【番外編】おもしれー女の実家では
モーガン男爵は、最近、娘からの手紙を開くのが少し怖い。
王立学院へ入学したばかりのころは、何の問題もなかった。学院はとても立派なところだとか、食堂の菓子がおいしかったとか、授業が難しいとか、そんなことが書かれていた。
ただ、一通目の最後に、少し気になる一文があった。
『王太子殿下もいらっしゃいます。私、がんばります!』
何をがんばるのかは書いていなかったが、娘が元気ならそれでいいと思っていた。
ところが、次の手紙には、公爵令嬢のエレノア・ヴァレンティスに勉強を教えてもらうことになったと書かれていた。
「ヴァレンティス公爵家のご令嬢が、なぜリリアに?」
「ありがたいお話ではありませんか」
妻は喜んでいたが、男爵には理由がわからない。そこで尋ねてみたものの、返ってきたのは『エレノア様はとてもいい方です!』という答えだけだった。
「姉さん、何かやらかしたんじゃないの」
手紙を覗き込んだ妹が言った。
「公爵令嬢に勉強を教えてもらうようなやらかし方があるのか?」
兄がもっともな疑問を返した。
男爵にもわからなかった。
それからしばらくして、リリアは領内の蜂蜜について尋ねてきた。生産量はいくらか、果実の加工にはどれほど使っているのか、王都まで運ぶ場合の費用はいくらか。ずいぶん具体的だったので、領地を管理する者と相談して返事を書いた。
今度こそ何に使うのかと尋ねると、
『葡萄を加工するかもしれません!』
と返ってきた。
「うちでは葡萄を作っていないが」
「王都で何か見つけたのでしょうか」
「何を見つけたら、うちで葡萄を加工することになるんだ?」
その謎は、ヴァレンティス公爵家から届いた書状によって解けた。
二百七十年前に途絶えた葡萄栽培をヴァレンティス領で復活させ、収穫した葡萄の一部をモーガン領で加工する計画があるという。試験栽培が成功すれば、葡萄の流通が少ない東部への販路も検討したいと書かれていた。
しかも、その発案者として娘の名前がある。
男爵は書状を二度読んでから、久しぶりに娘へ長い手紙を書いた。
『何をしたのか、最初から説明しなさい』
返事はすぐに届いた。
『王宮の壁に葡萄があったので、どうしてかなと思って調べました!』
男爵は説明を諦めた。
それでも、話そのものはありがたかった。
モーガン領は豊かな土地ではない。蜂蜜や果実の加工は昔から行われているものの、領民の仕事を増やす方法は、男爵が長く頭を悩ませてきたことの一つだった。
ヴァレンティス領の葡萄が東部へ流れるようになれば、加工や輸送にも新しい仕事が生まれる。娘がどうしてそこに関わっているのかはわからないが、領地にとって悪い話ではなかった。
「姉さん、ちゃんと勉強してるんだね」
妹は感心していた。
「王宮の壁を見て始めたらしいけどな」
兄が言った。
「それでも仕事になるならすごいじゃない」
それについては、男爵も同意した。
ところが、葡萄どころではない知らせが届いたのは、それから間もなくのことだった。
ヴァレンティス公爵から、正式な面会の申し入れがあった。
王都へ赴いた男爵は、公爵本人から娘についての話を聞くことになった。リリアが王太子アルフレッドと互いに想い合っており、王太子の婚約者候補として名が挙がっているという。
男爵はしばらく言葉が出なかった。
「……うちのリリアが、ですか?」
「ああ」
「王太子殿下と?」
「そうだ」
葡萄の話は理解できた。王宮の壁から始まった経緯はともかく、調査して、古い記録を見つけ、試験栽培を提案したのだ。
しかし、王太子との恋愛はどこから出てきたのかわからない。
「それで、ヴァレンティス公爵家がリリアの後見に?」
「そのつもりだ」
男爵はさらに混乱した。
公爵令嬢が娘に勉強を教えているだけでも十分に不思議だったのに、その父親まで娘を王太子妃候補として支援するという。
「公爵閣下は、それでよろしいのですか」
「娘が望んでいる」
「エレノア様が?」
「ああ」
男爵はとうとう、それ以上尋ねるのをやめた。
帰宅して家族に話すと、妻はしばらく黙ったあと、目に涙を浮かべた。
「リリアが王太子殿下と……」
「まだ候補だ」
「でも、両思いなんでしょう?」
「公爵閣下はそう言っていた」
妹は目を輝かせた。
「お姉様、王太子妃になるの?」
「まだ候補だと言っている」
「大丈夫なのか?」
兄だけは別のところを心配していた。
「何がだ」
「王太子妃だよ。リリアだぞ」
男爵は答えられなかった。
家族だからこそ知っていることもある。
リリアは明るく、よく笑い、昔から思いついたことをすぐ口にする。領民とも気軽に話すし、身分の低い者を見下すこともない。それは娘の長所だと思っている。
王太子妃に向いているかと聞かれると、話は別だった。
「エレノア様が教えてくださっているんですもの。きっと大丈夫ですよ」
妻はそう言ったが、男爵はヴァレンティス公爵令嬢に少し申し訳ない気持ちになった。
それからも王都から知らせが届くたび、家族は一喜一憂した。
アルフレッドとエレノアの婚約が正式に解消され、エレノアは第二王子ユリウスとの婚約を発表した。リリアも王太子の婚約者候補として認められ、葡萄の試験栽培も準備が進んでいるらしい。
ようやく男爵も、娘が王太子妃になるかもしれないという未来を受け入れ始めた。
そんなある日、また王都から知らせが届いた。
男爵が読み終えるのを、妻と息子と娘が待っている。
「お父様、今度は何?」
妹に聞かれ、男爵は書状から顔を上げた。
「リリアが光ったらしい」
三人が黙った。
「……光った?」
「ああ。聖魔法だそうだ」
「リリア、今度は何したんだよ」
「怪我を治したらしい」
妻はしばらく考えてから、ほっとしたように笑った。
「元気そうでよかったですね」
「そうだな」
王太子妃候補になり、公爵家の後見を受け、二百七十年前に途絶えた葡萄を復活させようとして、とうとう聖魔法まで使い始めた。
何をしているのかは、いまだによくわからない。
それでも娘が元気でいることだけは、最初の手紙から変わっていなかった。
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