第二話『ヒーローにはバディがいるものじゃない?』
少し緊張したような声色のそれが、聞き間違いならばいいと思った。
「はぁ……えっと、なんだって?」
「だからあの、君はヒーローに興味ないかなー、とか、ね。なんて……」
照れながら言われても、その言葉の突拍子のなさと、ダランとぶら下がったままの風船の紐に思わず真顔になってしまう。
「えっと……百瀬さん? そういうなんか、遊び……みたいな?」
「ん? はい、百瀬さんです。遊びじゃないです。ってあれ? 私たちって何処かで会ってたかな? えっと、君はー……」
クラスではいつも元気な彼女とは違い、俺はクラスの端で適当に過ごしているだけだから、特に印象がなくても仕方がない。それに今は高校二年の春。クラス替えがあったばかりだから、目立つ人間以外は覚えられていなくても無理はない。しかし、何処かで会ってはいる。名前を知らないのは百歩というか、十歩くらい譲るが、何処かで会ってるというのは流石に気にされていなさすぎる感じがして、人として少し悲しい。
「あーっと、毎日会ってはいる、かな。俺は同じクラスの葦名だね。それじゃあ、そういうことで……」
彼女から感じる圧に面倒な空気を感じ取った俺は、隣に並びかけた百瀬さんよりも少しだけ歩みを早める。
だが、少し俺が前に出た所で、改めて強めに制服を引っ張られ、俺はどうせなら声で止めて欲しいと思いながら、諦めてワイシャツをズボンから全部外に出す。
「えっと、着崩しスタイルの方が俺に似合うみたいな話?」
「ん? そうだね……確かにそれも似合うかな。じゃなくてちょいちょい! 待って待って! お話しをしようよ!」
小さな溜息を押し殺しつつ、彼女の方を向くと、彼女は何とも子犬のような顔をして、こちらを見ていた。
しかし、そういう表情こそ面倒なのは何となく感覚で分かる。ともあれさっきの一件があったばかりだ。少し強めに忠告したのが余計だったのかもしれない。
「お話、か。百瀬さんも風船欲しかったのか?」
「まぁ欲しいけど、でも学校に持っていけないじゃんか」
「それもそうかぁ。じゃあまぁ……今回は残念だったって事で」
お話はした。任務完了で構わないだろう。
俺は改めて進もうとする所を、既に制服を捕まれ移動を封じられていた。
「じゃなくて! もう! なんで逃げるのさ! 行く所はおんなじでしょ?!」
さっきまで同じクラスな事も知らなかったというのに、何とも都合よく、しっかりと正しい事を言う人だなあと思いながら、俺はため息混じりに返事をする。
「うん……えっと、俺達って制服の引っ張り合いをする程、仲良かったか? 百瀬さん、俺の名前も知らなかったよな? 百瀬さんからすると、俺って今日初めて会ったんだよな?」
「んっと、うん。そうだよね。それは確かに、本当にごめんだし、引っ張りたいって言うなら私の制服も少しくらいなら引っ張ってくれていいけれども……」
訳の分からない事を言い出したことも相まって、とりあえず彼女は何処か良くわからないラインの持ち主だという情報だけは頭の中にインプットされた。会ったばかりの男に制服を引っ張らせてはいけない、決して。
「いや、俺は引っ張らないけどさ。名前も知らなかったクラスメイトを急に捕まえて、制服が皺になりそうになるまで掴み続けるのはちょっと……そろそろ離して貰えると嬉しいよなって俺は思うんだ」
制服が皺になるなんて言葉を白昼堂々言う日が来るとは思っていなかったが、なんともセンシティブでもロマンティックでもないこの状況に、俺は諦めを込めて話を聞く事にする。
「んー……さっきはなんだか葦名くんにいいとこ取られちゃったし。正義の味方になりたい私としてはさ、ちょっと寂しいかなって」
さっき聞いたヒーローもそうだけれど『正義の味方』とは大きく出たなと思う。
けれどまぁ、実際彼女がやっていた事はそれらしい行為ではあった。風船に向かって跳躍するまでは正義の味方っぽくはあった。
ただ、俺は彼女の言ういいとこを取ったつもりはない。正義をどう捉えるかは人それぞれだとは思うけれど、俺には基本的に善意がない。
「いいとこ……というか。まぁなんか、手助け程度の話だろ? ちょっと危なかったけど、あの子の為に何かしてあげようとしてたのは百瀬さんだし、あの子もそれは分かってたと思うぞ?」
そう言うと、彼女は少し照れ気味に笑う。割とちょろそうな感じがしていて心配だ。これは運動系というより動物系と言ったほうが良いかもしれない。
「ん、それは単純にありがとうだけど……葦名くん。君ってギフト持ってるよね?」
――嫌な事を聞かれてしまった。
彼女の言うギフトは、俺が思うアドと同じ意味だ。
「だって、あの枝掴むの、ものっすごく早かったし」
確かに、あの時は少しだけ焦りがあった。彼女のように大枝を折る程の力はなくとも、速さは見抜かれて然るべきだったかもしれないと、一人反省しながらも、誤魔化しを続ける。
「……たまたまだよ。あれくらいは普段から運動していたら出来る事だろ? 俺、筋トレはたまにするし」
「んん……私にはギフトがあるように見えたんだけどなぁ。ちなみに筋トレは私もしてるよ!」
制服のまま、力こぶを作ろうとしている百瀬さんは妙に可愛らしかったが、ムキムキというよりもしなやかな筋肉という感じなのだろう。とりあえずなんとなしの反応だけ返しておいた。
手刀で風船を割るのは、中々の芸当のように見えたし、大枝をしっかり折っているあたり、確かにやりすぎな部分はある。ただ、俺が思う印象は一つだった。
『それは、なりたいやつがなればいい』
俺はアドを持っている事を、それこそ彼女が言う正義のような物と結びつけたくはなかったのだ。
正義なんて高尚な物を語るつもりはない。だけれど、語るつもりはないからこそ、持たされて生まれた力の使い道を考える事は、あえて避けて生きてきた。
「んー、運動系のギフトだと思ったんだけどなぁ。じゃあ察知系?」
だからこそ、俺はこんな嘘もつく。
「いいや、俺はなんでもないさ。たまたま枝が落ちてくるのが見えた。俺はあの子が風船貰ったのも、その風船が風で飛んだのも、百瀬さんが飛んだのも見てたからな」
「でも、あんなに綺麗にキャッチ出来る? 筋トレだけ? 葦名くん何か運動やってない?」
「別に、特定の何かをやってるわけじゃないけど、まぁ簡単に言えば我が家の方針でね……」
「んんー? なんか誤魔化されている気がする。えぇ? まさか思考系じゃないよねぇ?」
「うーん、そろそろ百瀬さんの制服、思いっきり引っ張ってもいいかなって思ってきたかな」
ササッと後ろに下がる百瀬さんを尻目に、俺はぼんやりと自分達の境遇を考える。
これだけ耳元で三種のアドの話をされたなら、嫌でも頭に浮かんできてしまうというものだ。
「アドバンスギフト、か……俺は持ってないよ。アドはあまり好きじゃないんだ」
彼女の顔が少しだけ曇る。
その理由は分かっていた。だけれど、あえて使うのだ。
俺は、この能力をギフトだとは決して思っていない。ただ、人より秀でる可能性を持っただけの、ズル。その気持ちは簡単には変えられない。
そうして、百瀬さんは思っていた通りの反応を返す。
「アドじゃないよ、ギフトだよ。それに君、嘘ついてるよね?」
「どうだろう……ただ、俺がアド――ギフト持ちだとして、百瀬さんの運動能力とは天と地程の差があると思うけど?」
当然といえば当然だ。彼女はおそらく運動系のアドバンスギフトを、正しく使ってきた人間。
だからこそ運動能力は人並みを超えている。努力をしたアド持ちは、俺達くらいの、高校生くらいから一気に能力に伸びが来る。だからこその慢心が、さっきの枝を折るという結果に繋がったとも言えるが、それは言うだけ野暮だ。
「それは、まぁそういう感じもするけど、なんか気になっちゃったんだよね。私に持ってない物を持っているというか……」
「逆じゃないかな、俺からすれば、俺に持っていない物を百瀬さんが持っていると思うけれど」
百瀬さんが、持っている物は、言うまでもない。
「ん、それは確かにそうなんだけど。なんか、なんかさ。葦名くん、あの子に風船あげてたよね?」
「まぁ、百瀬さんが割ったからな。ちなみにピンクは百瀬さんが割ったあれが最後だったみたいだぞ?」
百瀬さんの顔がグッと痛い所を突かれたように渋くなる。話した事はなかったが、明るくてコロコロと表情が変わる人だなと思った。そりゃクラスで目立っているのも当然のように思える。
「それがね、なんか格好良いなって、いや変な意味じゃなくてだよ?!」
「褒められて光栄ではあるけどね、何も出ないよ」
逆に、褒められたら褒められる程、心に少しだけ影が落ちる気がした。
「だからさ……葦名君、ヒーローに――正義の味方になってみない?」
「いや、なってみないよ」
結局の所、つまり、やはり、しっかりと、今の俺からすると、少し厄介で、面倒な人でしかない。
「とにかく、俺はたまたま通りがかって、出来る事をしただけだよ。それ以外に何もないさ」
「んだから! その出来る事ってのが、凄く、ちゃんとしてたじゃんか! 私にはそういうバディが必要なの!」
確かに、運動系のアドに頼って跳躍をしたは良いものの、風船を割って枝を折る彼女と、落ちてきた枝をキャッチして、風船を手渡した俺なら、事実やった事は俺の方がマシのように思える。
「でも、百瀬さんは善意でやったんだろ? なんていうか、それがちゃんとした事なんじゃないか? 俺は本当にたまたま、出来る事をしただけ、噛み合っただけだろ?」
「だから、その噛み合いがバチーンと来たんだよ! じゃあこうしよう! ヒーローにはバディがいるものじゃない? バディでいいから、お願い!」
正義の味方になりたいのは分かるけれど、巻き込まれるのは勘弁被りたい。
「それ、変わるか? それに、アド――じゃなくてギフトか、それを持ってない俺は、足手まといなんじゃないか?」
結局、彼女が俺にアドの所持をどうして聞いてきたかは分からない。
だけれどそれはおそらく、アド持ちが前提の話だったのだろうという事は聞いていて分かったつもりだった。それでも誤魔化し続ける俺に彼女は食い下がり続ける。
あの一瞬の出来事で、そこまで執着するものだろうか。
「なんにせよ、俺は正義の味方にも、ヒーローにも、バディにもならない。偶然だったんだよ。本当に必要な人はきっとそのうち見つかるさ」
だからこそ俺は、百瀬さんにそれ以上を言わせない。そもそも俺のアドについても、彼女程の努力をしているわけじゃない。
アド持ちには負ける思考能力、アド持ちには負ける察知能力、そうしてアド持ちにも関わらず努力が足りてない運動能力。そんな中途半端な存在が、俺だ。
「でも……」
彼女がそう言いかけた時、誰かの叫び声が聞こえた。
街の空気を切り刻むような声に続く「引ったくり!」という声に、切り刻まれた空気が一瞬にして緊張へと変貌していっていた。




