第十八話『俺の合理』
世利華のしようとしたことは、おそらく俺がしようとしていたことと同じこと。
――ならばこそ、止めるべきだと思うのは矛盾だろうか。
「……俺が考えられることぐらい、お前が考えないわけないよな」
「意外だね、キミがそんな事を考えるとは。だけれど、そうだな。キミだったらそうするのかもしれない」
中田は自分の手を見ながら、震えていた。
それを取り巻きが、何か言って慰めているようだ。
「世利華ちゃん……」
ヒカリは呆然とした顔で、世利華に払われた自分の手を見つめながら呟いてる。
「百瀬もだ、キミたちは本当に大げさなことを企んでいたものだよ。だから私も、まんまと乗せられてしまった。だが、なるべくしてなったことなのは分かる。しかし、これくらいで終わる話でもないはずだ。だから、中田が私をぶちたかった理由を聞こうじゃないか。さぁ中田、どうだい? 私をぶった感想を教えて欲しい。満足か? 足りないか?」
そういって、世利華は痛々しく赤くなった頬と共に、視線を中田へと向ける。
もう明確に手が出た以上、中田も立場的に取り返しがつかなさそうに見えるが、世利華と喧嘩をしたと捉えることが出来ないわけでもない。まだ、まだこの状況は終わる段階ではない。
「キミたち……暴力は、やめたまえよ。こんなのは間違っているだろう?!」
山岸が怒鳴る。だけれどそんな叫びは、もう何の意味もない。
――お前は、もう遅い。
何度も思う。彼は遅い、間に合わせられなかった。
そこに俺たちが協力していたら、何か変わっただろうか。
そう考える事もきっと、もう遅い。
――俺たちと山岸は、ずっと同じ目標に向かいながら、決裂し続けている。
「日下くんも、中田くんも、それに葦名もだ! 暴力で何が解決するというんだ!」
「なぁ山岸……いい加減に黙ってくれないか、どいつもこいつも周りは黙ってやがる癖に、本当に面倒くせえやつだよ、お前は」
山岸は本当に、本当に面倒くさくて、厄介で、真っ直ぐで、困ってしまう。
憎らしいほど、真っ直ぐで。間違っていないのに、合ってもいない。
「なら皆もだ! 見ていないで何か言いたまえ! こんな事になっているのに目を逸らしていいのか?!」
こいつは、きっと正しい。いつも正しい。
――だからって、届くかは、別の話。
俺は、静かに山岸の肩を叩きながら、その必死な目を、見つける。
「それで、どうなるってんだよ」
「だから、そうして皆の意見を取り入れて、一旦落ち着いて、だな……!」
そう、落ち着く事は大事だ。
だけれどそれは、もっと早く、中田たちこそが気づくべきだった。
「答えになってねえな……だから聞いてんだろ? それで、どうなるだよ。落ち着いて、どうなるんだ? お前の方法で解決出来るならしてみろよ……っ! 結局の所、お前は綺麗な手で、胸を張ってありがてえ話を、ずっとずっとぼやいてるだけじゃねえか!」
正論と、綺麗事には、もううんざりしていた。
「葦名は手を汚すことが正しいとでも思っているのか?!」
「正しいわけがねえだろ! それでも仕方ねえからこうなってんだろうが! お前がやってんのはな、理想の押し付けだよ。それもお前の中にしかない、お前の理想の押し付けだ。一度くらい、本気で現実を見やがれ、周りじゃねえ、こいつの頬を見て考えろ!」
山岸は拳を強く握りしめて俺を強く睨んだ後、 唇を強く噛みながら一歩後ろに下がる。
「何か、言い返せよ。お前らしくもない」
彼は悪いヤツじゃないのに、苦しむ必要などないのに、責める必要などないのに、それでも、彼のことすら、誰も助けない。
俺とのいさかいにすら、声はあがらない。
俺たちと山岸は、やり方こそ違ったけれど、可哀想な視線で山岸を見つめているクラスメイトたちの中に、たった一人でもアイツを支えて動く人間がいたなら、きっとこの結果だって少しは違ったかもしれない。
それでも山岸はそれを叫ばない。助けを求めず、一人で突き進んだ。
誰にもすがらず、自分だけの理想で突き進んだ。
――きっとそれが、彼の一番大きな間違いだったのかもしれない。
そうして、これから起こす俺の間違いも、同じことなのだろう。
「なぁ、葦名。正しい事が悪い結果を呼んだとでもいうのか?」
「なぁ、山岸。悪い事が正しい事だけでどうにかなると思うか?」
俺は、一歩下がったままの、山岸の震えている思考に、小さくトドメを刺す。
彼の拳は震えて、唇からは薄く血が滲んでいた。
「でも、お前は頑張っていたよ。でも、良いヤツじゃ悪いヤツには勝てない時もあるんだって、覚えておくといいさ。お前がお前の正しさで動き続けたことだけは、何一つ変わらねえんだからよ」
「何も出来なかったとしても、か?」
その言葉に、いつかのヒカリが一瞬だけ重なる。
――結局、こいつも、こいつの正義をぶつけて、失敗しただけなのだ。
「失敗したとしても、やったことが意味を持つことくらいは、ある」
俺は駆け寄ってきた沢里さんが、山岸の口元をハンカチで拭くのを見て、彼との話が終わったことを悟る。
「あとは悪いヤツに任せろよ。沢里さんも……ありがとな」
彼女は首を横に振って、辛そうな目で俺を見る。
こんな状況、察知系のアドなんて持っていなくとも、誰だって辛いはずだ。
「中田、お前がした事を、沢里さんと世利華に、本当の意味で謝るってんなら、まだ間に合うかもしれねえぞ? 俺は許しゃしねえけどな。それでも、解決を望んでんのは今んトコ、お前ら以外全員一致だろうよ。だからもう、さっさと終わらせようぜ、こんな馬鹿みたいなこ……」
「私を馬鹿って呼ぶな……ッッ!」
俺の言葉を遮って、中田が叫ぶ。
その声は震え、目からは涙が溢れ、彼女は限界を迎えようとしていた。
「馬鹿じゃない! 馬鹿じゃない! 馬鹿じゃない!」
その声を、言葉を聞いて、彼女が沢里さんや世利華をイジメようとした原因が、やっと分かった。
「中田ちゃん、落ち着こ? 大丈夫だよ、中田ちゃんは頭良いよ、大丈夫だよ」
――これが、彼女の中にあった、一番の歪み。
おそらくテストで、沢里よりも低い点数を取ってしまったということ。
世利華に、面と向かって言葉で言い負かされたこと。
思考系アドを持っているという自分の立場が、揺らがされたこと。
この状況になるまで誰も、彼女を馬鹿だなんて言ってはいないはずだ。
それでも彼女は、自分が馬鹿だと思われることを恐れていた。
自分が頭の良い人間だと思い込むことで自分を保っていたのかもしれない。
何故ならば、思考系アドという、ギフトを持って生まれたからだ。勉強に執心せずとも、頭はきっと良かっただろう。だからこそ、やっていることの不合理さは、彼女が一番理解していたはずなのだ。
馬鹿にはなりたくないのに、彼女の自尊心は、彼女に馬鹿なことをさせる。
そんな歪みが、とうとう露見したのだ。
沢里さんという、努力でアドを覆す対抗馬。
世利華という本当の意味で思考系を努力とともに芽吹かせた人間。
その二人を見た中田が、どんな感情を覚えたかを、察してやりたくはない。
中田が自壊するなら、それはそれで、構わない。
「いいや、お前は馬鹿だよ。沢里さんとのテストのことでも、世利華との言い合いのことでもねえよ。やってる事が、馬鹿みてえなことだって言ってんだ。そんなもん、お前が一番分かってんだろうよ」
結局は、彼女の独り相撲からはじまっただけの嫌がらせだったのだ。
沢里さんはただ努力をしてテストで良い点を取っただけ、世利華はそれをイジメている中田について言及しただけ。
結局この話は、それを馬鹿にされたと思い込んだ彼女自身の感情から始まっている。
それなら、まだ救いがないわけじゃない。
論争にもなった。
喧嘩も起きた。
事実、彼女は中庭の一件で大きくラインを越えて、更に実際の暴力まで振るった。
それでも、それを全てやめるというのならば。自分を見つめ直すと公言するのならば、今ならまだ、誰もが矛をおさめられる。
しかし、中田はもう使い物にならない状態だった。
「だがらぁ……わだしは……馬鹿じゃないぃ……」
中田が顔を覆いながら座り込む。
中田はもう会話が出来る様子じゃない。
落ち着くのを待つしかないと思いながら、俺は溜息をつく。
落ち着くのを待てない人間、その時間を許さない人間が――この状況を更に壊そうとしている人間が。こちらに向かってくるのが見える。
これ以上に状況を悪化させるなんてどうかしていると思ったけれど、そのどうかしているやつが、俺を前に立って、俺を睨んでいた。
「さっきからお前、本当にうるせえよ」
彼氏なら、怒るのが義理ってものだろう。中田の取り巻きが、少し嬉しそうに彼を見ている。
格好つけさせてやるのは癪だけれど、それでもこれでやっと、終われそうだ。
「お前さぁ、やりすぎじゃねえか? なぁおい! 葦名……よ!」
いきなり殴りかかってくるあたり彼らしくて思わず笑いそうになってしまった。
俺は俺で殴られる予定だったのだが、彼も運動系のアドを持っていることは理解の上だ。
本気の怒りは力を加速させるのだろう。俺は拳を受けるつもりが、反射的に腕で受けてしまった。
「馬鹿に暴力……本当に似たもん同士だな……っ!」
俺はあえて声を荒げて、ヒカリに目配せしながら邪魔な机を彼女の方へと蹴り飛ばす。
クラス中が一気にざわめき、クラスメイトたちはどんどんクラスの端へと集まっていく。
ヒカリは俺が蹴り飛ばした机を運び、沢里さんが塞いでいた扉の前に、邪魔になりそうな机を集めていく。
「おいおい、女のケツなんて見てる場合かよ?!」
「あぁ、お前の女よりいい女のケツなもんだから思わずなぁ!」
――受ける一発目は、首元に見えるような、アザの為。
痛みが走る。ただ、骨が折れるほどの力はない。手加減している様子はないようだから、これならば安心だ。ただ受け続けるだけで、すぐに済む。
「葦名くん……っ!」
ヒカリがこちらを見て駆け寄ろうとしているのを、俺は皆の感情が錯綜している今だからこそ通じるであろう暴論でせき止めた。
「お前がやったらシャレにならねえよ! 黙って俺に任せてろ!」
言い訳は、なんでも良かった。ただヒカリにやらせるわけにはいかない――ヒカリを間違えさせることは、俺が許せない。
「ねぇもういいじゃん! 帰らせてよ! 私たちが何したって言うのさ?!」
女生徒の一人が、木梨さんに抗議していた。
だけれど、木梨さんも丸山さんも、首を横に振る。
「ごめん、ヒカのお願いなんだ。それに、私たちは何もしなかったんだよ。だから、こんなことになった……みたいよ?」
「でもさ、何かしてたら……変わってた?!」
「そんなの分かんないよ。私は、ヒカと違って本当に馬鹿だしね」
木梨さんが、無理をして笑っているのが見える。
彼女たちも結局、クラスメイトであるのは変わりない。ヒカリと距離が近いだけに、罪悪感は他のクラスメイトよりも強かったのだろう。
鬱陶しいだなんて思ったことを、今更少しだけ、申し訳なく思う。
「女に目移りばっかか? 余裕ぶっこいてんじゃ、ねえよ!」
「いい女ばかりで、困っちまうよな! お前の女以外はよ!」
互いの拳が上手く交差したとしても、俺側から当てる気などサラサラない。
俺が加害側に回った瞬間、この状況はどっちもどっちになるのだから。
――受ける二発目は、彼の拳が眼球に刺さらないように、だけれど片目がアザになるように、半歩にも満たないくらい後ろへと下がり、痛みだけを引き受ける。
「葦名……もういい。お前がそれを受ける必要はないだろう……っ!」
世利華の少し焦っているような口調に、血が通っているような気がして、少し嬉しかった。
「心配してくれるなんて世利華も急に優しくなったな。でもさ、お前がぶたれる痛みより、俺が殴られた方が、俺が楽なんだよ。これが俺の合理だ」
「あぁ……そう、らしいな」
俺の拳は、風を切り続ける。
中田の彼氏は、鼻で笑っているが、そんなことはどうでもいい。
避けている気になっているなら、おめでたい話だ。
風を切り、風を切り、机を叩き、彼の目の前で止める。
その間に、一発、二発、三発。
なるべく、見える場所に彼の拳が当たるよう、誘導しながら、俺は動く。
痛みの中で冷静になっていく俺の耳に、クラスメイトたちの言葉が鬱陶しい意味を持ち始める。
一つずつ、一人ずつ、意味を持っては、俺の思考にかき消されていく。
「葦名ってあんなキャラだったか? ちょっと調子乗ってね?」
失礼だな。調子に乗っているように見せてるだけで、俺だってこんなキャラだとは思っちゃいなかったよ。
「ていうか、中田の彼氏って運動系のギフト持ってるよな? よく持つねアイツ」
俺がアド持ちだってことを、お前になんか言うわけねえだろ。
「痛そ……よくやるよね、馬鹿みたい」
お前も、中田も、俺も、みんな馬鹿だよ。ただ見てるだけよりは、マシだ。
「ていうかもう良くない? 結局ずっと中田さんが悪かったのは皆知ってるじゃん」
だったら、なんで黙って見てたんだよ。
「つーか山岸はなんで止めねえんだよ」
じゃあ、お前が止めに来りゃいいだろうが。
教室の中で、ノイズが鳴り続ける。
俺の耳に届くノイズに、俺は無言を答える。
いつまでもいつまでも、名前も知らないクラスメイト共の言葉が、無責任に宙を舞う。
目の前のクズの声も、よく聞こえる。
「サンドバッグにしてはよく動くなぁ! でもよ。俺にはギフトがあんだよ。偉そうな啖呵切ってくれてありがとよ葦名ぁ! 後悔して這いつくばったら、まだ間に合うんじゃねえか? 俺もお前のことを許してやらねえけど、な!」
十発以上は拳を受けただろうか。
それでも、まだ血は出ていない。
だから、その一撃をずっと待っている。
――なのに、こいつのギフトとやらは、そんなことすら出来ない。
「俺も、許してやるつもりも、許してもらうつもりも、少しもねえよ! それにお前のそれは、ギフトでも、なんでもねえ!」
俺はあえて右手を大きく引いて、顔を前に出す。
ニヤリと笑った彼の顔を見て、俺もまた口角を歪めた。
――受けるべき本当の一撃は、鼻の骨を一旦折らせても構わない。
何故なら、口を切ると食事をするのに困る。
なら、鼻血を出した方が悪い意味で見栄えも良い。
俺は辛そうにこちらを見ている世利華を見て、笑う。
彼女は口を結んで、中田にぶたれた顔を、感情で赤くしながら、自身の長い髪を右手で強く掴んでいた。
バキリという音で、俺はやっと少し、ホッとした。
すぐに感じる液体の感触も、思った通り。
痛みよりも、先に安心してしまう。
「あらら、折れちゃったか、な!」
もう、この辺でいい。だからこれ以上は当たるだけ損だ。
そう思い、俺は身体の軸をズラそうとするが、後から走る鼻の痛みに、ほんの一瞬判断が鈍る。
ずっと受けるべき一撃と避けるべき一撃は分けていたけれど、消耗が大きくなっていっているのは確かだ。
彼にも疲れは見えていたが、俺はそれに加えて実際の痛みに加えて、彼以上に動き回ってを負っている。
その分を計算に入れていなかったのは俺のミスだ。
彼の前蹴りが俺の腹部に突き刺さり、俺は周りの椅子や机に激突しながら、クラスの奥へと血の跡を作り、頬に新たな痛みと、血の感覚を覚えた。
「良いサービスじゃねえか……なぁ、まだやるか? 楽しいか? なぁ、おい!」
言いながら立ち上がろうとする視界を塞ぐように、すぐに次の拳が迫りくる。
流石にこのタイミングは避けられないな、と痛む鼻で笑いながら、俺は身体を揺らして、拳を受ける準備をする。
だけれどその拳は、俺の顔面にも身体にも当たらず、教室の床へと、押さえつけられていた。
「もう、だめ」
――あぁ、このくらいで、終わりにしていいんだな。
俺は、冷たいその声の主に心の底から謝りながら、それでも何も言わずに軽く目をつむる。
痛む鼻で血の臭いを嗅ぎながら、大きく、大きく、溜息を吸い込むように、息をしていた。




