2話 (弥太郎)
ーー弥太郎ーー
「ぎゃぁぁー」
山に悲鳴が響いた。隠れていた反対の茂みに飛び込んだが、それを追うように松明の明かりがこちらを照らす。
「何かいるぞ!」
「はぁ、はぁ、痛ぇ、うぅ」
「どうした? どこをやられた?」
「あ、足首を切られた」
「逃げたのは女だけじゃなかったのか。くっ、これ持ってろ」
(失敗した。松明を持ってる方じゃなかったか)
前を歩いていた男はうずくまる男に松明を渡し、刀を抜く。
「出てきやがれっ、くそっ」
獣道から一歩、また一歩と刀を振り回しながら近づいてきた。切られた笹が宙を舞い、松明の明かりが眩しくなってくる。一瞬何かが光った。目の前には刀の刃先、生ぬるいものが頬を伝う。すかさず横に飛んだ。
「いたぞっ」
必死に草の中を走る。飛んだ瞬間木の陰になり切られなかったが、物凄い勢いで追いかけてくる。振り返ろうとすると、左腕に一筋の冷たさを感じた。足が空を蹴る。突然暗闇が回り始めた。
「はっ、はっ、やったぞ。餓鬼のくせに刃向かいおって」
「お、おーい、手ぇ貸してくれや」
「ちょっと待っとれ」
(また果てたか?)
だが体中が痛い。土の味もする。目を開けても周りがよく見えない。男に追いかけられた事を思い出す。遠くで声がする。少しずつ体の感覚が戻ってきた。右足が痛む。左腕も痛いが、左脇から背にかけて冷たい。
(振り返った時に斬られたか。起き上がらねば。おっかぁが待っておる)
体を起こし膝をつく。手も足も動いた。這って獣道に出て立ち上がる。坂を転がったらしい。さっきの男達がいたところに戻ると、里の方に微かに明かりが見えた。
(死んだと思われたのか。もはや追うては来ぬか)
母と別れた所まで来た。
「おっかぁ?」
小さい声で呼んでみるが、反応はない。
(ここにて待つと思うたのに。早う見つけねば)
右手で左腕を強く抑え、右足を庇いながら歩く。小刀はもう無い。
ただ歩く。二つの子狐を思い出す。死の間際まで鳥を払い、獣に立ち向かっていた。
(あの子を守らねば)
一度立ち止まり深く息を吸ってみるが、獣の匂いはしない。月を見上げ、向かう道を確かめる。
(何かおかしな事よ。来る道は間違うておらぬ。少し進みても見覚えある道。月が、、、)
「あやつは生きておった」
「はぁ、はぁ」
息を切らしながら早足で進む。この先の道を思い出す。月があっちに見えると母はどっちに行くのか。
(わからぬ)
頭がぼーっとしてくる。気が付くと叫んでいた。
「おっかぁ!」
山彦が聞こえた。
「弥太郎!」
後ろから声がする。
(おった!)
互いに呼び合いながら草を搔き分ける。
「弥太郎!」
目の前に黒い影が現れ、覆い被さってきた。
「うっ、おっかぁ、痛い」
「はっ、どこか怪我したのかい?」
「左腕を斬られた」
右腕を強く掴まれ月明かりの下まで引き摺られる。左脇に手を入れられると血で濡れた布が冷たい。
「これほどに血が。、、、さらには顔も泥にまみれおって」
母は抱いていた妹を地に置き、妹をくるんでいた布の端を噛みちぎって引き裂く。背中に手を回して上衣の切れ目を確かめると左腕に強く巻きつけ、痛いくらいに縛った。
「外に痛む所はないかい?」
「もういい」
ここかしこ痛むが、あまりの乱暴さに偽る。
「早う里に下りて、坊さんに診てもらわねば」
「爺なら山向こうの里を知りおるかもしれん。もう少しじゃ」
眠る妹を抱いた母の前を歩きながら、後を追ってきた男達の事を話す。心細さは無くなったが、母は無言だった。
昼間と違い、夜の喋る木は不気味に見えた。森に差し込む月明かりが、曲がった幹に大きく開いた穴をなおも大きく見せる。恐る恐る声を掛ける。
「爺? 起きておるか?」
「珍しいのぅ、かかる夜更けに。なんじゃ? また母に見せんとするか?」
「違う、助けてくれ。里に帰れぬのじゃ」
「帰り道ならば、今来る道を真っ直ぐ戻るだけじゃろう?」
隣で母が座り込み、手を合わせている。
「山の神様、どうか救わせ給う。倅の命を助けさせ給え」
「誰か果つるのか?」
「里が襲われて逃げてきたんじゃ。腕を斬られた」
「ほう、治るのか?」
「急ぎ里に参らねばならぬ。いづくに向かうべきか教えてくれぬか?」
「あっちじゃ」
「どっちじゃ?」
「あっちじゃ」
「こっちか?」
「もう少しじゃ」
「こっちか?」
「そんなもんかのぅ。月を見るのじゃぞ」
「爺、知っとるか? 月は生きておるぞ」
「はっはっは。よう知っとるのぅ。急げよ。逃げらるるぞ」
まだ座り、手を合わせる母を引っ張る。




