本陣に増えた戦利品と、次の約束
「さて、門まで着いたけど、もう未練はないかい? 千海?」
璃景は微笑みながら千海にたずねる。
「ふふ、バッチリ書き留めました! 最高の取材でした」
大満足の千海はスマートフォンをポケットに収めると、璃景が繋いでくれた手をしっかりと握り返した。
極彩色の門をくぐり、賑やかな南京町の中華街に別れを告げた二人は、タクシーを捕まえて乗り込んだ。
「新神戸駅までお願いします」
千海が行き先を告げると、車は新神戸駅へと向かって動き出す。
窓の外を流れていく神戸の街並みを眺めながら、璃景は肩にかけたデニムバッグの紐を、端正な指先でそっと撫でた。
中には、昨夜千海が「お揃いで買いませんか?」と言ってくれたうさぎとペンギンのグラス。
そして、チャックを少し開けるとペンギンのぬいぐるみがつぶらな瞳を覗かせている。
「本当に、夢のような遠征だったね、千海」
璃景がしみじみと呟いた。
「はい。北九州空港から始まって、下関、宮島、倉敷、神戸……盛りだくさんで最高の取材旅行でした!」
「あぁ。私の胸も、君のメモも、これ以上ないほどいっぱいに満たされたよ」
そんな会話を交わしているうちに、タクシーは新神戸駅へと到着した。
改札を抜け、ホームへと上がると、東京行きの新幹線が、静かに滑り込んでくる。
二人は並んで指定の座席に乗り込み、腰を下ろした。
プシュー、とドアが閉まり、列車が滑らかに加速を始める。
窓の外の景色がどんどん速度を上げて遠ざかっていくのを見つめながら、璃景は深くシートに身を委ね、小さく息を吐いた。
「これより、東京の本陣――我が作家殿の家へ帰還の途につくわけだね。……寂しくないと言えば嘘になるが、不思議と心地よい充足感があるよ」
「ふふ、そうですね。でも、お家に帰るまでが取材旅行ですからね。東京に着いたら、まずはあのうさぎさんの隣に、このぺんぎんさんを並べなきゃですね!」
千海が楽しそうに言うと、璃景は嬉しそうに何度も力強く頷いた。
「あぁ、それが我が本陣の、新たな防衛陣形だね。楽しみにしているよ」
お揃いのデニムバッグを座席の間に置き、二人は新幹線の心地よい揺れに身を任せながら、楽しかった旅の思い出を語り合う。
窓の外の景色は、夕暮れに向かってゆっくりと色を変えながら、二人を大切な日常の待つ場所へと、真っ直ぐに運んでいった。
「璃景さん、今回はどこが一番印象に残りました?」
新幹線の心地よい揺れの中、千海が隣から覗き込むようにして、楽しげに問いかけた。
その手には、この数日間の驚きがぎっしりと詰まった大切なスマートフォンが握られている。
璃景は一度、窓の外をものすごい速さで過ぎ去っていく異界の景色をじっと見つめた。
それから、肩にかけた小さなバッグの中にある「お揃い」の気配を確かめるようにそっと触れ、サングラスを少し下げて千海を振り返った。
「そうだね。驚きすぎて、一番が出せないかもしれない」
彼は困ったように、けれどどこか誇らしげに、ふっと喉を鳴らして笑った。
「小倉での主上気分を味わい、下関での大きな橋や宮島で、潮が満ちゆく社を美しいと君と並んで見つめた時も……。倉敷で、うどんを必死に半分個した時も、そうだ」
璃景は一度言葉を区切り、サングラスを完全に外して、その切れ長の瞳で真っ直ぐに千海を見つめた。
「そして、昨日の神戸の海。天へ届く光の輪の特等席で、君が『生贄じゃなくて良かったです』と笑ってくれたあの瞬間も……どれか一つだけを一番と選ぶことなど、私には到底できないよ」
彼は、静かに微笑む。
「すべてが、私の胸の奥に深く刻まれた至高の勲章なのだからね」
「ふふふ、本当に盛りだくさんでしたもんね!」
嬉しそうに微笑む千海を見て、璃景の目元がさらに優しく和んでいく。
「あぁ。だが、もし一番の理由を挙げるのだとするならば……」
璃景は少しだけ耳の端を赤くしながらも、繋いだままの千海の小さな手に、そっと優しく力を込めた。
「どの景色の中にも、どの美味の前にも、必ず君が隣にいてくれたこと。それが、この旅のすべてを一番にしてくれたのだと思うよ、我が最高の作家殿」
新幹線は、二人の数え切れないほどの思い出と、新しく加わったペンギンの仲間を乗せて、夕暮れのきらめく線路を東京へと向かって、どこまでも真っ直ぐに走り続けていった。
「そのセリフいいですね。メモメモです」
「……千海」
璃景はどこまでも作家魂逞しい千海を見つめてふっと苦笑いをする。
千海は璃景の苦笑いを微笑み返してから感謝を込めて言う。
「私も一人で取材旅行してたより、絶対に楽しかったです。璃景さんのおかげですね。ありがとうございます。帰ってしっかり書き上げますね」
千海はそう言いながら、また熱心にスマートフォンの画面をタップしている。
自分の本心からの言葉がそのまま物語の極上の台詞として扱われることに、璃景はなんとも言えない気恥ずかしさを覚えながら、サングラスをかけなおした。
「千海……ふふ、ふふふ。思ったように書けそうかい?」
璃景はどこか嬉しそうに尋ねる。
「はい! バッチリです。」
本当に幸せそうに返す千海。
その一言が、璃景にとってはどんな勝利の凱歌よりも心地よく響いた。
「しかし、瀬戸内って反対側もあるので、そっちも取材旅行したいですね」
千海が早くも次の壮大な進軍計画に目を輝かせると、璃景はその尽きることのない探求心と行動力に、今度は心底愛おしそうな笑みを漏らした。
「ふふ、ふふふ。楽しそうだね」
「楽しいです。次も璃景さん一緒に取材旅行してくれますか?」
「反対側、か。なるほど、今回巡った地が瀬戸内の防衛線――山陽だとするならば、次は南の砦――四国を巡る作戦というわけだね。それはまた、実に見応えのある大遠征になりそうだ」
璃景は、座席の間に置かれたデニムバッグと、その中からつぶらな瞳を覗かせているペンギンのぬいぐるみをそっと見つめた。
「君が望むなら、私はどこまでだって同行しよう」
「本当ですか? それはかなり心強いですね」
「次はどんな未知の海が、どんな美味が、そしてどんなお揃いが私たちを待っているのか……。」
「それはまた、違う美味と楽しい文化を堪能してもらいますよ」
「君の筆が紡ぐ物語の続きと共に、私も今から楽しみにしているよ、我が大切な作家殿」
流れる車窓の景色は、いつしか東京の夜の明かりへと近づいていく。
けれど、二人の胸の中に広がった瀬戸内の青い海と、これから始まる新たな物語の予感は、新幹線の速度よりもはるかに速く、どこまでも眩しく広がっていくのだった。
「帰ってきましたね」
東京駅の喧騒を抜け、さらに電車を乗り継ぎ、見慣れた最寄り駅の改札を出ると、千海はほっとしたように息を吐いた。
「あぁ。帰ってきたんだね」
璃景もまた、お揃いのデニムバッグを大切に抱え直しながら、どこか感慨深げに街並みを見渡した。
彼にとっても、ここはすでに大切な「我が家」のある本陣なのだ。
「帰宅の前に、璃景さんの服の追加を買いましょう」
「追加かい?」
不意の提案に、璃景が驚き一歩下がる。
「はい。荷物を送っちゃったので、届くまでに数日かかりますから。着替え、足りなくなっちゃいますよ」
千海が楽しそうに言うと、璃景は「なるほど……!」と膝を打った。
「さすが我が作家殿。兵站――衣類の先読みまで完璧とは。確かに届くまでの数日間、着た切り雀になるわけにはいかないからね」
二人はそのまま、駅近くの馴染みの衣服店へと向かった。
千海の的確な見立てによって、璃景の大きな身体にぴったり合う普段着の一式を購入する。
これで荷物が届くまでの防衛線――着替えも万全だ。
新しく増えた衣服の袋を手に、のんびりと自宅へ向かって歩いていると、ある雑貨屋のウィンドウの前で、二人の足がぴたりと止まった。
そこにいたのは、昨日の水族館の感動を呼び覚ますような、丸っこくて、もちもちとした質感の、絶妙に愛くるしいペンギンのクッションだった。
璃景はそれを見つめたまま固まり、耳の端をじわじわと赤くしながら、絞り出すような声で呟いた。
「千海……これは、反則な気がする」
「ふ、ふふふ。確かに可愛すぎますね。あ、しかも二つある! 璃景さん、ソファー用とベッド用に置きましょうか? ちょうど色違いですし」
千海がウィンドウを覗き込んでくすくすと笑う。
昨日のぬいぐるみとグラスで大満足だった近衛長が、このもちもちの伏兵を前にして完全に心を奪われているのが分かったからだ。
「……うん」
璃景は、こくりと真面目に頷いた。
サングラス越しでも分かるほどに、その目は欲しいと訴えかけている。
昨夜のグラスに続き、またしても可愛いものへの抵抗力を削ぎ落とされた璃景。
そして、何より素直な璃景を可愛いと思う千海。
「ふ、ふふふ。いいですよ。お揃いで連れて帰りましょう!」
千海の快い采配が出ると、璃景の顔がぱっと輝いた。
店に入り、色違いのペンギンクッションを二つ抱え、衣服の袋とお土産のバッグを手にした二人は、いよいよ本当の我が家へと向かった。
エントランスを抜け、やっと本陣――マンションの扉を開けた。
荷物を置き、ソファーとベッドにそれぞれ新しいペンギンたちを配置すると、部屋の中はいっそう温かみのある、二人だけの空間へと様変わりした。
「さあ、我が作家殿。これで本陣の新たな布陣も完璧だ」
璃景はもちもちのクッションをそっとソファーに整えながら、極上の笑顔で、千海へ愛おしげな眼差しを向ける。
「今回の遠征で集めた最高の物語の種を、これからじっくりと形にしていってくれ。私はいつでも、君の隣という特等席で、その誕生を待っているよ」
「はい。最高の物語にします」
千海はそう言って、旅の間に何度も開いたスマートフォンをそっと手に取った。
北九州の空。
下関の海峡。
宮島の朱い社。
倉敷の白壁。
神戸の青い水槽と夕暮れの港。
そして、隣で驚き、笑い、時には真っ赤になってくれた異世界の美男子。
そのすべてが、今の千海の中で、確かな物語の種になっていた。
「璃景さん」
「なんだい、千海」
「一緒に来てくれて、本当にありがとうございました」
千海が心からそう告げると、璃景は少しだけ目を細め、穏やかに微笑んだ。
「礼を言うのは私の方だよ。我が作家殿。君が私に、この世界を見せてくれた」
窓の外では、東京の夜が静かに瞬き始めている。
ソファーには、新しく迎えたペンギンクッション。
そのそばには、水族館で手に入れたぺんぎんのぬいぐるみと、寄り添うように並ぶうさぎ。
そして、うさぎとペンギンのグラス。
旅の思い出が少しずつ増えた本陣で、千海は新しい物語を書き始めるため、そっと画面に指を置いた。
隣には、当然のように璃景がいる。
取材旅行は終わった。
けれど、二人の物語は、ここからまた続いていく。
完
ここまでお読みいただきありがとうございます。
今回は、取材旅行を終え、東京の本陣へ帰るお話でした。
北九州から始まり、下関、宮島、倉敷、神戸へ。
たくさんの景色と美味しいものを巡った旅も、ついに帰路につきました。
璃景にとって一番印象に残ったものは、ひとつには選べなかったようです。
どの景色にも、どの美味にも、隣には千海がいた。
だからこそ、すべてが大切な思い出になったのかもしれません。
そして、早くも次の取材旅行の話も少しだけ。
瀬戸内の反対側、四国への旅も、いつか実現するかもしれません。
東京の本陣には、ぺんぎんの仲間も増えました。
旅は終わっても、二人の物語はまだ続いていきます。
二人の掛け合いと旅の雰囲気を、少しでも楽しんでいただけましたら幸いです。
ここで一度、完結となります。
瀬戸内はまだまだ巡ってみたい場所がありますし、璃景と千海のこれからも書いてみたいと思っています。
お声がけをいただけるようでしたら、二章も書いていきたいな……と考えています。
ですが、今回はここで区切りたいと思います。
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
毎日見に来てくださった皆様のおかげで、楽しく二人の旅を書くことができました。
少しでも二人の旅を楽しんでいただけましたら、ブックマークや評価で応援していただけると、とても励みになります。
また璃景と千海の物語でお会いできましたら嬉しいです。




