
「あちっ。お、落ち着いて下され。それがしは以前、山の神にお目にかかったでござる」
「ほう?大して外働きもしない奴がか?」
奉行に対する侮蔑を受ける。
「この村に来たばかりの頃、山で迷子になったではありませぬか」
「そういや、そんなこともあったか。逃げ出して狩りが終わるまで隠れてやがったと思ったが」
村の入り口から帰ってきただろ、と後ろから聞こえる。
「手も足も泥だらけだったではありませぬか。それに今までそれがしが嘘を申したことがありましょうか?」
「うーん」
皆信じていない。不気味な木の事や村への帰り道の話をしていると、山道が途切れる所まできた。
「松明が消えそうだ。右平次、戻り道で見つからなかったら終わりにするぞ」
来た道を折り返す。
(あの木は最後に「月に逃げられるな」と言った。もし逃げられてしまったらどうなるのか。休まず歩き続けて村の入り口に出たのなら、子を二人も連れていたら何処に出るのか)
「向こうだ」
「あっ、なにしやがる」
田助から松明を奪い、道の脇にある斜面を照らす。近くに獣道を見つけ駆け上がる。
「おーい!」
山彦が返ってくる直前、何かが聞こえた気がした。
「た、け、た、けて」
山の上の方から微かに枝の折れる音がして、急いで音の方に向かう。草を搔き分けながら少しずつ近づいていく。さっきの言葉を思い出す。
(妖か?獣か?)
「お助けを」
かすれた声が目の前から聞こえて松明で照らすと、膝をついた泥だらけの女がいた。




