第二十三話『私、ちゃんと見逃さないから』
少し急いで保険準備室に戻ると、ハムスターのように焼きそばパンをほうばる稲穂が、むせていた。
世利華との話が思ったより長引いたのに戻る途中で気がついて、そのまま急ぎ足でドアを開けたから驚かせたのかもしれない。
「悪い、ノックはいるよな」
彼女はケフッケフッと小さくむせながら、首をブンブンと振る。
まずは水を飲んでほしいが、どうもキャップを空けていなかったらしく、苦戦しているように見える。
いつかの、ヒカリが水を浴びてカニになった事件を思い出す。
とうのヒカリは席を外しているようで、世利華も今日は来ないとの事だったから、今、部屋の中は二人きりだ。
「ん」
俺は彼女からペットボトルを受け取り、水が溢れないようにペットボトルの蓋を外して、そのまま稲穂へ手渡す。
彼女はそれを受け取って、小さな喉をコクッコクッと鳴らしていた。
「ぷぁ! ふぅ……ありがと……」
「いや、むしろ驚かせちゃったみたいで悪い」
ヒカリがいなかったから彼女も油断していたのだろう。思えば、ここに来るのは俺以外全員女生徒なのだから、俺も油断をしていた。
「んーん、ちょっと気が緩んでただけだよ。学校でこんなに落ち着いた気持ちになれるの、久しぶりだったから……ね」
「……気持ちは察するよ。能力とまではいかないけどさ」
一瞬、困ったような笑みを浮かべた彼女を見て、自分が選んだ言葉に軽い自嘲のようなニュアンスを込めてしまっていた事に気付く。やはり油断しているのは、俺の方かもしれない。
「あ、いや。気を悪くさせたか?」
「ん、大丈夫大丈夫。そこまで敏感じゃないよ。言葉の意味はさ、その時々で変わるから。葦名くんが言うことに悪意がないことくらいはもう分かってるの。でも、そこじゃなくてね。ちょっと葦名くんが寂しそうだったから、心配だなって思っただけ」
その寂しさは、俺が自覚しているものではなかった。
アドのことを話す時の癖として、気づかないうちにでてしまっているのだろう。
「寂しいわけじゃ、ないんだけどな」
俺は、運動系のアドを持っているのにも関わらず、思考や察知の訓練もさせられた。
だからこその中途半端、そんな自分への嫌悪が透けたのかもしれない。。
察知というアドを持っているということ以上に、よく見ているのだなと思った。
父や、ノア先生のそれもまた鋭いものではあるとは思う。ただそれは能力として感じることだ。
稲穂のそれは、二人とは察知の方向というか、種類が違うような感覚を覚える。
「とにかく、心配するほどのことじゃあないさ。大丈夫」
「んんー? でもまぁ、さ。心配くらいはさせてよ。私にはそのくらいしか取り柄がないんだからさ?」
それしか取り柄がないなんて、それこそ勘違いだ。
――その優しさが、その謙虚さが、何よりの取り柄なのに。
そう思っても、直接は言えなかった。
その気持ちを察知するほど、稲穂のアドが強いとも思えなくて、少しだけ困る。
ヒカリも、稲穂も、世利華もそうだ。
結局はアドに通じても、アドに頼っていない部分を見て、人間として純粋に尊敬出来る場所がある。
皆の取り柄は、決してアドなんかじゃない。
「取り柄か……それだけじゃないさ。言葉にするのはなんとも気恥ずかしいから、内緒だけどな? でも、ちゃんと良く見ていてくれてありがたいよ」
「そりゃあ、良く見るよ。何度も目、合ってるでしょ?」
これは、窓の幽霊のことを言っているのだろうか。
しかし思えば、俺が窓を見る時に目が合う理由は聞けていなかった。
「それはそうかもなぁ……気付いたのは最近だけど、もしかして前から窓越しに目が合ってたりしたのか?」
「それは……どうだろうね? でも葦名くんのことは知ってたよ? そりゃあ私って、察知が得意ですから! どんな人なのかなーって気にはしてたよ? なんだか、クラスの空気から無理に外れようとしてるみたいでさ?」
彼女は時々、こうやってイタズラに笑う。大人しいように見えて、柔らかくも時々高い声で胸を張ってみせる。
それもまた、彼女とちゃんと知り合えなければ分からなかった話だ。
彼女が言うように、俺は確かに、あえて一人を選んでいる節があった。
アドがバレたことについては、もう仕方がないから割り切ったにせよ、ほんの少し前までは絶対に知られたくない秘密だったのだ。
「それで、俺はどんな人だったんだ?」
「んー、まだわかんないや。気にするだけじゃわかんないことばっかりだし」
彼女は、ゆっくりと伸びをしてから、話を茶化すように笑う。
「それでも、頑張っちゃう人なんだなってことは、分かったかも? 葦名くん、今だってギフトの話すると緊張するのに」
「それは……本当によく見てるな。しかし、本人に言うあたり、稲穂も中々意地が悪いな?」
軽口を言い合える心地よさが、いつのまにか全員分揃っていた。
彼女はきっと、俺の奥底までを知っているわけじゃないだろう。
俺がアドが嫌いな理由は、黙っていたいと、そう思って、小さく笑ってごまかす。
何故なら、人間同士で差があることなんて、当たり前のことなのだ。
だけれど俺は、アドバンスドギフトの、力を与えられて産まれるという一点のみを、無理に突いて生きてきた。
――嫌いなのはアドじゃなくて、自分自身なのに。
アドのせいにすることで、少しだけ楽になろうとしている自分は、彼女に透けていなければいい。
持っていないと嘘つくのも嫌で、持っていることを認めてしまうのも嫌。
だからそんな我儘な俺が選んだのが、一人でいることだ。
ただ、そんな俺を気にしていてくれた人間がいるだなんて、思いもしていなかった。
だから、嬉しいようで、少しこそばゆい。
「私だってたまには意地悪くもなっちゃうよ? だからほんと、昨日みたいなことはやめてね? 私たちも痛いけれど、一番痛い人が誰かくらい、分かるんだからさ」
軽い口調なのに、真剣な言葉。
それは、彼女が言葉の指切りをしようとしているように思えた。
今だって、俺には昨日の選択が、昨日の俺に出来た唯一の方法だったと思っている。
それでも、結果的に解決をしたのは目の前の彼女に他ならない。
だから、考えたくもないけれど、また同じようなことがあったとしたら、俺はきっとまた何かしてしまうのかもしれない。
――だからこその、約束なんだろうな。
そう思い、俺は稲穂の目を見て頷く。
「次なんてないと願いたいけれど。次があれば、もっと上手くやれるようにするよ」
もう、皆に昨日と同じような表情をさせるつもりはない。
出来る限りで考えて、ヒカリや、世利華、そうして稲穂みたいな察知をしてしまう人も含めて、俺の周りにいる人間くらいには、笑っていられるような場所が増えたならいいと思う。
皆のためだけではなく、俺のためにも。
「うん、上手くやろう。信じてるって言葉はー……なんだか恥ずかしいね? だから……うん。ちゃんと見てるから。あ、えと、変な意味じゃなく、ね? 私、ちゃんと見逃さないから、葦名くんのこと」
やはり少し気恥ずかしいけれど、彼女が彼女なりに考えて、この言葉を紡いでくれたことが伝わらないほど、俺も鈍いわけじゃない。
「俺はさ、ヒカリほど動けやしないし、稲穂ほど周りを見ることも、世利華ほど考えることも出来ない。それでもまぁ、俺らは集まっちまったんだ。下手を見せたいなんてことは、ないよ」
これは、紛れもない本心だった。
運動系のアドを持っていながら、それも含めて、全てが中途半端な俺でも、ちゃんと正しく出来ることを探さなければ、いけない。
「ん、ありがと。葦名くんは、優しいもんね」
「そうか? 結局俺は、俺に出来ることをやっているだけだからなぁ。ヒカリだとかみたいな理由なんて、持っちゃいない」
結局、俺は自分を否定してばかりで、彼女は俺を肯定してばかり。
また、彼女が少し困ったような笑顔を浮かべて、何かを考えている素振りを見せた。
もしかすると、彼女が時折見せる困ったような笑顔は、言葉を選んでいる時の顔なのかもしれない。
「……そうかな? 私から見れば、二人はよく似てるけどなぁ」
少し納得しがたい。
だけれども、昨日の一件を考えたならば、俺は無理も無茶もしている。
ヒカリに似ていると言われたならば、ぐうの音も出ない。
「でも、やっぱり俺は優しくはないさ」
「そういう強情なとこも、ちょっと似てる。ふふ、二人とも違うって言うんだろうけどね?」
人の第一印象は、どうにも当てにならない。
どうしてか俺は、稲穂には常に一歩先から、優しく諭されているような気がする。
見た目は小さく大人しそうで、中身は感受性が高い優しい子のように思えて、実はその感受性を強く受け止めて、自分の意見をちゃんと貫く子なのだと、思い直していた。
そのうちに彼女は、焼きそばパンを食べ終え、少しだけ深呼吸をしてから、器用にクルリとまとめている後ろ髪から、ぱちりと髪留めを外して、髪を下ろした。
「意外と、そうすると長いんだな、髪」
「そだね、世利華ちゃんほどじゃないけど……似合う?」
俺は女性に美的センスを問われるほど審美眼があるわけではないけれど、それでも髪を下ろしただけで、見た目の印象も変わるものだと思いながら、彼女に倣って、少しだけ伸びをする。
「あぁ……なんだか大人っぽくなる」
「へへ、そっか……ありがと! それにしても居心地、良いね。明日からは掃除もしたいし、なんだか少し、学校に来るのも楽しくなるかもなぁ……」
その言葉は良くも悪くも本心のように思えた。
少なくとも、ありがたいことに、彼女にとって俺の存在はノイズ外だと判断してくれているのだろう。
俺は間違えた言葉を選ぶし、間違えた行動を選んでしまう人間なのだと、自分自身で強く自覚しはじめている。
それでも、彼女の中では俺のそんなところも含めて、俺の存在も考えてくれた上で、落ち着く場所だと言ってくれている。
結っていた髪を下ろした彼女を、後ろの窓から差し込む陽射しが、世利華のような艶めく黒ではない、柔らかく薄茶がかった彼女の髪色を、光らせていた。
「あ、そういえば世利華ちゃんは?」
「あー、中庭にはいたけど今日の所は一人で色々考えるってよ。あんなことがあった後だし、何かされる心配も、流石にないだろ? だからまぁ……伝えることだけ伝えようと思って俺だけ帰ってきたんだよ。改めてありがとうだってさ。そんで、そういえばヒカリは何処行ったんだ?」
「入れ違いになっちゃったのかな? 私も探してくるって飛んでいって、それっきりだね。ヒカリちゃんのさ、元気が有り余ってる感じ、私好きなんだよねぇ。もしかしたら、世利華ちゃんを引きつれて来ちゃうかもよ?」
ヒカリの強引さなら、もしかするとあり得るかもしれない。
世利華の考え事が、そうそうすぐに終わるとも思い難いから、どちらかといえば失敗に終わりそうだなと、俺は一人で小さく笑い、世利華の分の焼きそばパン代金を机の上に置いて、言葉少なでも、心地良いの良い時間を、心底ありがたがっていそうな雰囲気の稲穂と、ゆっくり過ごしていた。




