第十三話『それは、確かにギフトだ』
帰途に着きはじめる俺たち三人だけれど、ヒカリと俺だけが並んで歩いている。
それは、決して一旦保留にしたスカウトの件の続きがしたいがためにヒカリに付きまとわれているわけではなく、単なる帰路の一致だ。
それもそのはず、今朝の俺は、家を出て早々にヒカリの風船のくだりを見ているのだ。
稲穂とは家の方向の都合上、すぐに道を分かれてしまったが、帰り道が一緒のヒカリと並んでも歩くのは、もう友達となっている以上、おかしなことではないはずだ。
「しかし、イジメかぁ」
溜め息混じりにヒカリが呟く。
「俺らの年頃だとどうしてもな……正直、性格とアドと能力のバランスがグチャグチャな気がするよ。まぁ、俺も含めてさ」
自嘲を含めた言葉、だけれどそれは俺にも、ヒカリや稲穂、世利華にも言える話だ。
「んだからぁ……二人だから言うけどさ? アドじゃなくてギフトだってば……」
「お前も随分と呼び方に拘るよな……いや、拘ってるのは俺も同じか」
結局、アドバンスギフトという能力を持って生まれた人間同士でも、些細な考え方の違いが生まれる。
諍いと呼ぶほどではないにしろ、思うことはアドを持つもの同士でも違うのだ。
それは結局、望んで得た力ではなく、望まれて得てしまった力という側面が大きいのだろう。
「アドだのギフトだのって言い合ってる間は、俺たちも上手く噛み合えないのかもな」
「それは……そうなのかもね。でも私は誇りに思ってるよ、この力のこと。お父さんがのこしてくれたものだしね」
残した、という言い方はそう聞くものじゃない。与えられた、手に入れた、そんな枠組みに収まる言葉だ。
「ほんとのこというと、言葉に拘るのも違うのかもなぁって思うの。私がギフトだと思ってる。それだけで、いいんだけどさ。でもなんだか、アドって聞く度に、寂しい気持ちになるんだよね」
「俺は逆だな。親に期待されてギフトの箱を持たされて生まれたのに、生まれて箱を開けてみたら期待通りの中身じゃないって言われたんだ。そんなのを俺は、ギフトだと呼びたかないんだよ」
ヒカリは、稲穂がさりげなくしていたようなそれとは別で、じーっと俺の表情を見つめてくる。
夕日に照らされた大きな瞳が、不思議そうで、それでも俺の心の中を覗き込んでいるような、そんな無言の時間を、靴音だけが進めていく。
「……うん、きっとみんなに、色々なことがあるんだよね。私はさ、見ての通りあんま考えるのは得意じゃないんだ。だから頑張って考えよう! って気持ちを何処かで投げ出しちゃったのかもしれないなって思う時もあるの。今朝さ、葦名くんに怒られた時もそう。自分のやったことが間違いだったとは思わない。だけれど、怒られてからやっと、違う方法もあったんじゃないかなって、考えてみたいなって思ったんだ。結局、葦名くんとバディを組みたいって思った理由は、それだけなんだよ」
ちゃんと話をしてから断りたいという話が、断る断らないを保留してすぐに、来てしまったような気がした。
彼女も彼女なりにちゃんと物事を考えようとしているのならば、俺も俺なりに伝えるべき事は、考えておくべきで、タイミングは後になっても、ちゃんと伝えておくべきだと、強く心に留めた。
「まぁ、俺もお前の言いたいことは分かったよ。分かってはいるんだけどさ。言っちまえば……恥ずかしい話、俺は反抗期なのかもな。思考系と察知系の親に、思考系を期待されて生まれた運動系が俺なんだよ。だから逆に思考を強制されたし、察知を要求されて生きてきた。お前が俺を、そういう目で見れるのは、ある意味で俺の負の遺産を見てるんだ。俺がアドを嫌ったからこそ、俺はお前よりも考えられるし、お前よりも察知しようとは出来る。けれど実際、それらもアド持ちの努力には敵わない。その現実に、俺はなんだか、うんざりしてたんだよな」
反抗期というのは、言い過ぎかもしれないと思った。だけれど俺の生い立ちから湧いて出る『アド』と言う呼び方については、伝わったと願いたい。
俺が運動系のアド持ちとして、それを極めようとしない理由は、そういってしまうのが一番手っ取り早い。もっと複雑な事情を伝えるのは、野暮な話だ。続く言葉を待っていると、彼女は小さく吹き出す。
「あ、葦名くん……反抗期って……」
「あぁ、やっぱりお前はそこを拾うんだな。仕方ねえだろ。俺の名前、母さんと読みが同じなんだぞ? そこまで拗れてる家庭に生まれりゃ、うんざりもするってもんだろうよ」
ヒカリはひとしきり笑った後、夕焼け空に顔を向けながら、何かを、見ていた。
「ま、まぁ確かにね……。でもさ、反抗できるってのはさ、いつか仲直り出来るってことだよ? だけど、いなくなっちゃった人との間に残るのは、思い出だけ、それはずーっと綺麗だから、やっぱり私はギフトだって思いたいんだ」
彼女は、空の向こうを、静かに見ている。
――何かではなく、誰かを見ているかのように。
だから、やっと彼女が言った『お父さんがのこしてくれた』という言葉に、『遺』という漢字がハマった。
「……悪い、言いたくないこと。言わせようとしてるか?」
「んーん? 私のお父さんが死んじゃったのは、ずーっと前の話。私が小学生になったばっかりの時だからね。もうへーき! ちゃんと、割り切れてるよ。ただね、お父さんは死んじゃったっていうか、殺されちゃったんだよ……警察官だったの。だから、殉職って言えば分かりやすいかな。正義感の強い人でさ、私が今やってることは、全部お父さんから受け継いだものなんだと思う……へへ、まだまだ未熟だけどね」
やはり、ちゃんと話しておくべきだったのだと、確信する。
知らずに断り続けた俺を、俺自身が否定するつもりはない。
同情や、感情でブレるような事でも、決してないはずだ。
――だけれど、その動機が理解出来るからこそ、やはり彼女は光に向かって進んでいる。
俺にとってのアドも、彼女が言うギフトも、与えられた能力という意味だけを取って、同じものだと、そう思っていた。
だけれど、彼女にとってのそれは、紛れもなく、ギフトなのだ。
「あぁ……そりゃギフトだろうさ。それは、確かにギフトだ」
「ふふー、でしょ? でもまぁ、葦名くんが大変なのも、なんとなーく分かったよ。それでも、私は君を諦めないけどね?」
その期待の眼差しを見る度に、やはり少しだけ、胸がチクリと痛む。
アドバンスギフトを持った人間が、何をするべきか。
その答えにたどり着けていない自分が、浮き彫りになるような気がしてしまう。
「その話は、保留だって言ったろ?」
「それもそだね。でも、最後に頷かせるのは、私の中では確定事項だしなー!」
確定事項と言えるそのポジティブさに少し呆れながら、逆に説得出来るならしてみてほしいと思う自分もいた。
そんな話をしながら歩いていると、朝の風船事件の場所も通り越す。
知らなかったけれど、いつも殆ど同じ道を通学していたんだなと思っていると、ヒカリはとある店の前で足を止めた。
その店は丁度、俺がいつも学校へ行く時に通る店だ。よく知っている店ではあるけれど、入った事はない。
というよりも、入る理由がない店だ。父あたりは行った事があるのかもしれないと思いつつ、俺は『BAR:百花』と書かれた看板がかかっている建物を眺めた。
「ここが私のうちだよー! あ、もしかして葦名くんの家と、結構近い?」
「そうだな……あっちの方に少し歩いて、曲がってすぐだ」
俺は指で自分の家の方角を指差して、曲がり角の方に手首を振る。
このあたりは丁度、義務教育の通学区域が別れる場所だったから、俺がこの店を意識しはじめたのは高校に入ってからだったし、お互い区域の端だという事は、中学時代はヒカリも俺と同じく、正反対の方向に向かって、学校の中では最長距離の通学路を歩かされたのだろう。
「しかし、ここがヒカリの家だったのか……店名、通る度になんて読むのか気になってたよ」
彼女が店自体に帰ろうとしているという事は、自宅併設型の店なのだろう。こういうのはテナントを借りて経営することが多いと思っていたが、こういう形の店もあるのかと、確かに一軒のBARにしては大きな家を眺める。
「読み方はね、そのまんま『ひゃっか』だよ。せっかく苗字が『ももせ』なんだからちょっとモジって『ももか』でも良かったのにねー」
確かに、百花と書いて『ももか』と呼ぶのも、中々オツな響きだと思ったが、十中八九読み間違えられるからだろうなと思い、俺は一人で納得する。というか、家族ならそのあたりの事情を知っていても良さそうなものだけれども。
「そだ、葦名くん寄ってく? ヒカリちゃんがゴキゲンなノンアルカクテル作っちゃうよ? 営業時間外だし、お金取ったらママにしばかれちゃうからタダでいいよ?」
「あー、っと。こういう店って、俺らの歳が出入りしても良いもんなのか?」
どうせ自宅もすぐ近く、それに自宅に帰ったところで良い気分にならないのは分かっていたから、正直な所、時間を潰させてくれるならありがたいと思ったが、いざBARに入るかと聞かれると、流石に緊張する。
「んー、大丈夫じゃない? だって私がいつも手伝ってるくらいだし。それにお酒出すわけじゃないし、そもそも営業時間じゃないしね」
「まぁ、それなら良いか……何かあったら責任取れよ?」
念には念を入れていると、彼女は苦笑しながら重たそうな扉に鍵を入れる。ギイィ……という重たい音と共に、分厚い木製の扉が開かれた。
随分と厚みのある扉を見ながら、俺は彼女の後に続き、夕焼けの光に照らされた店内のボトル達が一瞬光った、その風景に目を奪われる。
しかしすぐにバタンという音で光は失われる。
立ち止まったままの俺を置いたまま、ヒカリはスイスイと店内を歩き、パチンという音と共に店内に人工灯の光を吹き込んだ。
光を吹き込んだと、本当にそう言ってしまいたいくらいに、綺麗な瞬間だなと思えた。
単純に、俺が初めてBARという場所に入ったのもあるが、少しだけ薄暗い店内と、逆に真っ白に輝くバーカウンター。急に、この空間が息をしはじめたような感覚にとらわれる。
「これは、素直に綺麗だな。こういう所は初めてきたよ」
「ふふー、ありがと! まぁちっちゃい店だけどねー、百瀬家二人、頑張っておりますよー!」
煌めくボトル達に、ある種のロマンがある事くらいは、俺でも分かる。
少しそれらに目を奪われてから、俺は店内をぐるっと見回した。
彼女が『ちっちゃい店』だというだけあって、テーブルとカウンター席をあわせても十人のお客さんで満杯どころか、窮屈なくらいだろう。
しかし、一つの整った空間として、丁寧に出来上がっているのは素人の俺でも良く分かった。
「それじゃ、すわってすわって?」
俺はヒカリに言われるがまま、カウンターの一席に腰を下ろす。
彼女はいつのまにか制服の上に黒いエプロンのようなものを巻いていた。
「……それだけでも随分と印象が変わるもんだなぁ」
「あぁ、このサロン? ふふん、格好良いでしょ? お気に入りなの」
エプロンではなく、サロンというらしいそれを、ヒカリはひらりとこちらに見せる。そして、やや演技がかった真面目な表情をしながら、よく見るカクテルグラスらしきものに、氷を二粒置いた。
「さて、お客さん。何かお好きなものや、苦手なものはありますか?」
「バーテンダーさん。とりあえず、その口調は似合ってないぞ……」
お客さんと呼ばれたとはいえ、口調がキリっとしたとはいえ、ヒカリはヒカリだ。
結局、俺のツッコミに、軽くむくれながら、何か金属らしきもので、彼女はカクテルグラスの上の氷を高速でグルグルと回していた。半分がフォークで、半分がスプーンという細長い道具に氷が踊らされている。
「んもう、分かってないなー! こういうのは雰囲気が大事なんだよ?! とりあえず何が好きなの? 甘いの? 酸っぱいの? しょっぱいの?」
しょっぱいと答えたらどうなるのだろうと思いつつ、BARの注文の仕方なんてのを知るわけがない俺は、彼女が回すのを止めてもカクテルグラスの上で静かに回転し続ける氷を眺めながら、俺はしばし答えに詰まる。
「んじゃもう、何でもいいよね? 甘いのは大丈夫?」
「ああ、何が好きかと言われると迷うけれど、苦手なものはないよ」
彼女はそう言うと、カクテルグラスの上の氷をサッと水場に捨てて、軽く振る。
そうして、調理実習なんかよりもまるで化学の実験みたいに、抹茶色の液体、そうして生クリームのようなもの、最後には普通にそこらへんで売っていそうな緑茶を、計量カップみたいなものから大きな容器にまとめたかと思うと、さっき氷を回していた勢いとは逆に、丁寧にクルクルと、それでも綺麗な手つきで中身をかき混ぜてから、氷を豪快にその中にぶち込んだ。
「……慣れてるんだな」
「そりゃまぁ、いつも見てるしねー」
そうして、彼女は氷を入れたその容器に、上から同じ形の容器を合体させる。
「あぁ……これは俺も見たことあるな」
「シェイカーだね。これで中身を混ぜて、冷やしてあげるの。お酒だったら、空気も……だっけな?」
言いながら彼女はシェイカーの蓋を開けしめして、ギュッとシェイカーを両手で掴んだ。
その流れるような動作の最中に、ヒカリの印象が少しだけ変わる。
こういう繊細な動作も出来るのか、と感心した瞬間。
ジャカジャカと彼女がその容器を大きな音を立てて振る。
――あぁ、やっぱりヒカリっぽい。
そのジャカジャカという行為には見覚えがあった。いわゆるこれが、シェイクというやつだ。
「そんな強く振るもんなのか?」
「もー! シェイク中のバーテンダーに話しかけない! それにこれはこういうもんなの!」
シェイカーを振り終わった彼女は、カクテルグラスの中にシェイカーの中の液体を勢いよく注ぎ入れた。
そうしてシェイカーを横に振って、中にある氷がジャッっという小気味良い音を立てる。
カクテルグラスの中身は、光が透き通るような綺麗な色ではなく、ちゃんと地に足がついたような強みを感じる薄緑色の液体が満たしていた。
「っと、後はそうだな……ちょっと待ってね」
そう言いながら、彼女はしゃがみこんでカウンターの下に消えてから『きな粉』と書かれたパックを手にとって現れ、そこから雑にカクテルの上にパラパラと指できな粉をまぶす。
「はい出来上がり。葦名くんスペシャルだよ。冷たいうちにどーぞ! 勿論アルコールは入ってないからね?」
スッと俺の前に差し出されたそのカクテルの、薄緑に浮かぶくすんだ黄色は、彼女が言った通りに、俺を模した色なのだろう。
俺の苗字の『葦』という植物のイメージが、まさにこの色だった。
「氷の粒がこんなに綺麗に見えるもんなんだな。それに、ヒカリは意外と器用なんだなぁ……」
「その粒を出す為に強く振ってたんですー! 力任せだけじゃないんだからね?」
その言葉を聞いて納得しながら、カクテルの表面に浮かんでいたキラキラと光る氷の粒を眼前まで持っていき、俺はクっとそのカクテルを口に含んだ。
――酒じゃなくても、こんな気持ちになるものなんだな、
甘さやほろ苦さが味覚を走るのと同時か、それよりも早く、そんな事を思った。
もしかすると、俺は初めての経験に少し高揚していたのかもしれない。
「うん……美味いよ」
甘いが、甘すぎない。少しほろ苦いが、苦いというわけでもない。
「んふふ、悪くないでしょ? 見直した? 見直した?」
「まぁ、色々と意外ではあったかな」
量にして、決して多いわけではないそれを、俺は三口程で飲み込む。
思った以上に冷たく、飲み心地もとても良かった。
それを俺の名前という印象だけで作ったのだから、人は面白い。
「うん、これは加点だなー、ちなみにね? 強く振ったのには氷の粒以外にも理由があってー、生クリームを入れ……あっ」
うんちくを言い始めたヒカリが、横を向いてフリーズする。
そこには、おそらくこのBARの主人であろう女性が、今日一日俺が受け続けたジトーッとした視線をヒカリに向けていた。その視線だけでこの人がヒカリのお母さんだと分かるくらいには、百瀬親子は似ているんだなぁと思い、俺はヒカリの母に頭を下げる。
「はじめまして、ヒカリさんの友人の葦名です。お邪魔……してます?」
俺は固まっているヒカリの顔を伺いながら、助け舟を求めるが、こういう時にヒカリは役に立たないことはもう十分知っている。
俺の顔を見て、ニヤっと笑うヒカリのお母さんに困惑しながら、頭をあげると、俺の横で小さく溜息の音が聞こえた。
「んふふ、BAR百花にようこそ! 葦名くん? ヒカリの母の百瀬雲雀です~。気軽にヒバリさんって呼んで頂戴ね? それにしても、ヒカリもとうとう男の子を連れ込むなんてね~! ママ嬉しいなー! でも一言くらい教えてくれてもいいんだぞ?」
――あぁ、これは間違いなくヒカリの母だ。
父を亡くして久しいという話を引き合いに出すのはどうかと思うが、ヒカリの性格そのものは母似で間違いない。
逆に言えば、信念は父から受け継いだのだろうとも思う。
心根は父、性格が母と言ったところだろうか。
やっと硬直がとけたヒカリが、気まずそうな顔でこちらを見ている。
「俺がクラスでからかわれていた時、気づけなかったヤツに出す助け舟はないぞ」
「えぇー……これだけサービスしたのにぃ?」
それとこれとは別問題、今度ヒカリには何かしらのサービスで返そうとは思ったけれど、自分の母への説明責任は自分でとって欲しい所だ。それに、俺は少なくともちゃんと友人だって挨拶をしているわけだし、そう考えると、ヒバリさんの発言も中々に飛躍している気がする。
「友達以上ってとこ? それとも恋人未満ってとこ? どっちにしても、ママは嬉しいよ? でも! 勝手にお店を使ったのはお小遣い減額かなー?」
「私の家でもあるんだし、いつも手伝ってるんだし、このくらいはしてもいいじゃんか! それに葦名くんは友達だけど、以上も未満もないよ! 偶然家が近かったし、せっかくだから寄ってもらっただけ。お小遣いは……いいよもう! 葦名くんにドリンク代請求するもん!」
――ヒカリ、ヒバリさんの事、ママって呼ぶんだな。
あと、急に無料じゃなくなった件については、要相談案件な気がする。
首を横に振っている俺に「いいよね?!」って圧をかけながらこちらを見ないでほしい。まぁ、売り言葉に買い言葉だろうとは思いつつ、俺は苦笑で見守る事しか出来ない。
「んもう照れちゃって! それで、何出したの? お母さんも味見~」
いつの間にかバーカウンターの中に入っていたヒバリさんが、シェイカーの中に小指を入れて、その指をペロリと舐める。
「ふーむ? アルコール使ってたらぶっ飛ばしてたけど、そういうわけじゃないならお小遣い減額は免除かな。抹茶シロップをベースに、生クリーム。それを緑茶でアップかぁ。んできな粉、と」
ヒカリが少しだけ身体を堅くさせたのが分かった。
ヒバリさんの言っていた材料が当てはまっていたのだろう。
そうしてヒバリさんはカウンターのきな粉の袋を見る。
同時にカウンターに少し散らばったきな粉を、ティッシュで掬ってゴミ箱に捨てた。
「ちょっと渋い、これならシュガーシロップを……ほんの少し入れた方が丸いかもね? きな粉を使っているのは、私の子だけに良いセンスだけど、置きっぱなしこぼしっぱなしなんて雑すると、嫌われちゃうわよー?」
ヒバリさんはきな粉の袋で軽くヒカリの肩をはたいて、元の場所に戻す。
「でも、葦名くんを想って作ったその意気やよし! お母さんは嬉しいな! 葦名くんもう少し何か飲んでく? ヒバリさんがサービスしちゃうよ?」
「いえ、まぁ、あの、今日は帰ります。なんかヒカリさん可哀想ですし」
狼狽しているヒカリを見ているのも楽しそうだったけれど、流石に格好良くカクテルを作っていた姿で固定してあげたいのが山々だった。
「可哀想じゃないしっ! もう! ママも葦名くんもなんかな! なんかなー!」
百瀬親子がじゃれ合っているのを見ながら、俺は席を立って軽く会釈する。
「じゃあ、ご馳走様でした。機会があればまた」
機会があればだなんて、社交辞令だと分かっているであろうヒバリさんがヒラヒラとこちらに手を振る。俺は対応に少し困りながら、改めて軽く頭を下げた。
楽しそうに笑っているヒバリさんは、自分の親世代の人にこう思うのも失礼かもしれないが、綺麗というよりは、可愛げに見えた。本当に、二人とも良く似ている。
俺が帰ろうとして、入口の扉を押すと、意外にその重さに驚く。
BARの扉は何故こんなに重いのだろうと思いつつ、グイイっと扉を押し込んだ。
そうして、少しだけ暗くなった空と夕焼けが目に映ると同時に、背中に声がかかる。
「葦名くん、また明日ね!」
「あぁ、また」
俺は振り返って、ブンブンと手を振っているヒカリに向かって、軽く手を振り返して、重たい扉の中から少しだけ漏れ聞こえてくる二人の会話に苦笑しながら、少しだけ嫌なことが待っているほんの数分で着いてしまう家路に着いた。




