第六話『本当に厄介事だと思っているのか?』
センチな気分は、センチな気分の対象によって壊される。
そんな因果があってたまるかと思いながら、俺は朝礼が終わっても、授業が終わり休み時間になっても、ヒカリのスカウトを受け続けていた。
助けてくれという視線は誰にも届かない。黙って愛想に落としている俺も悪いと言えば悪いのだが、俺に味方はいないものだろうか。
「で、葦名くん。私の朝礼ダッシュを見て、気持ちは変わったかな? もう無茶はしないよ。大丈夫、私は成長出来る女なのだから!」
「うん、成長するのはいいことだよな。そのまま頑張ってくれ」
もうスカウトは御免だと思いつつも、軽口を叩けば一旦は引っ込むだけ、まだマシだ。
「……クラスメイトのお願いだよ?」
「うん、クラスメイトのお断りだな」
ヒカリはこちらに顔を少し近づけ、目をウルウルさせようと頑張っているが、目の奥になんとなく努力感が伺えてしまって、どうにも心は揺らがない。というか俺がクラスメイトだと彼女の中で判明したのはつい数時間前だろうに。
顔を近くに寄せられても、大きくてぱっちりと丸い目をしてるんだなぁだとか、意外と可愛いヘアピンしてたんだな、くらいの印象しか持てない。まじまじと顔を見るのも、なんだか照れくさいが、近づけているのは向こうなのでそれは気にしないことにした。
というか、ヒカリはもしかすると男子にモテるんじゃないだろうか。俺みたいな日陰者相手に距離を詰めるくらいだ。これをやられて勘違いする男子はいくらでもいるだろう。
見た目も整っていて、性格も、まぁなんというか悪いとはいいがたい。
漂う良い匂いは……これは単純に制汗剤の匂いなんだろうなと納得出来たので、俺はとても防御力が高い。
ただのヒーロー願望ガールとして認識していたが、ヒーロー願望を切り取って、ちゃんとガールとして彼女を認識した時に、青春を謳歌する女子高生の感じが伝わってくる。
とはいえ、少し雑に切り揃えられた前髪については何も思わない事にするが。
「もー……葦名くんは強情だなぁ。次の作戦考えとくから待っててね!」
どの口が言うのだと思いつつも、とりあえず今回のスカウトはツーラリーで終わった。
別に戦っているわけではないけれど今回も俺の勝ちではあるが、ヒカリが諦めない以上引き分けにもつれ込まれている気もする。
卓球なら彼女は失点を続けている。だけれど会話のサーブ権は一方的に向こうに取られているというなんとも言えない状況、俺を口説き落とすという一点を取ればいいだけなのにそれが出来ていない。
最終的に彼女がスコンク状態になるのはいつ頃なのだろうかと思う。
「あぁ、ちなみにペットボトルの件は一切加点にならないからな? 見てみろ稲穂さんのカバン」
なんとも可哀想にも見える光景。
稲穂さんはようやく一本目のペットボトルを飲みきったようだが、ヒカリの横から見える稲穂さんのカバンからは、三本の水のペットボトルが頭を出している。ちなみに頭の方に水は入っていない。朝礼前に水浴びをしたヒカリ蟹がいたから。
「あれ、葦名くんって稲穂ちゃんと知り合いだったんだ?」
その言葉に、ヒカリの後ろでガタンと机が揺れる音がする。
しかしこのクラスは窓際の幽霊といい、ヒカリ蟹といい、怪奇現象の多いクラスだ。
「そりゃ、ヒカリが朝礼で呼んでただろ。しかも大声で。あの一部始終を見てたら覚えるさ。稲穂……何さんかまでは分からないけど」
「んー? 稲穂……何さん?」
俺の言葉にヒカリが首をかしげる、大声だったことについては否定してやらないぞと思っていると、彼女は「あぁ!」と言ってパンっと手を叩く。後ろでガタタッと机が揺れる音がした。
「ん! 稲穂ちゃんは稲穂ちゃんだよ! 水引稲穂稲穂ちゃん。可愛いよね、可愛いよね?! 狙ったらダメだぞー?」
狙うも何もない。
色恋に興味がないわけではないにしても、特定の異性に興味があるのなら、せめて名前くらい最初から覚えているというものだ。
「あぁ……稲穂さんって名前だったのか、俺はてっきり苗字かと……狙うつもりはないけど、お前にとやかく言われる筋合いも多分ないぞ?」
「稲穂ちゃーん! 葦名の狼に狙われてるぞー!」
ヒカリは振り返って稲穂さん改め、水引さんの方に近寄っていく。
チラリと見えた水引さんの表情は相変わらず困ったように笑っていて、顔も赤い。
朝礼の時も顔が赤かったし、おそらく照れ屋か何かなのだろう。
ヒカリとは真逆のタイプのように見えるが、少し遠目から見ても楽しそうに話をしているあたり、悪い関係ではないのだろう。
なんというか、ギャル子さんやおっとりさんと一緒にいる時よりも、ヒカリの表情も和らいでいるように見えた。
――まぁ、友達付き合いってそういうものなのかもな。
ヒカリのような性格の人間が誰かと不和を持つ事自体、珍しいだろうと思う。
だからこそ、色んな人間と付き合いがあって、その中でもつるむ人間がいて。 だからといってつるむ相手に一番気を許しているというわけでもない。
「やっぱ、面倒なもんだよなぁ……」
俺の小さな呟きは、クラスの喧騒に溶けていく。
とはいえ、俺の話を水引さんにされるのはもっと面倒なことになりそうだから、俺はヒカリをこちらに呼び戻す。面倒でも、無関係の人を少しでも困らせる一因にはなりたくなかった。
「ほら、困らせるのはやめなさい。加点減点があるなら、減点対象だぞ?」
もっとも、加点が出来たところで、彼女のヒーローについての要求を飲む気は無いけれど、言葉の上でこういう話がヒカリに有効なのは何となく理解出来てきた。
「稲穂ちゃんとは仲良しだもん、困ってないよ? ねー?」
「ん、私もヒカリちゃんの事好きだし、困ってないよ。えっと、葦名くんは大丈夫?」
急に自分のことを呼ばれて、俺はハッとして、少し口ごもる。
「んん?! あ、いや大丈夫、なんてことない」
――俺の名前、覚えている人がいたのか。
人間関係が面倒だと呟いた手前、そう思ってしまう自分が悔しいが、正直言って素直に嬉しい。
心配をしてくれるあたり、少なくともヒカリとの初対面よりは好印象だ。
何度か俺の事を呼んでいるくだりが聞こえていたのかもしれないが、その何処かで覚えてくれているというのは何とも嬉しい話だ。
「大丈夫だって! なら加点かな? 加点だよね?」
「いや、これはどっちかと言えば水引さんに加点だな。ほら、水引さんは俺の苗字、ちゃんと覚えてくれてるぞ。相対的にヒカリが減点対象かもしれない」
ヒカリはムーっとした顔をしながらも、言われたこと自体は何となく腑に落ちているのだろう。彼女は何も言わずにこちらに戻ってくる。
「うーん。じゃあさじゃあさ、バディ特典に稲穂ちゃんつけたらどう? 稲穂ちゃん、私のこと時々手伝ってくれるよ?」
そんなのもう、水引さんは聖人か何かじゃないか。
アドを持っているかまでは知らないにしても、朝礼あたりのやり取りを思い出せば、二人の友情関係は少し垣間見える。
「水引さんがとても良い人なのは分かった。だけどお前は正義の前に友達を特典にしようとかいう倫理観について考えような」
たった一日で何度もアプローチを受けざるを得なかった印象として、ヒカリは決して話が通じないわけではない。ただあまりにも目的へのアプローチ方法が多すぎるから、毎度違う断り方というか、ツッコミを入れなければいけない気がしてきていた。
問題は、そのアプローチ方法の全てが弱っちい事なのだが、だからこそ俺は納得しないでいられる。確かに、時々芯を食ったことを言われると一瞬揺らぎそうにもなるが、やはり俺は、出来る事しかしようと思わない。彼女が俺のアドを求めているならば、それを理由に、この話はきっと一生平行線になる。
「あ、でも稲穂ちゃんにもギフトの話はしないから、安心してね?」
周りに人がいるというのに距離感が近いのもヒカリについての問題ではあるが、改めてそう約束してくれた事には安心する。当たり前の事ではあるにせよ、話せば話す程、『百瀬陽雁』という人物像は見えてくる。
「なーんか、ヒカは理追くんにお熱だよねぇ」
ヒカリに釣られて寄ってきたギャル子さんが茶化す。だけれど何だか笑顔が怖い。
せっかくなら同好の士改め、ヒカリの仲良しさんであるところの水引さんみたいに柔らかく微笑んでいてほしい。
俺はヒカリに付き纏われているだけだから、お熱のように見えても仕方はないわけだが、決してそういう関係ではない。この数時間で俺の運命が変わってしまうなんて考えたくもない。
「うん、お熱なんだよ。葦名くんは……えーっと……?」
ここで俺に視線を送られても困る。それにお熱だと言われるのも困る。
「あー、学校来る時に通りすがりでさ。ちょっと困ってる人を手伝ったんだ」
手伝うという言葉を使ってしまったばかりに、ヒカリの頭にピンと猫耳が立ったような感じがしたけれど、結果として手伝っただけで、これから手伝うとは言っていない。つまり嘘は一つも言ってない。
「あーね、ヒカは厄介事持ってくるからなぁ。理追くんも大変だったっしょ?」
ギャル子さんの解釈も、それはそれで、何かズレている気がする。
「どうだろうなぁ、別に厄介事だとは思っていないよ」
ただ、俺が返したこの言葉も何か、ズレている。
――ただ、厄介事と呼ばれたことが、少し気に障った。
俺は確かに、ヒカリの事を厄介だとは思っている。
だけれど、どうしてだろう。彼女のやっている事を、厄介事だと言われるのは、少し胸がざわついた。
彼女がしていることは、正義とも純粋とも名前がつけられない。
未熟でもあり、身勝手でもある。
それでも、彼女が選んで、進んで手に入れようとしている、自分自身だ。
「えー? 理追くんやさしーね? ほんとに助けたげたらいいんじゃない?」
だからこそ、俺はヒカリと自分の差に、少しだけ、劣等感を覚える。
この劣等感は、ずっと一人で抱え込んできたものだ。
だけれど、ヒカリの存在がそれを、俺の中で暴いてしまった。
「優しくないさ……気まぐれだよ。そのうち百瀬さんも飽きてくれるんじゃない?」
「まーね、あの子はほんとに不思議ちゃんだしね~」
ギャル子さんは随分と、面倒な所に踏み込んでくる。
あえてやっているのだとは決して思わないが、あえてやっていないとしても、見えない所で俺が拳を握りしめてしまう程度には、軽口が過ぎるなと思った。
一生懸命に愛想笑いをするが、ちゃんと笑えてるか不安だ。
俺は少し感情的に、何か言い返しそうになって、俺は口を静かに結んで考える。
――ただ、ヒカリは決して厄介事を持ってきていたわけじゃない、そこだけは、絶対に違う。
ひったくりに、自分の身も案じず飛び込むヒカリは、確かに向こう見ずだ。厄介だ。
それでも、厄介事を持ってくるだなんて事が、今まであったのだろうか。
「私らもさぁ、時々困っちゃうんだよねぇ。良い子なのは分かるんだけどさぁ」
どうやら、これは愚痴らしい。
それを真正面に聞いて、頷く距離感になった覚えは、ない。
「本当に厄介事だと思ってるのか?」
純粋に聞いてみたかった。茶化す仲でもイジり合う仲でも良い。
少し苛立ちが見えてしまったのか、ギャル子さんは何とも言えない顔で立ち尽くす。
ただ、珍しく助け舟が飛んできた。とはいえその助け舟の話をしていたわけなのだけれど。
「誰が厄介だっての! 葦名くんひどいよっ!」
実際、ヒカリは俺の怒号を一回浴びている。厄介だという言葉に少し彼女なりに敏感になっていたのもあるのかもしれない。
だけれど、俺の表情を見た彼女は、軽く笑う。おそらく気を使ってくれたのだろう。
彼女はギャル子さんの肩を組んで、場を和ませてくれていた。
ヒカリがその後も俺に目で合図を送ってきたのが分かったが、その申し訳なさで、思わず俺は目を逸らしてしまっていた。
「でもヒカリって失敗ばっかりじゃんかー」
ギャル子さんも、あえて俺には触れずに、ヒカリとじゃれあっている。
「へへー、でもそんな私のことが好きなんでしょー?」
完全にフォローされてしまった。
これは明らかに俺の失敗だ。
だから、余計な事をしたくない。なるべく人と関わり合いたくないのだ。
特に、ギャル子さんのような言葉が軽い人は、扱いが困る。
なるべくこういう状況にはなりたくないとヒカリに直接言えば、配慮はしてくれるだろうが、そもそもヒカリが俺に食いついてきているのだから、元も子もない。
そうしてギャル子さんや、おっとりさんは、ヒカリを茶化したりイジったりしながらも、彼女を中心に動いている。
「それでさ、さっきからヒカは理追くんに何を言ってるん?」
ギャル子さんがさっきの一件なんてまるで無かったかのように、フランクに俺の話をしはじめる。
俺の名前が聞こえるのも、はっきり言ってもう不快の域に入っていた。
それでも呼ばないでくれとは言い難い。そうしてヒカリはヒカリで、ギャル子さんと楽しそうに話している。
――その関係性をずらすのは、違うよな。
俺の事を話しているようだけれど、あまり聞きたくはなかった。
流して聞いている感じ、俺のアドの事には触れていないようだから、俺は小さく溜息を吐いてから窓を見る。
今日はずっと空を見てばかりだ。
何処に視線を置けば良いかもわからない。
昨日までは、ぼんやりと机に顔を突っ伏していれば良かっただけに、個人的には結構ハードな状況だった。
そんな俺の心を投影しているかのように、いつのまにか、朝あれだけ綺麗だった青空は、曇り空に変わっていた。
だから、曇って光が薄まった窓のせいで、俺は窓の幽霊と、パッと目が合ってしまった。
ハッキリと、顔が見える。
本当に幽霊がいるだなんて思っちゃいなかったけれど、その正体が誰か分かってしまうと、少しだけ気まずい。
俺は今日何度目かの愛想笑いをしてから、窓の幽霊――水引さんに手を振った。




