異世界美男子は、迷子にも優しい
美味しく昼食を食べ終えたあと、二人が食事フロアを出ようとしたときだった。
どこかから、子どもの泣く声が聞こえた。
千海は足を止め、すぐに声の方へ振り返る。
少し離れた場所で、小さな子どもが立ち尽くして泣いていた。
千海はすぐに近づき、目線を合わせるようにしゃがみ込む。
「どうしたの?」
「わぁぁぁん」
「ママは? パパは?」
「わぁぁぁん。いないのー」
千海は璃景を振り返った。
「迷子みたいです」
「迷子かい?」
璃景はすぐに状況を理解したようだった。
そして、子どもに向かって、できるだけ穏やかな声で言う。
「抱き上げてもいいかな?」
子どもは泣きながらも、こくんと頷いた。
璃景はその子を軽々と抱き上げると、そのまま肩車をした。
「母上と父上を探してごらん」
子どもが「母上」「父上」という言葉に混乱した顔をしたので、千海はすぐに助け舟を出す。
「ママとパパ、上から見えないかな?」
子どもはびっくりしたように目を丸くしたあと、周囲をきょろきょろと見回し始めた。
泣き声は、少しずつ小さくなっていく。
「迷子センターに向かってみましょう」
「そんな場所があるのかい?」
「えぇ。マイク放送もしてくれますし、親御さんも探しに行っているかもしれませんし」
「まいごせんたー、か。至れり尽くせりだな、この国は」
璃景の肩の上で、子どもはまだ少し鼻を鳴らしながらも、珍しい景色を見るように辺りを見回していた。
千海は、その横を歩きながら、璃景をそっと見上げる。
知らない世界に来たばかりなのに。
自分だって分からないことばかりのはずなのに。
泣いている子どもを見て、璃景は迷わなかった。
自分だって、この世界では迷子のようなものだ。
言葉も、文字も、仕組みも分からない。
頼れる相手は、今のところ千海しかいない。
それなのに、璃景は泣いている子どもを見つけた瞬間、自分の不安より先に、その子を安心させることを選んだ。
そのことが、千海には少し嬉しかった。
そして、少しだけ安心した。
「千海」
璃景がふと声を低くした。
「あちらの背の高い男と女の足取りが、ひどく慌ただしいように見えるが……違うかな?」
璃景が視線で示した先には、血相を変えて辺りを見回している男女の姿があった。
肩の上の子どもが、その姿を見るなり、ぱっと顔を明るくする。
「あ! ママ! パパ!」
小さな手が、勢いよく伸びた。
「おぉ、見つかったようだね」
璃景は優しく子どもを地面へ下ろした。
子どもは一目散に駆け出し、父親と母親に抱きついて、また泣き出す。
親御さんたちは何度もこちらを振り返り、涙ぐみながら頭を下げていた。
璃景はそれに応えるように、静かに一礼を返す。
千海は、その姿を見つめていた。
なんとも言えない、柔らかく嬉しい気持ちが胸の中に広がっていく。
「どうしたんだい、千海。そんなに優しげな目を向けられると、さすがに照れるよ」
璃景は少しきまり悪そうに髪を掻いた。
それから、周囲に死人が出ないように、微笑まないよう、少しだけ表情を引き締める。
「慣れていますね」
「私の国でも、迷子はよくいるからね。泣いている子どもを放っておく男は、蒼嶺国にはいないよ」
「……璃景さんらしいですね」
「それに、子どもを安心させるために咄嗟に声をかけてくれた君の優しさがあったからこそだ。良い連携だったね、作家殿」
千海は少しだけ照れたように笑った。
「それもメモしていいですか?」
「今の流れでかい?」
「作家なので」
「本当に便利な言葉だね」
無事に子どもを送り届け、二人は再び駐車場へ向かった。
「さあ、これで本当に買い出し完了だね」
璃景は少し楽しげに言った。
「帰って準備だね?」
「はい。明日から、移動が多いのでよろしくお願いしますね」
「あぁ、努力する。ネタになるようにね」
「明日は飛行機に乗って、取材旅行です」
「ひ、ひこうき……?」
車に戻り、助手席の扉を閉めた瞬間、璃景はその聞き慣れない言葉に思わず固まった。
「千海、今『ひこうき』と言ったかい? 鉄の獣の次は、一体何に乗るというんだ」
璃景はサングラスを外し、運転席に座る千海を本気の驚きと、ほんの少しの戦慄を交えた目で見つめた。
千海は笑顔で璃景を見て、人差し指を上に向けて
「空から行きましょう」
「そ、空!?」
「はい。さすがの璃景さんも驚きます?」
「空だよね? 鳥みたいに?」
「そうですね。大きな鳥みたいなものです」
「本当に?」
「えぇ」
「千海……死人を出す前に私が死ぬのでは?」
「めったに死なないので大丈夫です」
「ん?!」
「それに、今回は電車も乗りますよ」
「千海……情報量が多くて……何から聞けばいいかな?」
「多分、聞かずに驚くだけでいいネタになります」
「私の心の問題は?」
千海は、にこっと笑った。
何も答えなかった。
「千海……雑と言われないかい?」
「よく言われます」
「だろうね……」
「諦めてください」
「……明日から、空を飛んでその『せとうち』という場所へ向かうのだね」
璃景は深く息を吸った。
「異界の技術には驚かされてばかりだが、ついに天をも駆けるとは……」
「大丈夫です。安全です。車も飛行機も電車も」
「あぁ、いや、大丈夫だ。怯えてなどいないよ。君が操るこの車がこれだけ安全なのだから、その飛行機とやらもきっと、素晴らしい旅になるのだろう。多分」
千海は思わず吹き出しそうになった。
「璃景さんも、雑になってきましたね」
「今、君が私に使った言葉だ」
「覚えなくていいところを覚えましたね」
璃景はシートベルトをカチリと嵌める。
「分かった。ならば今日は早く家に帰って、旅の支度をせねばな。君に選んでもらったこの洋服や日用品を、あの大きな鞄に詰め込むのだろう? 荷造りなら手伝えるはずだ」
車が地下駐車場から、再び眩しい太陽の光が降り注ぐ地上へと滑り出していく。
璃景は窓の外を見ながら、静かに言った。
「千海、家に戻ったら、明日の戦に備えて、今夜も美味しいお茶を淹れてくれるかな?」
「戦じゃなくて、取材です」
「私にとっては、空を飛ぶ時点でかなりの戦だよ」
「じゃあ、落ち着くお茶にしますね」
「あぁ。明日の空の旅、君の隣でしっかりとその全貌を見届けさせてもらうよ」
千海はちらりと璃景を見る。
その横顔は少し緊張していて、それでも楽しみにしているように見えた。
昨夜、寝室の扉の向こうにいたときは、ただの“意味の分からない異世界美男子”だった。
けれど今は、少し違う。
知らない世界に戸惑いながらも、子どもに手を差し伸べる人。
美味しいものに素直に喜び、分からないことを学ぼうとする人。
そして、明日の空の旅に怯えながらも、千海の隣に立とうとしている人。
(……明日も、メモが忙しそう)
千海はそう思いながら、車を家へと走らせた。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
千海の、声をかける優しさ。
璃景の、迷わず助ける優しさ。
今回は、お互いの優しさが少し見えた回だったのかな……と思います。
二人がこれからどんな掛け合いをしていくのか、楽しんでいただけましたら嬉しいです。
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