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百瀬ヒカリは正義を謳う  作者: けものさん
第四章『激情にて、正義が揺れる』
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第十七話『本当に、馬鹿らしい』

 グループチャットは、もう動かない。ただ、俺の考えている事を伝える必要は、きっとない。


――何故ならきっと、ひどく反対されるだろうから。

 それも、特にヒカリには。


 俺は一人で自嘲する。

 やるべき事は既に、中田の彼氏が俺に殴りかかろうとしてきた時から思いついていた。

 つまりは、俺が上手く中田の彼氏から、一発ぶん殴って貰ってしまえばいいだけのこと。


 傷として、それなりに酷く見えるように、そうして顔などの見やすい位置にアザが残るように動けばいい。中庭で世利華に、あのバケツが直撃していても同じようなことが起こっただろう。

 イジメの強制的な終了条件は、目に見えすぎる被害状況だ。

 だけれど、世利華があの時被害を受けていたなら、生死に関わることになる。


 だから、俺がその痛みを調整して、引き受けたならいいだけのこと。

 要は、俺がヒカリに対してアレだけ怒った、自己犠牲というものを俺は選ぼうとしていた。


 だけれど、この段階にまでなれば、それが一番早い解決策だ。

 血を流すのは合理的ではないと世利華にチャットで釘を刺されてはいたけれど、この場合は全員にとって、これが一番合理的に話が進む。

 俺が受けるべき痛みは、介入への選択を選んだ俺が、引き受けるべき責任だと、そう考えていた。


 殴られることぐらいはどうだっていい。

 それ以上の痛みが、心の中で疼き続けている。


 ヒカリを怒鳴りつけた時は、自己犠牲の可能性を話した。

 だけれど、俺は確定的に、本物の自己犠牲を選ぶからだ。


 俺は、ヒーローになどならない。


 だから必要悪として処理されてでも、問題が解決したのならば、それでいい。

 ただ、その役をヒカリにやらせるのは違う。


 俺は自己犠牲を選んでも構わない。

 ヒーローではないから、ヒーローになんてなれないから、それでいい。

 自嘲が止まらなくなりそうな口を、俺は堅く結ぶ。


 ふと、稲穂と目が合うが、彼女の顔は悲しそうに見えた。

 あんなことがあった後だ。そう思うのも当然だろう。


 だけれどそれも、きっともうすぐ終わる。


 俺はやり返さない。

 そうして殴られた後に糾弾もしない。

 ただ、それなりに酷い事故として処理させる。

 クラスの雰囲気がどうなるかは分からないが、おそらくはそれで問題が露呈、表立ってイジメが出来るような状況ではなくなるだろうというのが、俺の考えだ。

 だからこそ、俺はやり返さない。何故なら俺は加害者になどなってやるつもりなど少しもないから。


 授業が全て終わり、ホームルームが終わった瞬間、一瞬だけクラスがざわつく。

 そそくさと帰り支度をしているクラスメイトたちが多い。


 それもそのはず、俺は昼休みの終わりにあれだけの啖呵を切った。

 そんな事には関わりたくないというクラスメイトが多いのは当たり前。

 ここまで問題は膨れ上がったのは、その事なかれ主義なクラスメイトたちが積み重ねた問題だとも、思っている。


――あいつらは傍観者にすら、なるつもりがない。 


 だからこそ、沢里さんはイジメのターゲットになったし、それが解消される事もなかった。

 そうして、ターゲットが世利華に移ったところで、何が変わることもない。


 あれだけどうにかしようとしていた山岸だって、せめてバケツを落とすのを止めてくれるくらいのことをしてくれていたら、まだ何かが間に合う可能性があったのかもしれない。ただ、彼はそう出来なかった。

 ある意味で、彼を信用をしていた部分もあった。彼ならば直接的なイジメは止めてくれるだろうと。

 だけれど、俺は昼休みにクラス内で何が起きたのかは分からない。

 取り巻きか誰かに、上手く引き止められていたのかもしれないし、気づかないようにバケツを用意されていたのかもしれない。

 

 それでも、近くにいながらそれに気付けなかった山岸よりは、世利華の近くにいられた俺たちの方が、意味はあった。


 あのバケツ一つが、どれだけの危険を帯びているのかについて、中田は想像出来ただろうと思う。

 それでも、おそらく我関せずを貫ける立場なら、取り巻きにでも彼氏にでもやらせる。


 それが中田から伝わり続けていて、結果中庭へと落下した悪意というものの正体だ。

 きっとあの女は、いざとなれば自己の保身に全てを使うだろうと思う。


 ヒカリが地上から投げ返したバケツについても、俺はあまり良くは思っていないが、それでも明らかな手加減と、当てないという意思があった。窓スレスレに調整していたのはそういうことだと思っている。


 だけれど、どれだけ考えても、三階から落とされたバケツは、明確に許されるラインを超えている。

 だからこそ俺はやっと重い腰を上げて、アドという力すら使って、動く事を選択したのだ。


 それが、自分の平穏を放棄することだと理解しながら、それすらどうでもいいと思ってしまっていた。

 もう、どうだっていい。こんなことが終わるなら、何があったって構わない。


「俺は結局の所、誰かを叱ることの出来る立場になんて、いなかったんだろうな」

 ヒカリの背中と、世利華の背中を見て、申し訳なさを覚える。

 それ以上に、稲穂がこれから傷つくであろう事を考えると、酷く胸が痛んだ。


 終業の礼が終わり、教師がクラスを出たと同時に、俺は呟いて立ち上がる。

 そそくさとクラスから出ていこうとする生徒の行方を、ヒカリの友人二人、ギャル子さんこと木梨さんと、おっとりさんこと丸山さんが塞いでいた。

「帰んのはさ、違うっしょ?」

 木梨さんが、少し大きな声でクラスメイトに、責任を課す。


――それは、関わらなかったという選択への、責任だ。


 そうして、沢里さんがゆっくりと立ち上がって、自分の机を引きずって歩く。


 俺も、稲穂も、世利華も、中田達でさえも、その行動を黙って見ている事しか出来なかった。

 ただ、ヒカリだけがにんまりと笑っている。


「流石、友達が多いだけの事はあるよな」

 ヒカリが休み時間にスマートフォンを叩きまくっていたのは、きっとこの為だ。


 そうして沢里さんは、木梨さんたちが立ち塞がったドアと逆側のドアに、ガンッと強い音を立てて、自分の机を置いて、その上に、腰を下ろした。

「元は私のせい。だから、ごめんね? 皆」

 きっとこれもまた、彼女なりの責任の取り方。こんな事、きっと非難されるだろう。

 それでも、沢里さんもまた、ヒカリにどう促されたかは分からないとしても、自ら当事者として動いてくれた事が嬉しかった。


「お膳立てか? 随分とご丁寧だなぁ!」

 中田の彼氏が立ち上がり椅子を思い切り蹴り飛ばし、近くにいた女生徒が小さく悲鳴をあげる。

 既に立ち上がっていたヒカリが、飛んだその椅子を掴んで、そっと床に置いた。

「ん! 危ないよ田中くん! それとみんな! 何が起きてたか分からない人は、いないよね!」

 そういえば彼氏の名前は田中なんて言ったか、と思いながら俺はヒカリが作り上げた舞台を見守る。


「ヒカリくん、皆、少し落ち着き給えよ! 何か方法が」

「ないから、こうなったんだよ?」

 ヒカリが山岸の言葉を遮って、彼を睨む。

 彼は狼狽しているように見えたけれど、俺はもうその表情を知っている。

 

――彼女もまた、俺と同じく、本気で怒っている。


「これは、私達全員の問題だよ。誰がだとか。何がだとかじゃない。皆が見なかったこと。だからせめてさ。離れていていいから見ててよ」

 ヒカリは無理に絞り出したような明るい声で、クラスメイト達へと頭を下げる。


「何が、問題だぁ? あの馬鹿が俺に喧嘩を売っただけの事だろうが! あれだけの啖呵を切ったんだから、一発ぶん殴らせろってだけだろうよ!」

 中田の彼氏は、あくまで俺と喧嘩をしているという認識でいるらしいが、それも何処まで本当の気持ちなのやら分からない。

 ただ、ある程度までは、こんなのはもう限界だと思う程度までは、イジメという構図を、引き立ててやらなきゃいけない。


――だから、俺は舞台の演者になればいい。

 やっぱり、俺にヒカリのバディは勤まらないだろうなと一人笑って、俺は中田の彼氏を見据えた。

「喧嘩だ? さっきの空振りの事か? 彼女は馬鹿みたいなイジメ、そんで彼氏は馬鹿みたいな暴力か。随分とお似合いのカップルじゃねえか。それとも、馬鹿と馬鹿って言ったほうがいいか?」

 あえて言葉は荒く、しかしあくまで言葉で止める。

 中田を巻き込まなければ、この大げさな状況の意味が無くなる。


「確かにその通りだ」

 空気を読んだわけではないだろうけれど、世利華が当事者としての口を開き始めたのは、意外だった。

「私も馬鹿げていると思うよ。暴力は関心しない。それに、君たちがイジメたい人間とやらは、私じゃあないのかい? 中田、黙っているなんてキミらしくもない」

 世利華も、怯えた瞳は既に奥へと隠れて、いつもの余裕ぶった言葉を中田達にぶつける。


「さて、中庭に落ちたバケツは、さぞ重かっただろうね。キミは私が死ねば満足だったのかな? キミの合理がそこにあるというなら、私は"哀れ"という感情への理解が深まる気がするよ」

「だからそれは間違いだって言って……!」


 中田の立場なら、そう言うしかない。もし故意だと認めたなら、たった今、世利華が行った事に『未遂』という言葉つくだけの事。


「間違い、か。腑に落ちないな。何を間違える事があるんだ? 何故ならキミは私をイジメているんだろう? その私にバケツを投げる事がどうして間違いになるんだ? 悪意だろう? 憎いのだろう? ならその相手に危害を加えるのは――そう、合理だ。やっと分かる。キミの合理というものがやっと分かった。だから訂正しようじゃないか。キミたちが沢里をイジメていたのも、私に危害を加えようとしたのも、キミの合理じゃないか。私の合理とは程遠く、哀れだと思うからこそ嘲笑に値するが、間違いなくキミが選んだキミの合理だろう。なのに間違い? 何を言っているんだ?」


 圧倒的な思考の処理速度で、世利華はまるで一秒ごとに自分を更新しつづけていく機械のようだった。

 そうして、そこから放たれる言葉は、明確に中田を撃ち抜き続ける。


「中田ちゃんが間違いだって言ってんだからさ! それは間違いでよくない?! ねえ皆もそう思うよねえ?!」

 取り巻きが間に入っても、誰一人として賛同の言葉は上がらない。

 それも当然だろう。間違っている道理に、どうして部外者がわざわざ首を縦に振る必要があるだろうか。そもそも、クラスメイトたちは不干渉を貫いた連中だ。だから同意も、非同意もしない。


「キミも随分と中田を庇うね? もしかして、本当に中田のやっていることが正しいとでも思っているのか? 目が見えないのか? 心がないのか? それはそれで面白い。これがそうか、盲目というやつかな?」


 取り巻きが世利華の机を思い切り叩きつける。

 図星であったならばそれは本当に、俺から見ても可哀想な人間だと思う。


「それで? 間違いだの間違っていないだの。正しいだの正しくないだの。そんな事より、中田――キミはどうするつもりなんだい? 私をどうしたいんだい? キミの満足は何処だ? 私が屋上から飛ぶことか? それともこのまま話を続けたいのか? ハッキリ言うが、私とキミでは、考えていることの土俵が完全に違う。私はキミの合理を否定しない。だけれどキミはどうだ? 何か一つでも、私の合理を否定出来るのか?」


 言い返す事が出来なくなった人間がすることは、皆同じだ。

 取り巻きは机を叩きつけた。そうして中田もまた、思考系のアドがあるかどうかなどは問題ではなく、 感情レベルで起きる事は同じ。

 ただ、その行動が、変わるだけ。


「アンタね……アンタね!」

 中田が振り上げられた手に、世利華はビクッと身体を揺らす。


 ただ、中田が振り上げた手の隙間から見えた彼女の目はもう、あの時の怯えた少女の目ではなく、しっかりと中田を見据える。

 言葉の覚悟を背負った目をしていた。

 

 世利華の頬に振り下ろされる手が鳴らしたバチンッという鈍い音に、俺は黙ったまま唾を飲み込む。

「あっ……」

 数秒の静寂が、クラス中を包む。

 中田は、すぐに顔を青ざめさせていたが、世利華は痛みに一瞬顔をしかめただけで、中田を見つめるその目は動かない。

「おいおい……本当にやっちまったよ」

 そんなクラスメイトの声が聞こえた。

 俺がぐるりと周りを見渡すと女生徒の多くは目を逸らし、男子生徒の多くは気まずそうにしていた。

 

 ただ、ヒカリは悔しそうに拳を握っていて、稲穂は周りの女生徒が目を逸らす中、真っ直ぐに世利華の方を見つめていた。

 稲穂からも、不安そうな雰囲気は消えて、静かに強い眼差し見える。


「ふふ、まさか本当に、ここまで短絡に落ちるとは。葦名が言うように、どうやらキミは本当に、馬鹿らしい」


 世利華は中田のビンタを受けた頬を、そっと擦る。

 中田も相当衝動に任せてぶったのだろう。彼女の頬は痛々しそうに、赤く色づけられていた。


 ビンタの瞬間、近くにいたヒカリが中田の手を止めようとしていたのも見えていたけれど、世利華はそれすらも織り込み済みだったかのように、パッとヒカリの手を明確に払い除けていた。


 だからこそ、世利華もまた何かを選んだのだろうと思った。

 何かを選び、その責任を、自ら受けたのだ。


「さて、結局のところ、キミも暴力だ。それで、私の頬をぶって満足かな? 頬をぶたれるのは初めてではないが、しかし何度やられても慣れないものだね。しかしこの程度では私も被害者を名乗れなさそうだ。どうする? もう片方の頬でも出そうか?」


 とうとう、世利華が明らかな実害を受けてしまった。

 それによって世利華がイジメられていたという立場が明確に浮き上がる。

 俺がやろうとしていたことを、彼女が引き受けてしまった。


 ある意味で、正しい解決への道筋ではあるのだろうと思う。

 それでもまだ、この悪意に満ちた舞台が終わりそうもないことは、中田の目を見るだけで分かっていた。

 

 本当のゴングの音は、チャイムではなく、きっとこのビンタの音だったのだろう。

 そう思いながら、俺は一歩ずつ、頬を差し出している彼女がいる、問題の中心へと足を進めた。

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