第一話『私と一緒に、正義の味方にならない?!』
ピンク色の風船が青空に飛んだのを、制服姿の女子が跳躍して手刀で割る光景を見た事はあるだろうか。
「ホッと! っとわああああ!」
そして、割れたピンク色の風船を頭にかぶって、ダラリと髪に紐を垂らしながら日陰に着地する制服姿の女子を見た事はあるだろうか。
「……どちらも見る機会はない、と思うんだけどな」
それでも、たった今、目の前で起きている事を整理すれば、こうなってしまう。
「ご、ごめん! 思わず割っちゃった……っ!」
俺と同じ高校の制服姿の女子生徒は、髪の毛についた小枝も気にせず、風船を飛ばしてしまったであろう小さな女の子に頭を下げている。パサりと小枝が落ちるのと同時に、彼女が飛び上がる時に掴んだ大枝がグラりと揺れるのが見えた。
華麗な跳躍と力強い着地、そうして綺麗なお辞儀をしたままの女子生徒は、自分が折ったその枝が見えていない。揺れる枝は今にも落ちる寸前に見えた。そこまで太くはないものの、当たり所が悪ければ痛いどころでは済まないかもしれない。
それを見てしまったならば、この時点でもう関わらないという選択肢はない。必要ならば、関わるべきだ。
女子生徒と、女の子の母親はその枝に気づいていないようだったけれど、女の子と俺にだけは、その大枝の落下の気配が見えているようだった。瞳に不安の色が滲んでいる。
「この子は、そうか……」
女の子はおそらく、この危うさに自然と気づいている。そうしてそれを見ていた俺は、状況としての変化に気付けている。
俺が女子生徒に声をかける間も無く、女の子を庇う間も無く、大枝の落下は始まる。
――なら、手を伸ばすのは俺しかいないじゃないか。
俺は、女の子が飛ばしてしまった風船を、無理に飛び上がって掴んであげようとは思わない。
だけれど、もしその風船が俺の手が届く位置に飛んでいたなら掴むのは当然だ。
だからこれも、同じ事。
俺はその落下してくる大枝を一歩進んで掴み、そっと地面に置いた。
「え……お兄さん……って」
女の子はおそらく、大枝の衝突を察知していたようで、頭を既に守っていた。
当たっていても打撲になるかならないか程度だっただろう。それでも、もうその心配はない。
「大丈夫、だったね?」
俺は、女の子に人差し指でシーッとして、驚いたようにこちらを見る彼女に軽く笑いかけた。
「あれっ?! ……枝?!」
そうして、大枝を折った当の本人は、俺が枝を掴んだのを見てようやく自分のしでかした事に気づいていた。
「どうせなら、枝も持って落ちてきた方が良かったな?」
善意で行ったであろう行為とはいえ、軽い事故になりかねなかったことは、彼女も分かっているはずだ。
「うっ……それは、はい。ごめんなさい……」
意外と制服少女は素直で、そうして女の子に改めて頭を下げた。
「ううん……大丈夫、風船飛ばしちゃったの、取ってくれたんでしょ?」
女の子はまだ年端もいかないだろうに、女子生徒のしょんぼりした顔に笑顔を浮かべている。
「だけど、風船も割っちゃったし……」
女の子は、その様子からして、既に顔色を伺って空気を読む事や、状況変化を読むことに長けているように見えた。
「ほんの少しの神様のプレゼント……か」
ある薬剤の売り文句を思い出し、溜め息と共に、小さく呟く。
女子生徒も、たった今俺が助けた女の子も、そうして俺も、ある意味で何かを背負った人間だ。
出産時に『アドバンスドギフト』を受け取った子は、ほんの少し、普通の人間よりも何かが秀でている。
飛んだ彼女は運動能力が、そうして小さな女の子は察知能力が。
自分のアドについては、あまり考えたくなかった。その力は、俺が選んで手に入れたわけではない。
こんなものは『ギフト』ではなく、ただズルをして手に入れた『アド』でしかない。
それでも、俺の身体もまた、運動能力に長けている事実は、覆しようがない。
俺は少しの物思いをやめて、無理に笑顔を作り、風船配りのお姉さんに話しかける。
「あぁっと……お姉さん、風船を一つ頂いてもいいですか?」
幸い、風船を配っていたのは目と鼻の先、俺は女の子が風船を貰ったのも、それを風に飛ばしてしまったのも、そうして前を歩いていた女子生徒が勢い良く跳躍していたのも、見ていたのだ。
――ただ、こういう風になるとは思っていなかっただけ。
「は、はい。構いませんよ」
それを一部始終、この風船配りのお姉さんも見ていたのだろう。
俺は宣伝用のティッシュペーパーと、青い風船を一つ貰う。
そうして、どうも視線を感じると思ったら、女子生徒がこちらをじーっと見つめていた。後ろ姿では分からなかったが、よく見るとクラスメイトだ。ただ、話した事は殆どなかった。
それでも、彼女が運動系のアドを持っているという事だけは理解していた。何故ならいつも元気にクラス中を駆け回っていたからだ。さっきの出来事も、思わず身体が動いたという所なのかもしれない。
俺の場合は、風船が飛んだのを見ても、身体を動かさなかった。
ただ、落ちてくる枝には、身体を動かした。飛ばした風船は良い、だが怪我するのは、違う。
「お嬢ちゃん、じゃあこれ。今日は風、強いもんな。気づいたら強く握るんだぞ?」
「……ありがと、お兄ちゃん」
俺とあの女子生徒は、同じ運動系のアドを持っていても、やっている事自体は違う。
彼女は善意でした失敗。俺は仕方なくやっただけ。結果に意味はないように思えた。
「……?」
俺は不思議そうな顔をする女の子に、笑いかける。
流石に察知系のアドを持っていても、まだ人の内面を覗き見るような真似は出来ないことに気づいて、俺は少しだけ安心する。そうして視線で女子生徒を見るように、女の子を誘導した。
「お姉ちゃんも、ありがと!」
俺の視線に気付いた女の子が、申し訳なさそうにしながらも、少しだけ照れ笑いで女子生徒に話しかける。
「風船、良かったね。青も綺麗だよ」
「うん! 私、青も好きだから!」
そんな会話を聞きながら、俺は女の子の母親に会釈をして歩き始めた。
俺は別段、大したことはしていない。事実、手の届く所にあったものを掴んだだけ。
だけれど女子生徒は、手の届かない場所の風船を、掴みに行ったのだ。
――その違いは、俺の中では天と地ほどの差がある。
だからといって、俺が自分の生き方を変えようとは思わない。
そんな事を考えていると、後ろからコツコツとローファーが地面を叩く音が聞こえた。
俺は女子生徒の視線がなんとなくジトッとしていた事を思い出し、気にしないフリをして、なるべく早足で通学路を歩いた。
しかし、あの女子生徒、あれ程の跳躍は相当努力した運動系のアドなんだろうなと、少しだけ感心した。
俺は出来る事しかするつもりはない。だから飛ばされた風船の為に跳躍もしないが、彼女のように失敗もしない。そういう行為が、少し眩しく見える時もあった。だけれど今は、もうそんな感情とも折り合いはつけられている。
「ねぇ、ねぇ君……っ!」
俺は後ろにいたであろう例の女子生徒から、少し強めに制服の後ろを引っ張られる。俺ははみ出たワイシャツをしまい込みながら、後ろを振り向くと、例の女子生徒がこちらを見て、怒っているような喜んでいるような、複雑な表情をしている。
「えっと……何か?」
「君……っ! 私と一緒に、正義の味方にならない?!」
ワイシャツをしまう手が止まって、俺は思わず彼女の目を見てしまった。
その顔は少しだけ紅潮して、目はキラキラと輝いているように見える。
まるで告白かと思うような、とんでもない、スカウトだった。




