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百瀬ヒカリは正義を謳う  作者: けものさん
第一章『通学路にて、光が満ちる』
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第三話『それを正義とは呼びたくない』

 俺と彼女の目の前で、お婆さんがひったくりの現行犯の被害に会っていた。


「「……は?」」

 お互いの話が一気に中断され、同じ言葉だけが俺達の口から飛び出る。


 二度ある事は三度あるとは言っても、まだ事件らしき事は一度しか起きていない気がするのだけれど、俺は今朝の事をぼうっと思い出す。


――あぁ、そういえば母さんにやっかまれたのが、一度目か。

 家で毎日起きているあの居心地の悪さを一つの事件として考えるならば、俺は既に風船事件を目の当たりにしているから、これで二度あることは三度あるを体験してしまったわけだ。

 

 しかし、とはいえ、とはいえど。

 実際の犯罪現場に居合わすなんて事があってたまるかと思いながら、俺はさっきまでの百瀬さんとの話を思い出してハッとして、走り出そうとする百瀬さんを止めようとするが、もう遅い。


 既に百瀬さんはひったくりに向けて駆け出していた。

「葦名くん! カバン見てて!」

 彼女はカバンをこちらに放り投げて、地面を思い切り蹴り上げていく。

「ああもう! 畜生! アド持ちで努力してるのは良いけども、強引すぎだろうよ!」

 俺は携帯を取り出し、すぐに警察に電話をかける。


 そうして、被害にあったお婆さんに傷などが無いか、安否を確認して、近くの歩行者にお婆さんを任せてから、電話で警察に状況を知らせつつ、百瀬さんが走っていった後を追う。


 見つけるのは容易かった。そう長い追いかけっこでは無かったらしい。

「百瀬さん……っ!」

「ん、大丈夫だよ。ちゃんと捕まえてる。だからこのバッグ、お婆さんに返してきて?」

 百瀬さんは抵抗する犯人の背中に馬乗りになって押さえつけている。

 彼女の表情は厳しいわけでもなく、まるでこれが当たり前のような顔。

 ただ、膝小僧が地面とこすれて、赤くなっているのが見えた。

「そういう事じゃ、ないんだけどな」


――そんな彼女を見ていて、少しだけ胸の奥がざわついた。

 こんな時に、平然としていちゃ、いけない。

 厳しい顔をしろというわけじゃない。ただ、これを当たり前だと思っていちゃ、いけない。


 直に警察が来て、ひったくり犯はその場でお縄になったわけだが、それでも俺には一つ、大きな不服が残っていた。

「百瀬さん!」

「葦名くんさ!」


 同時に口を開いて、その後の言葉をどちらが言うか、というせめぎ合いが、一瞬だけ生まれる。

 ただ、きっとその感情は――俺の方が強い。だから俺が先に言葉を出した。

「あいつが……」

 俺達はアドを持てるようになった時代から考えると、第二世代と呼ばれる立場だ。

 であれば、あの引ったくりには一つの可能性が現れる。


「あいつが、アド持ちだったら、どうするつもりだったんだよ」

 その言葉に、百瀬さんはハッとした表情をする。


「アド持ちは、お前だけじゃねぇだろ!」

 思わずお前と呼んだ事も、気にしないくらい頭に血が登っていた。


――今朝の親とのやり取りを思い出す。

 

 思考系のアドを持つ母は、俺を思考系のアドを持って生ませたかったと、俺がまだ物心つくかどうか分からない頃からよく言っていた。なにせ、最初に思い出せる記憶が、そんなうんざりとした記憶なのだから。

 そうして父は察知系のアドを持っている人だった。


 今朝も、察知系の父が珍しく、たった一つの名前を口からこぼしてしまっただけで、家族間の空気が固まった。俺を呼んだのか、母を呼んだのか、分からなかったからだ。

 俺の『理追(りお)』という名前。それは音だけで聞けば、『理央(りお)』と書く母の名前と同じだった。

 ()()いかけろと命じられた俺の名前と、()の中央にいると()を掲げる母。

 俺の名付けは母だ。母がどうして、自分自身と同じ音を持つ名前を自身の息子に与えたのかは分からない。それでも、我が家では名前一つ呼ぶだけで、緊張が走る。


――とどのつまり、俺は思考系を見て、察知系を見て育った、運動系のアドだ。


「別に、お前が何かをしたい。誰かを助けたいだとか思っているなら、それはそれでいい。好きにすりゃいいだろうと思う。だけれど、だけれどな、それは違うだろうよ! お前が逆にやられてたら、どれだけの人に迷惑がかかった?!」

「ん……ごめん。確かに、軽率だった。いつもこうなんだよな、私」


 しょげかえった百瀬さんを見て、俺は少しだけ冷静さを取り戻し、さっきもらったティッシュペーパーを彼女に渡す。一瞬何か分からなそうにしていた彼女の表情に、俺は俯いて、彼女の膝を見た。


「こんな傷くらい、平気だよ。でも、また助けられたね……、ほんとに、バディみたい」

「だからってバディなんて組まない。そんな話以前の問題だ。百瀬さんが平気だっていうなら、それは平気なんだろう。でも、まだ俺の質問に答えてない」

 引ったくりをするくらいならば、何かしらのアドを持っていてもおかしくはない。

 それを高校生レベルの俺達が実際に追いかけて拘束するなんて、明らかに自分の能力を過信している証拠だ。

「あいつが、アド持ちで、凶器でも持ってたら、どうするつもりだったんだって、聞いてるんだよ」

「それは……えっと……」


 正義を語るのは構わない、構わないのだ。


「俺は別に、出来た人間じゃない。ただ、百瀬さんの『向こう見ず』を正義と呼ぶんなら、それはきっと違う。あの風船の為に飛んだのは正義かもしれない。結果が失敗でも、正義だったのだろうなと、俺はそう思う。けど、これは違う……違う話だ」

「あっちは失敗して、こっちは成功したのに?」

 百瀬さんは意味が分からないような顔で、こちらを見つめる。ただ、少なくとも俺が怒っているという事は、伝わっているみたいだった。

「自己犠牲の可能性があった行動。百瀬さん自身が傷を負って、より誰かを傷つける可能性を軽率に良しするのなら、それは百瀬さんの中の正義でも、結果として成功したとしても、俺はそれを正義とは呼びたくない」

 彼女は、俺の目をじっと見て、静かに頷いて、立ち上がった。

「……うん、葦名くんの言いたい事は分かった。だけど、私はやっぱり見逃せない。飛んだ風船も、ひったくられたおばあちゃんのバッグも、見逃せないんだ」


 その言葉を聞いて、俺の怒りの熱がすっと引いた。

 もう、この話は平行線になると気づいてしまったのだ。だからもう、俺にはそれ以上何も言えなかった。


 正義の定義なんて、人によって違う。だけれど彼女は彼女なりの正義を謳っている。

 見逃せないのだろう、身体が動くのだろう。分からない話ではない、ただ、理解しあえないだけ。


 だから、俺も一つだけ勘違いしていた。

「分かった。これ以上は俺も何も言わない。あと、悪かった。お前なんて言って、大声だして」

 感情が、あまりにも揺れた事に、少しだけ動揺があった。だからこそ、自己嫌悪が走る。

「うん……私も、心配させてごめん」


「あと、悪いな。猪突猛進なんて言って」

「ん? そんなこと言われたかな?」

 いや、もしかしたら思っただけで言ってなかったような気もする。


「いや、違うな。奇妙奇天烈な向こう見ずって言って、ごめん」

「んんん? なんか凄く失礼なことだよね? 私が忘れてるだけかな?」

 これも言ってなかったかもしれない。


「そう、そうだ。純粋だって、そう言いたかったんだ。だから危なっかしいけど、きっと百瀬さんの、その正義ってヤツは、百瀬さんなりに筋は通ってるんだと思う。危なっかしくて見てられないけど」

「うん……? うん、それはありがと。ただその前になんか凄い馬鹿にされた気がするんだけど、気の所為?」

「忘れよう。俺は純粋だって言いたかっただけだから」

 彼女は猪突猛進かもしれないし、奇妙奇天烈かもしれない。けれど一本の軸は持っている。


 そこだけが、勘違いだった。彼女は彼女なりの正義で動いている。動いてしまっているし、動かされてしまっているとも言える。

 けれど、彼女がそれを強く信じるなら、俺は見ているだけで、関係の無い事だ。


 元来、ただのクラスメイトだ。二度ある事も三度目が終わった。

 だったらもう、何も気にする事はない。俺が運動系のアドという事も、結局うやむやになった。

「危なっかしくて見てられないなら、バディになろうよう」

「だからそれは断るって……あぶなっ!」

 しょぼくれた顔をした百瀬さんから、風を斬るようなパンチが繰り出される。

 それは俺の眼前で止められていたが、してやられたと思った。

 

――俺はそのパンチを、確かに右手で受け止めてしまっていたから。

 バレた、これは完全にバレた。

 彼女のパンチの速度はボクサーのそれを超えている可能性すらあっただろう。

 それをひたすらに、運動系のアドを持っているということを誤魔化し続けていた俺が受け止めてしまったのだから、彼女のその悪戯な笑みも出るというもの。

 そして、してやられたという顔をしている自分も、答え合わせとしては盤石だ。

「へへ、やっぱりね」

「……それは、ズルだろ」

 女の子に本気で顔面を殴られそうになった事なんて、一度もない。そもそも誰かに殴られた事も無い。

 だけれど、それでも俺が持って生まれてしまったアドバンスギフトは、それを止めようとした。

「なんで、誤魔化してたの? 嘘もついてたよね? ね?」

「最初に言ったろ。"アド"が嫌いなんだよ」

 改めて、アドを強調して言う。彼女がふくれっ面をするのは分かっていたが、それでも俺もまた、曲げられないものがある。彼女の正義が曲がらないのと同じ事。

「ん、ギフトって呼びたくないくらい。なんだね」

「そうだな。だから内緒にしといてもらえると、助かる」

「内緒にする代わりに、バディになってくれたり? お手伝いくらいでいいよ?」

「それは……ならない」

 彼女は楽しそうに「どうしよっかなー」と言いながら、俺より前を歩く。

 その制服を、俺は軽く引っ張った。すると彼女は少しだけ驚いた声を出して、少し赤い顔をしてこちらを睨む。

 皺になる程俺の制服を引っ張っていたのは誰だっただろうか。

「きゃっ! じゃなくてさ。ほら、カバン」

 俺は彼女にカバンを渡すと、隣に並ぶ。

「ちなみに、今ならもう少し制服を引っ張るのも許すよ。バディ特典で」

「ごめん、特典が弱すぎるから無しで」

 いつの間にか、彼女曰く初めて会ったクラスメイトの俺は、友達とも言えるような距離感で彼女と話をするようになっていた。

 バディになるというのは断り続けるとしても、もしかしたら俺達は案外、似た者同士なのかもしれない。互いにどうしても譲れない物を持っているという事について。それだけは、考えている事が逆でも、同じように思えた。

「じゃあ何が特典なら良いのさぁ……お揃いでシャツ出し登校して怒られる?」

「それは、正義の前に倫理的にどうなんだろう」

 向かう方向もクラスも一緒なだけに、並んで歩いていても、なんだかんだ諌めても拒否しても、彼女は簡単に諦めてくれなさそうにない。


 ある意味で、自分がアド持ちという小さい秘密を握られてしまってもいる。

 彼女が正義を謳うのならば、それをネタに本気で俺をゆするような事はしないだろうとは思っても、少し気になるというのは否めない。

「そういえば百瀬さん、さっきなんか言いかけてたよな」

「ん? いつだっけ?」

 意外と深刻なトーンだった気がするのだけれど、もう忘れているあたり、とても都合の良い思考回路のようで羨ましい。

 実際の所、彼女みたいに行動力の強い人間が、一つ一つの事をまじまじと考え込んでいては身が持たないのだろう。

 それこそ、思考系にでも生まれていたら違ったのかもしれないが、彼女のその気持ちの切り替えは元来の物なのかもしれない。


「さっき、ひったくりを警察に渡した後。俺が……あーっと、怒った時。俺が先に話したけどさ。百瀬さんも何か言おうとしてただろ? それ、なんだったのかなって」

「あぁー、うん。百瀬さんってなんだかめんどっちいからヒカリでいいよって、それだけ。これでも私ね、すんごく真面目にキミをスカウトしてるんだよ? なのに百瀬さんだなんて、なんだか他人行儀じゃないかな?」

 改めて言われずとも、真面目に言っていて、真面目に考えている事くらいは分かる。

 スカウトについても真面目で、ブレがない。だけれどやはり俺を選ぶのは得策ではないように思えた。


「うーん……他人だしなぁ。それにアレだ。百瀬さん、ほんの少し前まで俺を初対面扱いしてたんだぞ。一応クラスメイトなんだからな?」

「それはー……そう。だからごめんってば、葦名くん、意外とそういうの結構気にする? だったらほんとごめんね?」

 百瀬さんが気にしなさすぎるだけじゃないかとは言わないでおいた。

 言ってどうなるわけでもないし、それも魅力といえば魅力なのかもしれない。

 それに、言ったとしても彼女が怒りもしない絵が見える。そう思えば強烈な人だなという印象は単なるクラスメイトとして見ていた時よりも強まっていた。


「まぁ、そう呼べって言うならヒカリって呼ぶのも別に構いやしないけどもさ」

「うんうん、葦名くんは時々物分かりがとてもいいよね、私そういうのは嫌いじゃないよ」

 俺の何を知っているのだと言うのも、やはり野暮なので諦めた。ただ、これだけは言っておきたい。

「で、ヒカリは俺の名前を言えるのか?」


 数秒の沈黙が答えだったが、俺の顔をじっと見ているあたり、もう少しだけ粘ろうとしているらしい。

 そうして歩みを止めたまま、十数秒の沈黙のあと、ヒカリは小さく溜息をついた。

「私、葦名くんって、結構いじわるなんじゃないかなーって思うんだよね!」

「そうだろ? そのままたっぷり幻滅してくれて構わないぞ」

 こんな軽口を叩くのも、久々な気がした。

 なにせ、普段はアドも隠すし、家族とロクな話もしない。

 妙に構ってくる友人らしき男はいるものの、俺は基本的に出来るだけ目立ちたくないのだ。

 だからこそ、少しだけ新鮮な気持ちだった。俺の日常は、そもそも事件を起こさないように努めている日常だったから。


「私、今日は失敗ばっかりだなぁ……。逆に幻滅されるのは私だったりしないかなって」

「そうだなぁ……幻滅する程、期待をしていないかもしれない。そもそも、俺の名前くらいは知らなくて当然だしな。ヒカリみたいに目立ってないし」

「私目立ってた?! 嬉しいなぁ!」

 褒めたつもりはないけれど、喜んでいるなら放っておこう。


 それに、俺はヒカリと違ってあえて目立っていない。

 さっきまでの彼女の失敗については言葉に出さずに置いた。黙ってばかりなのも気が引けるが、それくらいに正反対ということなのかもしれない。。


 ただ、俺が何も言わないということにも、理由はある。

 小さく『失敗ばっかり』だと呟いた彼女の表情に、陰りが見えたからだ。

 その陰りはきっと、なんとなくといったものじゃない。彼女は彼女なりに、やはりしてきた事の結果を一つずつ飲み込んでいるからなのだろうと思ったのだ。


 彼女が衝動で動くのは分かる。それでも彼女はその衝動を振り返る事も出来る。

「結果としての失敗はなかっただろ。失敗の可能性が見られていなかっただけで」

 そのヒーロー像がどれだけ確かで、強固なものなのかは分からない。それでも、それを振り返って変えていけるのならば、悪くはないんじゃないだろうかとは、思えた。


「そういうことじゃなくてさ、葦名ぁ……えっと、葦名……くん」

 名前を思い出せないなら無理をしないでほしい、少しだけ虚しいから。

「そういうことじゃなくても、だろ。過程がマズかっただけで、結果は全部オーライだったろ? それに、あと俺は葦名でいいよ。自分の名前、あんまり好きじゃないから」

 実際、漢字は違えど、母と同じ音が鳴るというだけで、少し嫌悪感を持ってしまうのは否めない。それは、家庭環境が複雑であったならば、それでいて同じ名前なんてつけられていたならば、誰であっても仕方ない事だろうと思う。


 アドを持っているだけで自分自身に嫌悪感を抱くのに、母の面影まで重ねられていては、やはり堪らない。


――これが反抗期だとしたら、終わらないのだろうな。

 そんな事を考えながら、少しだけ反省モードに入っているヒカリを何となくフォローしつつ、俺達の奇妙な登校時間は、視界に学校が目に入ることで、そろそろ終わろうとしていた。

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